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妻を見守るウィリアム・リーの写真

イギリスの牧師補・ウイリアム・リーは、世界で最初に靴下編機を開発した(1589年)。当時盛んであった手編み靴下を作る妻を眺め、開発を決意したと云われている。絵画はA・エルモアが描いたもので、ノッチンガム博物館に保存されている。 年代:1589

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


17世紀頃の靴下編機の写真

ウィリアム・リーが開発した編機。独創的で、手編みと違い、靴下を編む早さは驚異的で、奇跡の発明と云われた。これを機に、イギリスを中心に開発が進み、ヨーロッパ各地でメリヤス産業が大きく成長した。開発機の面影を残すものが、東京農工大学(東京都小金井市)の科学博物館に展示されている。 年代:1589

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


武士の内職図

下級武士のメリヤス手編み図。江戸時代の中期以後になると、下級武士の内職が盛んになり、各地に特産品・名産品が生まれ育った。メリヤス編みも武士の内職で、手袋・足袋・紐・袋等が編まれていた。 年代:江戸中~後期

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


明治の靴下編機のパンフレットの写真

明治初期の靴下編機のパンフレット。明治時代になって、陸軍の軍服・軍帽・軍靴化が進み、その大半が輸入で賄われていた。軍靴の需要が急激に進み、靴下の開発が急がれ、1870年(明治3年)に手動式の靴下編機が輸入された。この翌年の明治4年に靴下を生産する工場が東京築地に完成し、工業化された。 年代:明治初期

情報所有館 : ナイガイ靴下博物館 


A46片側四挺杼

四挺の「杼」(ひ)を搭載できる「杼箱」を左側に搭載した自動織機。「杼」とは、布のヨコ糸をタテ糸の間に通す道具のことで、この織機には4本の「杼」が搭載され、格子柄(チェックのサロン柄)を織ることができた。また、複雑なヨコ縞の柄をプログラムする「カード」節約装置も搭載していた。 年代:1955年代

情報所有館 : スズキ歴史館SUZUKI PLAZA 


杼箱上下器 搭載織機(復元)

1911年に創業者鈴木道雄が発明した「杼箱上下器」は現存するものがなく、実用新案の登録書類のみが残っていた。この織機は、その登録書類をもとに「杼箱上下器」の原理を裏付けるために復元した「足踏織機」である。ベースとなる足踏織機は「浜松市博物館」所蔵の織機を参考とした。 年代:1910年代

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A44一挺杼自動織機

当館に保管されている「鈴木式織機」で最も古い自動織機。搭載できる「杼」が1本だけのタテ縞の布を織るための織機だが、44インチ(約112cm)幅の布を織ることができた。当社発展の原動力となった四挺杼自動織機(サロン織機)の先駆けのモデル。 年代:1930年代

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A60片側四挺杼自動織機

洋装文化の影響で鈴木式織機にも、今まで以上に幅の広い布を織る織機が登場する。この織機では60インチ(約152cm)幅の格子柄を織ることができた。この時代は、戦争の影響で織機以外の軍需品の生産をすることもあったが、焼け野原の中で迎えた終戦を機に、本来の織機製作へと復帰していった。 年代:1940年代

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A66自動織機(ジャカード機)

ジャカードとは、模様をプログラムした「紋紙」でタテ糸の動きを自動制御するシステムのことで、ジャカード織機は、複雑な模様を自動で織り込むことができた。紋紙には穴が空いており、この穴の数と位置によって模様をプログラムした。ジャカード織機は、フランス人のジョセフ・マリー・ジャカールが発明したもので、1801年にパリの産業博覧会で発表された。 年代:1950年

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A44片側四挺杼自動織機

この四挺杼織機には、鈴木式織機製の「ドビー」という装置が付いている。ドビーとは、タテ糸を上下に開口させる開口装置の一種で、この装置付きの織機で織られた生地には、生地そのものに立体感や風合いが生まれる。ジャカードに比べると、比較的単純ではあるが、規則正しく連続した幾何学模様を織り出すことが得意な織機だった。 年代:1950年

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