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酵母ワンネ

醗酵から回収した酵母を水替え洗浄して保存する。小型容器である。材質はアルミ製で軽く、中央部の支持軸受けを中心に回転傾注できるようになっている。本タイプの設備は昭和2年(1927年)に初めて使用されている。本品は昭和後期まで使用されていたもので、製作年代は昭和初期〜中期頃と思われる。

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カールスベルクコルベン

明治44年にサッポロビール札幌工場に導入されたもの。酵母を純粋培養するための小型培養缶で銅製の内側に錫メッキが施されている。これで培養した後にハンゼン式大型培養缶に移され、さらに大量培養される。

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ハンゼン式酵母純粋培養装置

明治44年にサッポロビール札幌工場に導入され、昭和39年まで使用されたもの。酵母を純粋培養するための大型培養(醗酵)缶である。

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麦汁濾過機(トリューブフィルター)

多重の濾過板に布を装着して濾過する濾過機である。麦汁沈殿槽で分離された「トリューブ」に含まれる麦汁を濾し取るためにのものである。サッポロビール恵比寿工場で使用されていた。

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仕込槽

サッポロビール恵比寿工場で使用されていたもの。銅製である。

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麦汁煮沸釜

昭和40年から平成15年までサッポロビール札幌第2工場で使用されていたもの。銅製で一部が鉄製。全高約10m、直径6.1m、容量85klである。

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2軸式ガスタービン試作機

KG72型は川崎重工業株式会社が1971年に小型ガスタービンの開発に着手した折、最初に試作した300馬力級の二軸式ガスタービンである。当時社内にガスタービンの設計経験者は皆無で、入社間もない若手が中心になり試行錯誤を重ねながら独力で作り上げた。また、プレジャーボート用を想定して海上走行テスト等も実施し実用性の確認も行っている。
本機は1973年に一連の開発研究を終了して其の侭試作に留まり、その後遂に日の目を見る事は無かったが、このKG72型ガスタービンの開発研究を通じて得られた経験と自信がその後のガスタービン事業推進の原動力となった。

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1軸式ガスタービン量産機

S1A型は川崎重工業が1975年に量産化を目指して初めて開発した150KW級の発電用ガスタービンである。開発に際しては小型ガスタービンの最大の難点とされたコストと燃費の改善に留意して、構造は最もシンプルな一軸式とし精密鋳造品を多用して部品点数の低減を図る一方、圧力比やタービン入口温度は高く設定して高効率の達成を目指した。
その後、S1A型をベースにスケールアップやパワーアップを矢継ぎ早に実施して短時間でカワサキガスタービンシリーズを完成したが、本機はこのシリーズの先兵として市場の開拓に大活躍した。

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セラミックガスタービン

CGT302型は1988年にニューサンシャイン計画の一環として開始された小型セラミックガスタービンプロジェクトにおいて、川崎重工業/京セラ/住友精密工業の三社が共同して開発した出力300KW級のコージェネ用セラミックガスタービンである。本機は1998年の最終評価段階では無冷却でタービン入口温度(TIT)=1,344度において出力322KW、軸端熱効率42.1%という従来の金属製ガスタービンでは達成不可能な世界最高水準の成果を得ている。また、本機はTIT=1,200度で約800時間の長時間運転も行って耐久性についても一定の評価を得ており、これらの成果は世界的にも大いに注目を浴びた。

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低環境負荷・高効率・次世代型舶用ガスタービン

SMGTは1997年に国内のガスタービンメーカー5社(IHI、KHI、ダイハツディーゼル、新潟原動機、ヤンマー)によって設立されたSMGT技術研究組合が開発した次世代型の2,500KW級舶用ガスタービンである。本機は従来のディーゼル機関に代わる低環境負荷の高効率な舶用機関を目指して開発され、その性能確認試験では主な開発目標(出力2,500KW、軸端熱効率38%、NOx排出量1g/KW・h以下)の達成を確認している。その後2007年にはフェーズIIとして新たに実船搭載型SMGTを開発し、国土交通省が開発を推進しているスーパーエコシップに搭載して海上公試等により実用性を確認している。

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50kW級マイクロガスタービン

TG051はガスタービンハイブリッド自動車用として試作された1軸再生サイクル式ガスタービンをベースに開発された50kW級マイクロガスタービンであり、高速発電機、排熱回収機器と組み合わせた50kW級マイクロガスタービンコージェネレーションシステムとして2001年に一般販売を開始した。本資料は試験用として製作され、各種機能試験およびフィールドでの耐久評価等使用されたものである。

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300kW級マイクロガスタービン

TG312は自動車(バス)用2軸式ガスタービンをベースに開発された300kW級マイクロガスタービンであり、減速機、同期発電機、排熱回収機器と組み合わせた300kW級マイクロガスタービンコージェネレーションシステムとして2000年に一般販売を開始した。本資料は試験用として製作され、各種機能試験およびフィールドでの耐久評価等使用されたものである。

