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函館第二岸壁と可動橋

青函航路で最初にできた岸壁と可動橋。函館第二岸壁(当初の第一岸壁)は1924年10月1日から供用開始、同可動橋は1925年5月20日の竣工で翌日から試験使用、同年8月1日から正式に車両航送を開始した。函館岸壁の完成は第二岸壁(のちの第一岸壁)、同可動橋、その他諸施設も整備された1925年10月14日。可動橋は1924年に就航した翔鳳丸型連絡船に合わせ3本の線路を備えていたが橋門構(クレーン部)のみ残り、橋桁は現存しない。戦後、補助桁、補助鉄塔が加えられる等の改良が行われている。年代:1925年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


可変ピッチプロペラ

摩周丸に備えられていたスクリュープロペラ。4枚羽根で直径3.23m。2基備え、操舵室からの操作で羽根の角度を調節して、回転数は一定のままで前後進、進行方向を変えることができた。エンジン(主機)は8基あり、左右4基ずつ流体減速装置で結合されたマルチプルタイプで、各1本、計2本のプロペラ軸を駆動する。1基1600馬力で全1万2800馬力を出力するが、通常航海では6基でじゅうぶん定時運航が確保されるため、2基を停止して走りながら整備や修理を行っていた。年代:1965年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


救命筏

津軽丸型連絡船の救命筏。この中にゴムボート(膨張式救命筏)を格納して両舷に計52個搭載していた。ゴムボートは25人乗りで、緊急の際は操舵室から遠隔操作でいっせい、あるいは片舷ずつ海面に落とすことができ、自動的に膨張してゴムボートになる。年代:1965年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


松前丸号鐘

松前丸(初代)の号鐘。松前丸は青函航路初の自航式車両航送船、翔鳳丸型(全4隻)の第3番船で、三菱造船長崎造船所で建造され1924年11月11日に就航。1945年7月14日にアメリカ海軍機動部隊の空襲により七重浜に座礁して炎上・沈没した。青函連絡船は翌15日にも空襲を受け、あわせて10隻が沈没、2隻が中破して全滅した。年代:1924年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


運航実績表

青函連絡船の1949年1月から1988年3月まで(一部欠落)の運航実績表。各船がその日、実際にどのように運航したかを天候などとともに1枚の紙に記録している。B3判程度の大きさで、鉄道と同じようなダイヤグラム形式になっている。全葉をデジタルスキャンしてデータベース化、パソコンのタッチパネルディスプレイから日付を選んで閲覧できる。年代:1949年~1988年

情報所有館 : 函館市青函連絡船記念館摩周丸 


風洞実験模型(1/100)

明石海峡大橋の1/100の模型で、全長が40mあります。この模型を使い「風洞実験」という強風の時に橋がどのように動くのかを調査しました。実験結果では、毎秒80mの風が吹いても橋が安定していることが確認されています。なお、真横から毎秒80mの風を当てると桁は風下側へ約30mたわみます。

情報所有館 : 橋の科学館 


海底掘削模型(1/250)

明石海峡大橋の主塔基礎は、主塔にかかる約12万トンの下向きの力を支持地盤に伝えます。支持地盤の深さは水深約60m、海底掘削には、ひとつかみでダンプトラック8台分にもなるグラブ掘削船を使用して行われました。

情報所有館 : 橋の科学館 


鋼ケーソン沈設模型(1/150)

明石海峡は潮流が速いので、潮流が止まるわずかな時間に、決められた位置に鋼ケーソンを据え付けなければなりません。その作業を正確に行うためケーソンには、シンカーに繋ぎ止め係留・位置決めするための係留システム及び沈めるための沈設システムが取り付けられています。

情報所有館 : 橋の科学館 


ケーソンコンクリート打設模型(1/250)

ケーソンの両側に、コンクリートプラント船(25,000トン級)と、資材台船(12,000トン級)が係留され、鋼ケーソン内部には、24本の打設管により、水中コンクリートが施工されています。

情報所有館 : 橋の科学館 


舞子作業基地全景模型(1/300)

神戸側1Aアンカレイジの作業基地で、コンクリートの材料などを陸揚げする岸壁を東西に配置しており、主塔工事など上部工への資機材の輸送基地にもなっています。模型は1Aアンカレイジの基礎の内部に中詰コンクリート(RCC)を施工している状況です。

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