「」 に対する検索結果 : 26350

前の50件 (4151-4200/26350)    次の50件

ベントレー 4 1/2リットル Bentley 4 1/2 Litre

ベントレーはビンテージ期(1920年代から30年代初め)のイギリススポーツカーのなかでもっとも重要な意味を持つ。1927年からル・マン4連勝、1924年の勝利を含めれば、この時期なんと5回もル・マンを制覇。なかでも1928年のル・マンで優勝を飾った 4 1/2リットルツアラーは、ベントレーでもっともポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴している。ビンテージ・ベントレーの特徴は、ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したことから、この時代の他の純レーサーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことであろう。 1930年

情報所有館 : トヨタ博物館 


アルファロメオ 6C 1750 グランスポルト Alfa Romeo 6C 1750 Gran Sport

スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1750cm3の軽快なエンジンで数々のレースに勇名を馳せた6Cは、設計者ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつであろう。その戦績は枚挙にいとまがないが、特に知られているのは、公道上のレースとして知られるミッレ・ミリアで史上初めて平均時速100km以上で走破し、見事優勝したことである。(1930年、ドライバーはヌヴォラーリ) 1930年

情報所有館 : トヨタ博物館 


モーガン エアロ Morgan Aero

頑丈で単純なバックボーンシャシーの先端にモーターサイクル用の∨ツインエンジンを取り付けただけのモーガンスリーホイラーは、まさに大衆のためのスポーツカーとして送り出された。ベベルギアを介して後ろ1輪を駆動する方式やスライディングピラー、前輪独立懸架など構造は極めて簡単で軽量なために運動性能にすぐれ、しかも経済的。ボディは4座席もつくられたが、このエアロのように2座スポーツタイプが一般的で、1909年から1950年まで根本的に変わらず生産されたのである。 1922年

情報所有館 : トヨタ博物館 


MGミジェットタイプTA MG Midget Type TA

果敢なレース活動を行なってきたMGも1935年、モーリス社の傘下に入ることによって安価なスポーツカー、シリーズTをつくることになった。生産合理化のために、モーリスのパーツを多く流用して量産を可能にしたばかりか、油圧ブレーキやシンクロ付きのギアボックス(3、4速のみ)を備えた価格はモーリス・サルーンの215ポンドとほとんど変わらない222ポンドを実現。MGの一大ヒット作になった。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


SS ジャガー100 SS Jaguar 100

低く精悍なスタイルと広めのトレッドを包み込むように張り出したウィングフェンダーが特徴的なSS100は、戦後ジャガースポーツの基礎を築き上げたばかりか、その後のスポーツカーに大きな影響を与えた。時速100マイルの高性能スポーツカーが、ベントレー 3 1/2リッターの1380ポンドの約1/3にあたる395ポンドで買えるとしたら人々がそれを選ぶのは当然のことである。コストとスタイリングと性能をみごとにバランスさせたSS100は、現代のクルマづくりにも通じるものがある。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


メルセデス ベンツ 500K Mercedes-Benz 500K

1927年に登場し、数々のレースに活躍したSシリーズの後継モデルで、スーパーチャージャー付直列8気筒OHVエンジンと前輪独立懸架をもつ高度に洗練されたツアラー。デザインの面でも性能の面でも「バランスの良い優れた車」と言える。1934年から1936年までの間に約300台造られた。この時代の高級車はボディを名のあるコーチビルダーの手に委ねるのが普通であったが、ベンツは自社のジンデルフィンゲン工場でコーチワークを行った。 1935年

情報所有館 : トヨタ博物館 


コード フロントドライブ モデル812 Cord Front Drive Model 812

若き実業家イリット・ロッバン・コードは1924年にオーバン、1927年にデューセンバ-クを相次いで買収。1929年にみずからの名を冠した画期的なFF車“コードL-29”を発売する。しかし売り上げ不振のため生産中止、810は1935年に新しく設計され、その発展型が812になる。812はラジエターをエンジンルームに収め、リトラクタブルヘッドライトを持つといった先進的なメカニズムを備えていた。L-29から続くFF方式や電気式のバキュームギアシフトなど、エンジニアやデザイナーが理想を現実としたのがコードなのかもしれない。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ブガッティ タイプ57C Bugatti Type 57C

