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《銘》 無銘 《材質》 鋼/不明(散孔材)/鉄/カシ/不明(針葉樹) 《寸法》 幅537×長732×厚・高85 mm 《時代》 不明 《産地》 中国
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《特記》 八角型/口掛/三つ入子枡,勇(駒形枠)地模様 《銘》 無銘 《材質》 鋼/鉄/サクラ 《寸法》 幅100×長290×厚・高29 mm 《時代》 昭和20~50年(1945~1975) 《産地》 新潟
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《特記》 角型/口掛 《銘》 不明 《材質》 鋼/鉄/アカガシ 《寸法》 幅79×長310×厚・高23 mm 《時代》 昭和20~50年(1945~1975) 《産地》 東京
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《銘》 <切>山彦 《材質》 鋼/鉄 《寸法》 幅27×長75×厚・高23 mm 《時代》 昭和20~50年(1945~1975) 《産地》 東京
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《特記》 難聴型/両面 《呼称寸法》 3寸2分 《銘》 <印>登録 紀宣(瓢箪枠) 《材質》 鋼/鉄/エンジュ 《寸法》 幅100×長617×厚・高223 mm 《時代》 昭和元~16年(1926~1941) 《産地》 国内
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《特記》 筑前型/割込 《呼称寸法》 3寸9分 《銘》 <切>□高 《材質》 鋼/鉄/アカガシ 《寸法》 幅72×長638×厚・高30 mm 《時代》 不明 《産地》 国内
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《特記》 片刃・右使い 《銘》 <印>象山 《材質》 鋼/鉄/クルミ 《寸法》 幅126×長500×厚・高31 mm 《時代》 不明 《産地》 中国
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《銘》 <切>昭和七年太郎作 <裏切>昭和二十一年二月二十五日/戦災火中尓入/父再やきす時七十三歳 《材質》 鋼/鉄 《寸法》 幅22×長192×厚・高3 mm 《時代》 昭和7年 《産地》 国内
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《銘》 <切>矢笛 千代鶴是秀作 《材質》 鋼/鉄 《寸法》 幅17×長206×厚・高9 mm 《時代》 大正元~昭和16年(1912~1941) 《産地》 東京
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《特記》 戸前 《銘》 <注記>この品は京都市右京区向ノ地町通称中山/(カ正本山)の山中戸前層より産出した/優秀品です/昭和五十九年三月 畑中記す 《材質》 岩石 《寸法》 幅75×長206×厚・高32 mm 《時代》 不明 《産地》 京都
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《特記》 あいさ 《銘》 <注記>この品は京都市右京区向ノ地町通称中山/(カ正本山)の山中、あいさ層より産出した/優秀品です/昭和五十九年三月 畑中記す 《材質》 岩石 《寸法》 幅74×長207×厚・高48 mm 《時代》 昭和59年 《産地》 京都
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《特記》 巣板 《銘》 <注記>産地京都府亀岡市馬路町字水木原壱番/地/大平スイタ仕上砥/採掘元日本砥石砿業株式会社 《材質》 岩石 《寸法》 幅80×長218×厚・高67 mm 《時代》 不明 《産地》 京都
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《銘》 <注記>産地京都府亀岡市馬路町字水木原/壱番地/大平仕上砥石/採掘元日本砥石砿業株式会社 《材質》 岩石 《寸法》 幅75×長202×厚・高42 mm 《時代》 不明 《産地》 京都
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《特記》 台,蓋付 《銘》 <台切>昭和六年十月求之/聖雲/[花押印] 《材質》 岩石/ヒノキ/キリ 《寸法》 幅83×長299×厚・高94 mm 《時代》 不明 《産地》 京都
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《特記》 馬追刃広/頭鋼付 《呼称寸法》 6寸6分 《銘》 <印>[隅入角枠に五様](陰印) 《材質》 鋼/鉄/カシ 《寸法》 幅325×長885×厚・高35 mm 《時代》 不明 《産地》 高知
