| 資料番号 | 904490571005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本ペイント歴史館 |
| 所在地 | 大阪市北区 |
| 製作(製造)年 | 1881年 |
| 調査機関団体 | 平成21年度大沼主任調査員調査分 |
| 調査票記入日 | 2009/12/27 |
| 種類 | その他(色見本) |
| 製作者(社)等 | 中川平吉 (海軍塗工長) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 国産塗料の完成を待ち望み、事業化に向け全面支援された海軍の塗工長:中川平吉氏が明治14年に自ら塗装された塗り板を使った衝立(高さ169cm、幅202cm)です。明治13年春に国産塗料の開発に成功した茂木重次郎と兄春太は、翌14年開催の第2回内国勧業博覧会にペンキと白色顔料(亜鉛華)を出品して褒状を受けました。それが中川塗工長の目にとまり、「塗料工業は国家的事業として育成せねばならない」と、海軍郷:川村純義に建議、許可を得て日本ペイント株式会社の前身:光明社が設立されました。 裏面には同じく中川塗工長が作られた大理石調や木目調など、50種の艦船営需用塗具見本が貼られ、事務所や入口に衝立として飾られました。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2011 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00073 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第二種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
26,828 件中 26181-26200件を表示
日本最古の煉瓦造り油・ワニス焚き工場「日本ペイント明治記念館」
| 資料番号 | 904490571006 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本ペイント株式会社 東京事業所 |
| 所在地 | 品川区 |
| 製作(製造)年 | 1909年 |
| 調査機関団体 | 平成21年度大沼主任調査員調査分 |
| 調査票記入日 | 2009/12/27 |
| 種類 | その他(建造物) |
| 製作者(社)等 | 清水組(現清水建設) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 明治31年、国産塗料工業の鼻祖:光明社が日本ペイント製造株式会社に改組時の塗料販売量は213tでしたが、明治41年には3057tに達する急伸長で、生産体制の全面見直しが必要となりました。明治38年に大阪工場の新設後、明治40~42年の間に、東京工場は生産能力を3倍にするべく、全面改修工事を行い、初めて煉瓦造りの油ワニス焚き工場(約160m2)を建設しました。<BR>この工場棟は大正12年の関東大震災や、昭和20年の戦災にも耐え、品川区内で唯一の明治期建設の洋風建築物となったため、品川区教育長からの要請を受け、「明治記念館」と称して保存し、内部に当時の生産設備や塗料容器、歴史的資料などを展示しています。 |
| 資料番号 | 904490571007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 日本ペイント歴史館 |
| 所在地 | 大阪市北区 |
| 製作(製造)年 | 1964年 |
| 調査機関団体 | 平成21年度大沼主任調査員調査分 |
| 調査票記入日 | 2009/12/27 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 日本ペイント株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 自動車ボディは、道路の凍結防止用に撒かれる岩塩で錆が発生し易かったため、防錆塗料や塗装法の開発が急務でした。そこで水性塗料の槽の中に被塗物を浸漬し、塗料を+極に、被塗物-極に直流電流を通して塗料を付着させる「電着塗装」を日本ペイント株式会社と東洋工業株式会社(現株式会社マツダ)とが共同開発しました。このシステムは複雑な形状の奥まで均一に連続塗装でき、塗着効率が高く経済的で、環境にも優しい画期的な塗料、塗装法として急速に普及しました。このカーモデルは、1964年(昭和39年)に国産車として初めて電着塗装を採用した東洋工業株式会社の電着塗装第1号車と共に塗装された、現存する最古のアニオン型電着塗装のミニチュアカーモデルです。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2012 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00102 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
国産技術第1号タイヤのレプリカ
| 資料番号 | 904590590001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | ブリヂストン博物館(Bridgestone Today) |
| 所在地 | 小平市 |
| 製作(製造)年 | 1930 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/25 |
| 種類 | 複製(レプリカ) |
| 製作者(社)等 | ブリッヂストン株式会社(現・株式会社ブリヂストン(レプリカ製作も)) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 国産技術で製造された記念すべきタイヤのレプリカ。ブリヂストンは、外国の技術導入ではなく、自前の国産技術で立ち上げた。1930年記念すべき第1号タイヤが製造された。本タイヤはそのタイヤのレプリカである。BALLOONの文字がみえる。当時の低圧タイヤ(現在のレベル)である。 |
カタログ ブリヂストン トラックタイヤ 1934年
