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日産 オースチン A50型 Nissan Austin Model A50

日産自動車も英国のオースチン社と技術提携し、1953年4月からA40サマーセットの国内生産をはじめ、1955年に新型のA50ケンブリッジに切り替えられた。当時の国産車では比較にならないほど快適な乗り心地と優れた走行性を備え、人気も高かったが、なにより提携で得た海外の先進技術を自社のものとして、その後、次々と新しいモデルを送り出したことは高く評価できる。 1960年

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日野 ルノー PA62型 Hino Renault Model PA62

現在はトラックやバスなど重量車両の生産で知られる日野自動車がフランスのルノー公団と技術提携を行ない、1953年からルノー4CVの生産を開始。愛嬌のあるスタイルやRR駆動の優れた操縦性、コンパクトなサイズからタクシーにも多く採用された。さらにこの国産化によって得た技術は独自の設計でコンテッサ900(1961年発表)や1300(1964年発表)を生み出す結果となり、わが国のモータリゼーションに大きな役割を果たした。 1962年

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トヨペット クラウン RS型 Toyopet Crown Model RS

海外と技術提携か盛んに行なわれるなかで、トヨタは純国産方式を押し通し、1955年トヨペットクラウンRS型を発表。当初から自家用車として設計されたRS型は、あらゆる意味において国産車のモータリゼーションの出発点であったし、わが国の自動車業界へも大きな自信を与えた。デザインは当時のわが国の実状に適応した巧みなもので、乗り心地や耐久性など、すべてがバランスされた純国産車として話題を集めた。 1955年

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トヨペット クラウン RSD型 Toyopet Crown Model RSD

RS型クラウンをベースにラジオ、温水ヒーター、電気式時計、ティンテッドウインドウ、ホワイトウォールタイヤ、フォグランプなど豪華装備を加え、オーナーカーとしたモデルがRSD型であった。わが国の人々が一般的に持っていた高級車に対するイメージをものの見事に実現したことは、ひとつの社会現象を生み出し、世を挙げてデラックス化の時代へ突入させることになったのである。 1955年

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トヨペット マスター RR型 Toyopet Master Model RR

RS型クラウンと同時に発売されたマスターは、RH型スーパ-の発展型としてスタイルを一新、シャシーも改良された。性能はRS型とほとんど同じであったが、営業車向けであることから前輪懸架は固定車軸とされ、耐久性を向上させたほか、広めの客室を確保。限られたスペースのなかで合理的なデザインを特徴としていた。その後、RS型が営業車としても認められたことから1956年11月に姿を消したが、以後、これをベースとした商業車マスターラインが生産に移された。 1955年

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ダットサン 112型 Datsun Model 112

英国オースチン車の国産化によって海外の先進技術を吸収しつつあった日産自動車(株)が1955年に発表した110型車は、戦前から発展しつづけたオールド・ダットサンの完成に達したモデルと言える。112型車はそのマイナーチェンジモデルである。斬新なデザイン、操縦性、居住性等の設計技術が評価され、第2回「毎日産業デザイン賞(1956年)」を受賞した。 1956年

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トヨペット コロナ ST10型 Toyopet Corona Model ST10

すでにクラウンで成功をおさめていたトヨタも、1954年タクシー業界からの要請もあって小型車の開発を迫られた。その頃、国民車構想からのUP10型(パブリカ)の計画は進められていたが、膨張した小型車市場に対して、急きょ発売したのが初代コロナST10型である。 1957年

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フライング フェザー Flying Feather

その名のとおりの超軽量車で「最も経済的なクルマを」という設計者、富谷龍一氏の思想を具体化して住江製作所が1954年に発表。きわめて合理的なスタイリングや必要最少限のメカニズムを持ち、機能的なトランスポーターとして、野心作ではあったが、残念ながら1955年に200台足らずつくられたのみに終わった。おそらく、徹底した合理主義が、当時の人々にはまだ理解されなかったのであろう。 1955年

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フジキャビン 5A型 Fujicabin Model 5A

フライングフェザーと同じ設計者により、富士自動車(当時、日産自動車系のエンジンメーカー)は当時としては画期的なFRPのフルモノコック構造の3輪キャビンスクーターを送り出した。空冷単気筒2サイクルエンジンを備えたボディは、わずか130kgで最高速度は時速60キロ。限られたスペースを生かした室内や空力的なボディデザインなど革命的な試みではあったが、FRPの製作技術がこれに伴わず、わずか85台製作されただけであった。 1955年

