26,828 件中 2521-2540件を表示
資料画像

電気アイロン

資料番号 00011
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 芝浦製作所(当社の前身)が初めて電熱器具類を製作したのは明治の末期で、わが国での家庭電気器具開発の草分けである。当時は電熱器に使われるニクロム線や電熱器の多くは輸入品であった。その後、電熱器の便利さが世間に認識され、需要が増してきたので、1915年(大正4)に電気アイロンなどを生産するようになった。写真の製品は、1922年(大正11)頃に製造された電気アイロンで、ハンドルは木製、台は陶器製である。年代:1922年頃
資料画像

真空管式ラジオ受信機 ジュノラ1A

資料番号 00012
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1925年(大正14)3月に東京放送局が芝浦に開設され、わが国最初のラジオ放送が始まった。芝浦製作所(当社の前身)では早速ラジオ受信機の開発を進め、感度高く、遠距離に使用し得る無線受信機の研究および単球受信機、二球可聴周波増幅器、三球受信機等の研究開発によって、同年中頃にサイモトロンUV-199を1球使った真空管式受信機(ジュノラ1A)を発売した。その後、ジュノラⅡA/ⅢA型の受信機を開発し、市場に出すに至った。年代:1925年
資料画像

世界初の内面つや消し電球

資料番号 00013
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 ガス入り電球の出現で、電球の効率は高まり、光源の光度が強くなり、その表面輝度は高くなった。その為、眩しさが一般照明の大きな問題となった。最初はガラス球を外面からつや消しする方法が取られたが、表面が汚れ易く、従って光の透過も急速に減少するという欠点を持っていた。そこで、当社の不破橘三技師がガラス球の内面をつや消しすることに着眼し、研究を進め、苦心努力の結果、1925年(大正14)にガラス球の強度においても遜色の無い内面つや消し電球の製作に成功した。年代:1925年
資料画像

携帯用ラジオ受信機 サイモホンC型

資料番号 00014
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1923年(大正12)に放送用施設無線電話規則が制定され、東京電気(当社の前身)は、ラジオ・アマチュアのために真空管UV-200、UV-201を開発し、「電波の器」を意味する「サイモトロン」の名称で販売した。1925年(大正14)3月に東京放送が芝浦でラジオ放送を始めると、さっそくラジオ受信機の開発を進め、1926年(大正15)に真空管UV-199を使用した携帯用ラジオ受信機「サイモホンC型」を製作し、当時の価格224円20銭で発売した。年代:1926年
資料画像

送信用真空管(ブライオトロン) UV-204A

資料番号 00015
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 東京電気(当社の前身)は、1919年(大正8)に逓信省から特命を受け、国産初の送信用真空管(ブライオトロン)を製作納入した。これはガラス枠にタングステン線を巻いて陽極とし、入力30ワット程度で、短距離ながら無線電話送信用に使われた。その後、1926年(大正15)に短波用送信管SN-204、SN-208を製作した。また同年、トリウムタングステンフィラメントを使用したUV-203A、UV-204Aを試作した。年代:1926年
資料画像

日本初の電鉄用鉄製水銀整流器

資料番号 00016
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 水銀整流器とは、内部を真空に排気した鉄製容器内に水銀を陰極とし黒鉛の円柱を陽極として封じ込み、水銀アーク放電を利用して交流を直流に変換する装置である。芝浦製作所(当社の前身)は、鉄製水銀整流器の鉄槽構造、真空装置、陽極および陰極導体の絶縁と気密性の維持などゼロからの研究を行い、1927年(昭和2)に国産初の600V、300kW電鉄用鉄製水銀整流器を完成、盛岡電灯の花巻温泉電軌鉄道花巻変電所に納入した。年代:1927年
資料画像

エジソン直筆署名入りポートレート

資料番号 00017
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1930年(昭和5)に渡米する東京電気(当社の前身)の山口社長は、電灯50年記念会(代表:社団法人電気協会の井上会長)からエジソンに進呈する記念メダル、照明学会の名誉会員推薦状を託された。エジソンは病気療養中で直接面会は出来なかったが、後にエジソンから山口社長に贈られた1930年(昭和5)4月12日付の直筆署名入りポートレイトである。その後、電灯50年記念会は1931年(昭和6)10月18日のエジソン永眠を機に京都石清水八幡宮にエジソン記念碑を建設した。年代:1930年
資料画像

