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油圧ショベル

1965年に製造された純国産油圧ショベルで、それまで主流であった1ポンプ1バルブ方式から、2ポンプ2バルブの独自方式を開発し複合動作の操作性改善や動作速度のアップなど作業能力が向上しました。また、意匠的にも現在の油圧ショベルの原型になっています。

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最初のスタチン(ML-236)の発見に関する月報とノート

スタチンはHMG-CoA還元酵素を阻害して強いコレステロール低下作用を示す薬物の総称である。この薬によって多くの人命が救われてきたことは周知の事実であり、世界で最も優れた薬の一つとして評価されている。このスタチン類の最初の化合物(メバスタチン:ML-236B)を青かびの培養液から発見したのは当時三共の研究者であった遠藤章であった。日本発のこの画期的新薬は1973年に発見されたが、その過程を記録した遠藤の月報と助手の実験ノートが現存している。

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タカヂアスターゼの薬瓶

タカヂアスターゼは高峰譲吉博士(工学・薬学1854-1922)が1894年に発見した消化酵素を胃腸消化薬に製品化したものである。博士の一連の特許を元に当時米国のパーク・デービス社で製造され世界各国で発売されたが、博士の意向で日本では1899年に第一三共株式会社の前身である三共商店から発売された。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」にも登場する薬であるが、現在も各製薬会社が発売している胃腸消化薬などの成分として含有されている。この薬瓶は三共商店を発展的に改組した三共合資会社(1908~1913年)当時のものである。日本発の医薬品では最古の薬瓶である。

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時分割全電子交換機

国産初の全電子化交換機の試作機を大学の研究室で製作したものであり、通話回路を時分割形にするだけではなく、制御回路を時分割形にすることにより、大規模な共通制御方式を実現した。この技術により、日本の電子交換機、時分割形交換機開発に対する先駆的な役割を果たすと共に、同分野の開発技術及び研究者、技術者に対する啓蒙、動機付け等、多大なる貢献を果たした。

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D60形ディジタル電子交換機

伝送交換のディジタル統合を実現した中継用のディジタル交換機である。主な特徴は次の点である。  (a) ビルディングブロック構成。通話路系、制御系とも、規模、機能についてブロック化を進め、必要容量に対し、同一アーキテクチャで構成できる。 (b) LSIの積極的活用。通話路スイッチ、制御プロセッサに、最新のLSIが開発された。

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D70形ディジタル電子交換機

端末間ディジタル1リンクを実現する加入者線交換用のディジタル交換機。基本アーキテクチャは、D60形交換機と同一。加入者対応の部分を追加。D60形交換機の特徴に加えて、主な特徴は次の点である。 (a) いわゆるBORSCHT機能を提供する加入者回路のLSI化。  (b) 小規模の加入者群に対応する遠隔制御交換装置の導入。  (c) ISDN用のモジュール(ISM)を付加して、世界で最初のISDNサービスの提供。

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D50形パケット交換機(PS)

ディジタル情報をパケット(宛先ヘッダとユーザ情報で構成)という単位の情報に載せて、最終宛先に送るための交換機。パケット通信はインターネットの原型。1971(昭和46)年に研究が開始され、約10年の開発過程を経て、1980(昭和55)年に商用サービス開始。端末と網のインタフェースを規定するプロトコルである、X.25の国際標準化と併行して開発された。

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D51形大容量パケット交換機

D50パケット交換機の構成を全面的に見直し、大幅な性能増加を図った大容量のパケット交換機。パケット処理能力は1万パケット/秒 (D50パケット交換機は、300パケット/秒) であり、開発当時世界最高速。大きな特徴は主に次の点である。  (a) マルチプロセッサ構成の採用による大幅な性能向上。  (b)パケット処理装置は、需要規模に応じてビルディングブロック方式で増設可能。  (c) X.25プロトコル制御のLSI化。

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C400形クロスバ交換機

大局用の市内クロスバ交換機。10年あまりにわたるクロスバ交換機の研究開発の結果開発された、コスト面、性能面で優れた交換機。いわゆる電話の積滞解消の目標達成に向けて大量に導入された。また、製造メーカから輸出されるほど、国際的な競争力があった。

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C45形クロスバ交換機

加入者線交換機C4と中継交換機C5を併合した市内用クロスバ交換機。クロスバ交換機の開発過程では、経済化を図るために、逐次種々の改良がなされた。所蔵交換機は、改良C41・51形の商用試験(特仕: 特別仕様)に供されたものである。市内交換機の標準機種として、昭和30年代後半に地方都市に広く導入されたが、さらに経済性に優れたC400形クロスバ交換機へと発展し、最終的には標準機種とはならなかった。