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ダイハツ ミゼット DKA型 Daihatsu Midget Model DKA

戦後しばらくの間も、自動車が公共的な乗り物であったわが国で、本来の大衆化は商業車からはじまったといってもよい。そして、それを決定づけたのが1957年に発売した3輪車ミゼットといえるだろう。安価かつ扱いやすく、しかも軽免許で乗れることから爆発的なブームを巻き起こし、3輪車の代名詞にまでなったのである。初代のDKA型はキック式スターターやバーハンドルなどモーターサイクルに近いが、いたるところにコストダウンや合理化の努力がみられる。 1959年

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スズライト SL型 Suzulight Model SL

スズライトは、メーカーベースでつくられた本格的な軽自動車のパイオニアであった。小型乗用車と変わらない装備を持ち、これを開発するに当たって参考とした欧州の小型車ロイトが2ストロークエンジンと前輪駆動方式であったことと商用車にした場合の荷室確保を考えて、スズライトも他社に先がけてFF方式を採用。このSL型はリアに大きなドアを持った商用ライトバンで小型ながらも充分なスペースを確保してある。 1957年

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スバル360 K111型 Subaru 360 Model K111

もともと航空機メーカーであった中島飛行機の技術が生かされたスバル360は、わが国初期の軽自動車としてもっとも成功した一台であろう。モノコック構造のボディと、トーションバーによるサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを持ち、快適な乗り心地を実現していたのである。発売当初の価格は42.5万円.これをのぞけば国民車構想の条件を満たすものとして、絶大な人気を博したのである。 1958年

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マツダ R360クーペ KRBB型 Mazda R360 Coupe Model KRBB

1960年、スズライト、スバルに続いて東洋工業(現マツダ)も軽自動車の市場にR360を送り込んだ。軽自動車に4サイクルや本格的なAT(2速)を採用するなど画期的なメカニズムを備え、まるでスポーツカーのようなスタイルを限られた枠のなかでコンパクトにまとめあげたことは大いに注目された。キャロルにバトンタッチする1966年まで生産された。 1960年

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パブリカ UP10型 Publica Model UP10

国民車構想に合わせる意味で発表したトヨタパブリカは、最初から大衆向け実用車としての極めて合理的なフォーマットを踏襲したもので、技術的にもスタイリングにおいても注目できるものであった。ところが、高級志向か強まりはじめたニーズとは噛み合わず、商業的には予想外であった。ちなみに車名は-般から公募されたもので、PublicとCarの合成語である。 1961年

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三菱500 A11型 Mitsubishi 500 Model A11

国民車構想に対応して新三菱自動車(現三菱自動車)が出した回答は三菱500であった。このクラスでは格安ともいうべき39万円で売り出され、発表は1959年秋のモーターショー。価格をのぞけば、ほぼ国民車構想を満たしていた。この価格を実現するための徹底した合理主義は、インテリアの装備やアクセサリーなどを犠牲にはしたが、メカニズムを優先した高い実用性も持っていた。 1961年

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パブリカ UP10S型 Publica Model UP10S

できるかぎり忠実に国民車構想に基づいたトヨタパブリカも、時流に合わせて高級化がはかられた。1963年6月にはラジエターグリルやホイールキャップがメッキされ、サイドモールを追加したデラックスを発表。さらに同年10月にはオープンモデルを発表することになる。セダンのルーフ部をソフトトップに変更した4座コンバーチブルは、当時のオープンスポーツとはまったく異なった性格を持ち、手軽にオープンエアを楽しめることから話題を集めた。 1963年

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トヨペット クラウン RS-L型 Toyopet Crown Model RS-L

高級化が項点に達した大型車に代わって、経済的な小型車に目が向けられはじめた米国市場への進出を1957年3月に決定。10月には自工と自販の共同出資による現地法人米国トヨタを設立してクラウンを送り込んだ。実際にはパワー不足や高速での操安性などが指摘され、1960年12月には主力をランドクルーザーに移したが、輸出トヨタの第一歩だったのである。このRS-L型は、ごく初期に輸出された数少ない1台である。 1958年

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トヨペット コロナ PT20型 Toyopet Corona Model PT20

急増する小型車市場で苦戦を強いられたコロナPT10型の陰で着々と開発が進められたPT20型(ニューコロナ)は、オーナーカーとしての自信作であった。カンチレバーの後輪懸架がもたらす乗り心地のよさやティーザーキャンペーンを、わが国で初めて展開するなど話題を呼んだ。 1960年