エジソン直筆署名入り感謝状

資料番号 00018
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1930年(昭和5)に渡米する東京電気(当社の前身)の山口社長は、電灯50年記念会(代表:社団法人電気協会の井上会長)からエジソンに進呈する記念メダル、照明学会の名誉会員推薦状を託された。エジソンは病気療養中で直接面会は出来なかったが、後にエジソンから山口社長に贈られた1930年(昭和5)4月12日付の直筆署名入りの感謝状である。その後、電灯50年記念会は1931年(昭和6)10月18日のエジソン永眠を機に京都石清水八幡宮にエジソン記念碑を建設した。年代:1930年
資料画像

日本初の電気洗濯機 Solar A型

資料番号 00019
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1930年(昭和5)に芝浦製作所(当社の前身)が国産第一号の撹拌式電気洗濯機“ソーラー(Solar)”の製作を開始した。自動絞り機付きの洗濯機本体は、米国ハレー・マシン社から技術導入するとともに、撹拌翼はアルミ中空体の3枚羽根が上から下に向かって20°の傾斜があるGE社の技術を採用し、最先端技術を駆使した製品であった。洗濯容量は6ポンド(約2,7Kg)で、価格370円と高く、とても一般家庭では購入できなかった。年代:1930年
資料画像

日本初の電気冷蔵庫 SS-1200

資料番号 00020
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1929年(昭和4)に芝浦製作所(当社の前身)が、米国GE社製をモデルに研究開発を始め、翌1930年(昭和5)に日本初の密封型家庭用冷蔵庫(SS-1200)を東京工場(現:JR大井町駅前)で完成した。この冷蔵庫は、内容積125リットル、重量157キロと金庫を思わせる堂々たる風格であり、モニタートップと称する圧縮機・凝縮器・制御装置その他一式がキャビネットの上に露出しているのが特徴であった。年代:1930年
資料画像

日本初の写真用閃光電球

資料番号 00021
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1929年(昭和4)にドイツ人ヨハネス・オステルマイエル氏によって閃光電球が完成し、わが国でも1931年(昭和6)に東京電気(当社の前身)がマツダ閃光電球として製作した。外形はマツダ白熱電球100ワットと同一で、口金はエジソンベースである。硝子球の中に低圧純粋酸素とアルミニュームの極薄箔があり、発火用の口金から来た2本の電線の先に極短い加熱される抵抗線がある。この抵抗線條が加熱されて薬品に火が付き、アルミニュームの箔が60分の1秒位強烈に燃焼し、発する光度は実に20万燭光となる。年代:1931年
資料画像

日本初の電気掃除機 VC-A型

資料番号 00022
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1931年(昭和6)に芝浦製作所(当社の前身)がGE社製をモデルに開発した日本初のアップライト型真空掃除機VC-A型である。価格は110円で当時の大卒初任給の2ヶ月分に相当した。この掃除機の吸込用床ブラシとモータが一体化した先端部には走行車輪がつき、軽く手で押すだけで掃除が出来るよう工夫されている。掃除機の性能を左右する集塵袋は、埃を濾過させるフィルター効果と通気性を考慮し、布を縫い合わせた袋状になっており、アルミ金具で押さえてある。年代:1931年
資料画像

マツダオリオン電気蓄音機 800号

資料番号 00023
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1933年(昭和8)に発売されたマツダオリオン電気蓄音機800号は、ラジオ受信機と電気蓄音機併用の高級品として専門音楽家の推奨を受けた。ラジオ受信機としては、電源整流管などにマツダ真空管を使用して、清澄な音色と豊富な音量とを提供している。更に、電気蓄音機としては優良なるピックアップを用い、レコードの再生を低周波増幅器で拡大しており、これに速度調節器、自動停止装置等が付随している。年代:1933年
資料画像

世界最大級のラジオ放送用送信管 UV-171

資料番号 00024
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 満州事変が始まると、無線通信装置の製作は各方面とも多忙をきわめ、放送機も一段と出力が増大された。放送機の基幹となる送信管についても、1934年(昭和9)に150kW放送機用の陽極損失250kWの水冷三極管UV-171を完成し、戦前の送信管製作史上に一大隆盛期をもたらした。UV-171は全長165cm、最大直径25cmの送信管で、設計から製作まで当社独自の方法によったもので、当時は世界最大級に属するものである。この送信管は1936年(昭和11)に完成した東京中央放送局の150kW放送機に使用された。年代:1934年
資料画像

