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大正14年(1925年)、時の皇太子が大阪に行幸された際に侍従を当社の大阪工場に差遣されました。民間企業を視察いただくことは大変な光栄で、これを記念して日の御子(天皇)・日本国の日・日本ペイントの日をデザインし、世界へ飛躍の夢を託して制定しました年代:1925
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日本ペイントの前身「光明社」の創業者:茂木重次郎の胸像。明治12年(1879年)、無毒おしろいの原料:「亜鉛華」精製法を開発して以来、塗料の国産化に取り組み、各種塗料やその製法の研究に尽くしました。輸入品を圧倒、輸出振興に尽くした功労により、明治44年1月に緑綬褒章を受章され、これを祝して社員より贈られました年代:1911
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大正元年(1912年)、37歳の時に営業部長として入社。実業界での経験を活かして頭角を現わし、大正7年には取締役支配人に就任しました。大正9年世界恐慌の余波で窮地に陥った経営を一切任せられて、大改革を実行して建て直されたことから、「日本ペイント中興の祖」と称されました。昭和4年(1929年)緑綬褒章受章に際し、役員一同から贈られました年代:1929
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中興の祖:小畑源之助翁の次男として生まれ、昭和12年(1937年)当社に入社。昭和19年取締役就任以来経営の刷新に取り組みました。特に世界大戦で奪われた厳父の海外事業への夢を実現すべく積極的に取り組み、グローバル企業への礎を築きました、昭和56年勲3等瑞宝章受章に際し、社員一同からお祝いに贈られた立像です年代:1981
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当社創業に多大のご尽力があった海軍主船局の中川平吉塗工長が、明治14年(1881年)当社の前身「光明社」創業の年に自ら塗装された塗板見本で、事務所入口に衝立として使われていました。裏面には、艦船営需用塗具一覧として、大理石調・蝋石調・木目調など、30種の変わり塗り見本が貼られています年代:1881
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明治から大正時代にかけて、舶来塗料は主に28ポンド(12.5kg)丸缶で流通していました。国産塗料の鼻祖である当社は、市場で馴染まれている缶のサイズにするため空缶を再利用し、シェアが上がってくると同じ容量のブリキ缶を社内でつくりました。缶の内作は昭和のはじめまで続きました年代:1881
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明治15年、55歳の時に清国に渡り、てん書・隷書・楷書・行書・草書の各書体を極めたわが国の最初の人で、「書聖」と称されている中林悟竹先生《文正10年(1827)~大正2年(1913)》が、明治18年(1885年)当社役員宅での酒宴で、談論風発、興ずるにおよんで筆を振るわれたもの。木製看板に揮毫されたのは非常に珍しいものです年代:1885
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光明社時代に外国船の船長から、塗料納入のお礼に贈られ、貴賓室の応接テーブルとして使われてきました。特に下回りの彫刻が凝っており、船首像や船尾像を思わせる深い彫りになっています年代:1897
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大正9年、大戦後の恐慌のあおりを受けて多くの塗料販売店が窮地の陥りましたが、共存共栄を理念とした小畑源之助社長は、製販一体化の模範的な販売網を整備しました。この本箱は小畑社長が昭和4年緑綬褒章受章の際に、西日本の特約店会「大黒会」からお祝いの品として贈られたもので、長らく貴賓室に置かれていました年代:1929
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大阪工場の守衛室に大正初期(1912年頃)に設置され、昭和44年(1969年)の保安室移転に伴い、現役を退いたものです。長期間、親時計として構内全域の子時計を制御した標準時計です年代:1912
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