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T形自動交換機

国産自主技術として、A形、H形両方式の統合を図り、かつ経済化を進めるために、それぞれの利点を採入れ開発されたステップバイステップ交換機。T形は逓信省形の略。ただし、第二次世界大戦中の開発であり、その後の混乱もあり、普及はしなかった。所蔵交換機は、東京・麹町に空襲に備えて建設された地下国防電話局に設置されたもの。戦後、岡谷局に転用され、1972(昭和42)年まで実用に供された。

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A形ステップバイステップ交換機

1923(大正12)年の関東大震災後、自動交換機の導入が決定され、英国、ATM社より技術導入された交換機。数年で、国産化された。加入者からのダイヤルにより機器を順々に操作し通話路を設定していく、通話路部と制御部が一体となっている直接制御方式を採用。いわば、超分散処理システム。機械接点のため、保守に多大な労力が必要。各種の改良をしつつ、ステップバイステップ交換方式は、ほぼ昭和時代の全期間、わが国の通信を支え続けた。

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H形ステップバイステップ交換機

1923(大正12)年の関東大震災後、自動交換機の導入が決定され、ドイツ、Siemens & Halske 社より技術導入された交換機。数年で、国産化された。H 形自動交換機の制御方法は、A形自動交換機と基本的に同一である。発信(発呼)時の処理スイッチの構成が少し異なるのみ。特徴は、A形自動交換機と同一。

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C14号A自動交換装置

端局(End Office)等に適用される最小規模局用の可搬形クロスバ交換機。C1系列の最終形態機種。可搬形収容箱を大きくし、C11形交換機2台分(400加入)を収容するため、各種の改良を図ったもの。あわせて、新電話サービスへの対応も可能とした。本交換機は、1974(昭和49)年8月から1994(平成6)年3月まで福岡県田川郡の津野交換所で約300加入の交換接続に活躍した。

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C23号A交換装置

端局(End Office)等に適用される小規模局用の可搬形クロスバ交換機。C2系列の最終形態機種。可搬形収容箱に1交換装置(800端子)を収容。従来機種、C22に機能上、構造上、抜本的な変更・改良を行ったことにより、通信網内の機能としてほぼ汎用交換機に近いレベルまで向上させた交換機。本交換機は、1975(昭和50)年5月から1994(平成6)年3月まで福岡県田川郡の英彦山交換所で約500加入の交換接続に活躍した。

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C82形自動交換機

1964年(昭和39年)栃木・宇都宮局で最初に運用。市外中継専用交換機に適用できる大局用として設計。全国自動即時化のため膨大な市外通話を経済的に、迅速かつ安定に接続する。本交換機は、1974年(昭和49年)から1995年(平成7年)まで飯塚交換局所で入回線約2,000回線、出回線約2,000回線の交換接続に活躍したクロスバ交換機。

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C400形自動交換機

1966年(昭和41年)東京・西大森局で運用開始。それまでのクロスバ交換機から大幅に経済化を図った大局用の市内交換機で1交換装置、約6万端子の収容を可能とした交換機。本交換機は1974年(昭和49年)から1993年(平成5年)まで福岡県甘木市の甘木交換所で約1万加入の交換接続に活躍したクロスバ交換機。

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C460形自動交換機

1967年(昭和42年)茨城・水海道局で運用開始。C400形自動式交換機を基に中小局用に開発されたクロスバ式自動交換機。本交換機は1974年(昭和49年)から1994年(平成6年)まで福岡県嘉穂郡筑穂町の筑穂交換所で約4,100加入の交換接続に活躍したクロスバ交換機。

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D20形自動交換機

1976年(昭和51年)神奈川・箱根局、長野・中軽井沢局で運用開始。中局用交換機として開発され1交換装置、約2万4千端子の収容可能。D10交換機の経済化を図った交換機。本交換機は、福岡県飯塚・稲築交換所で活躍。

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A形自働交換機

1926年(大正15年)東京・京橋分局で運用開始。電話の需要増大に伴い、交換手を介さずに正確で迅速な接続と通話秘密が保てる交換機。最初はイギリスのストロジャー式交換機を導入。機能的には、電話機にダイヤルが装備され、ダイヤルパルスによって駆動・回転するスイッチ(セレクタ・コンネクタ)をダイヤル桁ごとに展開し接続するステップバイステップ(SXS)方式交換機。1929年(昭和4年)国産化開始。

