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水指に仕立てた広口瓶である。肩と胴部を区切るように2条の線文をめぐらし、肩には鋸歯文の山形、胴には簾状の破線文を 篦で描いている。器形と文様は、阿蘭陀水指のアルバレロ形壺を意識したものではあるまいか。器内外には土灰釉を薄く掛け、さらに口縁部から流した藁灰釉が 灰褐色の器面に白く、けしきを添えている。内底には三足付ハマの熔着痕がみられる。底部は無釉であり、高台内には「小代」の丸印と「牝小路(ひんこう じ)」の角印がみられる。 :肥後・小代窯 牝小路窯 / 18世紀末~19世紀前半
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上野皿山本窯は田川郡赤池町上野で寛永2年(1625)に開窯し、細川藩政から小笠原藩政を経て、明治4年(1871) の廃藩置県とともに御用窯としての性格を失う。「上野三彩」は江戸後期の新しい技法で、碗の内外に紫蘇釉(しそゆう)と呼ぶ黒に近い暗紫色や黒に発色する 釉を施し、その上に黄釉・銅緑釉・白釉をイッチン掛けの手法で流し散らす。椀形の茶碗は、胴部を指で凹ませ、高台は裾広がりに削り出す。 :豊前・上野窯 上野皿山本窯 / 18世紀
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精密な細工による龍耳をつけた広口の花生。染付で胴の上方に龍、下方には麒麟を描く。背面には頭を後方に向けた同様の龍 と麒麟を配す。19世紀の三川内焼は染付の描写と白磁のひねり細工が精巧を極め、しばしば両者を組み合わせた製品が作られている。絵書きと細工は分業であ るため別人であるが、いずれもおとらぬ技術力を有している。口縁部のリンボウと呼ばれる連続文は、三川内焼の碗や花生などに多用された特徴ある文様であ る。 :平戸・三川内窯 / 19世紀
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若松の間に群れ遊ぶ9匹の馬が描かれ、蓋には白磁の馬形のつまみがつけられている。白く精良な素地に明るい呉須で染付さ れ、余白のとり方も軽快でバランスがよい。水指の肩下には段がつけられ、形を引き締めている。口縁部の連続文は、丸文をはさんだ瑶珞ふうの文様で、成形、 絵付ともに技術的に優れ、19世紀の三川内焼の水準の高さがうかがえる。 :平戸・三川内窯 / 18世紀後半~19世紀前半
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藁灰釉を厚く掛け流した小壺には、豊かに張った胴から腰にかけて、轆轤による篦削りの跡が意識的に残されている。このた め施釉部分は、白の微妙な陰影が線条文を生みだし、さらに茶褐色に発色した口縁部と無釉の底部から高台にかけての荒削りな素地の暗褐色が器の天地をまとめ て、水指の風格を生む。かつては「斑唐津」とされたが、福岡県直方市の内ヶ磯窯跡の発掘調査により、筑前・高取焼の初期の伝世品と考えられるようになっ た。 :筑前・高取窯 内ケ磯窯 / 1610~20年代
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口縁部は短く立ち上がり、口唇部は露胎になっている。胴部には、一方に萩とみられる植物、他方に薄とみられる植物を描 き、秋の野辺を思わせる風情である。胴部内外面には半透明の釉薬が施され、細かい貫入がみられる。底部は露胎になっており、明瞭な高台を形成せず、浅い刳 り底になっている。萩文は武雄市小山路窯跡、伊万里市道園窯跡などの出土陶片に類例がみられる。 :肥前 / 1590~1610年代
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内面に3種類の果実(柘榴(ざくろ)・桃・仏手柑(ぶっしゅかん))を描いた皿である。呉須で果木や果実の外形を描いた のち黄色・赤色・青緑で上絵付を施す。口縁部内面は、圏線の間に赤色で龍が描かれ、部分的に黄色を施している。口縁外面は、1本の茎をもつ唐草文が描かれ る。高台内には圏線がめぐり、二重方形枠内に草書体をさらに崩した「福」字銘を書き、ハリ目跡が5ヶ所に残る。俗に“柿鍋”と称され、類例に「延寶年製」 の銘を持つものがある。 :肥前・有田 南川原山 / 1670~90年代
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瓶の口部を杯状に成形した珍しい器形である。なかに水を入れ、火皿と吸い口をとりつけて喫煙用の水パイプに使用するもの である。胴には八方に輸出品にしばしばみられる図案化された花文が表されている。この花文をもち肩部に穴のあいた玉子形の水パイプ瓶がハンブルク美術工芸 博物館に所蔵されている。盃状の口部、頸部、胴部の花文の上下に唐草文を表す。底部は碁笥底風に削り込まれ、畳付のみ無釉とする。 :肥前・有田 / 1670~90年代
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長い頸と乳首型の注口に特徴のあるこのような器形の水瓶はケンディ(Kendi)と呼ばれる。水飲み用の容器で、水は容 器を傾けて注口から口に受けるようにして飲まれる。東南アジアの土器に原形があり、この独特の丸い乳首状の注口のついた器形は、中国陶磁では16世紀末に は作られ、東南アジアなどに輸出されている。このケンディは型押しによって成形されており、両面には布袋が表されている。頸部は緩く面取りされ、高台畳付 は施釉後に削られている。 :肥前・有田 / 1655~70年代
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網田焼は、寛政5年(1793)に開窯し、肥後藩の皿山会所が廃された文政10年(1827)までの間に、とりわけ上手 のものを焼いた。轆轤成形後、型に押しあてて牡丹の花形に作った白磁の深皿は、花弁に走る葉脈まで克明に表現し、器の外面は手彫りで簡潔に仕上げる。高温 で焼成した器には焼ひずみがあるが、淡い青味を帯びた釉調が美しく、牡丹の花をひきたてている。高台内に「肥後宇土郡網田山製」の染付銘を記す。 :肥後・網田窯 / 1790~1820年代
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