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ニッサン セドリック 30型 Nissan Cedric Model 30

1960年に発売されたこの車は、オースチンの優れた技術を完全に吸収、さらにエンジン、シャシー、ボディ等すべての面にわたって新しく設計され、G型エンジン、71馬力、最高速度130km/hの高速安定性を誇り、また縦4灯のヘッドランプがスタイリング上の大きな特徴であった。車名はバーネットの名作「小公子」の主人公セドリックにちなみ、強く、正しく、美しい少年の代名詞として広く親しまれた。 1960年

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トヨペット コロナ RT20型 Toyopet Corona Model RT20

1961年3月に発表されたコロナRT28型は、ボディ各部を強化してPT20型のトラブルを改善、強力なエンジンも搭載されていた。さらに信頼感を回復するためのTVコマーシャルやレースヘの参加(第1回日本GPのC-5クラスで1、2、3位)を行ない、しだいに耐久性と性能を実証していったのである。また、ちょうどこの頃、ティアラと名を変えた1900ccの輸出仕様を生産するなど本格的な海外市場への進出もはじまっていた。 1961年

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日野 コンテッサ PC10型 Hino Contessa Model PC10

ルノー公団との技術提携の成果をいかして生まれた日野ルノーは順調な発展をつづけ、1961年4月には独自の設計によるコンテッサ900を発表。ルノー4CVの技術を生かしているもののボディスタイルは一新され、コンテッサ(伯爵夫人)の名にふさわしいスポーツセダンであった。駆動方式はRRで軽快な運動性能、素直なエンジン、小柄なボディなどスポーティな性格を持ち、1963年の第1回日本GPでは、GTクラスで優勝した。 1961年

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ダットサン ブルーバード P312型 Datsun Bluebird Model P312

日産は1959年7月、110型からつづくダットサンセダン210系をモデルチェンジした310型、つまり初代ブルーバードを発表する。長期にわたる市場謁査から生まれた新型は210型の堅牢さを受けつぎながら多くの新技術やエレガントなスタイルを採用。またたく間に小型車市場を席巻した。大きな特徴は世界でも初めて女性仕様のファンシーデラックスを設定して女性にも大きなアピールをしたことであろう。この312型は1961年にマイナーチェンジを受けた最後のモデルで、64年には410型とバトンタッチすることになる。 1963年

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トヨペット コロナ RT40型 Toyopet Corona Model RT40

RT20型で初期の苦しい立場から脱したコロナは着実に生産を伸ばし、1964年5月には総力をあげて新型RT40型を送り出した。4灯式ヘッドの新しいスタイルを持ち、最高速度も時速140キロに向上、同時に開通したての名神高速での10万キロ連続走行公開テストなどハイウェイ時代をイメージする積極的な販売戦略を展開したのである。その結果、国内、輸出の両面で大成功を収めトヨタの主力となったばかりか、技術レベルを一気に国際水準まで引き上げることになった。 1964年

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トヨタ カローラ KE10型 Toyota Corolla Model KE10

1966年10月に誕生したカローラはトヨタの最も成功したモデルというだけでなく、わが国へ本当の意味でのモータリゼーションをもたらした大衆車といっても過言ではない。性能、経済性、快適性など、あらゆる面で市場のニーズにこたえた。エンジンは新開発のK型エンジンで水冷4気筒の1077ccは、“プラス100ccの余裕”として大きな反響を呼んだ。 1966年

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マツダ ファミリア SSA型 Mazda Familia Model SSA

R360クーペやキャロルにより、軽自動車部門での足場を固めた東洋工業(現マツダ)は、小型自動車部門への本格的な進出として1964年10月、マツダファミリア800を発売した。ファミリアは、アルミ合金を多用したエンジンを搭載。また、足廻りにはメンテナンスフリーをめざし、ポリウレタン・ラバーのブッシュを用いてグリースアップを不要とするなど、進歩的な車として注目された。 1966年

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ダットサン サニー B10型 Datsun Sunny Model B10

昭和40年代は、高度経済成長による所得水準の上昇と技術革新による大量生産がコスト低減をもたらし、乗用車市場が急テンポで拡大した。1966年に発売されたこの車は、3速コラムのトランスミッション、2ドアセダンのボディ、グレードはデラックスとスタンダードの2種類(価格は46万円と41万円)とシンプルな商品構成で、車名も一般から募集するなど量販を前提としていた。その後、発売されたトヨタカローラ等と競争しつつ大衆化に寄与した。 1966年