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H形自働交換機

1926年(大正15年)横浜電話局で運用開始。最初はドイツ製のジーメンス式自動交換機をを導入。機能的にはA形交換機と同様のステップバイステップ(SXS)方式交換機。1934年(昭和9年)国産化開始。本交換機は1957年(昭和32年)門司局において導入された交換機を1966年(昭和41年) モデル化したもの。

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AR1号交換装置

農林漁業地域における電話需要に早急に対応するために開発された地域集団自動交換機。半径5km以内に200加入以上まとまった加入者があるところに設置。ステップバイステップ自動交換装置を可搬形収容箱内に収容し、1本の加入者回線を最大10加入の複数の加入者が共同利用する。個別呼出し、秘話式が可能。定額料金制を採用。本交換機は、1972(昭和47)年から1978(昭和53)年3月まで宮崎県東臼杵郡西門川交換所で交換接続に活躍。

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ピッチ系炭素繊維ダイアリード

ダイアリードは世界で初めて量産に成功したコールタールピッチ系炭素繊維である。最高グレードは鉄の4倍の弾性率、銅の2倍の熱伝導率、ほぼゼロの熱膨張係数を示す。これを応用し、人工衛星、高精度電波望遠鏡、コンクリート構造物補強材、工業用ロール、ロボットハンドなどが製造され産業発展と人類の夢の実現に一役買っている。

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カーボンロール

ピッチ系炭素繊維複合材製のカーボンロールであり、表面は金属がはめ込まれクロムメッキが施されている。全金属製ロールでは実現不可能な長尺で軽量、低たわみを実現し液晶用をはじめとする産業用広幅フィルム、紙類の大量生産に貢献している。写真のロールは9.2mの長さを持ちながら重量は400kgである。全金属製で製造した場合は2.8トンになりその重量のため高速回転はおよそ不可能である。

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液晶ガラス基板搬送用CFRP製ロボットハンド

液晶ディスプレイ製造ラインでたたみ4畳ほどの面積を持つ(第9世代)ガラス基板を高速搬送するためのロボットハンドである。ピッチ系炭素繊維複合材が用いられ、3mを超える長さでありながら軽量、高振動減衰、高剛性(低たわみ)が実現され、2000年代に著しい発展を見せたテレビ用薄型ディスプレイの高性能化、大画面化、高精細化、低コスト化を支えた重要部品の一つである。

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進相コンデンサを内蔵した高力率型交流アーク溶接機

昭和32年以前、交流アーク溶接機は力率が低く入力容量が大きいため需要家は無駄な電力料金の支払いを余儀なくされていた。需要家の省電力に貢献するため昭和32年9月より「進相コンデンサを内蔵した高力率型交流アーク溶接機 LAW型」の発売を開始した。

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トランジスタインバータ制御CO2/MAG溶接機

溶接機の制御に業界で初めてトランジスタインバータ制御方式を採用、溶接電流波形を高速で制御することでアークスタート性能の大幅向上、CO2溶接でのスパッタ大幅低減を実現した。自動車業界を中心とした薄板溶接の高品位化への要求に応える方式として、以後、インバータ制御方式が普及する端緒となった初代インバータ制御CO2/MAG溶接機。

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トランジスタ式直流溶接電源

アーク溶接の研究に対して、当時画期的な制御速度を誇り、主にアーク現象の研究用途の目的で使用された。現在主流となっているアーク溶接法や、溶接の電子制御方法はこの電源で研究されたものが多く、顕著な役割を果たした。

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フルデジタル直流TIG溶接機

溶接機の設定、制御に業界で初めてフルデジタル方式を採用、それまではアナログ設定が主流であった溶接施工条件を正確かつ詳細に再現可能とし、溶接品質の高位安定化に貢献。CPUを用いた高速制御による溶接の高性能化と合わせて、以後、業界にフルデジタル化のトレンドを創出した初代フルデジタル溶接機。

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直流單式電弧熔接機

1926年(大正15年)頃に国産初の直流アーク溶接電源として開発された、電動発電機(MG: Motor Generator)式の溶接電源の1種。本機は1941年(昭和16年)製であり、定格出力電流は200 A、定格電圧は25 Vの垂下特性電源である。この溶接電源は移動用の台車の上に発電機が搭載されており、その上にON/OFFのスイッチや出力電流調節用のツマミなどの制御部を有する。

