| 資料番号 | 906990850001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学化学研究所 |
| 所在地 | 宇治市 |
| 製作(製造)年 | 1951~1954 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | |
| 製作者(社)等 | 京都大学化学研究所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 1951年から1953年まで京都大学化学研究所(当時は高槻)で行われた高圧法ポリエチレン連続工業化試験(日産10kg)の設計図、実験ノート、写真及び内部報告書(1954年と推定)である。この研究を踏まえて、住友化学工業は、通産省から工業化試験補助金を得て、新居浜工場内に月産3トンの中間試験工場を1953年に建設し稼働させた。最終的にはICI社からの技術導入で工業化されたが、日本での石油化学の技術開発を示す資料である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2017 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00236 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第二種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
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| 資料番号 | 906990850002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学化学研究所 |
| 所在地 | 宇治市 |
| 製作(製造)年 | 1937~1939 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 京都大学化学研究所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 京都大学化学研究所喜多源逸研究室では、1927年からFT法触媒の開発研究に着手し、1937年からは従来のコバルトに代わる鉄系触媒の開発に着手して成功した。1939年には、試験設備での連続運転に成功した。この研究室で開発した触媒である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2021 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00302 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 906990850003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 京都大学化学研究所 |
| 所在地 | 宇治市 |
| 製作(製造)年 | 1937~1939 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 京都大学化学研究所 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 京都大学化学研究所喜多源逸研究室では、1927年からFT法触媒の開発研究に着手し、1937年からは従来のコバルトに代わる鉄系触媒の開発に着手して成功した。1939年には、試験設備での連続運転に成功した。この設備で試作した人造石油である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2021 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00302 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 906990850004 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 滝川市郷土館 |
| 所在地 | 滝川市 |
| 製作(製造)年 | 1942~1945 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/17 |
| 種類 | |
| 製作者(社)等 | 北海道人造石油株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 1930年代後半に国策で石炭から人造石油の工業化が進められ、1938年に半官半民の出資により北海道人造石油(株)が設立された。ドイツからフィッシャー・トロプシュ法の技術導入により工業化が図られ、1942年から年産約3万トンの能力で稼働を開始した。京都大学が開発した鉄系触媒も使われた。郷土館の呼びかけにより多くの文献資料も収集されている。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2021 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00303 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 906990850005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | (株)ダイセル 姫路製造所 網干工場 |
| 所在地 | 姫路市 |
| 製作(製造)年 | 1954 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | その他(試験機) |
| 製作者(社)等 | 国栄機械製作所(現:グローリー(株)) |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | セルロイドは、硝化綿と樟脳を混和後、圧縮機で加熱加圧してブロックにし、これをシート状にスライスしたセルロイド生地として出荷する。資料は小型の試験機で、新しいセルロイド柄の試作、検査などに使われた。試験機壱号機、弐号機は、大日本セルロイド創設時の1919年にドイツから購入されたが、参号機は地元の機械会社で国産化された。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2019 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00262 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 906990850006 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本アルコール産業(株) 出水工場 |
| 所在地 | 出水市 |
| 製作(製造)年 | 1938 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 国営アルコール工場 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 日本で2番目に操業を開始した国営アルコール工場のもろみ塔である。もろみ塔は、芋などの発酵液からエタノールを粗蒸留する蒸留塔である。1945年8月の空襲で破壊されたが、再建され、1997年まで使用された。芋の繊維で詰まりやすいので、各段に手を入れて掃除ができる蓋が付いた珍しい形の蒸留塔である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2019 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00260 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第二種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 906990850007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本アルコール産業(株) 磐田工場 |
| 所在地 | 磐田市 |