タイプ35がブガッティGPモデルの傑作なら、タイプ57はロードモデルのなかでもっとも優れたツーリングカーといわれている。洗練されたアルミ製ツインカムエンジンの完成度は高く、駿足に加え、実用性、優雅さ、上品さは他に類を見ない。タイプ57は、ほとんど手づくりに近いブガッティのなかでも比較的生産台数が多く(1934~40年までに57シリーズで約750台)、ルーツ式スーパーチャージャーを備えたスポーツモデルとして、とくに人気の高いモデルであった。 1938年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ドラージュ タイプ D8-120 Delage Type D8-120

フランスのGPカーの頂点ともいうべきドラージュも、1930年代に入ると盛んに高級ツーリングカーや豪華サルーンをつくりはじめた。その美しさは“愛人に贈るならドラージュ”といわれるほど優雅にして華やかなものばかりてあった。D8-120はいちばん後期に属する大型高性能車としてもっとも美しいモデルである。コーチワークはすベて専門業者に依頼して、容姿を競いあったのだが、どれもオートクチュールを想わせるいかにもフランスらしいものであった。この美しいカブリオレはF・ファラッシの手になり、ドライエに併合されてからつくられたものである。 1939年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ドゥローニー ベルビユ タイプHB6L Delaunay-Belleville Type HB6L

機関車や船舶のメーカーとして有名であったドゥローニーは、1904年のパリサロンで自動車を発表。特徴的な丸型のラジエターグリルは人々の注目を集め、ベンツ型やルノー型とともに第1次世界大戦までひとつの流行として多くのメーカーに影響を与えることになった。また1909年から採用されたコンパクトで静かな6気筒エンジンは信頼性が高く、豪華なボディを架装してロシアのニコライⅡ世など世界の名士からも支持されたのである。 1911年

情報所有館 : トヨタ博物館 


キャデラック モデル サーティ Cadillac Model Thirty

エンジンスタートに関しては、この頃圧縮空気や強いスプリングを使用したものなどによるさまさまな自動始動装置が試されたが成功をみることはなかった。ところが1911年7月に公開されたキャデラックの試作車は画期的なセルフスターターモーターを備えていた。6Vバッテリーをいためることなく、瞬間的に24Vのパワーでモーターを回す新しいタイフの電動発動機は、女性を手回しのクランクハンドルから解放したのである。また、キャデラックはこの始動装置のほか、電気式ヘッドライトを標準装備としたのも大きな特徴であった。 1912年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ベンツ 14/30HP Benz 14/30HP

ヒット作ヴェロの単気筒に固執したため、技術面で遅れをとったベンツも、1905年から6年にかけて新しい4気筒車を続々と発表、多くのトライアルに参加して成功を収めた。このスポーティなツアラーは1912年製でカウルを曲面で構成したモダンなスタイルを特徴としているほか、電気式ヘッドランプなど、装備も充実している。またデザインや効率がいいことから、ラジエターグリルが他車へ与えた影替も大きく、しだいに普遍的なものになっていく。 1912年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ルノー タイプDJ Renault Type DJ

初期型のルノーは、現代の自動車のように前方から開閉するボンネットとエンジンの後に置かれたラジエターを大きな特徴としていた。このスタイルの利点は、メインテナンスを容易にしたことだが、武骨なラジエターグリルにかえて流線型を採用、前方視界を確保することもできた。みごとなコーチワークの1913年型タイプDJは高級なリムジンボディを持ち、馬車時代のなごりから運転席と客席は完全に分離、運転手というより御者と呼んだほうがよさそうだ。 1913年

情報所有館 : トヨタ博物館 


パッカード ツインシックス モデル3-35 Packard Twin Six Model 3-35

パッカードは欧州の最高級車に一歩もひけをとることのないまぎれもない高級車である。なかでも1915年に登場したツイン6は信頼性においても技術面でもアメリカが世界に誇ることのできる最高のモデルであろう。もともと航空機用に開発されたツイン6、つまり∨12気筒エンジンをいち早く量産車につみ込み、アメリカ車初のアルミピストンを採用。優れたエンジン特性はトップギアのまま時速5kmからでもスムーズな加速を可能にしたのである。 1920年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ミネルバ 30CV タイプAC Minerva 30CV Type AC