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高圧法ポリエチレンの連続工業化試験資料

1951年から1953年まで京都大学化学研究所(当時は高槻)で行われた高圧法ポリエチレン連続工業化試験(日産10kg)の設計図、実験ノート、写真及び内部報告書(1954年と推定)である。この研究を踏まえて、住友化学工業は、通産省から工業化試験補助金を得て、新居浜工場内に月産3トンの中間試験工場を1953年に建設し稼働させた。最終的にはICI社からの技術導入で工業化されたが、日本での石油化学の技術開発を示す資料である。

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フィッシャー・トロプシュ法による人造石油 合成触媒開発品

京都大学化学研究所喜多源逸研究室では、1927年からFT法触媒の開発研究に着手し、1937年からは従来のコバルトに代わる鉄系触媒の開発に着手して成功した。1939年には、試験設備での連続運転に成功した。この研究室で開発した触媒である。

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フィッシャー・トロプシュ法による人造石油 試作品

京都大学化学研究所喜多源逸研究室では、1927年からFT法触媒の開発研究に着手し、1937年からは従来のコバルトに代わる鉄系触媒の開発に着手して成功した。1939年には、試験設備での連続運転に成功した。この設備で試作した人造石油である。

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フィッシャー・トロプシュ法による人造石油工業化資料(人造石油製品、触媒、工場設計資料等文献資料)

1930年代後半に国策で石炭から人造石油の工業化が進められ、1938年に半官半民の出資により北海道人造石油(株)が設立された。ドイツからフィッシャー・トロプシュ法の技術導入により工業化が図られ、1942年から年産約3万トンの能力で稼働を開始した。京都大学が開発した鉄系触媒も使われた。郷土館の呼びかけにより多くの文献資料も収集されている。

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セルロイド圧縮試験機 参号機

セルロイドは、硝化綿と樟脳を混和後、圧縮機で加熱加圧してブロックにし、これをシート状にスライスしたセルロイド生地として出荷する。資料は小型の試験機で、新しいセルロイド柄の試作、検査などに使われた。試験機壱号機、弐号機は、大日本セルロイド創設時の1919年にドイツから購入されたが、参号機は地元の機械会社で国産化された。

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発酵法エタノールもろみ塔

日本で2番目に操業を開始した国営アルコール工場のもろみ塔である。もろみ塔は、芋などの発酵液からエタノールを粗蒸留する蒸留塔である。1945年8月の空襲で破壊されたが、再建され、1997年まで使用された。芋の繊維で詰まりやすいので、各段に手を入れて掃除ができる蓋が付いた珍しい形の蒸留塔である。

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発酵法エタノール 蒸留塔棚段

蒸留塔の棚段1点と棚段の一部1点である。円柱型バブルキャップの付いた棚段は、オーソドックスな形で精留塔または脱水塔の一部と推定される。キノコ型のバブルキャップが付いた棚段の一部は、もろみ塔の棚段である。もろみによって、バブルキャップが詰まることを防止するための珍しい形であり、現在でもこの形式のバブルキャップはもろみ塔に使われている。

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米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究試作糸

最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し、学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授の試作糸である。

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米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究ガラスノズル

最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し、学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授が自製し研究に使用したガラスノズルである。

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米沢高等工業学校秦逸三教授 レーヨン研究器具

最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では1912年に米沢高等工業学校に赴任した秦逸三が独自にビスコース法の研究を開始した。1913年には試作に成功し学校内で公開実験を行うまでに至った。この研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生した。資料は秦教授使用の研究器具である。

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帝国人造絹糸㈱米沢工場のレーヨン糸、レーヨンリボンストロー

最初の人造繊維であるレーヨンは1892年に硝化綿法により工業化されたが、1901年にドイツで工業化されたビスコース法がその後主流となった。日本では米沢高等工業学校秦逸三教授の研究から1918年に帝国人造絹糸㈱(現在の帝人)米沢工場が誕生し、初めて国産化された。資料は米沢工場製作のレーヨン糸(写真前)とレーヨンリボンストロー(写真後)である。

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マッセイフアガソントラクタ(イギリス製)

