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髪に栄養を与える「ドレッサー」

1974年発売。髪の内部に栄養をしみこませてまもるトリートメント。アン・ルイスのテレビCMで一世を風靡した。

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経済的な1/2洗剤「新ザブ」

「良い洗剤をより安く」「持ち運びや置き場所に困らない、より便利なものを」といった消費者の意見をもとに開発。一粒一粒の洗浄力を高め、標準使用量をそれまでの半分にし、小型化したことが原料や紙などの材料費や燃料費、輸送費の節約にもなり、価格を安く設定できた。濃縮・小型化した経済的な新洗剤として1975年発売した。

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衛生用品に参入した「ロリエ」

1978年発売。高分子吸収体を使い「多い日も安心」をキャッチコピーに発売された「ロリエ」。消費者の信頼を得て、生理用品市場の有力ブランドに成長した。

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新しい洗顔料「ビオレ洗顔フォーム」

花王では中性の洗浄基剤MAP(モノアルキルフォスフェート)のすぐれた特長を生かし、お肌の健康を考えた石けんにかわる新しい洗顔料として、1980年に「ビオレ洗顔フォーム」を発売した。

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花王のヘアメイク商品の先がけとなった「リーゼ・ブロースタイリング」

シャンプー・リンスから始まった花王のヘアケア商品は、洗髪におけるダメージの防止、改善だけでは美しい髪型を実現し得ないということから、ヘアメイクの分野へと拡がっていった。1980年(昭和55年)に発売したリーゼ・ブロースタイリングは、ヘアスタイルが手軽に作れる<スタイリング効果>とドライヤーの熱風から髪を守る<ヒートケア効果>でスタイリング剤としての地位を確立した。

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化粧品事業へ本格的に進出した「花王ソフィーナ」

1982年、保湿剤グリコリピッド(PSL)などの優れた素材を開発し、長年培った皮膚生理や安全性の研究が結集して誕生した「花王ソフィーナ」。

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紙おむつ市場の開拓をめざした「メリーズ」

1983年発売。生理用品「ロリエ」の開発で得た吸収性ポリマーと不織布の知見や、一度に大量の尿を吸収できる新合成法によるポリマー、液体は通さないが通気性をもつ透湿シート、おむつがぬれた時だけ縮むワンダーゴムなどを開発し、尿もれやかぶれの防止にも工夫をこらした。

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健康増進の入浴剤「バブ」

1983年、炭酸ガスの血行促進効果で体をしんから温める、画期的な新薬用入浴剤として新発売された。炭酸ガスの血行促進効果を応用した新タイプの入浴剤(医薬部外品)として発売。1984年の「日経年間最優秀製品賞」に選ばれ、それまで低迷していた入浴剤市場拡大の突破口を開くとともに、花王の新分野への進出の原動力ともなった。

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新市場を開拓した全身洗浄料「ビオレU」

1984年、計量用のくぼみをつけた「花王ボディスポンジ」とセットで発売しました。肌のうるおいを損なわずにさっぱりと洗える使用感や液状の簡便さが歓迎され、ファミリーユース商品として売上げも順調に伸び、ボディシャンプーのトップブランドになった。

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独自の染毛技術の開発から生まれた「花王ヘアカラー」

「花王ヘアカラー」は、ヘアケア商品で培った技術をベースに、髪の傷みを防ぎながら白髪を美しく染め上げることを性能上の特徴としたもので、低アルカリ性バランス染毛という花王独自の染毛技術の開発に基づいていた。1986年(昭和61年)下期には7%強のシェアを得て、その後の製品ラインの充実へと着実につながっていく。1985年発売。

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高い洗浄力とコンパクト化を実現した「アタック」

洗浄力の向上とコンパクト化の両立をめざし、弱アルカリ性の洗剤溶液でも機能を発揮する自社開発のアルカリセルラーゼを配合し、新たに洗剤の溶解促進剤や造粒技術も開発して、1987年4月発売した。当時成長が頭打ちとなっていた洗剤市場を活性化する革命をもたらし、このコンパクト洗剤は世界のデファクトスタンダードとなった。