ギリシャ神話の知恵の女神の名を持つベルギーのミネルバは、全世界の王族や大富豪に愛用され、とくにアメリカ上流階級やハリウッドでは別格のプレステージを誇った高級車であった。女神のマスコットと美しい曲面のラジエターグリルが印象的で、1900年から39年まで存続。各国のコーチビルダーが競って腕をふるい、多くの名車をつくりだした。エンジンは最後までナイト式のスリーブバルブに固執したが、品質のよさと高性能から高い評価を得た。 1925年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ピアスアロー シリーズ36 Pierce-Arrow Series 36

ピアスアローは、パッカード、ピアレスと合わせて“スリーP”といわれたアメリカの超高級車である。その品質や格式の高さは、ロールス・ロイスを上回る厳重かつ贅沢な品質管理のうえに成り立ち、とくに信頼性においては他車を寄せつけないものがあった。さらに、ヘッドライトとフェンダーを一体化させた独特なスタイルをはじめ、パワーブレーキ、油圧タペット、アルミを使用した軽量ボディなど技術的にもすぐれ、すばらしい乗り心地を示したのである。 1927年

情報所有館 : トヨタ博物館 


イスパノスイザ 32CV H6b Hispano-Suiza 32CV H6b

第1次世界大戦前はアルフォンソXⅢで名をはせたイスパノスイザも戦争中はフランス空軍の主力エンジンの生産に全力をあげた。その経験から1919年、1台の新鋭モデルを生み出すことになった。世界初のサーボ付き4輪ブレーキやOHCヘッドを持つ軽合金エンジンなど進歩的な航空機技術が惜しみなく採り入れられた32CV・H6bである。もちろん、このモデルも'30年代に出現する∨12気筒車のようにフランス的なしゃれたボディが架装されプレスティッジカーの王座に君臨したのである。 1928年

情報所有館 : トヨタ博物館 


デイムラー タイプ45 Daimler Type 45

イギリス最古の自動車会社であるデイムラーは、工ドワード7世により「御料車」として指定されて以来、戦後ロールス・ロイスにその地位を譲るまで、長い間イギリス王室や各国の上流階級に愛用されてきた。また、納車はストラットストーン社が一手に引き受けていたことも知られている。著名なコーチビルダーによる豪華なボディ架装と大排気量のスリーブ・バルブ・エンジンによる静粛な走行は、超豪華車の代表に相応しいものであった。なお、この車はインドの藩王(マハラジャ)が使用していたものである。 1920年

情報所有館 : トヨタ博物館 


デューセンバーグ モデルJ Duesenberg Model J

モデルJは、アメリカ最高の多くのコーチビルダーがボディを架装。この時代の豪華サルーンに一歩もひけをとらないし、性能においてもはるかに抜きん出ていた。レーシングカーなみのそのパワーは、腕に自信のないドライバーではおさえつけることができないほどの強靭なパワーで人々を圧倒したのである。2カウルの独特なボディはマーフィ製フェートンで、数あるバリ工-ションのなかでも有名なモデルである。 1929年

情報所有館 : トヨタ博物館 


キャデラック シリーズ452A Cadillac Series 452A

1930年、キャデラックはV16エンジン搭載車を世界に先がけてデビューさせた。452型と呼ばれるこのエンジンは7.4リッターの排気量を持ち、油圧タペット付きOHVヘッドを採用して、その出力も165馬力。豪華で重いボディをのせながら強力なパワーを発揮した。年間500台程度の限定生産だったが、キャデラックはこのV16によって速さと力と美しさを備えたアメリカ№1のラグジュアリーカーの名声を手に入れることに成功したのである。 1931年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ランチア アストゥーラ ティーポ233C Lancia Astura Tipo 233C

アルファロメオと肩を並べ、スポーツカーの華をさかせたランチアが1931年に発表したアストゥーラは当初、それほどスポーティなモデルではなかった。ところが1933年、エンジンを大型化したことで時にはアルファロメオを破るほど高性能なツーリングカーに成長。1935年以降はピニン・ファリーナなどのカロッツェリアか魅力的なボディを架装して高級スポーツカーの道を選んだ。1936年のこのモデルもピニン・ファリーナの手になるものである。 1936年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ロールスロイス 40/50HP ファンタムⅢ Rolls-Royce 40/50HP Phantom Ⅲ