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トヨペット クラウン RS41型 Toyopet Crown Model RS41

日本の高級車市場を開拓したクラウンは、本格的な高速交通時代に備え、1962年に高速性能、居住性等を兼ね備えた2代目へモデルチェンジした。デザインもTの字を象徴したラジエターグリルやボンネット、トランクを完全にフラットにするなど近代的となった。また、その後MS40系シリーズでは様々な装置を追加してワイドセレクションを実現、幅広い市場の要望に対応した。 1963年

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トヨタ クラウンエイト VG10型 Toyota Crown Eight Model VG10

ATミッションやパワーステアリングはもちろん、パワーシート、クルーズコントロール、自動点灯式ヘッドランプなど米国車の上級モデルと比べてもひけをとることのないクラウンエイトは1964年にデビュー。豪華な大型車をのぞむ声にこたえた戦後トヨタ初のプレスティッジサルーンであった。RS40系クラウンを拡大したボディに2.6リッターV8エンジンを組み合わせて実現したゴージャスな走行性は、やがてセンチュリーの登場を促すことになったのである。 1964年

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トヨペット コロナ RT50型 Toyopet Corona Model RT50

すでにファミリーセダンとして成功を収めていたコロナも、さらに市場の拡大をはかるために、1965年4月にスポーティな1600Sを発売。6月にはわが国で初めてハードトップを製品化した。センターピラーのない開放的なスタイルは文句なく新鮮で、当時もっとも好まれたモデルでもあった。コロナはスポーティなパーソナルカーを求めるニーズにいち早くこたえた草分け的存在だったのである。 1965年

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トヨペット コロナ RT56型 Toyopet Corona Model RT56

もともとヨーロッパ的な感覚にあふれたコロナシリーズに、きわめつきともいうべき5ドアセダンが登場したのは1965年10月であった。ファミリーユースを考え、バンとセダンの中間に位置するモデルとしてわが国初のファストバックスタイルを採用。その多用途性を評価する声は高かったのだが、当時はまだ荷物車のイメージが強く、一般の人々がこのモデルを理解するにはいたらなかった。 1965年

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トヨペット クラウン MS41型 Toyopet Crown Model MS41

フラットデッキスタイルの最初のクラウンがMS40系モデルだが、1966年10月に登場したMS41型で完成をみる。このシリーズになってはじめて6気筒エンジンが搭載されたのをはじめ、さまざまな装備を追加。この結果、いわゆるワイドバリエーションは300種以上のモデルがそろえられることになり、幅広い市場の要望に応えることが可能になった。 1966年

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トヨペット クラウン MS50型 Toyopet Crown Model MS50

3代目のクラウンとして1967年9月にフルモデルチェンジしてデビューしたMS50型は、当初から個人所有の高級車であることを強調していた。メインカラーに白を起用し、すでに対処してきたワイドバリエーションと合わせて洗練された高級感や憧れをイメージさせたのである。メカニズム的にもペリメーターフレームの採用によって高速安定性や居住性が向上、メンテナンスフリーのサービス性も加わって高級オーナーカーとしてのその完成度を高めていた。 1967年

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トヨタ センチュリー VG20型 Toyota Century Model VG20

クラウンエイトからさらに一歩進めて、世界の豪華車に匹敵するプレスティッジサルーンを目標にしたセンチュリーはまったく新しい設計から1967年に誕生した。豊田佐吉の生誕100年や明治100年にちなんだネーミングや日本的なスタイリングからは想像できないほどのパフォーマンスを発揮。2.9リッターの高出力V8エンジンは1.7tを超えるボディを時速170キロまで引っぱり、豪華さのなかに高性能を隠し持っていたのである。 1967年

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トヨペット クラウン MS51型 Toyopet Crown Model MS51

クラウンのオーナードライバー市場へ「白いクラウン」の次にトヨタが送り出したのはハードトップであった。発表は1968年11月。フルサイズのボディを充分に生かしたダイナミックなスタイリングはアメリカ車的な豪華な雰囲気を与え、室内スペースが広かったこともあってセダンにも負けないくらいの人気を集めることになる。このモデルがきっかけとなってわが国のハードトップの流行がはじまったのである。 1968年

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トヨタ カローラ スプリンター KE15 Toyota Corolla Sprinter Model KE15

多様化するニーズは高級車ばかりではない。個人需要の傾向の強い大衆車にも積極的に新しいモデルが投入された。カローラも豊富なバリエーションのなかに1968年3月、ファストバックスタイルの2ドアセダン、スプリンターを加えることになる。スポーティなスタイルとわずか1.1リッターながら最高速160キロ(SL)の高性能は58.7万円の低価格で供給され、スポーツ志向の人々を充分に満足させるものとして、さらに購買層を拡大したのである。 1968年