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大人用紙おむつ「リリーフ」

高齢化社会の到来とともに「下着をぬらさず外出時も安心」のキャッチフレーズで軽い尿モレ用パッドとして発売。目立たず、自然な装着感を重視した設計で1990年発売。

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アイロンがけを楽にする「スムーザー」

1994年発売。アイロンがけを楽にする、まったく新しいスプレータイプの衣料用仕上剤で、それまでになかった新市場を創造した。

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ぼろ蒸煮釜

径1500×長さ6000mm。横型蒸煮釜で、木綿などの「ぼろ」を薬品で煮てパルプをつくる装置。特種製紙岐阜工場で昭和40年(1965)まで使用されていた。木綿の「ぼろ」は明治初期に機械すき紙(洋紙)の製造が始まった頃の主原料であったが、生産量が増えると「ぼろ」の集荷だけでは原料が足らず、稲ワラへと代わり、明治40年前後から木材パルプが主原料となった。この型の蒸煮釜は現在では使用されていない。

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ポケット・グラインダー

2700×3880×2900mm。王子製紙苫小牧工場で大正6年(1917)から昭和33年(1958)まで使用されたもの。木材を回転している砥石に押し付けて摺りおろし、砕木パルプ(GP)をつくる装置。この形式はわが国では明治23年(1890)から使われ始めたが、現在は使われていない。 年代:1917

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カミヤ式連続蒸解釜(模型)

ガデリウス製。縮尺1/25。670×1400×1670mm。昭和49年に旧本州製紙釧路工場の第3号、第4号として設置されたカミヤ式連続蒸解釜の模型で、工事用として製作されたもの。原料の木材チップを送入して蒸解し、パルプを連続的に製造する装置で、現在世界のパルプ製造設備の主流である。 年代:1974

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小型ビーター

1000×1000×425mm。ビーター(叩解機)によって、繊維を叩いて柔軟性などを良くすることで強い紙ができる。この資料は実用に供された最も小型のもので、十條製紙十条工場で昭和28年(1953)頃まで用いられていた。現在は同じ目的にはリファイナーが使用されている。

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ディスク・リファイナー用プレート

ゼネラル機工製。径800×厚さ70mm。回転するディスク(円盤)の上にボルトで取りつけて、相対するディスク・プレート(固定式と回転式の両方あり)との隙間で木材チップを摺りつぶして、リファイナーグラウンドパルプ(RGP)またはサーモメカニカルパルプ(TMP)を製造するのに使用する。

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世界最初の抄紙機(模型)

旧旭鉄工所製。縮尺1/2。700×1110×770mm。フランスのルイ・ロベールが1798年に発明した世界で初めての連続抄紙機の模型。連続回転している銅製の簾(すだれ)にたらいの中の紙料を羽根車でふりかけて湿紙を作って巻き取る装置で、乾燥は別に行う。 年代:1955

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長網多筒式抄紙機(模型)

三菱重工業製。縮尺1/30 360×3520×250mm。旧十條製紙釧路工場6号機として昭和35年に設置された当時の最新鋭抄紙機で、ワイヤー幅6960mm、抄速760m/分、生産能力8055t/月の模型。 年代:1960

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円網ヤンキー式抄紙機(模型)

杉浦鉄工所製。縮尺約1/10。600×1060×750mm。円網ヤンキー式抄紙機は円筒型のワイヤーパート(円網)と直径の大きなヤンキードライヤー1本から構成されており、ちり紙や障子紙を小規模に製造するのに適している。この資料は、実物と同じ構造の精巧な模型で、形式は一般的なもの。 年代:1952

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長網抄紙機(模型)

450×2560×370mm。原料の流れがわかるようにヘッドボックスの横板に透明なプラスチック板を用い、抄紙の機構が理解できるように作られた模型。モーター3個と回転数計が付属している。

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ペーパーマシンドライヤー鏡板

Union Machine社製(アメリカ)。径914×軸長450mm。抄紙機の円筒形のドライヤーの円盤部分(太鼓面)である。これは、明治23年(1890)旧王子製紙王子工場の第2号抄紙機として稼動し、更に昭和24年に旧山陽パルプ岩国工場の第1号機として再稼動した抄紙機のもの。昭和53年(1978)の運転休止・廃棄に伴い当館に寄贈された。 年代:1887

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製紙会社のダンディロール

小野寺正敬図案、杉田藤吉作。320×395mm。製紙会社(後の王子製紙)で使用された、現存するわが国最古の漉き入れマークである。地球のマークに“大日本東京製紙會社”と、ローマ字で“OGI PAPER MILL,CO”と表記してあるのが注目される。小野寺正敬(1845~1907)は製紙会社の技術者。杉田藤吉は製紙会社の修理工であった。 年代:1876頃

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“PIONEER”すき入れダンディロール

径250×軸長1520mm。特種製紙の木炭紙(画用紙)の商品名“PIONEER“の文字入りで、昭和35年(1960)頃まで使用されていた。 年代:1956頃

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高圧遮断機

General Electric社製(アメリカ)。750×1125×995mm。明治41年(1910)の王子製紙苫小牧工場創設時に設置・使用されたH型特別高圧遮断器。電流300A、電圧45000V。 年代:1903