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《銘》 <切>祐政 《呼称寸法》 3寸8分 《材質》 鋼/鉄/カシ 《寸法》 幅260×長820×厚・高50 mm 《時代》 不明 《産地》 高知
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《特記》 去手斧 《呼称寸法》 3寸7分 《銘》 無銘 《材質》 鋼/鉄/カシ 《寸法》 幅347×長1014×厚・高40 mm 《時代》 不明 《産地》 国内
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《呼称寸法》 1尺7寸5分 《銘》 <印>登録商標 原本改 《材質》 鋼/キリ 《寸法》 幅390×長850×厚・高47 mm 《時代》 不明 《産地》 兵庫
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《呼称寸法》 1尺7寸2分 《銘》 <切>九左門□ <裏切>別鋼請合 《材質》 鋼/タラノキ 《寸法》 幅340×長860×厚・高50 mm 《時代》 不明 《産地》 滋賀
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《特記》 角型 《呼称寸法》 1尺6寸5分 《銘》 無銘 《材質》 和鋼/タラノキ 《寸法》 幅217×長795×厚・高30 mm 《時代》 不明 《産地》 国内
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《特記》 角型 《呼称寸法》 2尺 《銘》 <切>会津東打/ 四代目中屋□□請合作[花押印]/大極上<印>登録商標/金牌受賞 《材質》 鋼/タラノキ 《寸法》 幅210×長1040×厚・高41 mm 《時代》 明治27~大正15年(1894~1926) 《産地》 福島
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《特記》 角型 《呼称寸法》 1尺4寸 《銘》 <切>中谷□□作/請合 《材質》 鋼/タラノキ 《寸法》 幅140×長640×厚・高32 mm 《時代》 《産地》 国内
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《特記》 天王寺型 《呼称寸法》 2尺2寸 《銘》 <切>中屋吉蔵作 <印>山形国の光□山形県最上郡及位駅前/特製安来鋼黄紙 《材質》 鋼/タラノキ 《寸法》 幅270×長1000×厚・高45 mm 《時代》 昭和20~50年(1945~1975) 《産地》 山形
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《呼称寸法》 1尺8寸 《銘》 <印>登録商標□ <裏切>難波 《材質》 和鋼/タラノキ 《寸法》 幅380×長860×厚・高48 mm 《時代》 不明 《産地》 大阪
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ガソリン自動車の第1号は、各国でさまざまな説があるが、いちおうベンツが1886年につくった3輪自動車といわれている。小型で軽量なエンジンを開発していたカール・ベンツは、これを馬車に代わる新しい乗り物に用いることを考えたが、操舵性に問題があり、はじめ3輪車を設計、ティラー(棒ハンドル)で前輪を操向する方法でこれを解決した。リアアクスルの上におかれた工ンジンは水平単気筒、時速15kmの走行が可能で、デフを備えていた。 1886年
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3輪車を一歩進めて4輪車の設計を開始したベンツは、まずキングピン式の前輪操向システムで、1893年にドイツ帝国の特許を取得。これを採用してつくられたベンツ最初の4輪車が“ヴィクトリア”であり、ひと回り小さい“ヴェロ”は1894年に発売された。フライホイールが垂直になるようにエンジンがセットされ、プーリーとベルトによる2段変速機からデフを介してチェ-ンで後輪を駆動、時速21kmで走行できた。 1894年
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パリのド・ディオン・ブートン社は1883年からスチームカーを生産していたが、1895年からガソリン車に転向。軽量で信頼性の高いエンジンを開発し、先ず三輪車に搭載、その機動性、低価格でたちまちヨーロッパ市場で最もポピュラーな車に仕上げた。1898年には前部に客用シートを備えた改造四輪車も追加。しかし市場からの乗車定員増、乗客の安全性、快適性等の要求には応えられず、次第に市場を失い、三輪車、改造四輪車ともに1903年には生産が打ち切られた。 1898年