1935年、ロールス・ロイスはV12気筒をつんだファンタムⅢを送り出した。この∨12気筒は多気筒競争に参加するためのものではなく、長い時間をかけて蓄積した航空機エンジンの豊富な知識や経験を生かしたものであった。サスペンションは前輪独立懸架を採用して、乗り心地と操縦性は大きく向上。ラジエターが前進したことで室内のスペースも大きくなった。この1937年型サルーンは、フリーストン・ウェッブのコーチワークによるもので、そのフィニッシュについてはいうまでもない。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


パッカード トゥエルヴ(ルーズヴェルト専用車) Packard Twelve "Roosevelt's Car"

1915年に登場して一躍'20年代の花形になったパッカード・トゥエルヴは、'30年代に向かって大きな変貌を遂げる。そして、この新しいモデルを語るとき、なくてはならない人物がアメリカ大統領フランクリン・デラノウ・ルーズベルトであろう。彼もまた、パッカードを選び、その信頼性と豪快なパワーに魅せられたひとりだったのである。この専用車は、12気筒がのせられた最後の年、1939年につくられたもので、格式の高いロールソン(ロールストン)がボディを架装。防弾ガラスをはじめ大統領専用の補強は装甲車並みだが、軽快なツーリングボディはルーズベルトの笑顔とともに華やかなアメリカの象徴である。 1939年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォード モデルT(英国製) Ford Model T "U.K.Make"

モデルTは運搬の道具として、あるいは情報の手段として、広大な国土に暮らすアメリカ人の生活になくてはならない存在であった。生産台数も着実に伸ばし、1911年にはアメリカの総生産台数21万台の約柑%にあたる3万4528台を送り出していた。そして、この年セルデン特許の法廷闘争に勝ったフォードは、それを祝ってイギリスでノックダウン生産を開始。全盛を極めたモデルTは世界中にモータリゼーションを拡げ、1923年からはわか国でも生産された。 1913年

情報所有館 : トヨタ博物館 


ブジョー ペペ Peugeot Bébé

フランスのプジョーも早くから大衆向けの小型車の開発に努め、1905年、年間400台も販売された画期的な大衆車、最初のベベを完成させていた。そのコンセプトにもとづいて1913年、エットーレ・ブガッティが設計したのかこのプジョー・ベベということになる。ユニークな機構や当時としては極端に小さなエンジンを備えたミニマムなオープン2座はフランスの大衆に自動車の楽しさと便利さを教えたことはいうまでもない。1916年までに3000台以上も生産されたのてある。 1913年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シボレー シリーズ490 Chevrolet Series 490

1916年、シボレーがフォード・モデルTと同じマーケットに送り出したモデル490は、明らかにGMのフォードヘの挑戦であった。490は独特な運転技術を要するモデルTの遊星ギアに対して、日常には使いやすい一般的な3段ギアボックスを採用してきたのである。さらに、OHVエンジンを搭載したこともあって整備性も格段に向上、着実にユーザーのハートをとらえ、1910年代の後半にはモデルTを脅かす存在になっていたのである。 1918年

情報所有館 : トヨタ博物館 


エセックス コーチ Essex Coach

エセックスは、ハドソン社の小型車部門として1921年にスタートした。特色としては、当初からコーチと呼ばれるセダン型を主生産車としたことだが、標準型がまだホロ型であったその頃のアメリカ車では異例なことであった。しかし第1次世界大戦後から大衆の間で、あがりはじめたセダン型を望む声にいち早く、しかもホロ型に近い価格で対応したエセックスにいちばん脅威を感じたのはやはりフォードであろう。大衆車の高級化はすでにはじまっていたのである。 1923年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シボレー スペリア シリーズK Chevrolet Superior Series K

T型フォードに挑戦してたゆまざる改良を進めてきたシボレーは、よりパワフルによりスムーズにを目標にして、1925年にKシリーズを発表した。そして、2年後の1927年には生産台数でT型フォードを抜き、世界のベストセラーカーとしての地位を確立した。なお、この車はエセックスに次いで箱型ボディを大衆車ベースに導入できた事でも大きな意味を持っていた。 1925年