| 資料番号 | 904590590002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | ブリヂストン博物館(Bridgestone Today) |
| 所在地 | 小平市 |
| 製作(製造)年 | 1934 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/25 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | ブリヂストン株式会社(現・株式会社ブリヂストン) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 戦前の商品群の掲示例。「純国産」の文字に日本人の技術によるタイヤへの意気込みが感じられる。ブリヂストンは、外国からの技術導入ではなく、国産技術で発展した。1930年〜1940年頃はブリヂストンの創立の意気込みが現れている。 |
戦闘機「隼」用タイヤ(日本タイヤ株式会社製)
| 資料番号 | 904590590003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | ブリヂストン博物館(Bridgestone Today) |
| 所在地 | 小平市 |
| 製作(製造)年 | 1944 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/25 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 日本タイヤ株式会社(現・ブリヂストン) |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 戦中の戦闘機タイヤとして使用された高耐久性商品として貴重。戦中の日本のタイヤ技術のレベルは自前技術でかなり高かったと考えられる。このタイヤは昭和19年の製造であり、戦闘機「隼」に装着されたものである。現状でもそれほど劣化していないように見える。 |
旧日本海軍零式艦上戦闘機に使用された主脚タイヤ
| 資料番号 | 904590590004 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 横浜ゴム株式会社 平塚製造所 |
| 所在地 | 平塚市 |
| 製作(製造)年 | 1943 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/05/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 横浜護謨製造株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 太平洋戦争中に製造された零戦主脚用タイヤ及び純正ホイールである。タイヤは現在も当時の状態で保存されている。戦中のタイヤ技術は軍需品として開発されたが、特に耐久性を要求されるので高性能であったことが、このことからもわかる。サイズ 600x175 6ply |
旧日本海軍零式戦闘機に使用された主脚タイヤ
| 資料番号 | 904590590005 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 横浜ゴム株式会社 平塚製造所 |
| 所在地 | 平塚市 |
| 製作(製造)年 | 1943 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/05/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 横浜護謨製造株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 太平洋戦争中に製造された零戦用タイヤである。昭和38年グアム島で発見された零戦に装着されていた。機体は見る影もなかったが、タイヤはそのまま使用に耐える状態だった。現在もそのまま保存されている。戦中のタイヤ技術は軍需品として開発し、高性能であったことが、このことからもわかる。 |
三島工場建設後 第1回試作品(第1号タイヤ)
| 資料番号 | 904590590006 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 横浜ゴム株式会社 三島工場 |
| 所在地 | 三島市 |
| 製作(製造)年 | 1946 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/09/01 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 横浜ゴム株式会社三島工場 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 戦後他の会社(航空機製造)を買収し、且戦災にあった横浜工場から設備移設して新生横浜ゴム株式会社として、立ちあがった工場の第一回試作品である。この当時のタイヤ技術のレベルは戦中の軍需物資の中でも、性能特に耐久性を高度に問われる技術開発をおこなっていたので性能は高かったとおもわれる。戦前戦中の技術が込められた記念すべきタイヤである。 |
平塚工場生産開始 第1号タイヤ
| 資料番号 | 904590590007 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 横浜ゴム株式会社 平塚タイヤ工場 |
| 所在地 | 平塚市 |
| 製作(製造)年 | 1952 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/05/01 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 横浜ゴム株式会社平塚工場 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 戦後国から払い下げされた土地に幾つかの関東地方にあった工場を集合して、更地にアメリカの提携会社Goodrich社の指導のもと、横浜ゴムの中核の工場をたてることができた。このタイヤは新工場の第一号タイヤである。 |