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オールズモビルも1890年からつくっていた蒸気式3輪自動車に代わってガソリン自動車を1895年に完成させたが、注目すべきことは1901年に発表したカーブドダッシュで、世界初の大量生産方式を採ったことだ。1902年には2500台、1903年には4000台、1904年には5000台が売られ、当時のヨーロッパ最大のメーカー、ド・ディオン・ブートン社の年間1200台の生産台数と比較しても、この数字の重要性がよくわかる。 1902年
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当時のパイオニアカーのほとんどが馬車や自転車などの影響を受けて、まだ駆動系のレイアウトや機構は“馬なし馬車”そのものであった。この点からすれば、1899年から自動車製造を開始したパナール・ルヴァッソールかダイムラーの鋼製自動車(1888年)をヒントに考案して、1891年にパテントを取得した機構が自動車技術の基礎を築いたことになる。いわゆる最先端に置かれたエンジンの後方に、クラッチ、トランスミッションを縦一列に配し、ドライブシャフトとデフ機構を介して後輪を駆動させるFR方式を採った最初の自動車なのである。このモデルは、初期のティラー式から、すでに円形ステアリングホイールと傾斜したステアリンクコラムを持ち、アッカーマンの方式を採用している。 1901年
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ピストル製造で有名なコルト社出身の精密技術の権威ヘンリー・M・リーランドはデトロイト・オートモビル社を経て、1902年にキャデラック社を創立。最初に完成したのが“モデルA”である。設計はデトロイト・オートモビル社時代のヘンリー・フォード。エンジンはリーランド&フォークナー社がオールズモビル用に生産していた水冷単気筒で、これに遊星ギアを組み合わせ、前進2段と後退1段のギアボックスを備える。ラジエターは熱気が乗員に当たらないように、やや引っ込めて取り付けているのが特徴で、フレームは鋼鉄製、量産体制もこの時できあがっていた。 1902年
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ガソリン自動車の普及がはじまっても、アメリカでは長い間、電気自動車がつくられた。それは、やはり1895年にジョージ・ウィリアム・セルデンが取った自動車そのものに対するパテントのため、ガソリン自動車をつくるためにはロイヤリティを支払わなければならなかったからだろう。しかし、もうひとつ考えられる理由は、静かで、排気ガスもなく、始動時にクランクを回す必要がないという電気自動車の利点によるもので、事実、女性には人気があったという。ベイカー・エレクトリックは1899年から1915年まで続いた有名な電気自動車で、1馬力のモーターから時速40kmの走行が可能。各部にボールベアリングを多用し、初めて駆動系にベベルギアを採用したことでも有名である。 1902年
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スタンレー社は、1897年に蒸気自動車をつくりはじめ、年々改良を加え大成功を収めた。1905年からのこの特徴的なボンネットスタイルはフロントにボイラーを置き、ウォータータンクで囲ったことから生まれ、エンジンは中央の床下。簡単なスライドバルブがついた2気筒で、ギアボックスはなく、スパーギアで直接車軸を駆動する。スタンレースチーマーは静かで、振動も少なく、トルクフルで扱いやすく、しかも高速で走ることができるなど利点も多く、1927年までつくられた。ちなみに、1906年、フロリダのオーモンドビーチで時速127.66マイルを出して世界記録をつくったことでも、その足の速さは理解できる。 1909年
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大量生産システムによるコストダウンや運転を簡素化する数々のメカニズムで大衆化を果たしたフォード・モデルTは、1908年のデビューから1927年までの間に1500万7033台も生産された空前のベストセラーカーであった。アメリカはもちろん全世界の足になったばかりでなく、モデルTなしに自動車史は語れないほど大きな影響を与えた。モデルTで注目すべきは、遊星ギアのトランスミッションをより実用的なものにしたことだ。ドラムにブレーキをかければ変速を開始する独特な機構は現代のオートマチックに似たもので、扱いやすく、当時のノンシンクロのギアをコーンクラッチで操作する変速のわずらわしさから人々を解放した。1909年初頭までは2ペダル方式を採り、前進、後退はレバーで行なったが、このモデルTからは3ペダル方式を採用。リバースは真ん中のペダルで行なう。 1909年