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ホンダ N360 N360型 Honda N360 Model N360

四輪車ではスポーツカーとトラックを作っていたホンダが、それまでの先発メーカーの軽自動車群に比べ、大幅に性能向上を図ったN360を1967年2月に発売した。この車は、横置きエンジンのFF(前輪駆動式)を採用し、全長3mの限られた寸法の中で軽自動車最大の室内スペースを確保、さらに最高速度115km/hを誇っていた。 1969年

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トヨペット コロナマークⅡ RT62型 Toyopet Corona MarkⅡ Model RT62

コロナとクラウンの間の位置づけで1968年9月、新型車コロナマークⅡを追加。ネーミングは上級車志向のコロナオーナーを意識してジャガーMk-Ⅱなどのように英国車のモデルチェンジやグレード変更によく使われる方法をとった。はじめから2ドアハードトップや1.9リッター版を備え、基本11車種、52タイプのワイドバリエーションとしたこともあって、12月には月間登録2万台のベストセラーカーの座を手にしたのである。 1968年

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トヨタ カリーナ TA12型 Toyota Carina Model TA12

1960年代の後半、多様化の一途をたどる大衆車市場にあってコロナやマークⅡ以外の車を望む声が高まってきた。そこで1970年12月にまったく新しいシリーズとして登場したのがカリーナである。1.4~1.6リッターのツインカムまで4種類のエンジンを持ったスポーティな高性能セダンを50.9万円(1.4リッター車)という低価格で提供。それに加えて性能や居住性がすぐれていたことや男性的なイメージから人気を博した。 1970年

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いすゞ 117クーペ PA90型 Isuzu 117 Coupe Model PA90

1968年、高速ツーリングカーとして登場したこの車は、いすゞフローリアンをベースに開発され、カロッツェリア・ギア社(イタリア)のジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたファーストバックスタイルが“走る芸術品”として賞讃された。日本初の電子制御燃料噴射式DOHCエンジンを搭載、後部専用ヒーター、4人分のシートベルト、ヘッドレスト、木目仕上げの7連メーターが並ぶインストルメント・パネル等の装備が付けられたスタイリング、性能、居住性等の総合的な良さが上級オーナーやマニアに受け入れられた。 1970年

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トヨタ セリカ TA22型 Toyota Celica Model TA22

1970年12月、カリーナと同時に登場したセリカは、わが国初の本格的スペシャリティカーとして、それまでのセダンベースとはまったく異なったスタイリッシュな2ドアクーペであった。これに上級モデルは高性能ツインカムを組み合わせ、高速安定性やコーナリング性能など優れたトータルバランスを持ち、どんな好みにも対応できるフルチョイスシステムを採用。価格も57万円から100万円まて幅広く設定された。 1970年

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ダットサン フェアレディ SP310型 Datsun Fairlady Model SP310

この車は、1962年わが国で初めて本格的なスポーツカーとして開発された。スマートなボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載しブルーバード312型と同じシャシーを使用、リアには横向きの変則的なシートを持つオープン3シーターである。1963年に開催された第1回日本グランプリに出場、ポルシェ、トライアンフTR4など外国製スポーツカーを相手に見事優勝した。その後、フェアレディは1600(SP311型)、2000(SR311型)へと発展、モータースポーツで大いに活濯した。 1963年

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ホンダ S500 AS280型 Honda S500 Model AS280

当時、すでに2輪メーカーとして名を馳せていたホンダが4輪分野へ進出、本格的なライトウェイトスポーツであるS500を送り込んだ。デビューは1963年、前年に発表したプロトタイプS360の生産型である。531ccの超小型4気筒ツインカムには4基のCVキャブを装着して44HP/8000rpmの出力から最高速度は時速130キロ。小型車としては驚異的なパフォーマンスと軽快な2座オープンボディから若者の憧れを一身に集めることになった。その後、このモデルはS600、S800へと発展、本田技研工業の自動車部門の基礎を築き上げた。 1964年

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トヨタ スポーツ800 UP15型 Toyota Sports 800 Model UP15

