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石英系光ファイバの量産製法(VAD法)の開発に用いられた実験装置であり、得られた実験データが1977年7月に東京で開催された光 IC/ファイバ国際会議 (IOOC'77)でのVAD法発表のベースになった。今日では、世界の通信用光ファイバの約 60 %(日本では 90 %以上)がVAD法を基本として製造されていて、VAD法は2015年5月に「IEEEマイルストーン」に認定された。
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VAD法による長尺低損失単一モード光ファイバ製造が可能であることを初めて実証した記念碑的な光ファイバである。1980年11月のNTT茨城研究所の20周年記念の施設案内日に間に合うように開発され展示された。その後の全合成単一モード光ファイバの実現を含むVAD法の発展と普及の先駆けになった。
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1974年夏、SI型多モード光ファイバ心線(米国Corning社製)を用いて、4心光ファイバケーブルの試作、現場布設、接続試験が行なわれた。架空 200 m、地下 200 mの布設で、地下マンホール内での現場接続にも世界で初めて成功した。試験結果は1975年の第1回欧州光通信国際会議(ECOC’75)で報告され、実用的な光ファイバケーブル開発の出発点になった。架空部分については、今も布設当時のまま保存されている。
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NTT第1号の光ファイバケーブルとして、MCVD法による国産SI型多モード光ファイバ心線を用いて電線3社によって作製され、NTT横須賀研究所内での総合伝送実験に供された。伝送実験は1976年10月に始まり、電線3社に加えて日本電気と富士通の協力を得て、研究所内の 300 m洞道内に、 8 km長の8心光ケーブルが布設され、伝送容量 32 Mb/sと 6.3 Mb/sのシステム実験(波長 0.85 μm)が行われた。
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1978年に東京都心で行われたNTT現場試験用のGI型多モード光ファイバケーブル(波長 0.85 μm)であり、光ファイバ心線は主にMCVD法で作製された。光ファイバ6心をユニット化し、このユニットを撚り合わせることで多心化を可能にした。続いて1980年から川崎市内で実施された第2次現場試験用の光ファイバケーブル(波長 1.3 μm)開発と合わせて、1981年からの光ファイバ通信商用化に大きく貢献した。
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GI型多モード光ファイバケーブルを用いたF-32M方式(波長 1.3 ?m、伝送容量 32 Mb/s、中継間隔 20 km)は、1981年に公衆通信網への導入が開始された世界初の本格的な光ファイバ通信方式である。NTT仕様に沿って日本電気と富士通の2社体制で製作され、主に市内中継伝送用に用いられた。同時期にF-100M方式(主に県内中継伝送用)も商用化され、本格的な光ファイバ通信時代の幕開けとなった。
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F-400M方式(伝送容量 400 Mb/s、中継間隔 40 km)は、1980年からのNTT武蔵野研究所-厚木研究所間での現場試験を経て、1983年に商用化が開始された世界初の大容量単一モード光ファイバ通信方式であり、VAD単一モード光ファイバケーブルが本格採用された。富士通と日本電気が量産し、NTT民営化寸前の1985年2月には、旭川-鹿児島間を結ぶ総延長 3,400 kmの日本縦貫光幹線ルートが開通した。
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第二次世界大戦中、ペニシリンの製造に成功したのはイギリス、アメリカを除くと日本だけであったとする記述が多くの文献、書籍に認められるが、裏付けとなる資料の記載があるものは少ない。一方、本資料は宛先が陸軍医務局長であり、対戦中には日本は既に碧素(ペニシリン)を製造する技術を確立しており、実際に製造しようと企画した事実を伝えている。
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国内の会社が厚生省に申請したペニシリンの製造許可申請書及び製造許可書。1945年8月の終戦から、わずか1年余りでペニシリンの製造が許可になった証拠である。
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1945年の終戦後比較的早い時期に、外国からの輸入ではなく日本で実際にペニシリンやストレプトマイシンの製造がおこなわれた証拠となる。製造された医薬品を入れるアンプル、バイアル、包装箱等およびシロップ瓶、バランス天秤(一部復元品含む)
