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函館において採氷を本格的に行ったのは中川嘉兵衛です。横浜などの氷の需要地ではボストンの氷を購入していましたが、たいへん高価なものでした。いくどかの失敗の後、中川は明治4(1871)年から五稜郭の堀での採氷事業を軌道に乗せはじめます。この氷切鋸は氷を切る際に使用しました。鉄製の歯に木製の柄が付いています。明治~昭和初期に製作され使用されました。
情報所有館 : 市立函館博物館 ![]()

明治10年には勧業博覧会で龍紋褒章を受賞し、「龍紋氷」というブランド名で氷を販売しました。中川の製氷業を支えたのがかつてはきれいであった五稜郭の堀の水でした。この氷鋏は切り出した氷をつかんで持ち上げる際に使用しました。鉄製で持ち手部分に布がまかれています。明治~昭和初期に製作され使用されました。
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明治4年の夏に五稜郭産の氷が京浜市場に登場しはじめました。この年の移出量は670トンで翌5年には1061トンと産出量もほぼ倍増しています。イギリス、アメリカの外国商船で横浜に輸送されていました。この氷背負は切り出した氷を運ぶ際に使いました。木製の枠にわらで編んだ背負い紐が付けられ、背中にあたる部分にはわらで編んだあてものがついています。明治~昭和初期に製作され使用されました。
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五稜郭の堀で行われていた採氷事業は、函館の冬の大きな産業でした。この錦絵は日本全国の産物をとる様子などがシリーズで描かれたものです。この図は明治5年発行となります。
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明治3-4(1870-71)年頃の上野撮影局における上野家の家族写真。前列は右から母の「伊曾」、妹牧ちえの息子「元次郎」、姉の「にわ」、ちえの娘「なか」、後列は右から妹の「ちえ」、妻の「むら」、「彦馬」、妹の「ぬさ」、妹の「この」である。この写真は開業から8、9年がたち、撮影局も軌道に乗りだした円熟期のものである。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ22.0×28.7cm)
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最後の大村藩主で文久3(1863)年には長崎総奉行を勤めた純熙(すみひろ)とその家族の写真。明治6(1873)年頃の撮影と思われる。場所は長崎の大村屋敷(現・中町教会)の玄関。見る人の目が写真中央に集まるように人物を三角形に配置し、二人の娘の着物の袖を後ろに流し、それぞれの目線を指示するなど、写真師・上野彦馬の技量が発揮されている。(上野彦馬撮影明治初期 印画紙サイズ21.6×28.4cm)
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上野撮影局で撮られた長崎に住む庶民の写真。彦馬の家があった中島近辺の住人であろうか。彼らがいろいろな方向を見ているのは、彦馬が一人ひとり視線を指示しているからである。8人の若い女性はみんな丸髷(まるまげ)で、うち5人が袖に手を隠している。写真を撮られると手から魂が吸い取られるという迷信があったからである。露光時間が長かった時代、写真師は笑って顔が動くのを嫌った。右側の女性のように、自然でぶれていない笑顔がとられた写真は珍しい。(上野彦馬撮 明治初期 印画紙サイズ22.6×28.2cm)
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ドンの山(山の名称)へ登る坂道の途中から小島養生所越しに、長崎市中心市街地東側及び片渕方面を見た鳥瞰写真である。左下の窪地の人家は唐人屋敷の内部。一際大きな屋根は福建会館。火災の跡が見られるので、明治3(1870)年に、ここが全焼した後のものである。その右の小高い丘の上の建物群が小島養生所の建物である。創建時と比べると、建物が増え施設が拡大したことが分かる。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.4×27.6cm)
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大浦居留地背後のドンの山の中腹から大浦川沿いを展望する。大浦川の河口に見えるのは明治2(1869)年に居留地の「馬の遊歩道」のため架けられた下り松橋で、その川上の橋は大浦居留地が埋め立てられた文久年間に架けられた弁天橋である。左丘の妙行寺の横に見えるコの字形の建物はベルビューホテル。海には船団が写されている。対岸には工部省所管「長崎造船局」が見える。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.8×27.4cm)
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対岸の工部省所管「長崎造船局」の右上の丘に明治7(1874)年4月に完成したお雇い外国人宿舎が見えるので、それ以後の撮影。大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物をはじめ、随所に台風の傷跡が見られる。明治7(1874)年10月頃、海外に持ち出された別のアルバムに、大浦川左岸の川幅が狭まる地点の建物がすでに撤去されて新しい建物が建築中の写真があるので、同年8月20日の巨大台風直後の写真であると推定される。(上野彦馬撮影 明治初期 印画紙サイズ20.8×27.8cm)
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