トヨタスポーツ800は、1962年のモーターショーで発表されたプロトタイプであるパブリカスポーツを祖として、1965年4月に登場。空気力学を重視した機能的なスタイルをそのままに、パブリカのコンポーネンツを用いてコストダウンを考えた大衆のためのスポーツカーであった。価格は59.5万円。デタッチャブルトップの開放感と、わずか790ccの空冷水平対向2気筒から得られる時速155キロの最高速度はドライブの楽しさを一般的なものにしたのである。 1965年

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いすゞ ベレット 1600GT PR90型 Isuzu Bellett 1600GT Model PR90

1963年に発売されたいすゞベレットは、多様化するニーズに対応するため、シート、ミッション、ハンドブレーキの組合せが自由に選択できるシステムを採用。さらに翌年4月、国産車で初めて車名に“GT”(グランドツーリスモ)が冠せられたベレット1600GTを発売した。このベレット1600GTは、SUツインキャブレターを装着し高出力、すばやい加速性などの高性能車として注目され、モータースポーツにおいても活躍した。 1966年

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ニッサン プリンス スカイライン S54型 Nissan Prince Skyline Model S54

1960年代、高まりを見せたモータースポーツ熱を背景にプリンス自動車がスカイラインGTを開発。1965年に発売された2000GT-Bは、これまでのGTをベースに量産、市販化したもので、3連式のキャブレターでチューンされたエンジンとステアリング・ホイール、メーター類などスポーティな装備を持つスポーツセダンとして人気を博した。GT-Bの名称は、同年9月廉価版のGT-Aの登場により改められたもの。なお、1966年の日産自動車との合併から1968年まで、スカイラインの車名にプリンス名を残した。 1967年

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トヨタ 1600GT RT55型 Toyota 1600GT Model RT55

大衆車のスポーティ化傾向は徐々に拡大の傾向をみせ、1600ccクラスにもそれはおよんだ。トヨタもコロナ・ハードトップを基本としたスポーツクーペ、1600GTを登場させることになる。9R型DOHCエンジンを積み込み、小型ではあったが最高速度は時速175キロ。快適な居住空間やトヨタ2000GTと同じ5速ミッションを備えた(4速仕様も存在)本格的な高性能ツーリングカーとして、高い人気を得たのである。 1967年

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トヨタ 2000GT MF10型 Toyota 2000GT Model MF10

オイルショックや排出ガス規制などに縛られなかった'60年代には世界的な傾向のなかで魅力的なスポーツカーが多く誕生する。わが国においてもかつてない高性能なグランツーリスモ、トヨタ2000GT(1965年)を登場させることになった。ロングノーズの均整がとれたスタイリングやバックボーンフレーム構造、6気筒ツインカムなどデザイナーやエンジニアが思う存分に腕をふるった結果は、谷田部のテストで3つの世界記録と13の国際新記録を樹立。世界水準の高性能車をつくり上げたのである。 1968年

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マツダ コスモスポーツ L10B型 Mazda Cosmo Sport Model L10B

ドイツのNSU社との技術提携によってロータリーエンジンを手に入れた東洋工業(現マツダ)は実用化のため厳しいテストと改良の結果、1967年にわが国初の搭載車マツダコスモスポーツの販売を開始した。強烈なインパクトを与える未来的なスタイルはもちろん、491cc×2の小排気量ながら、レシプロエンジンの2リッタークラスをも凌ぐ128馬力の出力を発揮、圧倒的な高性能から注目を浴びることになる。このL10B型は1968年のマイナーチェンジで、さらに強化され時速200キロの最高速度をほこった。 1969年

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トヨタ7 Toyota7

レースでの経験を生産車へフィードバックする目的から2000GTや1600GTでの耐久レースをメインにしていたトヨタも、1968年、その名のとおりグループ7のレギュレーションに合わせた2座レーシングカーを発表した。V8ツインカムエンジンはヤマハが担当して、5月のデビュー戦日本GPでは、ニッサン勢やポルシェに押されたが、翌年には3位に入賞。1970年にはこの5リットルターボチャージドニュー7で日本GPに備えた。残念ながら大会中止のため800psのモンスターも幻に終わった。 1970年

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トヨタ MR2 AW11型 Toyota MR2 Model AW11

1983年のプロトタイプSV-3の生産型として翌年登場したMR2は、ミッドシップ2シーターとして純粋なスポーツモデルでありながら実用性も備えた小型パーソナルカーであった。ポルシェ914などヨーロッパではポピュラーな存在だが、もちろんわが国の市販車でこのレイアウトを採用したのははじめてである。優れたロードホールディングと軽快な走行性は、まさに現代の求めるファン・トゥ・ドライブであろう。 1984年

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