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鉄筋コンクリート造の高架貯水槽。蒸気機関車へ大量の水を補給するため、高い位置に貯水槽が置かれ、水の重力によって補給を行っていた。6本の脚の上に、内容量70トンの貯水槽が載る。脚の内側に揚水施設のポンプや配管の一部が残存する。年代:1940
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木造平屋建の大きく窓のついた簡易な建築。室内に揚水ポンプの一部が残存し、隣接して外径3.6m・高さ1.1mの鉄筋コンクリート造りの井戸を付設。水を井戸から汲み上げ貯水槽へ送る。年代:1940
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木造平屋建で、一部が二階建てとなっている。外壁は杉板縦張り、ガラス窓は格子桟付の木製が特徴。現在も事務室・会議室として使用している。年代:1940
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木造平屋建、日本瓦葺で事務室棟に沿って並ぶ。現在は使われていないが、内部には浴槽が当時のまま残存している。事務室棟・休憩所とは屋根だけの渡り廊下で結ばれている。年代:1940
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現在のヤマハ株式会社の創業は、1887年(明治20年)に山葉寅楠が浜松の小学校にあった壊れたオルガンの修理に成功し、オルガン製作を決意したのがきっかけ。このオルガンは、山葉寅楠によって製作された現存する最古のものの一つと考えられる。鍵盤の上のプレートには、「山葉製造」「MANUFACTURED BY YAMABA」の文字が見られる。創業当時は「YAMAHA」ではなく、「YAMABA」と記されていた。年代:1880年代後半
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現在のヤマハ株式会社の創業者である山葉寅楠は、1887年(明治20年)に浜松で、飾り職人をしていた河合喜三郎と協力しオルガンを完成させた。そして、その出来栄えの評価を受けるため東京の音楽取調所(東京芸術大学音楽部の前身)へ持ち込んだ。 当時はまだ浜松から東京まで鉄道が通じておらず、箱根山を越える際には天秤棒で担いだとも伝わる。このレリーフは、会社創立30周年記念行事のひとつとして本社内に建立された寅楠銅像の台座に埋め込まれていたもの。銅像は第二次世界大戦中に供出され現存しない。年代:1929年
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空気式の自働演奏ピアノ。自動ではなく、自働の字が当てられている。演奏で発音させるタイミングに穴を開けたロール紙を取り付け、ペダルを踏むと、ロール紙を巻いていくのと同時にふいごで空気が送られ、鍵盤機構に繋がっているバーの穴とロール紙の穴が一致したところで空気が流れることによって鍵盤機構を動かし、発音する仕組みだった。後年はモーターが取り付けられて完全な機械式の自動演奏ピアノとなる。個人宅や学校、教会、店舗などに普及した。年代:1913年
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日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)は、木工技術と合板技術が注目され、航空機用木製プロペラを受注、1921年に製造を開始した。プロペラ開発で培った製造技術や工作機械が、後のオートバイ製造への礎となった。本体横に「大正14年11月 日本楽器會社製作」の刻印がある。製番/155 木製・胡桃材 年代:1925年
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日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)が開発したオートバイ。1954年8月に試作車を完成させ、1955年2月にYA1型ヤマハ125ccとして発売、えんじ色のスリムな車体から、“赤トンボ”の愛称で呼ばれた。1955年7月の第3回富士登山オートレースや同年11月の第1回浅間高原全日本耐久ロードレースで上位を独占し、高い走行性能を実証。 同年7月、オートバイ部門を独立し、ヤマハ発動機株式会社を設立した。年代:1955年
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