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平釜では、鹹水を煮詰める際に発生する蒸気は、大気中に拡散してしまっていたが、この蒸気を逃さず、その熱も鹹水の加熱に有効利用するようにしたのが蒸気利用式塩釜である。平釜に比して石炭使用量は半減し、大量生産が可能になった。昭和初期から30年代にかけて広く使われた。
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塩を高温加熱して塩化マグネシウムを酸化させたものを焼塩という。これは吸湿性を低下させ運搬をたやすくしたもので、その際に用いた湯呑み程度の大きさの壷が焼塩壷である。焼塩は進物として用いられたらしく、箱書きには「泉州 堺」とあるものも見られる。これは瀬戸内沿岸で製造された塩が堺を経由して各地に運ばれていったためだが、ブランドとして表記された可能性も否定できず、必ずしも産地を特定するものではない。
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1872年にニューヨークで売り出された足踏みエンジンはむし歯の治療、歯の清掃・研磨、歯科技工の作業などに用いられた。それ以前にも個人的には使われていたが、公表はされなかった。日本にも明治初期(明治12・3年頃)輸入され、盛んに使用し、国産でも作られるようになった。日本では歯科技工用を含めると、1955(昭和30)年頃まで使われていた。展示品の本体は1900年頃のものと思われる。狭い口腔内で作業をするので、歯科医が把持する部分の機器は交換が可能になっている。その交換部品(ハンドピース)のうち当館には1890年特許のS.S.ホワイト社ライトアングル及びコントラアングルなどがある。 年代:共に1900年頃
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1900年頃の治療室は歯科用椅子にうがいをした水を吐く“唾吐き”が付いており、足踏みエンジンが置いてある程度だった。その頃アメリカのリッター社はDistributing Panelを発売した。これは歯科治療に必要な電機系を板上にまとめた歯科用ユニットの原形である。また、その頃の建物の壁面には電気の配線はされていなかった。当博物館にはDistributing Panelが展示してある。それ以後これを基として歯科用ユニットが開発された。このPanelは非常に数少なく珍しいものである。エアーコンプレッサーと連結され、温度調節可能なエアーシリンジ、電気焼灼器、照射ランプ、時計などが備えられている。年代:1900年頃
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歯科用設備はアメリカで発達した。当博物館にはアメリカのS.S.ホワイト社、1915(大正4)年に発売された歯科用ユニットが展示してある。スピットン(唾吐き)は排水管と連結され、電燈、電気エンジン、ブラケットなどが組み込まれている。年代:1915年
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昭和中期のユニットで日本のモリタ社。1957(昭和32)年製。エアータービンはまだ付属していない。戦後の日本の技術力を示したものであった。年代:1957年
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足踏みエンジンに代わってモーターの回転を利用して歯や骨を切削出来るセットが発売された。これは世界中の歯科医により使われるようになった。回転数は12000回転くらいまで上がった。当館のスタンド型の電気エンジンは初期のものでリッター社、4000回転。1918(大正7)年に特許を取っている。大正7~8年頃の製品である。他にユニットに取り付けたもの数個ある。年代:1920年頃
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W.C.レントゲンによりレントゲン線が発見されたのは1895(明治28)年である。当博物館にある装置は1921(大正10)年製のもので装置として初期のものである。高圧電流が流れる線が露出しているタイプである。アメリカ、リッター社製。年代:1921年
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歯科の治療用の専用の椅子が普及したのは1800年代の後半のことである。当博物館には大正時代に製造されたアメリカ・リッター社製の歯科用椅子が展示してある。それ以外の歯科用椅子も展示してある。年代:1910年頃
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