| 資料番号 | 904590590008 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 住友ゴム工業株式会社 |
| 所在地 | 神戸市 |
| 製作(製造)年 | 1913 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2011/02/16 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | ダンロップ(極東)株式会社(現・住友ゴム工業株式会社) |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 1913(大正2)年、The Dunlop Rubber Co.(Far East),Ltd.は自動車タイヤの生産を開始した。この頃、自動車用タイヤの生産は日産25〜26本で、極めて手作り的色彩の強いものであった。製法は「ファブリックタイヤ」、あるいは「キャンバスタイヤ」と称して、ゴム引きした布を重ね合わせるやりかたであった。1912(大正元)年の全国自動車保有台数はわずか521台にすぎなかった。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2012 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00094 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
国内初テキスタイルラジアルタイヤ SP3
| 資料番号 | 904590590009 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 住友ゴム工業株式会社 |
| 所在地 | 神戸市 |
| 製作(製造)年 | 1966 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2011/02/16 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 住友ゴム株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 1963(昭和38)年から英国ダンロップ社からテキスタイルラジアルタイヤの技術移転を進めてきた。1966(昭和41)年に国内初のテキスタイルラジアルタイヤ「SP3」を発売した。発売当初は、日本の道路が整備されていなかったという事情もあり、華々しい売れ行きを示すまでにはいたらなかったが、徐々に生産を拡大していった。 |
DEMLOC方式タイヤ
| 資料番号 | 904590590010 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 住友ゴム工業株式会社 |
| 所在地 | 神戸市 |
| 製作(製造)年 | 1972 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2011/02/16 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 住友ゴム株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 英国ダンロップ社と共同開発したパンクしてもタイヤがホイールから外れない機構として、「デンロック方式」のタイヤを発表した。現在のスペアレスタイヤへと繋がるものであった。 |
トーヨーハイパラジアルST構造
| 資料番号 | 904590590011 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東洋ゴム工業株式会社 タイヤ技術センター |
| 所在地 | 伊丹市 |
| 製作(製造)年 | 1968 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/09/22 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 東洋ゴム工業株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | ST構造とは、強靭なスチールベルトと強く柔軟なテキスタイル(ポリエステル)カーカスを組み合わせた、世界でも独特のラジアルタイヤです。技術の東洋ゴムが独自に開発したこのST構造は、操縦安定性、高速耐久性、耐摩耗性など、数々のすぐれた特性を生み、特に走行時のころがり抵抗が小さい為、燃料を節約する低燃費ラジアルとして、ユーザーの皆様からST構造は高い評価をいただいています。 |
くるみ入りアイスバーンハイグリップスタッドレス OBSERVE X−9
| 資料番号 | 904590590012 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東洋ゴム工業株式会社 |
| 所在地 | 伊丹市 |
| 製作(製造)年 | 1991 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石川主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2011/02/16 |
| 種類 | 設計図・文献 |
| 製作者(社)等 | 東洋ゴム工業株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 1991年に粉塵問題により、スパイクタイヤの販売が禁止された。そこで、スパイクではなくても、アイス路面に対して引っかき効果が得られる素材として、研磨材としても使用されている環境にもやさしい、天然素材であるクルミを混入したスタッドレスタイヤを発売した。 |
| 資料番号 | 904690600001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東芝ライテック株式会社 |
| 所在地 | 横須賀市 |