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ガスタービン

名称:NGT1-S ガスタービン 出力360kW このガスタービンは、新潟原動機株式会社がガスタービンの各要素から、独自に設計、開発したプロトタイプである。一般にガスタービン技術は難易度、リスクが高く、自社設計が可能な国内メーカーは少ない。そこをあえて自社設計としたことで、その後の要素効率改善、機械駆動2軸式ガスタービンの開発や大容量化、単純構造の低NOx燃焼器やVOC処理装置へと発展されることが可能となった。

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コージェネレーションシステム

COPRAは「Cogeneration Power Ratio Ajustable」の略名で、既に「SB5」で実績のある希薄予混合燃焼器を蒸気注入ガスタービンに世界で初めて採用、廃熱ボイラで発生する約3T/Hの蒸気のうち1T/Hをガスタービン内部に注入することで発電出力を17%アップ、発電効率を2、3ポイントアップした。これにより夏期のピークカット、契約電力の削減に寄与する(発電優先)。また、蒸気が余る時には余った分だけガスタービンに注入しエネルギーの有効利用ができます(プロセス優先)。いわゆる熱電可変ができるガスタービンです。

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SB5型ガスタービン タービン1段動静翼

現在、SB5-COPRA機、及び、84ppm(O2 0%)機を含み、1MW級SB5ガスタービンに使用されているタービン1段動静翼です。

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コージェネレーションシステム設備

1993年に1MW級Gas Power 1000において、三井スーパプレミックス燃焼器システム、150ppm(O2 0%)仕様のドライ低NOx燃焼システムが完成した。さらなる環境対応性の改善が求められる中で、より低NOxを目指し2000年に84ppm(O2 0%)仕様機が完成した。これは84ppm機の初号機である。

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単純開放サイクル1軸式ガスタービン

本資料は、1983年に開発された純国産の1軸式開放型ガスタービンAT900形機関のレプリカ。本機関は1段遠心圧縮機、2段軸流タービンからなる非常発電用ガスタービン。特に、1段遠心式圧縮機は、圧縮比8.2、断熱効率78.2%と当時としては世界最高レベルの性能を達成。
大容量、軽量、コンパクトな発電装置とてして民生用ガスタービンの普及に貢献し、現在まで1000台以上が生産された。

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釜石鐵山製鐵場建設立地に関する論争(伺文書)

官営製鐵所の立地をめぐって、大島高任と雇外人技師ルイス・ビアンヒの意見が対立した。大島高任は自らの経験と「小さく生んで大きく育てる」考えから、10t高炉5基を大只越地区に建設する案を主張、一方、産業革命期を経験したドイツ人技師ビアンヒは25t高炉2基を鈴子地区に建設する案を主張した。政府は外国人技師尊重の立場からビアンヒ案を採用決定した。この文書は高任の主張とビアンヒの主張(訳文)を記載したものの一部である。

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官営釜石鐵山における鉄道用レール(実物)と機関車(写真)

官営釜石鐵山における高炉稼動に要する鉱石、木炭の輸送のため、明治9年に日本で2番目に大橋―釜石間の鉄道敷設工事が着工、明治13年に完成した。日本で3番目に営業運転した鉄道で社線鉄道の前身である。本史料は営業時代に使用されていたレール(実物)と機関車(写真)である。

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官営釜石鐵山における鉄道用レンガアーチ橋(釜石市指定文化財)

官営釜石鐵山時代、高炉のある鈴子地区と鉄鉱石のある大橋地区との間の本線、木炭の小川製炭所を結ぶ支線の鉄道が敷設された。明治7年に英国人技師が計画立案し、明治9年に日本で2番目に着工、明治13年に日本で3番目の鉄道として竣工した。このアーチ橋梁は暗渠(カルバート)で1号、2号とも小川支線で建設され、現在市道として利用されている。鉄道用橋梁として日本最古と考えられている。

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官営釜石鐵山25t 高炉(写真)

わが国初の近代高炉でイギリススコットランド型の鉄皮式高炉で日産25t高炉である。ホットウエル式熱風炉3基、直立単筒送風機1基、気缶3基で構成された。明治7年8月に官営製鐵所の起工式が行われ、第1高炉の建設が開始、明治11年に完成、付帯設備の完成を待って明治13年9月に火入れされた。

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釜石鉱山田中製鐵所 第1高炉(写真)

田中長兵衛が工部省から敷地や資材の払下げを受けて、新たに小型高炉を建設し操業を開始した高炉である。最初は失敗の連続であったが49回目の火入れで苦労の末初めて出銑に成功し、明治20年に一切の施設の「払い下げ」上願書と素志書を提出し、釜石鉱山田中製鐵所が発足した。大型の官営25t高炉にいきなり挑戦せず、3tの小型木炭高炉からスタートした点に特徴がある。