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ヘンリー・ロイスとC・S・ロールスは1904年、完璧な自動車をつくるためRR社を創立。徹底した製品管理のもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表した。この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー~ロンドン間を昼夜ノンストップで延ベ1万5000マイルをほとんどトラブルなしに走破。幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から“シルバーゴースト”と呼ばれるようになった。こうした信頼性とともにシルバーゴーストの軽量かつ耐久性の高いシャシーは高く評価され、第1次世界大戦では装甲車などの重いボディを架装して熱砂の戦場を駆けめぐったことでも、その性能の高さは実証されている。もちろんシルバーゴーストは高価であることは間違いない。しかし、高い品質を持った量産車として、フォード・モデルTと行き方は違うが、高級車の源流になったのである。 1910年
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イタリアの伝説的な最高級車イソッタ・フラスキーニは、4輪ブレーキ(1910年採用)やSOHC8気筒エンジンの先駆者として、またモータースポーツでの活躍も目覚ましいものがあった。このタイプⅠは1907年にはコッパフローリオを勝ち取ったほか、1908年のタルガフローリオで勝利を飾るなど、多くの栄光を残している。また、英国のアストン・マーチンもここから生まれ、若き日の工ンツォ・フェラーリやアルフィエーリ・マセラーティもここのドライバーを経て、巣立っていったのである。 1908年
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1902年から2気筒小型ラナバウトの生産をはじめたトーマス社は、当時のアメリカでもっとも有名で大きな自動車メーカーのひとつであった。1905年からは4気筒40/50HPや6気筒60HPのシャシーでレースアバウトからリムジンまでさまざまなモデルをつくったことでも有名である。なかでも展示車両6気筒Lモデルは、やや小型かつ比較的安価なことから非常に人気があった。しかしトーマス社を一躍有名にしたのはモデル35・フライヤー6気筒72HPがニューヨーク~パリレースで優勝したことであろう。この時、ウラジオストックヘ渡る途中わが国を経由した事実も興味深い。 1909年
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スペイン王室とも深い結びつきを持ち、多くの伝説に彩られるイスパノスイザは想像を絶する豪華車でも有名だが、第1次世界大戦前は積極的にレースヘ参加、1910年のクープ・デル・アウトで初の勝利を手にした。このプロトタイプはタイプ15Tと呼ばれ市販されるが、第1号車をスペイン王アルフォンソ13世に王妃が贈り物としたことから“アルフォンソXⅢ”の名で知られるようになった。しかも、レーシングカーをデチューンして生まれた優れた性能や軽快な操縦性から、史上初のスポーツカーともいわれている。 1912年
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スタッツはアメリカのスポーツカーを語る上でなくてはならない存在である。1911年の1号車からインディアナポリス500マイルレースに出場。その直後に送り出した市販車からスポーツタイプだった。なかでも、多くのレースで勝利を収めたスタッツでもっとも有名なモデルが、1914年に発売されたペアキャットであろう。ベアシャシーの上にバケットシートと枕型のガソリンタンク、スペアタイヤを備えただけの風防すら持たない、簡素かつ野性的なロードスターは人気が高く、1925年まで生産は続けられた。 1914年
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第1次大戦中は軍の高官用自動車をつくっていたサンビームも、終戦と同時にツーリングカーの生産もはじめた。とくにレース活動では進歩的なツインカムをいち早く採用したことで脚光を浴びた。1922年にはブルックランズで時速215.25kmの驚異的なスピード記録を樹立したほか、1923年になると有名な3リッターツインカムでスペインGPに優勝するなど、スポーツカー王国イギリスの基礎を築いたのである。1922年のストラスブールGPのために4台だけ製作されたこ2リッターGPもツインカム機構や前輪ブレーキを備えたGPマシンとして戦闘能力の高いモデルであった。 1922年
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エットーレ・ブガッティの作品のなかで、もっとも有名なタイプ35は量産レーシングスポーツとして大成功を収め、世界中を驚嘆させた傑作である。それはエットーレの独創性から生まれ、レーシングカーの持つ機能美を徹底的に追求し、各部品の調和まで考え、自動車を芸術ともいうべき造形に変えてしまったのだ。しかもタイプ35は美しいだけではない。ブレーキドラムと一体鋳造したアルミホイールや運動性能の高いシャシー設計などメカニズムの点でも大いに注目できる。タイプ35Bは、1924年から30年までつくられた35シリーズのなかでもスーパ-チャージャーを装備した高性能モデルである。 1926年
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