| 製作(製造)年 | 1899 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石崎主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/25 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 東京白熱電燈球製造株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | 我国最初の白熱電球製造会社の創立者藤岡市助が明治27年(1894)に発明した電球。二種のカーボンフィラメントを封入しソケットの開閉で明るさを切り替えるようにした電球。導入線には白金線を使用し口金は底部に2つ接点がある。当時我が国の電球市場を占拠していた欧米からの輸入電球に対抗するために開発された我が国初の新製品。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2011 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00076 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
カナリア電球
| 資料番号 | 904690600002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 東芝ライテック株式会社 |
| 所在地 | 横須賀市 |
| 製作(製造)年 | 1920 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石崎主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/25 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 東京白熱電燈球製造株式会社 |
| 資料公開状況 | 非公開 |
| 特徴 | ガラスバルブにウランガラスを使用し、フィラメントから出る紫外線と青色の光を吸収して黄緑色の蛍光を出すようにした電球で色が小鳥のカナリアに似ていることからカナリア電球と呼ばれた。東京電気の発明で目の疲労が減り、養蚕用にも適しているとされている。紫外光による励起発光を利用した最初のランプである。 |
| 資料番号 | 904690600003 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 細渕電球株式会社 本社 |
| 所在地 | 荒川区 |
| 製作(製造)年 | 1954 |
| 調査機関団体 | 平成22年度石崎主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/15 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 細渕電球株式会社 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 世界で初めて開発されたカラー胃カメラ用電球。1954年この電球を使用して世界初の胃壁カラー撮影に成功した。ガラスバルブを小さなかまぼこ形にして2つのランプが組み合わさって円筒状になり、診察時と撮影時に切り替えて点灯できるようになっている。我が国の胃カメラ診察技術発展の基礎確立に貢献した電球である。 |
| 未来技術遺産登録年度 | 2014 |
| 未来技術遺産登録番号 | 00150 |
| 未来技術遺産登録区分 | 第一種 |
| 未来技術遺産PDF資料 |
3UEC72/150型機関用試作一号排気ガスタービン過給機 三菱水冷型過給機
| 資料番号 | 904790610001 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 三菱重工業株式会社 長崎造船所 |
| 所在地 | 長崎市 |
| 製作(製造)年 | 1953 |
| 調査機関団体 | 平成22年度今給黎主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/11/15 |
| 種類 | 試作品 |
| 製作者(社)等 | 三菱重工業株式会社 長崎造船所 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 昭和20年代のディーゼル機関の高出力化は排気ガスタービン過給実用化によって急速に進展した。三菱重工業は昭和25年、自社技術によるユニフロー掃気式大型2サイクル機関の開発にあたり、機関性能に大きな影響をもつ過給機も独自に開発することを決定した。結果は昭和28年5月26日、機関公開試験運転において好成績が確認された。本過給機は、上記実験機関三菱UEディーゼル507機関(3UEC72/150形)用に試作された排気ガスタービン機の初号機であり、当時の技術水準の高さを示したものである。本過給機試験結果を元にその後更に改造を重ねた最終機は現在船の科学館に機関本体と共に展示されている。 |
三菱水冷型排気ガスタービン過給機 65a1
| 資料番号 | 904790610002 |
|---|---|
| 情報所有館 | 国立科学博物館 |
| 所在等 | 三菱重工業株式会社 長崎造船所 |
| 所在地 | 長崎市 |
| 製作(製造)年 | 1965 |
| 調査機関団体 | 平成22年度今給黎主任調査員 |
| 調査票記入日 | 2010/10/31 |
| 種類 | 量産品 |
| 製作者(社)等 | 三菱重工業株式会社 長崎造船所 |
| 資料公開状況 | 公開 |
| 特徴 | 三菱重工は昭和25年、自社技術による舶用大型ディーゼル機関と排気ガスタービンを独自技術で開発することを決定した。当時、過給機付2サイクルディーゼル機関はまだ揺籃期にあり、過給機の開発も大きな要素であった。空気設計上の特徴は、圧縮機に効率の高い遠心シュラウド盤付き後方湾曲型羽根車を、およびタービン翼は丸頭翼と称し、動圧ブローダウンに適するようにガス入口側が円筒断面のユニークなプロファイルを採用していることである。本過給機は昭和41年(1966)に就航し平成20年(2008)まで42年間の長きに亘って稼動していたもので当時の技術が確かなものであったことを証明するものである。 |
26,828 件中 26181-26200件を表示