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釜石鉱山田中製鐵所第1高炉の炉底鉄塊

田中長兵衛は工部省から敷地1干余坪の払下げを受け、先ず小高炉を築き、払下げ釜石鉱石を使用して操業を開始した。しかし火入れ後3~5日で炉中が固結して成功しなかった。種々の工夫、改良を行い苦闘の末明治19年10月、49回目にして初めて出銑に成功した。これにより製鉄所再興の道が開かれる契機となった。操業高炉に残存した炉底銑塊である。

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田中長兵衛の野呂景義への書簡(文書)

田中長兵衛が野呂景義の「釜石鉱山の近況及び其改良案」(日本鉱業会誌第8輯第8号)に応えて野呂にあてた文書「釜石鉱山事業に関するご質問に附答如左」である。製鉄事業の拡大に「計画の資に吝かならざる覚悟に御座候」と強い決意を示した文書である。

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釜石鉱山田中製鐵所コークス炉(写真)

釜石鉱山田中製鐵所では野呂景義、香村小録を招聘、指導を受けて旧工部省の25t高炉を改造、明治27年11月にわが国でのコークス高炉法の誕生に成功した。コークスを製造したビーハイブ型コークス炉は明治27年に新設され、石炭は夕張炭を使用した。明治27年を期にわが国の銑鉄製造法の主流が「タタラ法」から「高炉法」へと歴史的移行が明確になった。

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山神額

明治16年旧工部省官業廃止以来、休止していた25t高炉2基のうち、一基の操業準備を進め、明治27年に野呂景義・香村小録の指導を得て火入れした。最初は木炭を使用したが、火入れ後に木炭をコークスに変更して良好な成績を得た。わが国初のコークス高炉法の誕生となる快挙であった。扁額は製鉄所の守護神である山神社鳥居に掛かる額で、わが国初のコークス銑で鋳造された貴重な記念扁額である。

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海軍航空機用塗料色別標準

「海軍航空機用塗料色別標準」昭和13年11月26日、航本第8010号決定、同17年4月に航本第2943号にて改正された仮規117の別冊。第2次世界大戦中海軍航空機に塗装された標準色54色を収録したものです。色票サイズは幅206mm、天地114mmあります。12色が欠損し、現在42色のみ残っています。航空機用塗料は、強紫外線、温度変化、空気摩擦などの厳しい使用環境から機体を護るもので、日本特殊塗料株式会社は昭和4年に航空機用塗料の開発からスタートしました。経年変化で色や艶は変化しており、どの機種のどの部位用の色か?発行部数や配布先など記録も残っていませんが、名機「ゼロ式戦闘機(ゼロ戦)」にも塗装されたことは間違いありません。

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日本初のニトロセルロース系ラッカー「セルバ色見本帳」

日本では、ニトロセルロース系ラッカーは1926年(大正15年=昭和元年)に関西ペイントから発売され、翌1927年(昭和2年)日本ペイントが発売した。国産ニトロセルロースラッカーの登場は、量産塗装を可能とした革新的な出来事であった。1932年(昭和7年)には日本初の本格的乗用車に「セルバ」(商品名 関西ペイント)が塗装されたが、当時日本では未だ自動車産業は未発達であり、国産ラッカーは主に兵器などに塗装された。特に満州事変(1931年 昭和6年)以降需要が急増した。当時の技術を知る資料として、塗色56色を収録し、ならびにセルバの製品説明が付記されている「セルバ色見本帳1953年版」がある。

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日本初の化学の教科書「羅斯珂(ロスコー)氏化学」

明治9年(1876年)~10年に中学校・師範学校用として東京開成学校(東京大学の前身)から発行された日本最初の化学の教科書。
日本ペイント株式会社の創業者、茂木重次郎の兄:春太が英語が得意で、東京開成学校の助手として奉職中、英国人ロスコー著「レッスンズ イン エレメンタリーケミストリー」を訳したものです。その後版権は文部省編輯局にも移りましたが、引き続き14年間に亘って化学教育に貢献しました。明治11年には「新化学要理」も翻訳し発行されましたが、その間に自然に身に付けた化学の知識が、塗料や亜鉛華(無毒白粉)の研究に生かされ、印税収入は全て事業化を目指す弟:重次郎の塗料製造法研究開発資金に注がれました。

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日本初の塗料会社で創業時期に使用された「ペイント製造用手廻しロールミル」

