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アンフィニRX-7

アンフィニRX-7は、「オリジナリティに溢れた魅惑的なスタイリング」「人とクルマがひとつになって、走る喜びを増幅できるマン=マシンインターフェイスの実現」「90年代のスポーツカーの規範となる圧倒的な運動性能」の3つを軸に開発された。 年代:1991

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HR-X

水素ロータリーエンジンを搭載した最初のコンセプトカーとして、1991年の東京モーターショーに出品された。 年代:1991

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R26B型ロータリーエンジン

787B搭載型。654cc×4ローター。最大出力700Ps/9000rpm 年代:1991

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ユーノスコスモ

3ローターの20B-REW型ロータリーエンジンを搭載し、1990年に登場した。国産2ドア車最長のホイールベースとワイドトレッドを備え、エンジン、サスペンション、ATミッションはもちろん、空調システムまで電子制御されたスーパーラグジュアリーカー。 年代:1992

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AZ-1

ユニークなガルウイングドアや、オールプラスチック製のボディパネルが特徴。 年代:1992

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HR-X2

出力を全域で向上させた水素ロータリーエンジン第2号車。マツダが独自に開発した「液晶ポリマー強化プラスチック」を使用し、リサイクルにも対応。 年代:1993

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RX-8

大人4人が乗れる4ドア4シーターの本格スポーツカーとして、2003年に登場。新開発のロータリーエンジン「RENESIS」を搭載。 年代:2003

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13B型ロータリーエンジン(RENESIS)

RX-8搭載型。654cc×2ローター。最大出力250Ps/8500rpm 年代:2003

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RX-8ハイドロジェンRE

RENESIS水素ロータリーエンジンを搭載し、水素を燃焼させて動力を得て、発生する水を水蒸気として排出するクリーンカー。 水素でもガソリンでも走れるデュアルフューエルシステムを採用している。 年代:2006

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十字号

十字号は,戦後の代表的なスクーターのひとつであるシルバーピジョンと同様,三菱重工業(株)が民需への転換を図るため,1947年名古屋機器製作所で開発し,生産した。鍋・釜などに引き続き製品化したもので,戦時中のアルミ合金鋳物のストック材と戦闘機づくりの技術を応用したフレームは,プレス加工され,リベット打ちがしてある。乗ってみると見かけよりも意外に軽く,乗り心地も軽快。当時の価格は6,900円。 年代:1965

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シルバーピジョンC-10

かつて三菱では,シルバーピジョンというスクーターを製造・販売していた。展示車は,その第1号のC-10型。丸山康次郎翁が米国から持ち帰ったスクーターをモデルに,三菱重工業(株)名古屋機器製作所において1946年秋から製造されたもので,押しかけ式のエンジンを搭載していた。1948年にはC-11型が皇太子殿下(現天皇陛下)に献上の光栄に浴した。 年代:1946

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シルバーピジョンC-25

スクーターの普及期に,延べ20,000台を生産したシルバーピジョン最初のベストセラー。エンジンは,直立単筒サイドバルブ式で,その後のピジョンシリーズの主力エンジンとして活躍。Vベルト式自動変速機を踏襲し,新たにキックスタートを併設。 年代:1951

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シルバーピジョンC-35

C-25型の発展型であり,エンジン排気量アップ,自動変速機の改良などが図られた。これらにより走りやすく,乗り心地も向上し,スクーターブームを作り上げた。速度計も常装備化された。 年代:1953

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シルバーピジョンC-83

第2種原動機付自転車(51cc~125cc)のカテゴリー車。エンジンの動弁機構をそれまでのサイドバルブ式からオーバーヘッドバルブ(OHV)式に変更して馬力の向上を図った。点滅式方向指示器を始めて採用。 年代:1958

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シルバーピジョン C-93

排気量をアップして,7馬力と強力になったエンジンを積む。前輪にブレーキを新装備し前後サスペンションには油圧ダンパーが装着され,走りやすく乗心地も向上したC-90型の発展型である。 年代:1956