情報所有館 : トヨタ博物館 


モーリス オックスフォード Morris Oxford

モーリスオックスフォードはイギリス人のための車づくりをめざしたモーリス社の創立者ウイリアム・モーリスによってつくられた小型大衆車。この車はエンジンなどの主要部品の外注により、製造コストを低く抑えて提供され続け、1913年から1923年までに約15万台生産された。また、個性的なラジエターから「ブルノーズ(牛の鼻)」と呼ばれ、広く親しまれた。 1913年

情報所有館 : トヨタ博物館 


オースチン セブン(チャミー) Austin Seven "Chummy"

必要なものはすべて揃っているが、それ以外のものは何もない。つまりサイズこそ小さいが大型の実用車と同じ装備や機構を備えたオースチン・セブンこそ英国人にとってのフォードであり、まさに大衆のための自動車であった。1923年から39年までの17年間に約25万台も量産されたロングセラーとしてその信頼性が高く、わが国へも上陸。戦前のオールドダットサンとともに親しまれた。 1924年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シトロエン 5CV タイプC3 Citroën 5CV Type C3

「フランスのフォードでありたい」アンドレ・シトロエンの言葉である。彼は創業当時から量産方式を採用、大衆車メーカーを目指して生産を開始した。1922年、大型車の機能と構造をそのままスケールダウンしたヒット作であるタイプC、通称5CVを送り出す。個性的なボートテールからわが国ではセミと呼ばれ、翌'23年にはホイールベースを延長して3人乗りのC3に発展。さらに実用的なものとなったのである。この5CVがフランス大衆車の母体であることはいうまでもない。 1925年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォード モデルT Ford Model T

モデルTが火をつけたモータリゼーションは急激に発達、人々のニーズも時代とともに変わっていった。もちろんモデルTもそれに応えるべく、ボディバリエーションを充実させるなど絶えまない変化を続け、'20年代半ばには、対シボレーを考え、バルーンタイヤやメッキグリル、ボディカラーも選べるようになっていった。しかし時はすでに遅く、大衆のなかで生き抜いた偉大なモデルTも、時流に一歩遅れをとり、1927年5月26日を最後に生産を中止されることになった。 1927年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォード モデルA Ford Model A

モデルAの登場は、1927年の10大ニュースにランクされるほどの一大センセーションを巻き起こした。モデルAも実用車という観点においてはフォードの姿勢を完璧につらぬいているが、すべてがまったく新設計のモデルだったのである。大きな変更は、ギアシフト方式の3段トランスミッションや4輪ブレーキなどがあげられるが、エドセル・フォードが採用したスタイリングは上級モデルであるリンカーンに習った魅力的なものとなったのである。 1928年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シボレー コンフィデレイト シリーズBA Chevrolet Confederate Series BA

1920年代、フォードとの闘いは激化していた。フォードは'27年にモデルAを発表、シボレーも'29年から主力車種に6気筒をつみ込んで対抗した。こうした実用車の八イグレード化のなかにあって1932年のシボレーは、キャデラックV16をスケールダウンしたような豪華なスタイリングを特徴とした。もちろん、インテリアに至るまて美しく化粧され、装備も充実。大型高級車と違うところはそのサイズのみで、“ベビーキャデラック”の愛称で人々に親しまれた。 1932年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォード モデル40 Ford Model 40

高級化する実用車へ、フォードが出した答えは全てのモデルにV8エンジンを使うというものであった。実際には4気筒も残されたが、1932年にV8を採用したモデルを発表した。V8の利点はパワフルかつスムーズなことだか、コンパクトに収まることからスタイリングに与えた影響も大きい。短いノーズは違和感なく流線型を採り入れることができたのである。1934年のモデルは丸みをおびたボディと傾斜したハート型グリルを持ち、すでに流線型デザインの兆しが見られる。 1934年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シボレー マスター シリーズDA Chevrolet Master Series DA

1920年代後半から毎年のようにモデルチェンジを行なってきたシボレーは1934年、マスター・セダンで∨型ラジエターグリルを採用。クロームメッキを多用して豪華さをみせ、低められたボディは早くも流線型をイメージしているほか、構造的には失敗作に終わったがニーアクションによる前輪独立懸架を備えた画期的なモデルであった。注目すべきは、トヨダAA型がこのエンジンをスケッチしたことである。燃費のいいシボレー直6型を選んだことは互換性だけでなく経済的にも正しい選択だったのだ。 1934年