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国産初の 35 mmフォーカルプレーンシャッター搭載レンジファインダーカメラ。単なるライカの模倣に終わることなく、独自のレンズマウントを採用、また、フィルムカウンターを前面に配置、独創的な飛び出し式ファインダーを備えるなど、国産小型精密カメラの契機となった記念碑的な製品である。
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国産初の 35 mm一眼レフカメラ。独自のねじマウントによりレンズ交換可能、一眼レフの欠点である撮影後のファインダー像消失を、シャッターボタン解放でミラーを戻すことにより解消するセミクイックリターン機能を搭載した。
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機能、品質面及びシステム性により、国産カメラの評価を一気に高めた一眼レフカメラ。先進的なレンズマウント、クイックリターンミラー、開放絞りを搭載、ファインダー交換などを実現し、15年以上にわたり、プロ、ハイアマチュア用機材として君臨した製品となった。
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TTL開放測光、ミラーメーターなど先駆的な機能を搭載した 35 mm一眼レフカメラ。優美なデザインもさることながら、 300 mm F2.8の大口径レンズや、レトロフォーカスの広角レンズを製品化するなど、システム性の高さも評価に値する。
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内部機構やレイアウトを一から見直し、驚異的な小型軽量化を実現した 35 mm一眼レフカメラ。小型軽量ながら、高度なシステム性を保ち、エアダンパ搭載など基本性能の充実も図り、その後の一眼レフのあるべき姿を確立した製品である。
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販売価格を低く抑えながら、電子化により高度な機能、仕様を実現した 35 mm一眼レフカメラ。低価格一体型の専用ワインダーも用意し、連写一眼のキャッチフレーズで、空前の大ヒットとなった製品である。
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レンズ交換式として、初めて本格的な自動焦点機能を実現した一眼レフカメラ。従来の製品形態をすべて見直し、システムも含めて、機能の自動化をほぼ完全に実現し、35 mm一眼レフカメラの流れを一気に変えた革新的製品である。
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当時、ICリードフレームはエッチングと呼ばれる写真製版と薬品腐食の技術を用いて製造されていた。この方法は工程が複雑でコストもかかるため、世界で初めてプレス打抜きによる、ICリードフレーム製造を可能とした精密順送り金型を製作した。この結果、従来の10分の1という大幅なコストダウンが実現した。
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金型内でモーターコアを打抜きながら、任意の枚数に積層し、結束した状態で金型の外へコアを送り出す自動積層金型として、商品化された国内で初めての精密順送り金型。プレス工程の後工程まで大幅な工程の圧縮を実現し、モーターの製造工程までも変革した画期的な金型技術である。
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超硬合金(タングステンカーバイド)素材を研削加工で仕上げた刃物で打抜く精密順送り金型。市販のダイヤモンド砥石だけでは金型刃物を研削仕上加工ができなかったので、ダイヤモンド粉末を埋め込んだ専用砥石を自社で製作して研削仕上加工をできるようにした。製作したタングステンカーバイド金型は、従来のスチール製金型の20倍の耐久性をもち、一研削当たり100万枚のモーターコアを打ち抜くことができる量産型の国内1号機である。
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ニクソンショック後、1 ドル360 円の固定相場制が崩壊し、日本経済は激動の時代に突入した。更なる円高時代を予見し、生産性を5倍に向上させるために1000 spm以上の打抜き可能な金型開発に取り組んだ。当時のモーターコア打抜き金型の打抜きスピードは300~400 spmが限界と言われていたが、完成した超高速金型では、1450 spmという驚異的な打抜きスピードを達成することができた。
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当時のスクラップ置き場の中から、研削盤ではなかったが、前後と左右と上下に動かせる中古機械があったので買い取った。さらにモーターを修理して取り付けたり、研削盤に使えそうな他の部品を組み合わせる等の改造を加えて製作した自社製の平面研削盤1号機。この研削盤を使って、熱処理後総研削仕上金型の開発に取り組んだ.