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シルバーピジョン C-200

C-83型の発展型で第2種原動機付自転車の最高級仕様のスクーターである。キックスタートからセルボタンスタート(ダイナスターター)に変更し女性に好評であった。前輪ブレーキを追加するとともに,初めてブレーキ灯も採用した。 年代:1959

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シルバーピジョン C-L10

新しい概念のライトスクーター。エンジンは,2サイクル87cc水平搭載した。ボデー部品に樹脂財を多用することで軽量化を図った。タイヤは,8インチから12インチにサイズアップし,操縦安定性が向上された。 年代:1962

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シルバーピジョン  C-111

スクーターの全盛期にいっそうのデラックス化が進み,従来の開発思想を一新した大型スクーター。このためエンジンはオーバーヘッドバルブ(OHV))式とし,駆動方式には初めてドライブシャフトを採用した。最高速度も95km/hと大幅に向上した。 年代:1960

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シルバーピジョン C-135

前輪カバーと泥除フェンダーを一体化した近代的スタイルのスクーター。2サイクルエンジンを搭載。10インチ化されたリヤホイールは片持ち支持となっている。ボデーカバーはポップアップ式を初めて採用した。 年代:1963

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シルバーピジョン C140

1946年のC-10型登場以降,三菱のスクーターは性能・スタイルの向上によりヒットを続け,長期にわたって高いシェアを記録したが,1964年に製造・販売を打ち切った。展示車は,初代デボネアのデザイナー,H.ブレッツナー氏によるアメリカンスタイルのC-140型で,シルバーピジョン最後のモデルとなった。 年代:1964

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三菱A型

日本初の量産乗用車として1917年(大正6年)に製作を開始。当時,自動車先進国であった伊フィアット車を参考に,三菱造船(株)神戸造船所で1921年迄に試作を含め22台製作。展示車は,当時の資料をもとに1972年に復元したもの。 年代:1917

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PX33

日本初のフルタイム4WD車。1935年陸軍自動車学校向けに,三菱重工業(株)神戸造船所で試作された。(1台2万円) この展示車は,1988年にパジェロをベースに作ったレプリカです。 年代:1935

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ヘンリーJ

戦後,日本における外国乗用車組み立ての第1号。1950年に東日本重工(株)がカイザー・フレーザー社と提携,1951年6月から川崎工場で4気筒車をノックダウン。1952年,三菱日本重工(株)に改称すると同時に,6気筒のデラックス車を追加。この車はその同型車。1954年1月までに,502台を組立てた。 年代:1952

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ヒルマンミンクス

1957年当事,自動車メーカーは大型プレス設備を持たず,三菱の設備と航空機生産技術を活用した。ヒルマン・ミンクスは,1953年いすヾ自動車(株)が,英国ルーツ社と "ヒルマン・ミンクス" の製造技術援助契約を結び,ノックダウン方式により生産を開始した。ボデーの生産は,新三菱重工業(株)が引き受け,1957年3月~1964年4月ヒルマンサルーンのボデーを43,039台,1958年11月~1964年11月ヒルマン バンのボデーを 7,255台生産。そのほか,ダットサンDB型,トヨペットRHN型なども三菱の大型プレス設備と航空機生産技術を活用した。 年代:1958

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三菱500

通産省の「国民車構想」に呼応し,三菱が第2次大戦後初めて手掛けた量産四輪乗用車。安価で本格的なコンパクト・ファミリーカーを目指し,三菱の技術力を駆使して1960年に世に送り出された。合理性を追求したシンプルデザインで,当時39万円という低価格で発売。日本で初めて風胴実験を実施したモデルでもある。駆動方式はリヤエンジン/リヤドライブ。道路事情の悪い日本でも快適に走れるようサスペンションには4輪独立懸架方式を,またボデーには堅固なモノコック構造を採用した。モータースポーツにも参戦し,1962年の第9回マカオグランプリレースのAクラス(750cc以下)で1~3位を独占した。 年代:1960

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コルト600

コルト600は,三菱500の後継として1962年に登場,「コルト」の名を冠した初めての車。三菱500の経済性はそのままに,軽快なスタイルの5人乗りとし,パワーアップしたエンジン,コラムシフト,ベンチシート,拡大されたトランクスペースなど,商品力を向上させた。展示車は,1964年から1991年まで27年間27万Km愛用された車両を,御寄贈いただいた当時の姿を残したまま展示している。 年代:1962

