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諏訪神社旧中門

長坂を上がり総門をくぐった正面、安政4(1857)年の火災で焼失後、明治2(1869)年に再建された諏訪神社中門の風景である。右側に明治3(1870)年奉納の青銅の馬が見える。中門は別名四礎門とも言われた。木造檜皮葺、流破風造りの建物で、正面には菊花紋、屋根下には「正一位諏訪三所」の扁額が掲げられていたが、写真では見えない。中門の左右は透塀で、左右の回廊に続いている。前の広場は能馬場と呼ばれ、能舞台があったところである。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.6×27.8cm)

情報所有館 : 長崎大学附属図書館 


諏訪神社の拝殿と祝詞殿

諏訪神社の拝殿と祝詞殿が側面から撮影されている。拝殿は一般人の参拝所で、左右正面に上が口を開く。渡り廊下でつながる祝詞殿の内部は畳敷きである。諏訪神社は、寛永2(1625)年に現在の松森神社の地に再興され、慶安4(1651)年に現在の場所に遷宮した。秋の「くんち」で有名な長崎の氏神である。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.6cm)

情報所有館 : 長崎大学附属図書館 


深崇寺鐘楼堂

深崇寺は、元和元(1615)年に創立されたという浄土真宗本願寺派の寺院である。右手の建物は山門の右側、庫裏に面して建つ鼓楼で、これの創建年代は不詳だが、写真に写るのは文化5(1808)年に再建されたというものであろう。他方、画面左手は単層、切り妻造の鐘楼である。この建物は、元禄の頃に創建され、寛政12(1800)年と安政6(1859)年、さらに下って大正6(1917)年に改築されたという。しかし現在は、鐘楼はずっと左へ移築され、鼓楼とのあいだには4区画の墓地が形成されている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.0cm)

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清水寺と市街地周辺

高島秋帆宅跡付近から清水寺を望んだもの。寛文8(1668)年に再建された清水寺本堂の右には、かっての鐘楼が見え、石門の右手には明治10(1877)年に隣の八坂神社から購入移築した現存の鐘楼がないので、撮影はそれ以前である。本堂の前には現在もある3基の石灯籠が見え、その下は聖天堂や庫裏に通じる中門で、その右側には長い石段が見え隠れしている。中央上が風頭山の頂で、現在ならば、そこにホテル矢太楼が望まれる。                                  (上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.8cm)

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本蓮寺

筑後町にある本蓮寺とその墓地。撮影地点は現在の日本26聖人記念聖堂に近い墓地の外れに当たる。本蓮寺はもとサン・ラザロ病院やサン・ジョアン・バプチスタ教会があった場所で、それが破却された後、大村本経寺の僧日恵が元和6(1620)年に開創した日蓮宗の寺院である。中央上の重層入母屋造の建物が本堂で、その左下は位牌堂である。本堂への石段脇にみえる流造の建物は清正公堂(番神堂とも)の神殿である。本蓮寺は原爆で全壊したが、戦後、再建された。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.8×28.4cm)

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梁川

明治初期の撮影。現在の長崎市の浦上川下流。浦上川の河口は、当時浦上山里村で、浦上川の下流は、梁川と呼ばれていた。写真は、下流から上流を撮影したもの。写真右側は左岸で浦上新田である。左側は右岸で竹の久保付近である。明治30(1897)年以降に埋立てられる前の、浦上川下流の風景。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.7×27.6cm)

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長崎稲佐海岸

明治初期の撮影。長崎市街地の対岸、当時の渕村稲佐郷平戸小屋・船津付近の入り江。右の崖の下の建物は、上陸するロシア人を管理するために、元治元(1864)年に建てられた勤番所。入り江に浮かぶ船に人物を3人配して、背後の純日本風な風景を背景にした演出写真である。岬の対岸は西坂の丘。明治20(1887)年代には、長崎市街地の北の端は、西坂の丘付近であった。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.8×27.6cm)

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飽の浦船着場と長崎港

飽の浦の恵美須神社横の高台から、長崎港越しに、古河町、浪の平町、南山手を遠望した写真である。明治初期の撮影。右下の街灯のある桟橋は、長崎製鉄所のものである。その向こうに見えている建物が、製鉄所の建物である。対岸に目を移すと、写真左に外輪船が停泊している。その向こうの山腹が、南山手外国人居留地とその南限である。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×27.4cm)

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飽の浦恵美須神社

飽の浦の恵美須神社。同じアングルで、明治5(1872)年、天皇巡幸に随行した内田九一が撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がなくなっており、また、神社横の民家の屋根が剥がれている。岬の背後の丸尾海岸に明治6(1873)年頃に建設される海軍埋立地の建物はまだ見えない。
(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ21.2×28.0cm)

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悟真寺

稲佐山の麓にある悟真寺は、長崎郊外におけるキリシタン禁制後に復興された最初の仏教寺院として知られ、江戸時代を通じて中国人やオランダ人、幕末以降はロシア人らの墓所に当てられた。浄土宗の寺院だが、背後にそういう国際墓地があることで著名である。画面中央には、右に山門、左に本堂が写っている。山門はいわゆる竜宮門形式の重層門である。現在は、山門前の石段等も向きを変えて大幅に改造されている。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ22.5×28.1cm)

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