犂やボトムプラウを牽引する動力源は人?牛・馬?トラクタへと時代と共に変遷していった。能率向上や、作業精度向上の為徐々に高馬力、大型化していった。初期のトラクタはタイヤ後方に取り付けられたけん引環に作業機(プラウ)を引っ掛けて前進していた。けん引する重量の為前輪が浮き上がり、後輪を軸にトラクタが回転して、転倒することもあった。トラクタには安全にけん引するとか、深さを制御するとかの機構は無かった。マッセイフアガソントラクタはこれらを解消するため作業機の取り付け方式を3点リンク方式にし油圧コントロールのリンクに結び付け前輪に作業機の負荷を移動させけん引力を増大させた画期的なトラクタを開発した。現在のトラクタの基本となっている。本トラクタは1961(昭和36)年導入された。北海道空知郡上富良野町の林光男氏と林桂一氏が共同で購入し19年間使用し、その後、井村農場が入手し1991(平成3)年まで使用された。非常に手入れが良く現在も稼働が可能である。

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上下反転反転自由プラウ

国産畜力プラウの代表的製品である。畜力時代後半の製品で、各地の土壌に合わせて深耕を可能とし、生産性の向上に寄与した。特に当時、北海道畑地の37%を占める傾斜耕地の耕土保全の第1歩は、等高線耕作と等高線に合わせ上向き反転にあった。20度以上の傾斜地を上へ完全に反転し、耕馬は礫溝の中を歩行した。操作レバーにより深浅、幅、運搬が自在にできる。表土の流亡を防ぎ生産性の向上と畑地保全に効果を発揮した。土壌付着防止とけん引抵抗減少の為撥土板(モールドボード)の仕上げは念入りに行いけん引する馬匹にも配慮していた。

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スリック製大型ボトムプラウ

畑地の耕起作業は畜力からトラクターに変わり本格的な土層改良を経て一般農家にも普及しだした。1農家当たりの耕作面積も大きくなったことに合わせ、一定の耕深を保つ事が営農上必要となっていた。畜力時代からボトムプラウには土壌付着の問題があり、作業能率の低下、適正耕深の維持に問題が発生した。その解決に関係者は取り組んでいたが土と接触するボトム表面に鉄を使用することは土壌付着があった。構造を色々考慮し取り組んだが満足できる結果は得られなかった。そこで鉄以外の材料を用いて取り組み成功したのがプラスチックプラウである。1961(昭和36)年研究を開始し1964(昭和39)にはスリックプラウ(スガノ農機株式会社)、ボルガ二ックスプラウ(現タカキタ)が商品化した。開発過程では特許闘争も発生したと聞いているが円満解決し各メーカーが生産しユーザーの期待に応えている。本製品はスガノ農機株式会社が作業高能率化と耕起性能を大型化時代に合わせて1972(昭和47)年から1993(平成5)年まで生産し北海道の農業大規模化に寄与した製品である。

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田中製鐵所コペー炉図面(釜石製鉄所100年史写真集p.37)

木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉図面(釜石製鉄所100年史写真集p.37)。ビーハイブ炉から官営八幡製鉄所に導入される正式のコペー炉(垂直焔道炉)に移行する途中の技術的な過程を示す貴重な資料

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田中製鐵所コペー炉写真

木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉写真

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田中製鐵所鈴子構内見取り図

木炭に替わり明治27年の我が国初のコークス高炉を成功させた野呂景義設計のコペー炉配置図

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国産木製複式顕微鏡

天明元年(1781)、望遠鏡制作を行っていた小林規右衛門により大阪で制作されたものです。この顕微鏡は、2本脚の独特な形状をもち、本体は木製、鏡筒は紙製で、対物レンズが3種ついています。他にも水を入れる硝子の器や虫を刺して見るピンなどの附属品と、見様(説明書)が残されています。また台座の裏には『天(明)元年 小林規右衛門作之』の墨書があります。製作年代や使用方法が分かる貴重な資料であり、現存する国産最古のものと言われています。

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田中式六百倍顕微鏡

商業的な量産に成功した最初の国産顕微鏡。明治40年の東京勧業博覧会に出品され一等賞牌を獲得。翌年には月産100台を達成し、大正3年の東京大正博覧会では銀牌を獲得した。開発者の田中杢次郎は、東京理化学器械同業組合(現・東京科学機器協会)の初代組合長を務め、「和製顕微鏡を完成」した功により銀杯を下賜された。

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顕微鏡用アポクロマート対物鏡

色収差を極限まで補正したアポクロマート対物レンズ(1886年にドイツのアッべが発明)は、蛍石やミョウバンなど特殊な光学材料を使うため、当時わが国では製造が不可能とされていた。高解像の90倍油浸(1931年に試作品完成)と整光環(カバーガラスの厚み誤差による像劣化を調整する機構)付40倍アポクロマート対物レンズは、当時のわが国の光学・精密技術水準の高さを示す画期的製品である。

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