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コルト600コンバーチブル

第9回全日本自動車ショー(1962年開催)では,スポーツカーが焦点の一つとなった。自動車の普及にともなって,そのスポーツ性が見出される中にあって,国内各自動車メーカーから多数のスポーツカーが出品された。待望のスポーツカーの人気は高く,三菱自動車も真紅のコルト600コンバーチブルを参考出品し観衆を魅了したが,市販には至らなかった。展示車は,1991年にコルト600(RR)のボデーを使用し,’90ミニカトッポ(FF)のシャシーに載せて復元したものである。 年代:1962

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レオ

1959年に発売された,三菱で最初の軽自動車で三輪車。トラック・バンともに,積載量は300kgで,主に都市での小口配達用として大流行。1962年に生産が打ち切られるまでに総計約28,000台を生産・販売した。2灯式ヘッドランプ,オールスチールキャビンなどの特長があった。日本に5台現存していることが確認されている。 年代:1959

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みずしま号TM3C

1946年 (昭和21年) から三菱重工業水島機器製作所 (現弊社水島自動車製作所) で量産されたオート三輪トラック。他社の三輪車にはなかった風防が前面に取り付けられ,頭上には幌を張った屋根付。エンジンは,単気筒 744cc。“MEW“とは,MIZUSHIMA ENGINEERING WORKSの略です。年代:1946年

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みずしまTM6D

「みずしま号」は終戦間もない1946年試作第1号を完成,翌年5月にTM3型を発売,1962年にTM18B型で生産を打ち切るまで35車種,総計約91,000台が世に送り出された。トラックタイプだけでなく,8人乗りの三輪乗用車やライトバン型など時代を先取りした企画センスも好評だった。三輪車業界では初めての幌や,航空機技術を活かした風防,フロントオレオフォークを採用,他社とはひと味違う特長を備えていた。展示車は,1955年のTM6D型で,四国で消防車として活躍していたもの。 年代:1955

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ミニカ

1962年に発売された三菱で最初の軽乗用車。1961年に発売し大ヒット作となった軽ライトバン三菱360(LT20型)をベースに製作されたフロントエンジン/リヤドライブ車。車体前部は三菱360と同一タイプをとりながら,より乗用車的にまとまったデザインに工夫されている。車体後部は思いきったクリフ・カットを採用,4人がゆったり座れる室内空間だけではなく,軽乗用車最大のトランクスペースを実現した。発売間もなく月平均販売台数800台を記録する人気を博した。 年代:1962

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三菱360

1961年三菱で最初の軽4輪商用車として三菱360(LT20型)を発売。LT23型は1965年から発売したモデルで,最小回転半径が3.6mと小さく,2名乗車の場合フラットな床面の荷台に300kgの荷物を積むことができ,テールゲートは積み降ろしに便利な上下水平開きとなっている。 年代:1965

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ミニキャブT

大・中型トラックがキャブオーバー型に転換していくのに呼応して,軽商用車においてもキャブオーバー型の開発が進められ,1966年にミニキャブトラックを,1968年にはバンを発売。この車は,1969年にマイナーチェンジしたモデルで,26馬力のパワフルなエンジン,三方開き高床の広い平らな荷台が特徴。三方開き高床の広い平らな荷台で長尺物も運搬可能,左右両サイド開きの軽 4輪トラック。 年代:1970

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ミニカ’70

1969年 (昭和44年) から発売されたミニカ '70のトップモデルとして,翌1970年 (昭和45年) に登場。ラジアルタイヤを装備した本格的スポーツセダン。贅沢なポルシェタイプの皮巻きステアリングホイール,手にフィットするシフトノブ,SUタイプツインキャブ常装備のゴールドエンジンは, 7,000回転で38馬力の威力を発揮し,130km/hの最高速度を誇った。 年代:1970