日本初のタイムスイッチ

資料番号 00025
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 当社がタイムスイッチをはじめて製作したのは、1934年(昭和9)のことである。最初の製品はマークタイムスイッチと呼ばれるゼンマイ式のもので、わが国での第一号器でもあった。第二号器はミゼットモータを使用した電気時計セレクトスイッチで、12時間内の任意時刻に動作できるようにしたものである。戦後になってマークタイムスイッチの生産を再開し、1954年(昭和29)に開発した新器種は色彩豊かなプラスチックを用いたので家庭電化のイメージに合い,好評を博した。年代:1934年
資料画像

日本初のテレビ用撮像管(アイコノスコープ) 7015

資料番号 00026
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 当社が1935年(昭和10)に完成した日本初のテレビ用撮像管(アイコノスコープ)を1953年(昭和28)のテレビ放送開始に合わせてフィルム送像機(テレシネ)用に商品化した撮像管である。当時は、ニュースなどは映画フィルムで撮影し、放送局で現像したフィルムをフィルム送像機(テレシネ)で撮像送信した。この撮像管を用いたフィルム送像機の光陰極は世界の注目を浴びた高感度の材料(Ag-O-Cs)である銀セシウム光電膜を採用し、日本のテレビ時代を先駆けた。年代:1935年
資料画像

放送機用熱陰極水銀蒸気格子制御整流管(サイラトロン) TV-926

資料番号 00027
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1935年(昭和10)に200kW大電力送信機に使用する増幅管とともに、大形水銀整流管を完成した。また放送機用の熱陰極水銀蒸気格子制御整流管(サイラトロン)TV-926も完成したが、これは当時の150kW送信機の電源用整流管としては最大逆耐電圧18000V、最大平均電流30Aという世界屈指の大容量のものであった。1937年(昭和12)、東京放送局に据え付けられ、大電力電源として鉄槽型整流管と比較使用した結果、動作堅実、信頼度大なることが確かめられた。年代:1935年
資料画像

日本初の蛍光ランプ

資料番号 00028
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 米国GE社のインマン博士が発明した蛍光ランプが実用化されたのは1934年(昭和9)である。東京電気(当社の前身)は、早急に事業化しようと、1939年(昭和14)に3名の技術者をGE社に派遣し、直接インマン博士から技術指導を受け、翌1940年(昭和15)に少量ながら日本で初めて蛍光ランプの製作に成功した。すべての部品が手作りであり、GE社のインストラクションを頼りに試作が進められ、4本足の真空管のベースを取り付けて完成させた。年代:1940年
資料画像

法隆寺壁画模写に使用された蛍光灯スタンド

資料番号 00029
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 大和法隆寺の金堂は世界最古の木造建築であるが、大改造を要する時期となり、その壁面にある有名な壁画を模写して、後世に残すため、1940年(昭和15)8月から模写事業が開始された。金堂の内は、晴天でも1ルクス以下という暗さで、照明には輻射熱の少ないこと、光色が昼光と同じであること、電力が少ないこと、紫外線の少ないことの4条件が要求されたが、丁度当社の蛍光灯が完成した時であり、早速これが利用された。初点火は8月27日で、この日和田画伯の最初の一筆が下ろされた。年代:1940年
資料画像

三笠宮殿下に献上された蛍光灯スタンド

資料番号 00030
情報所有館 株式会社東芝(旧 東芝未来科学館)
特徴 1941年(昭和16)5月24日に三笠宮殿下が東京芝浦電気株式会社マツダ支社をご訪問され、光栄を記念して蛍光ランプスタンドを献上した。スタンドの笠はチーク材仕上げの木製にて、20Wの蛍光ランプ1本及び付属起動装置を収納したもので、電灯器具課の設計になるものである。また、同年12月9日に海軍省軍令部を訪ね、楠製漆塗りの15W昼光色蛍光灯スタンドを高松宮殿下に献上した。これに引き続き天皇、皇后、皇太子殿下など皇室関係者にも献上した。年代:1941年
26,828 件中 2521-2540件を表示