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MIDIはローランド創業者でもある梯郁太郎らが提唱した電子楽器を繋ぐデジタル・インターフェースであり、30年を過ぎた今もそのプロトコルはPCや通信カラオケの音源制御に使用されるなど、電子楽器や音源の情報伝達の規格として主流である。音楽産業におけるMIDIの貢献が評価され、梯郁太郎は2013年にグラミー賞を獲得した。なお2019年にはMIDI規格2.0が発表されその存続性能が評価される。
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1983年1月米国NAMMショー会場で、シーケンシャル・サーキット社のProphet-600と接続して世界で初めてのMIDI通信試験に成功した歴史的シンセサイザー。この試験の成功によって、異なるメーカーの電子楽器を同時に鳴らせるようになり演奏表現の可能性が大きく広がった。最大同時発音は6声。ソリッドなサウンドは当時のプロ演奏家の評価を得た。
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1983年1月米国NAMMショー会場で、シーケンシャル・サーキット社のProphet-600と接続して世界で初めてのMIDI通信試験に成功した歴史的シンセサイザー。この試験の成功によって、異なるメーカーの電子楽器を同時に鳴らせるようになり演奏表現の可能性が大きく広がった。最大発音数6声。シンプルな操作性とブライトな音質、手頃な価格でアマチュア演奏家にも人気を得た。
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いまではPCによる音楽制作用語となったDTM(Desk Top Music)の市販一号機。PCで音楽を作るために必要なハード、ソフトが一式セットされたバンドリング・パッケージ。作曲したくても楽器を演奏できない人たちなど多くのホビー層に、PCの画面上でグラフィカルに作曲や編曲など音楽制作することを普及させた。プロの音楽家からアマチュアまで、現在では常識であるデジタル手法による音楽づくりを世界に広げた。
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通信ネットワーク技術を使用した、それまで無かった通信カラオケという新しいシステムを築き上げたモデル。当時の主流・レーザーディスクカラオケの課題であった配信スピード、スペースの問題をクリアした。最大10,000曲収容、本体大きさ幅30×高さ24.5×奥行38.5㎝。
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日本の電子楽器発展の契機となった電子オルガンである。メインアンプ以外はすべてトランジスタ(281石)を採用し、安定した音源回路と低消費電力化を実現した。ビブラートやサスティンなど、それまで出せなかった音の表現が得られ、さらに音色回路で基音や倍音を変えて多彩な楽音を作り出すことができた。また打楽器音もリアルタイムに演奏できるなど、一台で様々なアンサンブル演奏を可能にした。
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加算方式や減算方式で作られる従来の電子音に対して、新しい表現力豊かな音の実現を目指して開発された搬送波と変調波によるFM音源を搭載し、プロだけでなくアマチュアにも手が届く価格で販売されて大ヒットしたフルデジタル・シンセサイザーである。新しいシャープな音はFMサウンドと呼ばれ、ポピュラー・ミュージックをはじめ幅広く支持された。シンセサイザーの新たな時代を開いた機種として重要である。
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電子楽器用に開発された搬送波と変調波で様々な音を実現するFM音源方式を1チップ化したものである。キャプテンシステムや文字多重放送用機器に要求される仕様を満たしたLSIである。パーソナルコンピューターやゲーム機など、数多くの電子機器の音源として機器の音響性能の向上と高機能化に貢献した。
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半導体の進歩に伴い、携帯電話用音源LSIとして開発された。FM音源に加え、メロディー演奏やスピーカー用アンプなどの周辺回路を含めて1チップに収め、その音質・機能の高度化を実現し、携帯電話のマルチメディア化を進めるきっかけとなった。