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ミニカ スキッパー

ミニカスキッパーは,ミニスポーツクーペとして1971年に発売された。ギャランGTOのイメージを踏襲し,ゆるやかなスローブとファストバック,日本初のスクープドウィンドで後方視界を確保,ハイカットオフテールが特長だった。発売当初はSUツインキャブ38馬力(最高速度120km/h)のGTなど4タイプ。翌年にはミニカF4と同じバルカンエンジンを搭載したスキッパー4が発売された。展示車は,さらに安全対策,内外装の向上のために,1973年にマイナーチェンジされたモデル。 年代:1973

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デボネア

1963年10月の第10回全日本自動車ショーで2000cc最高級乗用車としてデビュー,堂々たるスタイルで注目を浴びた。GM社の専属デザイナー「H.ブレッツナー氏」をデザインコンサルタントに招き,コルト1000の上級車として開発した。全長・ホイールベースともに当時の2000ccクラス国産車の中で最長。最高速度は155km/h。ステアリング機構,ユニットコンストラクションフレームなど,三菱の技術の粋を集めて誕生,1964年の発売以来22年間生産が続けられた。展示車は,1967年にマイナーチェンジしたモデルで,リヤフェンダーにH.ブレッツナー氏のトレードマーク,"ロケットランプ"が輝いている。 年代:1967

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コルト1000

1963年に発売した三菱で最初の本格派4ドアセダン。三菱で最初の水冷直列4気筒,高速型ハイカムシャフトエンジンを搭載。当時流行の先端をいくボクシーなフラットデッキスタイルで第2回日本グランプリ,ツーリングカーⅢクラスで優勝,1~4位を独占。 年代:1966

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コルト1100F

1965年に発売のコルト800は日本で初めてファストバックスタイルを採用。1966年には800のスタイルをそのままに,エンジンを4サイクル4気筒にした1000Fが登場し,翌年にはさらにバリエーションモデルとして日本で初めての3ドアハッチバックセダンを追加発売。また,1968年には,性能面での多様化をはかった1100F 3ドアスポーツ,続いてスーパースポーツが発売された。展示車は,3ドアスポーツ。最高速度140km/h,0~400mは19.7秒の性能を誇った。 年代:1968

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コルト1200

1969年東名名神全線開通に向け,本格的ハイウェイ時代に照準を合わせて開発。当時,兆しの見えた安全の動きに一早く目を付け,セーフティパネル,チルドハンドルなど他社に先駆け採用した安全車。 年代:1968

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コルトギャランA2GS

コルトギャランは,最先端のパーソナルカーとして1969年12月に発売。傑出した高性能・機能と流行の先端をいく“ダイナウェッジライン”を採用した斬新なスタイルが評判を呼び,三菱自動車飛躍のチャンスをつくる大ヒット車となった。また,北米にも初めて輸出された。エンジン・装備により,A1,A2,A2GSの3タイプが設定されていた。展示車は,A2GSで,三菱で最初のOHCサターンエンジンを搭載,最高速度は175km/hを誇った。1972年の第7回サザンクロスラリーで16L-GSが総合優勝を獲得するなど,国内外のラリーで輝かしい成果をあげた。 年代:1969

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ギャランHT

オシャレなスタイルの三菱で最初のピラーレスハードトップ。セダンより30mm車高を低くし,フルオープンのサイドウインドを特長とした大人向の都会的スタイルで人気を得た。セダンと共に北米に初輸出。 年代:1970

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ギャランGTO MR

ギャランGTOは,航空機のイメージを実現した「ヒップアップクーペ」として大きな話題を呼んだ本格的スポーティタイプ車で,M1,M2が1970年11月,MRが12月に発売された。ロングノーズ,ダックテール,日本車初の50インチカーブのサイドガラスを採用したタンブルホームで構成されたスタイルは,それまでの国産車にない印象を与え,東京モーターショーでも圧倒的な人気を博した。また,コクピットタイプの計器盤は長い間,国産他車に影響を与えた。展示車は,3タイプのうち最もホットなMRで,三菱で最初のDOHCエンジンを搭載している。 年代:1970

