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(特別展示)東京モーターショー出展車 トヨタ AXV-Ⅳ Toyota AXV-Ⅳ

トヨタAXV-Ⅳは地球環境対策として大幅な軽量化と高効率を追求し省資源、リサイクル性も配慮したパーソナルコミュータである。1.アルミ、マグネシウムなどの軽合金材料やFRPスプリングのサスペンション採用などにより車両重量450kgを実現。2.軽量、小型かつ高効率のスーパーチャージド2ストローク2気筒804ccエンジンを搭載。 1991年

情報所有館 : トヨタ博物館 


蒸気発生器

蒸気を発生させ、着尺地(反物)などにあて、湯伸ばしするときに用いた。

情報所有館 : 五十嵐健治記念洗濯資料館 


攪拌式家庭洗濯機

現在の家庭洗濯機の前身となった、アメリカ製の家庭用電気洗濯機。

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プレスウォッシャー

洗濯物と洗剤と熱湯を入れ、密閉したドラムを回転させると、ドラム内空気が温められて膨張し、繊維に付着した汚れを取り除く洗濯機。日本製で、日米英独で特許登録されていた。KAMOME MAGIC HOME WASHER (HAYASI Co.,LTD)。

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箱車

明治の末期から大正にかけて、外交員が引いて、洗濯物の納集配をした箱車を復元したもの。

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煮釜

釜の中に綿・麻のワイシャツなどの白物を入れ、石鹸とソーダを加えて、棒でかき混ぜながら煮洗いした。

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洗濯桶とザラ板

明治から大正にかけて、洗濯機が使用される以前に使われていた洗濯桶とザラ板。

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卓上シャツプレス機

昭和30年(1955年)製造の日本製卓上プレス機。ワイシャツの衿カフスの部分を挟み、手動によりハンドルを回し、プレス仕上げした。 年代:1955

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手回し脱水機

日本製の手回し脱水機。「振り切り」とも呼ばれ、明治の末期から昭和の初期頃まで用いられていた。

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不揮発分測定装置

アメリカ製の電気式蒸留試験装置。ドライクリーニング溶剤中に溶け込んでいる汚れや固形汚れの量を測定するのに用いた。CARGILLE-WAGNER DISTLLING UNIT。

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ハットスケール

昭和10年頃に使用されていた、帽子専用のスケール。クリーニング前に帽子のサイズを測り、その値にそって仕上げをした。

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炭火アイロン

明治期、焼き鏝や火熨斗の後に使われだした炭火アイロン。空気を取り入れる穴とエントツがついており、その形は軍艦のとがった前頭部に似ているため「軍艦ゴテ」と呼ばれていた。

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洗濯機械

昭和33年(1958年)製造の日本製水洗い用洗濯機械。構造は近年のドラム式洗濯機と同じであるが、内胴が木製になっているため、繊維を傷めにくいといわれていた。 年代:1958

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ドライクリーニング機械

アメリカ製ドライクリーニング機械。引火性のある石油系溶剤を用いていたため、内胴が木製で静電気の発生を防いだ。

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洋服の心得

明治42年(1909年)発行の洋服の取扱いマニュアル。洋品店や呉服店の宣伝や英語版の説明書きや料金表なども記載されている。 年代:1909

情報所有館 : 五十嵐健治記念洗濯資料館 


家庭洗濯科学展覧会記録

昭和10年(1935年)5月3日より30日まで、白洋舎多摩川工場で「家庭洗濯科学展覧会」が開催され、延べ30,000人の入場者を集めた。昭和10年発行の記録。 年代:1935

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白洋舍社歌

昭和14年(1939年)に作られた、北原白秋作詞、山田耕作作曲による「白洋舍の歌」の譜面。 年代:1939

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洗濯工業便覧

昭和21年(1946年)発行の洗濯に関するデータ集。ランドリーやドライクリーニング設備、仕上げ設備、動力設備などの仕様。生産管理、ランドリー作業、ドライクリーング作業、しみ抜き作業、メンテナンス方法などを記載。 年代:1946

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うららか

昭和31年(1956年)発行のお客様向けのPR誌。季刊誌で年4回、10万部ほど発行されていた。 年代:1956

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化繊製品の取扱い一覧表

繊維素材別のドライクリーニングや水洗い方法、乾燥やしみ抜きの可不可など、取扱い方法の一覧表。現在の取扱い絵表示のさきがけ。昭和35年(1960年)発行。 年代:1960