| 製作(製造)年 | 1939 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/03/08 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 国営アルコール工場 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 蒸留塔の棚段1点と棚段の一部1点である。円柱型バブルキャップの付いた棚段は、オーソドックスな形で精留塔または脱水塔の一部と推定される。キノコ型のバブルキャップが付いた棚段の一部は、もろみ塔の棚段である。もろみによって、バブルキャップが詰まることを防止するための珍しい形であり、現在でもこの形式のバブルキャップはもろみ塔に使われている。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2019 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00261 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第二種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究試作糸
| 資料番号 | 906990850008 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 山形大学工学部 |
| 所在地 | 米沢市 |
| 製作(製造)年 | 1913 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/02/15 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 米沢高等工業学校 秦逸三教授 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し、学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授の試作糸である。 |
米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究ガラスノズル
| 資料番号 | 906990850009 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 山形大学工学部 |
| 所在地 | 米沢市 |
| 製作(製造)年 | 1913 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/02/15 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 米沢高等工業学校 秦逸三教授 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し、学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授が自製し研究に使用したガラスノズルである。 |
米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究器具
| 資料番号 | 906990850010 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 山形大学工学部 |
| 所在地 | 米沢市 |
| 製作(製造)年 | 1913 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/02/15 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 米沢高等工業学校 秦逸三教授 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授使用の研究器具である。 |
帝国人造絹糸㈱米沢工場のレーヨン糸、レーヨンリボンストロー
| 資料番号 | 906990850011 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 山形大学工学部 |
| 所在地 | 米沢市 |
| 製作(製造)年 | 1924~1930 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田島主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/02/15 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 帝国人造絹糸(株)(現在の帝人(株)) 米沢工場(1931年操業停止、1934年閉鎖) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では米沢高等工業学校秦逸三教授の研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生し、初めて国産化された。資料は米沢工場製作のレーヨン糸(写真前)とレーヨンリボンストロー(写真後)である。 |
マッセイフアガソントラクタ(イギリス製) MF-65
| 資料番号 | 907090870001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | スガノ農機株式会社 |
| 所在地 | 空知郡上富良野町 |
| 製作(製造)年 | 1960 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田辺主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/05/10 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | マッセイフアガソン社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 犂やボトムプラウを牽引する動力源は人?牛・馬?トラクタへと時代と共に変遷していった。能率向上や、作業精度向上の為徐々に高馬力、大型化していった。初期のトラクタはタイヤ後方に取り付けられたけん引環に作業機(プラウ)を引っ掛けて前進していた。けん引する重量の為前輪が浮き上がり、後輪を軸にトラクタが回転して、転倒することもあった。トラクタには安全にけん引するとか、深さを制御するとかの機構は無かった。マッセイフアガソントラクタはこれらを解消するため作業機の取り付け方式を3点リンク方式にし油圧コントロールのリンクに結び付け前輪に作業機の負荷を移動させけん引力を増大させた画期的なトラクタを開発した。現在のトラクタの基本となっている。本トラクタは1961(昭和36)年導入された。北海道空知郡上富良野町の林光男氏と林桂一氏が共同で購入し19年間使用し、その後、井村農場が入手し1991(平成3)年まで使用された。非常に手入れが良く現在も稼働が可能である。 |
| 資料番号 | 907090870002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | スガノ農機株式会社 |
| 所在地 | 空知郡上富良野町 |
| 製作(製造)年 | 1960頃 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田辺主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/06/02 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | スガノ農機株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 国産畜力プラウの代表的製品である。畜力時代後半の製品で、各地の土壌に合わせて深耕を可能とし、生産性の向上に寄与した。特に当時、北海道畑地の37%を占める傾斜耕地の耕土保全の第1歩は、等高線耕作と等高線に合わせ上向き反転にあった。20度以上の傾斜地を上へ完全に反転し、耕馬は礫溝の中を歩行した。操作レバーにより深浅、幅、運搬が自在にできる。表土の流亡を防ぎ生産性の向上と畑地保全に効果を発揮した。土壌付着防止とけん引抵抗減少の為撥土板(モールドボード)の仕上げは念入りに行いけん引する馬匹にも配慮していた。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2017 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00237 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