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ギャランFTO

ギャランFTOは,比較的若い層に向けての「ファストノッチスタイルクーペ」として1971年に発売。当初は1400ccネプチューンエンジンを搭載したG1,G2そしてツインキャブ付G3の3タイプであったが,1973年にモデルチェンジを実施,1400ccおよび1600ccサターンエンジンを搭載した6タイプとなり,内外装もグレードアップした。展示車は,1600GSR。ラリー向きのホイールベース・トレッド比,リミテッドスリップデフ,オーバーフェンダーでエキサイティングな走りを実現し,“ザ・ベスト・スポーツクーペ・イン・ジャパン”と評価された。 年代:1973

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ギャランΛ

ギャラン∑に続き,1976年12月にギャランΛを発売した。ニューギャランハードトップとGTOの後継車として企画された2ドアハードトップクーペで,∑とシャシーコンポーネントを共通にし,国産車初の角4灯ヘッドランプ,ロールバータイプのリヤピラー,ラップアラウンドリヤウインドなどを採用した。この車は高級仕様の2000スーパーツーリングです。 年代:1977

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ランサー1400GL

ランサーは1973年2月に人間性の尊重を基本テーマとして世に送り出された大衆車です。ボデーは強固で安全なモノコック構造,1200ccから1600ccまで計12タイプの豊富なバリエーションを誇り,低公害型エンジン,チルトハンドル,コラプシブルステアリング,マスターバック付きディスクブレーキなどの機構が随所に盛り込まれていた。展示車は,初代の1400GLで,ワンオーナーにより19年間使用され約30万km走行しています。 年代:1973

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ランサーセレステ

ランサーセダンをベースに多彩なバリエーション展開で市場アピールを狙ったスポーティバージョン。フロントノーズを思いきって伸ばしたハッチバッククーペで,ランサーで培われた基本性能の高さと流麗なスタイルにより若者の心を捕えた。 年代:1975

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ミラージュGLX

省資源時代に対応して,限られたスペースを有効に使い,機能を重視し本物を追求するという視点にたって,外形を極力切りつめながら,ゆったり座れるスペース,独創性のあるメカニズム,充実した質感をもつワールドワイドなクルマを目指して開発された2ボックスのハッチバックタイプで,1978年3月に新販売チャンネルのカープラザから発売。排出ガス規制に適合させたMCA-JETエンジンを横置きにした三菱で初めてFF方式車種で,低燃費と高性能を両立させる独特のスーパーシフト,新開発のU字型リア独立懸架の採用などにより,すべての性能面で画期的にすぐれた車として歓迎され,ギャランと並ぶ三菱の主力車種となった。 年代:1978

情報所有館 : 三菱オートギャラリー 


ジープJ10

三菱では,1952年に米国ウイリス社とノックダウンによる組立契約を締結,CJ3Aの部品を輸入しJ1型,J2型のノックダウン生産を開始した。(計554台生産)。翌年ハリケーンエンジンを搭載したCJ3Bが登場とともに,三菱ではウイリス社と技術援助契約を結び,このタイプを初めて国産化(J3型),ジープ国産化の過程が凝縮された自動車工業史に残る名車となった。展示車は,1955年発売のJ10型。ホイールベースはJ3型のままで,フレームとボデーを後方へ延長した6人乗り(後席は2名席の向かい合わせ)。左ハンドル車で,フロントグリルには,三菱マークとウイリスのロゴが並んで刻まれている。 年代:1955

情報所有館 : 三菱オートギャラリー 


ジープJ11

ジープで最初に製作したワゴン車は,この 5人乗りの左ハンドル, 2ドアのJ11型である。J10型と同様ハリケーンエンジンを搭載。その後,右ハンドルのJ11R型, 4ドアのJ30型へと発展した。 年代:1956

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コルトF3A

三菱は,フォーミュラカーの先駆モデルとして,1966年にこのF3Aを製作した。シャシーは,ブラバム,エンジンは,R28型(KE43型改)にダブルチョークの三国ソレックス40PHH型2個,ミッションは,英国ヒューランド社製を装着している。同年の第3回日本グランプリ自動車レース大会エキジビジョンレースに望月修ドライバーで出場して総合優勝を飾り,翌年は長谷川弘ドライバーで第4回日本グランプリ自動車レース大会フォーミュラカーレースのクラス1優勝(総合4位)を勝ち取った車である。 年代:1966

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