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競り込み会話カード

外交員が携帯した、お客様との営業会話集。一問一答型式になっている。

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T-2超音速高等練習機

展示の機体は、63番目に製造された機体で曲技展示飛行に必要な排煙装置などが付けられています。宮城県松島基地をベースに全国各地の航空ショーで曲技飛行を披露して国民に親しまれて来ました。平成7年12月の飛行を最後に3代目のT-4型機にバトンタッチされ、退役後は岐阜県各務原市の岐阜基地に移され、各種の実験飛行に使用されていましたが、平成12年7月末で用途廃止になり、当プラザで展示されることになりました。

情報所有館 : 石川県立航空プラザ 


F-104Jスターファイター迎撃戦闘機(栄光)

米国ロッキード社が音速の2倍を目指して手掛けた戦闘機です。NATO諸国向けに生産されたG型からFCS(火器管制装置)の爆撃計算部分を取り外して、迎撃専用機としたのが航空自衛隊のF-104J(栄光)です。レーダー誘導ミサイルが使えない対戦闘機戦闘に適していないなどの問題もあり、F-4EJファントム戦闘機に道を譲ることになりました。 展示機は39番目に生産された国産機で、国内でも最後まで飛び続け、昭和57年6月に用途廃止になったものです。

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ピラタス PC-6B ターボポーター

山国スイスの小さな飛行場で多目的に使用できるように設計されたSTOL(短距離着陸)機です。機体構造を出きる限り簡単にするため、翼は全て短形、胴体断面も4角。着陸装置も頑丈に作られており、荒地用に車輪間隔も広くして雪ソリ、フロート等の換装も簡単に出来ます。展示機は極地研究所が2機輸入して南極観測に使用した内の1機です。南極の空で約11年間にわたって観測飛行任務についた後、総飛行時間1,757時間で用途廃止となりました。

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T-33A練習機(若鷹)

航空自衛隊に1955年(昭和30年)から供与が始まり、アメリカから計60機の引き渡しを受けました。この他川崎重工業でも国産が始まり、1959年3月の生産終了まで計210機(機体番号201から410まで)を生産しました。T-33をライセンス生産したのはカナダと日本だけで、日本は敗戦によって壊滅した航空工業が一躍近代的なジェット機を大規模に量産する能力をつけることができた救世主的機体でもあります。

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ドルニエ Do28A-1 軽輸送機

国内に存在する唯一の機体で、昭和37年12月に1機だけ輸入され阪急航空がネパール山岳地の空中写真撮影に使用しました。途中、北海道航空に譲渡され沖縄の島を結ぶコミューター路線を飛んでいましたが、昭和55年1月に除籍となりました。その後約20年間野外に展示されて、荒れるにまかされていたものを「立川に航空博物館を作る会」が譲り受け、在りし日の姿に復元。平成11年3月23日、当プラザに移されて現在に至っています。

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富士KM-2 練習機

富士重工業は自社で国産したビーチクラフト社のT-34メンターをベースにLM-1型機を製造しましたが、この機の馬力不足を補うためにエンジンを過給器付きのライカミングGSO-480-BIA6に換装したものがKM-1型機です。この展示機は昭和56年に製造され、海上自衛隊小月航空基地でパイロットの養成訓練に使用されて来ましたが、6100時間飛行して平成7年3月用途廃止となり、同年9月に当プラザに展示されました。

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OH-6J 観測ヘリコプター

空力的に洗練することで有害抵抗を減らし、ローターの羽根を増やして直径をつめる等コンパクトな設計になっており、狭い場所の発着超低空飛行、高速飛行等も優れた性能を持っています。1,434機製造され日本でも陸上自衛隊が観測機として117機を導入しました。その他にもヒューズ500型の名称で民間航空も多数使用しています。

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川崎 ベル47G-2 多用途ヘリコプター

当プラザの機体は、川崎重工業で昭和36年4月に国産した機体を愛知県警察航空隊が同年9月に導入、約20年間使用した後中日本航空専門学校の教材として売却され、同校では約7年間使用されました。その後石川県に売却されて当プラザの展示機となったものです。