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MIDIはローランド創業者でもある梯郁太郎らが提唱した電子楽器を繋ぐデジタル・インターフェースであり、30年を過ぎた今もそのプロトコルはPCや通信カラオケの音源制御に使用されるなど、電子楽器や音源の情報伝達の規格として主流である。音楽産業におけるMIDIの貢献が評価され、梯郁太郎は2013年にグラミー賞を獲得した。なお2019年にはMIDI規格2.0が発表されその存続性能が評価される。
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日本初のリズムボックス市販モデルの第1号機。オルガンやアコーディオンをサポートするマシンとして開発されたが、その名前はステージや録音時に使われるクリック音「ドンカマ」として今も音楽業界の一般用語として広く使用されている。
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いまではPCによる音楽制作用語となったDTM(Desk Top Music)の市販一号機。PCで音楽を作るために必要なハード、ソフトが一式セットされたバンドリング・パッケージ。作曲したくても楽器を演奏できない人たちなど多くのホビー層に、PCの画面上でグラフィカルに作曲や編曲など音楽制作することを普及させた。プロの音楽家からアマチュアまで、現在では常識であるデジタル手法による音楽づくりを世界に広げた。
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PCM音源方式の先駆けとも言える独自の「子音・母音方式」を採用した小型電子キーボード。カシオ計算機が楽器分野に参入したファーストモデルとして、前年(1979年)に発表されたヤマハのポータブルキーボード(PSシリーズ)を追従して先行発売し脚光を浴びた。49鍵の標準鍵盤でスピーカー内蔵、同時発音数8音、29種類の楽器音を搭載して、当時97,000円という低価格。ポータブル電子キーボードの一号機と言える。
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1965年より家庭用時計の水晶化を進め、1968年6月に世界で初めての水晶掛時計を発売した。156Hzという低周波のスパイラル水晶振動子を開発し、真空管の中に封入し、零周波数温度係数を実現した。精度は±1秒/日以下である。低周波スパイラル振動子とは、水晶の薄板面に数回巻のアルキメデス渦巻スリットを切り取って得られる渦巻きバンドを主にスティフネス要素として動作させるものである。
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ピラミッドのシンボリックなデザインで音声報時がそのユニークさから国内・海外で評価され累計100万個以上販売された。CPU・音声合成IC・アンプICの3チップ高集積度実装開発を行った。また派生商品の薄型携帯「ポケットトーク」はグッドデザインと共に特に優れた福祉商品と認められ、1988年に通商産業大臣表彰を受けた。
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バーズアイ・メープル突板加工の金属外装厚み9.5mm、機械体厚み2.5mm、平均年差±10秒、10年電池寿命の超超薄型・高精度・長電池寿命掛時計の開発。世界的にも類を見ない外装・機械体・モータ・高精度水晶モジュールの開発を行った。
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ウサギの皮膚にコールタールを塗布することにより世界で初めて人工的ながんの発生実験に成功した。その時のウサギ耳がん標本で、がんの発生原因の解明に道を拓きその後のがん研究に大きな影響を与えた。
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化学物質を経口投与することによりがんを形成させ、できたがんを砕いてラットの腹腔に注入することで作製された腹水腫瘍で、がんを細胞レベルで取り扱うことが可能になり、我が国初めての抗がん薬であるナイトロジェンマスタードN-オキシド(商品名:ナイトロミン)の創製など、我が国の化学療法の発展に大きな影響を与えた。
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DVDシステムの開発においては、CDと同じ直径120mmのディスクに数倍以上のデジタルデータを記録することが必須の条件であった。この実現には赤色レーザの採用に加え、松下電器が開発・提唱したカバーレイヤーの薄型化が規格に取り入れられ、0.6mm貼合わせディスクというDVD規格を構成する重要な要素になった。この他にも著作権保護技術の開発など、DVDの基幹となる技術開発に大きな貢献を果たした松下電器が、東芝と同時に発売した世界初の家庭用DVDプレーヤである。ビデオテープレコーダで培った洗練された操作性を駆使して、DVDの豊富な機能を活かす優れた商品として高い評価を受けた。