情報所有館 : トヨタ博物館 


デ ソート エアフロー シリーズSE De Soto Airflow Series SE

多くのメーカーがまだ段階的に流線化を行なっていた1934年、クライスラーとデ・ソートが突如として発表したエアフローは、進歩的すぎたため失敗に終わったが、当時の常識をはるかに超えていた。エンジンを前車軸の真上に置いて重量配分を変えたことで拡大した乗り心地のいい室内、現代のモノコックに近いボディ構造など、あらゆる点で画期的だったのである。このデ・ソートのシャシーやボディ構造がトヨダAA型の開発に与えた影響は大きかった。 1934年

情報所有館 : トヨタ博物館 


リンカーン ゼファ シリーズHB Lincoln Zephyr Series HB

1935年に登場したリンカーンゼファはまさしく完成された流線型であった。前開きのエンジンフード、フェンダーに埋め込まれたヘッドランプ、形跡だけをとどめるランニングボードなと美しくまとめられた未来的なデザインはたちまち人気の的となった。とくにモノコック構造から生まれた前後のバランスは絶妙であり、そのスタイリングは、フォルクス・ワーゲンにも強い影響を与えている。この'37年モデルも細かなマイナーチェンジは受けるが基本的にはデビュー時と変わるところはない。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


キャデラック シリーズ60スペシャル Cadillac Series 60 Special

1938年のキャデラック・60スペシャルは、実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデルであろう。ランニングボードのない、低く幅広のスタイルは力強く、プレスティッジを演出するにふさわしいものだし、なによりトランクルームを設けたことに注目したい。当時、このスタイルはトヨタの大型B型やBC型にも採り入れられたように、現代の3ボックスセダンの基本形がこの時できあがったのである。また、60スペシャルはコラムシフト方式を採用したことでも有名であった。 1938年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フィアット 500 (トッポリーノ) Fiat 500 "Topolino"

トッポリーノの愛称で親しまれ、のちにイタリア中を走り回る小ネズミ“フィアット500”は1936年に完成した。当時の技術ではむずかしいといわれた500ccクラスの小型車で、ミニマムななかに充分な居住スペースを確保。しかも4輪油圧ブレーキなど大型車と変わらない贅沢なメカニズムを備えていたことは驚くべきことであり、それまでのように大型車のスケールダウンではなく独自の設計から生まれたことも高く評価できる。 1936年

情報所有館 : トヨタ博物館 


シトロエン11B Citroën 11B

1920年代、通称5CVで大成功を収めたシトロ工ンは1934年に前輪駆動システムを採用した7CVを発表。わずかに遅れて主力である11Bを加えた。シトロエンはFF方式を導入したことで低重心を持つボディ設計を可能にしたばかりか、ワイドトレッドやモノコックボディ、前輪独立懸架など斬新なメカニズムも採用。これらがもたらすロードホールディングは当時のスポーツカーをしのぐものであったし、安定性や乗り心地のすばらしさは、のちのフランス車の特色になったのである。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


モーリス エイト シリーズⅠ Morris Eight SeriesⅠ

1930年代に入ってからも、イギリス大衆車は他の欧州車に比べて、大きな進歩はみせなかった。1934年に発表された、このモーリス・エイトも、セパレートフレームにリジッドアクスル、サイドバルブエンジンなど、オースチン・セブンの時代からあまり変化していないのである。もちろんあまりスピードを必要としない国土や保守的な国民性が、複雑なメカニズムを否定したのかもしれないが、最大の要因は整備や手入れをオーナーにゆだねたことであろう。経済的に乗ることが実用車の本質であると考えたのである。 1937年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ(レプリカ) Volkswagen 38 Prototype "Replica"

ドイツでは、ヒトラーの掲げた「匡民車構想」をもとに国をあげて自動車の大衆化が行なわれた。国民車=VW、すなわちフォルクス・ワーゲンが誕生したのである。設計はいうまでもなくフェルディナンド・ポルシェが担当。頑丈なプラットフォームシャシー、スウィングアクスルによる4輪独立懸架、空冷水平対向4気筒OHV、そしてRR駆動の公式がこの時できあがったわけだ。販売は一定額を積み立てていく貯蓄販売という方法が採られたが、第2次世界大戦のため、民間にはほとんど渡らなかった。 1938年