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“三越”のエンボスロール

径300×軸長2510mm。鋼鉄製のロールに(越)MITSUKOSHIの型が彫刻してあり、これに紙を押し付けることで、紙にエンボス模様をつけるもの。旧本州製紙富士工場で昭和35年(1960)頃まで使用されていたもの。

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段繰り機

明治42年(1909)井上貞治郎製。1320×2280×1300mm。聯合紙器の創始者である井上貞治郎(1881~1963)が綿繰りにヒントを得て考案・製作し、実際に使用していたものを改修復元したもの。鉄製の一対の歯車の間に黄ボールを通して波型をつけ、これを平らな黄ボールに貼りつけて片面段ボールを作った。これが段ボールの国産化の始まりで、「段ボール」という名称も井上が名づけた。 年代:1909

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パピールファブリック設計図

レーマン・ハートマン商会製(ドイツ)。1390×1025mm。設計図は縮尺1/100の機械配置図で平面図、側面図、断面図が記されている。パピールファブリックは明治6年(1873)にドイツの技術と機械により京都府が京都市梅津に設立した官営の製紙場。民間に払下げられて梅津製紙所となり、その後富士製紙、王子製紙、日本加工製紙京都工場と変わり、昭和46(1971)年に閉鎖された。 年代:1871

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抄紙会社創業時の図面類

渋沢栄一が明治6年(1873)に現在の東京都北区に設立した抄紙会社王子工場の設立当時の設備・機械のオリジナル図面。除塵機、水圧式エレベーター、紙料シュート用ドア、晒粉ミキサー全体配置図、駆動軸配置図、工場給水設備、ボロ裁断機の7点。(写真はボロ裁断機)全てイーストンス&アンダーソン社(イギリス)の製図であり、薄い織物製のトレーシングクロスにインキで書かれている。明治初期に外国人が指導して建設された工場のオリジナル図面がまとまって残っている例は稀であり、わが国の洋紙製造業発祥の証となる貴重な資料である。

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王子製紙会社略図

村井静馬画、綱島亀吉版。製紙会社(明治9年抄紙会社より改称。後の王子製紙)創業当時の工場内部を描いた銅版画。機械設備は全てイギリス製で、原料運搬用の昇降機はわが国最初の水圧式エレベーターである。 年代:1877

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明治初期の製紙会社の文書類

明治初期の製紙会社である抄紙会社、有恒社、パピールファブリックの販売日記、建築費、外国人との往復文書、製造機械類の記録である。

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三社合併仮調印書

昭和8年(1933)、王子製紙、富士製紙、樺太工業が合併し、シェア85%の大製紙会社が誕生したが、その前年の仮調印書である。藤原銀次郎、大川平三郎の署名がある。 年代:1932

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アルバム「本邦製紙業 先人努力の雫」

旧王子製紙販売部調査課成田潔英編。明治初めの本邦近代製紙産業創業期の抄紙会社・有恒社・パピールファブリックの各工場、担当者、お雇い外国人、辞令などの写真と製品見本が貼付けてあり、表題のように先人の努力の跡が偲ばれる貴重な記録である。写真は王子製紙について記された部分。 年代:1941

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旧王子製紙王子・中部・気田3工場の製品見本帳

西濟(元十條製紙社長)が旧王子製紙王子工場、中部工場、気田工場の製品を収集し、原料配合、薬品配合、坪量、 抄紙機、品名、製造日付などを克明に記入したもので、当時の製品や製造条件などがわかる資料である。見本85葉。 年代:1910~1913

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セメント袋用クラフト紙巻取り

旧王子製紙敷香工場。紙幅1000×径850mm。昭和20年3月に樺太(現サハリン)の敷香工場で抄造された当時最高品質のクラフト紙巻取りである。戦前、樺太は日本の製紙産業に重要な役割を果していた。現存する数少ない樺太産の紙製品である。 年代:1945

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製紙所聨合会書類函

木製。365×240×315mm。この書類箱は現在の日本製紙連合会が発足した当時のものである。わが国の洋紙製造業は西南戦争(1877)後から始まった不況のもと、販売不振と輸入紙との競争に喘ぎ、明治13年製紙会社(後の王子製紙)の主唱で製紙会社、神戸製紙所など同業者の11名が会合して、同業会組織を結成することを決めた。これに洋紙商も加わって同年12月製紙所聯合会が発足した。 年代:1880頃