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ビーチクラフト E-33 練習機

構造上タフなことと優れた飛行特性で定評があり、ルフトハンザ航空などでエアーラインパイロットを育てる訓練機として使用されました。我が国でも航空大学校の訓練機として、1969年から1990年まで19機が使用され、1機も失うこと無く用途廃止されました。ラインパイロットにとっては若い時代に苦楽を共にした思い出深い機体です。

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HSS-2B 対潜哨戒ヘリコプター(ちどり)

当プラザの展示機は、昭和58年3月に三菱重工業において製造され、海上自衛隊館山航空基地で平成7年7月に用途廃止となったB型機です。艦載型でメインローター(主回転翼)が関節式になっていて折りたたみが出来るほか、尾部も折りたたむことが出来ます。胴体は艇体構造になっていて着水も出来ます。

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ホームビルド機 エバンスVP-1

野口氏は中学生の頃、アメリカでは手作りの飛行機が飛んでいることを知り、26歳の時アメリカのエバンス・エアクラフト社から図面と材料を購入しました。苦心の末、6年の歳月を費やして完成させ、1986年(昭和62年)5月、羽咋市の千里浜海岸の砂地を滑走路にして、ついに約20分間の初飛行に成功しました。初飛行までに実に9年もの歳月を要したことになります。

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超軽量機菱和式ツバサW-1-1

空を飛びたい人のためにウルトラ・ライト・プレーン(略称ULP)なるものが作り出されて、世界各国で販売されています。超軽量で構造も簡単、大衆車並の価格で老若男女を問わず誰でも気軽に空の散歩が楽しめるとあって、愛好者によるクラブ組織も続々誕生しています。展示機は、石川県内でも愛好クラブの元祖だった橋本和雄氏(金沢市在住)が、70歳の誕生日まで乗っていた国産の機体ツバサW-1です。

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人力飛行機 「ゼフィルスβ」号

お茶の水女子大学において平成7年7月に発足した人力飛行研究サークルが、女性パイロットによる人力飛行の日本公式記録の更新を目指した機体です。平成9年(1997年)5月に完成、ゼフィルス(風の妖精)号と命名されました。海上自衛隊館山航空基地の滑走路上において同年11月16日、村岡ちひろさん(当時19歳)の操縦によりついに飛行距離1,004.252m、滞空時間3分3秒の女性による日本新記録を樹立しました。

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二宮忠八の玉虫型飛行器の実物大復元機

二宮忠八は、1866年(慶応2年)愛媛県八幡浜市に生まれ1893年(明治26年)27歳の時苦心の末昆虫の飛び方にヒントを得て人力機の模型飛行機「玉虫型人力飛行器」を製作・完成させました。後に彼の発明が先進的な構造を呈していることが認められましたが、当時の陸軍では提案が却下され実用化に至らず、飛行機開発を断念しました。それから10年後、1903年(明治36年)ライト兄弟がフライヤー1号で初めて飛行に成功しました。もし陸軍での提案が採用されていたならば、日本の航空の歴史は大きく変わっていたかも知れません。

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超精密大型模型 零式艦上戦闘機52型

三重県四日市市在住の加藤鉄雄氏が1997年から製作に取りかかり、3年がかりで完成させた零式艦上戦闘機の1/7の模型です。木の骨組みにアルミの板を張り付けた技法で仕上げられています。動翼は羽布張り、操縦席の計器の配置など細部まで実物機に忠実に近づける工夫が各所に見られます。52型は、10,000機以上も製造された零戦の末期タイプです。全長95cm、全幅156cm、全高39cm、全重量7㎏

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超精密大型模型 零式艦上戦闘機22型

石川県内灘町在住の西山氏が身近に眺めたアメリカから里帰りした零戦に魅せられて、1996年から3年がかりで制作した零式艦上戦闘機22型の1/9の模型です。木製のフレームにアルミ板張り、動翼は羽布張りなど加藤鉄雄氏の製法と同様ですが、可動部分はすべて可動、機内の各種照明も点灯出来るよう工夫されていて西山氏の緻密さが伺える作品です。22型は各型式の中でも4番目に改修されたタイプです。全長95cm、全幅122cm、全高34cm、全重量6㎏

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超精密大型模型 一式戦闘機 隼一型丙

零式52型の模型を制作した加藤鉄雄氏が、1995年から3年をかけて零戦よりも先に完成させた旧陸軍一式戦闘機隼の初期タイプ1/8の模型です。木製のフレームにアルミ板張り、動翼が羽布張りなどの機体構造は他の二機種同様です。アルミ板の地肌のままで新造機のイメージが表現されています。映画「加藤隼戦闘隊」でも広く国民に親しまれた名機です。全長112cm、全幅147cm、全高38cm、全重量6.5㎏