| 資料番号 | 907090870003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | スガノ農機株式会社 |
| 所在地 | 空知郡上富良野町 |
| 製作(製造)年 | 1972 |
| 調査機関団体 | 平成27年度田辺主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/05/10 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | スガノ農機株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 畑地の耕起作業は畜力からトラクターに変わり本格的な土層改良を経て一般農家にも普及しだした。1農家当たりの耕作面積も大きくなったことに合わせ、一定の耕深を保つ事が営農上必要となっていた。畜力時代からボトムプラウには土壌付着の問題があり、作業能率の低下、適正耕深の維持に問題が発生した。その解決に関係者は取り組んでいたが土と接触するボトム表面に鉄を使用することは土壌付着があった。構造を色々考慮し取り組んだが満足できる結果は得られなかった。そこで鉄以外の材料を用いて取り組み成功したのがプラスチックプラウである。1961(昭和36)年研究を開始し1964(昭和39)にはスリックプラウ(スガノ農機株式会社)、ボルガ二ックスプラウ(現タカキタ)が商品化した。開発過程では特許闘争も発生したと聞いているが円満解決し各メーカーが生産しユーザーの期待に応えている。本製品はスガノ農機株式会社が作業高能率化と耕起性能を大型化時代に合わせて1972(昭和47)年から1993(平成5)年まで生産し北海道の農業大規模化に寄与した製品である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2017 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00238 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
田中製鐵所コペー炉図面(釜石製鉄所100年史写真集p.37)
| 資料番号 | 907190880001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 新日鉄住金株式会社 棒線事業部 釜石製鉄所 |
| 所在地 | 釜石市 |
| 製作(製造)年 | 明治26年頃 |
| 調査機関団体 | 平成27年度中村主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/05/27 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 新日本製鉄 釜石製鉄所100年史編集委員会 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉図面(釜石製鉄所100年史写真集p.37)。ビーハイブ炉から官営八幡製鉄所に導入される正式のコペー炉(垂直焔道炉)に移行する途中の技術的な過程を示す貴重な資料 |
田中製鐵所コペー炉写真
| 資料番号 | 907190880002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 釜石市立鉄の歴史館 |
| 所在地 | 釜石市 |
| 製作(製造)年 | 明治30年頃 |
| 調査機関団体 | 平成27年度中村主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/05/27 |
| 種類 | 写真 |
| 製作者(社)等 | 不明 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉写真 |
田中製鐵所鈴子構内見取り図
| 資料番号 | 907190880003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 釜石市教育委員会事務局 生涯教育文化課 (併)総務企画部世界遺産登録推進室 |
| 所在地 | 釜石市 |
| 製作(製造)年 | 明治30年頃 |
| 調査機関団体 | 平成27年度中村主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2016/05/27 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 不明 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉配置図 |
国産木製複式顕微鏡
| 資料番号 | 907290890001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 島津製作所 創業記念資料館 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1781 |
| 調査機関団体 | 顕微鏡(長野主任調査員) |
| 調査票記入日 | 2017/01/22 |
| 種類 | その他(一点もの) |
| 製作者(社)等 | 小林規右衛門(小林常行) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 天明元年(1781)、望遠鏡制作を行っていた小林規右衛門により大阪で制作されたものです。この顕微鏡は、2本脚の独特な形状をもち、本体は木製、鏡筒は紙製で、対物レンズが3種ついています。他にも水を入れる硝子の器や虫を刺して見るピンなどの附属品と、見様(説明書)が残されています。また台座の裏には『天(明)元年 小林規右衛門作之』の墨書があります。製作年代や使用方法が分かる貴重な資料であり、現存する国産最古のものと言われています。 |
田中式六百倍顕微鏡
| 資料番号 | 907290890002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 個人所有 |
| 所在地 | 京都市 |
| 製作(製造)年 | 1907 |
| 調査機関団体 | 顕微鏡(長野主任調査員) |
| 調査票記入日 | 2017/01/27 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 田中合名会社(田中杢次郎) |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 商業的な量産に成功した最初の国産顕微鏡。明治40年の東京勧業博覧会に出品され一等賞牌を獲得。翌年には月産100台を達成し、大正3年の東京大正博覧会では銀牌を獲得した。開発者の田中杢次郎は、東京理化学器械同業組合(現・東京科学機器協会)の初代組合長を務め、「和製顕微鏡を完成」した功により銀杯を下賜された。 |
顕微鏡用アポクロマート対物鏡 (10×, 20×, 40×整光環付, 90×油浸)
| 資料番号 | 907290890003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | オリンパス技術歴史館「瑞古洞」 |
| 所在地 | 八王子市 |
| 製作(製造)年 | 1934 |
| 調査機関団体 | 顕微鏡(長野主任調査員) |
| 調査票記入日 | 2017/01/13 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 株式会社高千穂製作所 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 色収差を極限まで補正したアポクロマート対物レンズ(1886年にドイツのアッべが発明)は、蛍石やミョウバンなど特殊な光学材料を使うため、当時わが国では製造が不可能とされていた。高解像の90倍油浸(1931年に試作品完成)と整光環(カバーガラスの厚み誤差による像劣化を調整する機構)付40倍アポクロマート対物レンズは、当時のわが国の光学・精密技術水準の高さを示す画期的製品である。 |
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