情報所有館 : トヨタ博物館 


フォード モデルGPW(通称;ジープ) Ford Model GPW "Nickname, Jeep"

第2次世界大戦直前の1941年に軍用偵察や連絡を目的として生まれたいわゆるジープは、かつてわれわれの知らなかった新しい可能性を持つ自動車として、さまざまなかたちで人類に貢献した。たとえば、4輪駆動を使うことによって得られる不整地走破能力は生活や行動の範囲を広げたことをはじめ、自動車技術においても高く評価できる。乗用車のように美的な意識を持ってつくられたわけではないが、ボディ各部の機能を目的別にボルトオンしただけの合理的かつ経済的な構造は純粋な機能美を持っているのだ。つまりジープこそ、ヘンリー・フォードがモデルTで出したトランスポーターとしての自動車の機能を徹底的に追求した本来の姿であり、戦後のクルマづくりの基本にもなっているのである。 1943年

情報所有館 : トヨタ博物館 


トヨダ AA型乗用車 Toyoda Model AA

1936年、トヨタ初の生産型乗用車として誕生。当時流行のストリームラインをいち早く採り入れ、理想的な前輪荷重やすぐれた乗り心地を実現したことはきわめて先進的であり、海外とくらべても一歩先を行くものであった。また、生産合理化を進め、自社の技術開発に努めて完成させたことは、歴史的にも大いに注目できるし、当時の自動車生産にも大きな自信を植えつけることになったのだった。 1936年

情報所有館 : トヨタ博物館 


トヨタ AB型フェートン Toyota Model AB Phaeton

AA型乗用車をフェートン形式(幌型)とした軽快なモデルで、スタイルの上では遊びの部分さえ感じさせるが、そのほとんどは陸軍に納められ、一般の手にはあまり渡らなかった。軍用に関してはABR型と呼ばれたが、試作を含めると3種類のタイプが存在。ボディデザインはAA型とはまったく異なる。このタイプは1936年から45年までのあいだに353台が生産され、発売当初の価格は3,300円であった。 1936年

情報所有館 : トヨタ博物館 


筑波号(ダットサンの競合車 東京自動車製造株式会社製) Tsukuba

国産初の前輪駆動車は、オートレースで活躍した川真田和汪氏が1931年に製作した「ローランド号」といわれている。その改良発展型である「筑波号」は、1935年から3年間、東京自動車製造(株)により、セダン、幌型、トラックの3車種かおよそ130台生産された。なお、車名は関東の筑波山に由来している。(大村正敏氏より借用) 1935年

情報所有館 : トヨタ博物館 


トヨタ AC型乗用車 Toyota Model AC

1938年には早くもAA型に続く新型車の設計がスタート。陸軍の要望も含めてAC型として落ち着き、1943年3月から生産に入った。基本的にはAA型と変わらないが、グリルやフロントウインドウを変更した。B型エンジンを搭載してパワーアップを図ったことやインチからミリ寸法に切り換えたことが大きな特徴である。乗用車製造禁止の'44年2月までと、戦後初の外国貿易代表団の足として組み立てられた50台を含めても生産台数は115台にすぎないが、戦後初の国産乗用車である。 1943年

情報所有館 : トヨタ博物館 


トヨペット SA型乗用車 Toyopet Model SA

小型車部門への進出構想からトヨタも1947年、1リッタークラスの小型乗用車SA型を送り出した。流体力学を応用したスタイルもさることながらバックボーンフレーム構造や4輪独立懸架など斬新なメカニズムを多く採り入れ、2ドアを標準としたオーナードライバー向けである。また、発売するに当たり一般公募で決定した「トヨペット」の愛称は、1949年に商標登録されて以来、多くの人々に親しまれて現在に至る。 1951年

情報所有館 : トヨタ博物館 


トヨペット スーパー RHN型 Toyopet Super Model RHN

1953年、それまで1000ccであった小型車規格が1500ccまでに引き上げられたのに合わせて発表されたのがトヨペットスーパーである。Sシリーズから20HPもパワーアップが図られ、性能は格段に向上し、おもにタクシーとして活用された。ボディスタイルは新三菱重工でつくられたこのRHN型のほかに関東自工製のRHK型も存在。トヨタの主力モデルとなったのである。 1953年

情報所有館 : トヨタ博物館 


前の50件 (4151-4200/26350)    次の50件