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1990年代前半に始まったDVDの開発は、それまでのAV機器と異なり、コンテンツ側(主に映画産業、特に米国ハリウッド)の意見をより重視してフォーマット化を進めるという、いわゆる「ソフトドリブン」な方向で進行した。この開発を主導した東芝は、フォーマットの取りまとめを進めつつ、コンテンツ作成のための装置から、家庭用プレーヤ実現に欠かせない基幹部品までの開発を並行して進め、1996年11月に世界初の家庭用DVDプレーヤの発売に漕ぎつけた。本機は世界初のDVDプレーヤで、その後のDVD発展の幕開けを告げた記念碑的な機種である。
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DVDでは要求される画質を、デジタルデータとして限られた容量のディスクに記録するため、MPEG2圧縮が採用された。このMPEG2信号のデコードには大規模な電子回路が必要だが、家庭用DVD機器の実現には1チップの素子開発が必須と考えられた。既に存在したMPEG2デコーダICを基礎にして、DVDに特化した1チップLSIとして開発された世界初のDVD用MPEG2デコーダLSIである。最重要な基幹部品として採用され、家庭用DVDプレーヤの発売が実現した。
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本機は2000年にPlayStation 2として発売された世界初のDVD搭載の家庭用ゲーム機である。当時のアーケードゲーム並みに美しいグラフィックで見応えのある写実的な表現を可能とし、以後、グラフィック進化の主役が家庭用ゲームへと移った。DVDを主要メディアとして採用したことで、映画的なゲームを増大させた。DVDプレーヤとしても利用でき、DVD-Videoの普及に貢献した。
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”大阪の町の発明家” 信岡正典(当時:46歳)が、ツァイスⅠ型を参考に個人で製作したプラネタリウム。恒星はレンズ投映式だが、惑星投映機が付いている部分の恒星が投映できなかった。また、惑星の年周運動はできたが、緯度運動ができず、日本国内で見た星空しか再現できなかった。その後、千代田光学精工会社(後のミノルタカメラ)が協力を申し出、同社の嘱託として改良し、朝日科学博覧会の出品された。しかし、現物は残っていない。
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愛知県蒲郡市のカメラメーカー興和光機が製作したプラネタリウムの2号機。ツァイスの機械を参考に作られたもので、恒星はレンズ投映式だが、惑星はプリセット式で年周運動はできない。
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愛知県豊橋市の金子 功が個人で製作したダイヤ型・コロネット・プラネタリウム。1958年、和歌山天文館に納入された。恒星はピンホール投映方式で、太陽と月はプリセット式、2つに分けた恒星球の間にあるのが、赤道と黄道の座標系投映機でこれもピンホール式である。その後、和歌山市立こども科学館に展示されている。
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京都市の天体望遠鏡メーカー西村製作所が製作したプラネタリウム。鉄亜鈴型のツァイス・プラネタリウムを参考にして作られたもので、恒星はレンズ投映式だが、惑星投映機がプリセット式なので年周運動ができない。
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旭光学工業株式会社(後のペンタックス株式会社)が試作したプラネタリウム。その後、葛飾区立石の證願寺に買い取られ、「プラネターリアム銀河座」として月2回(第1、3土曜日)に公開されている(要予約)。
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大型プラネタリウムL-1型を米国セントルイス市に納入し世界に通用する技術を得た五藤光学は、学校や地方自治体に小型プラネタリウムの需要が増えてきたのを機に、1963年に恒星がレンズ投映方式で惑星の年周運動のできる小型プラネタリウムS-3型(標準ドーム8m)を開発した。このプラネタリウムはその第9号機で、東京都荒川区立教育センターに納入されたもので、1964年から2011年までの47年間区民に親しまれたものである。
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