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日産自動車は1997年(平成9年)に7年ぶりにワークス体制を敷き、GTマシンであるニッサンR390GT1GTを開発。ル・マン24時間レースに復帰しました。エンジンはV型8気筒DOHCツインターボ・3495ccのVRH35L型で、最高出力650馬力以上を誇りました。ル・マン24時間レースの復帰初年は、最高位が総合12位という残念な結果となりましたが、翌1998年(平成10年)には出走した4台すべてが完走を果たし、総合3位、6位、10位の獲得に加えて、ゼッケンNo.30の本車両が予選10位から決勝へ挑み総合5位に食い込み、全車10位以内で完走し、その信頼性の高さを実証しました。年代:1998
情報所有館 : 日産ヘリテージコレクション
市販乗用車をベースにしたマシンで、「ラリーの日産」と称される黄金時代を築くばかりではなく、SUV型の車両で挑むラリーにも日産自動車は積極的に参戦してきました。このテラノは、1995年(平成7年)に誕生した2代目モデル(R50型系)をベースに、2000年(平成12年)に開催された第6回ラリーレイド・モンゴルに参戦。スカイラインGT-Rなどで輝かしいレース成績を誇る、長谷見昌弘選手と息子の長谷見智之の組で出場しました。首都ウランバートルを起点に、3583km以上にもおよぶコースが設定された同大会において、2位のマシンに4時間もの大差をつけて2年連続の総合優勝とTI(市販ガソリン車無改造)クラス優…年代:2000
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レースに勝つために生まれたスカイラインGT-Rは、1999年(平成11年)1月に誕生した5代目(R34型)においても、そのポテンシャルの高さをいかんなく発揮しました。本車両は、そのデビューイヤーに開催された全日本GT選手権(JGTC)のシリーズ全6戦において、熟成されたレース仕様のRB26DETTエンジン(最高出力500馬力)や、シャシー性能などを武器に、常に安定したハイポテンシャルを発揮。見事にシリーズチャンピオンの座を射止め、前年に出走していた3代目(R33型)に続き、2年連続の王座を獲得しました。なお、市販仕様の同車はFR(フロントエンジン・リヤドライブ)を基本に、必要に応じて駆動力を…年代:1999
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90年を最後に中断していた日産ル・マン挑戦は'95年、ニスモ(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)によって再開され参戦、しかし、スカイラインGT-Rの改造だけでは上位入賞は困難でした。そこで、'96年ル・マンでは、最新だったスカイラインGT-R(R33型)を大幅にモディファイしたル・マン専用GTカー「NISMOGT-RLM」を製作して挑むこととなりました。しかし、ル・マン24時間レースには「GTクラスに出場する車両は一般公道を走行できる車両が存在しなければならない」という規定がありました。このため、ニスモは「NISMOGT-RLM」のベース車となるロードカーを制作、英国で…年代:1996
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スカイラインGT-R(R33型)でのル・マン24時間レース参戦は、1995年(平成7年)と翌1996年の2年間に及びましたが、これを引き継ぐマシンとして誕生したニッサンR390GT1も、出走資格である主催団体の公認を取得する必要がありました。そのため、一般公道を走行する際に必要な安全装備を施すなどして、実際に登録を行いホモロゲーション(レース参戦資格)を得る為に作られたのがこの記念車です。一般への販売は行われませんでしたが、もし市販化されたら1億円は下らないだろう、という噂が当時のレースファンの間ではささやかれたモデルでもあります。年代:1998
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日産自動車は、1986年(昭和61年)にル・マン24時間レースに初挑戦しましたが、ニッサンR390GT1で参戦した1998年(平成10年)は、ベストな結果を得られた記念すべき年でした。出走した3台すべてが完走を果たし、うち2台が総合5位と10位でチェッカーフラッグを受け、3人の日本人名ドライバーがステアリングを握りました。「元祖・日本一速い男」の星野一義、後にF1ドライバーとなった鈴木亜久里、当時の若手ナンバーワンドライバーであった影山正彦が駆るこの32号車は、予選14番手からスタート。当時1周13km以上のコースを347周して見事総合3位を獲得したのです。本車両は、日産自動車のル・マン24…年代:1998
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日本を代表する高級車として、長きに渡り愛されたセドリック。名プロ野球プレイヤー・長嶋茂雄さんが結婚した1965年(昭和40年)の10月に、2代目モデルとなる130型が誕生しました。ハイウェイ時代、モータリゼーションの本格発展の到来を見据えた、流麗なボディスタイルは、「フローイングライン」と命名されました。これは、大自然の中で空気がつくりだす美しい流れをイメージしたものです。もちろん、高速走行性能はもとより、静粛性や安全性も大きく高められました。本車両のスペシャル6は、直列6気筒OHC・1998ccで最高出力を105馬力としたL20型シングルキャブレター仕様を搭載しています。年代:1966
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マイカー時代をぐいぐいと牽引した、通称「ゴーイチマル」こと3代目ブルーバード(510型系)は、1967年(昭和42年)に生まれました。前席サイドウインドウの三角窓を廃し、すっきりとしたフォルムは「スーパーソニックライン」と称され、多くのファンから愛されました。また、セダンのみならず、よりスポーティなクーペもラインナップして当時の若者たちの憧れにもなりました。この1600SSSクーペは、1969年(昭和44年)式です。エンジンは高回転性能にも優れる、最高出力100馬力の直列4気筒OHC・1,595ccのL16型を搭載しています。ブルーバードに設定されたSSSは、スカイラインのGTと同様に、日産の…年代:1969
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日産自動車のコンパクトカーとして、愛され続けているマーチ。初代モデルは、1982年(昭和57年)10月に発売されました。経済的で扱いやすいFF(フロントエンジン・フロントドライブ)、1,000ccエンジン、そしてファッショナブルなキャラクターで、行動的な女性を中心に人気を獲得していきました。記念車のコレットは、当時の最上級Gグレードをベースに、よりおしゃれで豪華な装備をプラスしたモデルで、さらに女性ユーザーから支持されることになりました。また、後にパンプス、i・Z(アイ・ズィー)など洗練された装備や仕様を採用した車種が、誕生するきっかけにもなったモデルです。エンジンは当時のリッターカーとしては…年代:1985
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世界でも屈指の過酷さを誇るフランスのル・マン24時間レースへの挑戦は、日産車の信頼性や先進性をより高める、価値ある実験の場でもありました。1998年(平成10年)に同レースへ挑み、過去のチャレンジも含めて日産最高位の総合3位を収めたR390GT1の32号車のレプリカモデルです。ベースとなっているのは同じレースで実際に走り、総合6位となった31号車のゼッケンやスポンサーカラーを変更したもので、搭載されているVRH35L型エンジン(V型8気筒DOHC・3,495cc、最高出力650馬力以上)など、メカニズムは同一の仕様となっています。年代:1998
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