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東 善作が三大陸横断飛行に使用した飛行帽

23歳で渡米し、オークランド航空学校に入校。1930年中古機を購入し東京号と名付けロサンゼルス空港を飛び立ち、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの三大陸を横断し東京の立川飛行場に着陸した。全行程18,000km、70日間に使用した飛行帽

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三大陸横断に成功した東 善作の飛行免許証

23歳で渡米し、オークランド航空学校に入校。1930年中古機を購入し東京号と名付けロサンゼルス空港を飛び立ち、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの三大陸を横断し東京の立川飛行場に着陸した。アメリカで取得した飛行士免許証

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東 善作が三大陸横断した時の横断ルートを記した航空路図

23歳で渡米し、オークランド航空学校に入校。1930年中古機を購入し東京号と名付けロサンゼルス空港を飛び立ち、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの三大陸を横断し東京の立川飛行場に着陸した。全行程18,000km、70日間に使用した航空路図

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大西洋横断飛行に成功したリンドバーグの愛機「ライアンNYP-1」

郵便飛行士「リチャード・リンドバーグ」はニューヨーク・パリ間の無着陸横断に成功したら25,000ドルの賞金が出るとの朗報に挑戦。ライアン社製のNYP-1型機を購入し、1927年6月10日、ニューヨークのルーズベルト飛行場を離陸、悪天候や睡魔と戦いながら33時間30分を飛び続けパリのルーブルジェ飛行所へ着陸に成功した。

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古代人の空への執着 船型埴輪

日本でも古墳時代の権力者の墓から船型をした埴輪が出土しています。海上を航行するだけでなく、天界を飛翔する意味も含まれているそうです。

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古代人の空への執着 人力羽ばたき機

物理学者レオナルド・ダビンチも空を飛ぶ機械を夢見た一人でした。人間の体重を筋力だけで浮かばせる点に無理がありました。

情報所有館 : 石川県立航空プラザ 


古代人の空への執着 空飛ぶ船

銅で作った球体の内部を真空にして空中に浮かぶことを考えました。軽くすると銅球が大気圧に耐えらないのですが、 空気より軽い飛行機の理論の先駆けでした。

情報所有館 : 石川県立航空プラザ 


歴史を飾った名機 フライヤー

腕に覚えのある全国のモデラーの方々の力作「世界の名機」ばかり約200機を展示しています。どれも懐かしい航空機ばかりですが、一部しか紹介出来ませんのでご自身の目で確かめてみて下さい。

情報所有館 : 石川県立航空プラザ 


歴史を飾った名機 ライトB型

腕に覚えのある全国のモデラーの方々の力作「世界の名機」ばかり約200機を展示しています。どれも懐かしい航空機ばかりですが、一部しか紹介出来ませんのでご自身の目で確かめてみて下さい。

情報所有館 : 石川県立航空プラザ 


F-2B 支援戦闘機モックアップ

航空機を制作する過程では設計図面を書いた後、その図面に基づいて実際の型を木で作ってみます。モックアップと呼ばれるもので、この木型を基に細部まで検討を加え、不具合箇所を見つけだし、金属で制作にかかる前に修正を加えます。展示の物は、三菱重工で制作中の最新式F-2B支援戦闘機復座型のモックアップ(木型)で、機首から操縦席までの部分です。全国にただ一つしかない貴重品で、航空自衛隊から貸し付けを受けたものです。

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小松飛行場模型

小松飛行場の1/900のパノラマ模型です。空中写真を基に精巧に作られています。小松飛行場は旅客機、自衛機の離発着が多く大変混み合っていますので、ゆっくりと遊覧飛行を楽しむことは出来ません。せめてこの模型から高度300mに浮かんで飛行場全景の眺めを楽しんでみて下さい。

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ハイテク旅客機のコックピット B747-400

来館者のために小松空港に就航中の旅客機18機の写真を撮影して展示致しました。エアバス320型のように最新の旅客機には、操縦桿に代わってグリップが付いています。動翼をコンピューターで作動させるフライバイワイヤー方式が取り入れられているからです。まるでハイテクの研究室といった感じです。コックピットの夜景写真2点は全日空から提供を受けたものです。

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