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香をたくのに使う器である。磁器の白い素地に呉須と呼ばれる青い顔料で下絵付けする染付の技法で文様が表現されている。作品正面には梅文が、その背面には竹文が描かれている。底部には「悠」と銘が記されている。付属品として銀製の火屋が付いている。火屋には透かし彫りにより松の文様が施されており、香炉の梅・竹とあわせて「松竹梅」のモチーフが表現されている。箱のふた表面に「梅染付香爐 悠」と墨書されている。近藤悠三(1902~1985)は京都市清水生まれの陶芸家。1977年に国指定重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定されている。【近藤悠三作】
情報所有館 : 那覇市立壺屋焼物博物館 ![]()

口縁がつば状の皿である。器の内面には白濁色の釉薬をかけ、模様にする部分にロウを置いて、その上から鉄砂釉を掛けている。蝋抜絵により山と托鉢の巡礼者の図柄が表現されている。この図柄は作者が陶器の文様としてよく用いたものである。縁は無釉。外面には褐色の釉を掛け、その上から鉄砂釉を掛けている。高台内には白濁色の釉薬が施されており、また「BL」の文字が褐色の釉で記されている。「BL」は作者バーナード・リーチのイニシャル。バーナード・リーチはイギリスの陶芸家。富本憲吉、柳宗悦、濱田庄司らと親交を深め、沖縄・壺屋では濱田庄司とともに何度か滞在し、陶芸制作を行った。【バーナード・リーチ作/1950年】
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香を一時的に貯えておくための器。ふたの表面は中心から3方向にかけて液状の白色粘土が刷毛で波状にぬられている。ふた、身ともに全体に釉薬が掛けられている。ふたの表面と身の内側と外面胴部は黄土色に発色しており、ふたの裏面と身の腰部および底部は灰濁色に発色している。箱のふた裏面に「19BL53」と墨書されている。「BL」は作者バーナード・リーチ(1887~1979)のイニシャルである。【バーナード・リーチ作/1953年】
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牛馬の歩行を回転動力に変換する装置。岡山県邑久郡豊村の奥山鹿吉による1902(明治35)年の発明。太い木製主軸を垂直に立て、これを中心に上部に16~24本の腕木を傘型に張り出し、その先端をY字型とし、これに動力伝達用のロープをかける。傘の直径は3m内外で、大型では6mに及ぶ。主軸のやや下方に、長さ1.5~2.1mの曳木をつけ、これを牛馬にひかせて回行させ、傘からのロープで脱穀機や籾摺機を運転する。明治末期から普及し、1921(大正10)年には岡山県下だけでも12,000台の普及をみた。年代:1902年
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熱効率の高い輸入発動機。農林省農産課が、国産石油発動機改良上の参考品として1928(昭和3)年ころパリのシトロエン工場から購入。本機は特殊なリンク機構によって、吸込・圧縮・爆発・排気のピストン行程長が異なる差動を行なう珍しい発動機で、熱効率を試算すると約35%となり、当時の揮発油発動機としては記録破りの値。回転数1,300rpm、正味馬力4.0(3kW)、燃料消費量(毎時毎馬力)173gとされている。年代:1928年
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利用末期の日本式改良型畜力用犁。1920(大正9)年ころ、農林省農事試験場技師が考案改良した。農業の基本である大地の掘り起こしに畜力を用いる起源については諸説多いが、我が国でも2000年に近い。農林省農産課は赤羽飛行機製作工場に委託して100台製作し、全国各府県に2台ずつ送った。この犁に模して製作された犁も用いられた。年代:1920年
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国産初期の歩行動力耕耘機。1952~53(昭和27~28)年ころの久保田鉄工所(現:クボタ)製。発動機はクボタ式 CHC型5~6馬力(3.75~4.5kW)、回転数1,000~1,200rpm。試験用のために、ハンドルの下に力量測定装置が付いている。輸入・国産を問わない歩行型動力耕耘機の普及が、順次、畜力に取って代わった。耕耘作業部機構は現在、歩行用・乗用を問わず大半がロータリ式であり、その最も初期の形式である。年代:1952年
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縦2軸のスクリュが同期回転し、土を切削耕耘する方式の歩行動力耕耘機。古川農機具工業株式会社(石川県金沢市)製。1955~1965(昭和30)年代に全国的に利用された。本機は軽量小型、低重心で安定性が良い。畦際耕うんの際にはスクリュ刃軸を移動することができ、その前後方向傾斜角も調節できる。スクリュ式耕耘機構は、高速作業には不適であるが砕土性能が高く、根菜類の栽培に適しているとされ、現在も一部で用いられている。年代:1960年
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純国産、初の乗用可能なトラクタ。1951(昭和26)年、石川島芝浦機械が開発・生産した。リヤエンジンの三輪タイプで旋回性に優れ、作業機はミッドマウント(腹装式)で視認性が良い。特に水田車輪装着による高速代掻き作業や腹装モーアによる牧草刈取り作業、また左右に装着した左反転と右反転プラウによる往復耕耘作業に威力を発揮した。さらに本体前部を取り外し、ハンドルと耕耘ロータリを装着して歩行型耕耘機としても使えるユニークな機構である。北海道・東北、特に酪農地帯で使用され、生産台数は1951(昭和26)年から1958(昭和33)年まで477台を数えた。年代:1951年
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実用にも供された人力田植機。二反田春三(広島県)の考案による1955(昭和30)年ころの試作品。成苗用2条植で、把手を押せば中央にある径60cmの走行車輪が回転して前進し、この車輪軸に付いている苗送り機が運動して、成苗が前方に出てくる。そのとき、同じく車輪軸に付いている植付爪が動いて成苗を植えつける。田植機開発の先駆。年代:1955年
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