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パピールファブリックの門扉

木製。高2420×幅1515mm。パピールファブリックは明治9年(1876)京都の西郊梅津に開業した京都府営の製紙工場で、翌年には明治天皇が行幸された。(写真、門柱の脇に明治天皇行幸所製紙場の石碑がある)。 門扉にはドイツ語でパピールファブリック(製紙工場)と彫られている。

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パピールファブリックの瓦

280×290×100mm。明治9年(1876)1月開業の同社の瓦。

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中央製紙の鬼瓦

500×300×120mm。中央製紙は明治39年(1906)岐阜県中津町有志の懇請により渋沢栄一、大川平三郎等が設立し、大川平三郎が支配人兼工場長として明治41年に操業を開始した。大正15年に樺太工業と合併した。現在は王子製紙中津工場として操業している。この鬼瓦は大正10年頃事務所建設の際に作られたものである。 年代:1921頃

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大平炭鉱の目無し炭

380×190×190mm。樺太(現サハリン)恵須取町の大平炭鉱(王子製紙直営)の瀝青炭で、良質なことから目無し炭と称された。この石炭は日本各地から朝鮮、満州と王子製紙系の各製紙工場に送られ盛んに使われた。戦時中、タバコのパイプやブローチにも加工されて使われた。 年代:1935~1944

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スプリンクラーヘッド

紙は可燃物であるので製紙工場は当初から防火、防災に留意していた。左は旧王子製紙王子工場第二工場建設当時の消火用スプリンクラーヘッドで、わが国で最初のものである。左は明治20年代頃のもの。右は同じ工場の建物に設置されていたものと思われるが1924年の刻印が入っている。いずれも輸入品と推定される。

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青銅製壁掛

青銅製で、中世ヨーロッパのライン河畔の紙漉所内の情景をデザインしたもの。和紙についても造詣が深かったドイツの著名な紙の歴史研究者アーミン・レンカー氏より、特に紙の博物館のために寄贈されたことが、下部に刻印されている。 年代:1955

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10分の1戦艦「大和」

全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現。大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいる。

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通報艦「宮古」模型

呉で建造された記念すべき最初の艦艇で、4年10ヶ月の期間をかけて建造された。偵察機やレーダーがない当時、通報艦は敵艦隊の情勢を偵察し、味方へ通報する役割を担っていた。日露戦争中の1904年5月14日、中国遼東半島の旅順沖で機雷にふれ沈没。

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一等巡洋艦「筑波」模型

製鋼や大砲を製造する技術など、全てを国産の技術により建造された最初の主力艦で、日本の近代造船技術史上特筆される艦。日露戦争初頭、戦艦「八島」「初瀬」が機雷にふれ沈没したため、その代艦として日夜兼行で建造されたが、戦争には間に合わなかった。1917年1月14日、横須賀において火薬庫の爆発事故のため沈没。艦名は、茨城県筑波山に由来する。

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戦艦「長門」模型

八八艦隊計画の最初の戦艦として建造される。新造時では煙突が2本だったが、その後改装され1本となる。模型はレイテ沖海戦時の状態を再現したもの。「長門」は終戦まで生存した唯一の戦艦だったが、1946年7月1日に南太平洋ビキニ環礁でアメリカの空爆実験に供せられた。その後引き続き行われた原爆実験(水中爆発実験)によって沈没した。

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航空母艦「赤城」模型

八八艦隊計画で巡洋戦艦として起工されたが、ワシントン海軍軍縮条約で空母に変更された。新造時には飛行甲板は三段式だったが、改装され一段式となった。太平洋戦争では真珠湾攻撃などに旗艦として活躍したが、1942年6月6日ミッドウェー海戦の折、アメリカ海軍空母機の爆撃を受け大破、翌日海沈処分。

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一等巡洋艦「最上」模型

電気溶接構造を広く用いて建造された。新造時の主砲は15.5cm砲だったが、後20.3cm砲に換装された。しかし、「艦艇類別」では二等巡洋艦のままだった。1944年10月25日、レイテ沖海戦で被弾大破し、海没処分された。模型は最終時の航空巡洋艦の状態を再現している。

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伊号第16潜水艦模型

丙型と呼ばれるタイプの潜水艦で、水上機を搭載しないかわりに、魚雷発射管を8門に強化した。真珠湾攻撃やアフリカのディアゴスアレス攻撃には、二人乗りの特殊潜航艇「甲標的」を後部甲板に搭載する母艦となった。1944年5月19日に、ソロモン諸島北方方面でアメリカ海軍駆逐艦の攻撃を受け沈没する。

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