日本にはオランダから1616年に洋式塗料が伝わったと云われていますが、鎖国によって普及しませんでした。1868年の開国頃から急速に西洋文化が広まり、洋式塗料の需要が高まりましたが、すべて輸入に頼っていました。国産塗料を開発したのが茂木春太・重次郎兄弟で、明治14年(1881年)に日本ペイントの前身「光明社」を設立しました。
写真は創業当初から明治30年頃まで使われていた「手廻しロールミル」です。手廻しで回転する直径6cm、長さ20cmの3本の木製ローラーの間に顔料、樹脂などの原料を通し、細かく砕いて練り合わせるものです。3人交代で、1日がかりで練って、60kg余りの製造能力しかありませんでした。

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日本初の国産塗料を塗装した「塗り板見本衝立」

国産塗料の完成を待ち望み、事業化に向け全面支援された海軍の塗工長:中川平吉氏が明治14年に自ら塗装された塗り板を使った衝立(高さ169cm、幅202cm)です。明治13年春に国産塗料の開発に成功した茂木重次郎と兄春太は、翌14年開催の第2回内国勧業博覧会にペンキと白色顔料(亜鉛華)を出品して褒状を受けました。それが中川塗工長の目にとまり、「塗料工業は国家的事業として育成せねばならない」と、海軍郷:川村純義に建議、許可を得て日本ペイント株式会社の前身:光明社が設立されました。 裏面には同じく中川塗工長が作られた大理石調や木目調など、50種の艦船営需用塗具見本が貼られ、事務所や入口に衝立として飾られました。

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日本最古の煉瓦造り油・ワニス焚き工場「日本ペイント明治記念館」

明治31年、国産塗料工業の鼻祖:光明社が日本ペイント製造株式会社に改組時の塗料販売量は213tでしたが、明治41年には3057tに達する急伸長で、生産体制の全面見直しが必要となりました。明治38年に大阪工場の新設後、明治40~42年の間に、東京工場は生産能力を3倍にするべく、全面改修工事を行い、初めて煉瓦造りの油ワニス焚き工場(約160m2)を建設しました。
この工場棟は大正12年の関東大震災や、昭和20年の戦災にも耐え、品川区内で唯一の明治期建設の洋風建築物となったため、品川区教育長からの要請を受け、「明治記念館」と称して保存し、内部に当時の生産設備や塗料容器、歴史的資料などを展示しています。

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国産「電着塗装」第1号車と共に塗装されたカーモデル

自動車ボディは、道路の凍結防止用に撒かれる岩塩で錆が発生し易かったため、防錆塗料や塗装法の開発が急務でした。そこで水性塗料の槽の中に被塗物を浸漬し、塗料を+極に、被塗物-極に直流電流を通して塗料を付着させる「電着塗装」を日本ペイント株式会社と東洋工業株式会社(現株式会社マツダ)とが共同開発しました。このシステムは複雑な形状の奥まで均一に連続塗装でき、塗着効率が高く経済的で、環境にも優しい画期的な塗料、塗装法として急速に普及しました。このカーモデルは、1964年(昭和39年)に国産車として初めて電着塗装を採用した東洋工業株式会社の電着塗装第1号車と共に塗装された、現存する最古のアニオン型電着塗装のミニチュアカーモデルです。

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国産技術第1号タイヤのレプリカ

国産技術で製造された記念すべきタイヤのレプリカ。ブリヂストンは、外国の技術導入ではなく、自前の国産技術で立ち上げた。1930年記念すべき第1号タイヤが製造された。本タイヤはそのタイヤのレプリカである。BALLOONの文字がみえる。当時の低圧タイヤ(現在のレベル)である。

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カタログ ブリヂストン トラックタイヤ 1934年

戦前の商品群の掲示例。「純国産」の文字に日本人の技術によるタイヤへの意気込みが感じられる。ブリヂストンは、外国からの技術導入ではなく、国産技術で発展した。1930年〜1940年頃はブリヂストンの創立の意気込みが現れている。

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戦闘機「隼」用タイヤ(日本タイヤ株式会社製)

戦中の戦闘機タイヤとして使用された高耐久性商品として貴重。戦中の日本のタイヤ技術のレベルは自前技術でかなり高かったと考えられる。このタイヤは昭和19年の製造であり、戦闘機「隼」に装着されたものである。現状でもそれほど劣化していないように見える。

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旧日本海軍零式艦上戦闘機に使用された主脚タイヤ

太平洋戦争中に製造された零戦主脚用タイヤ及び純正ホイールである。タイヤは現在も当時の状態で保存されている。戦中のタイヤ技術は軍需品として開発されたが、特に耐久性を要求されるので高性能であったことが、このことからもわかる。サイズ 600x175 6ply

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旧日本海軍零式戦闘機に使用された主脚タイヤ

太平洋戦争中に製造された零戦用タイヤである。昭和38年グアム島で発見された零戦に装着されていた。機体は見る影もなかったが、タイヤはそのまま使用に耐える状態だった。現在もそのまま保存されている。戦中のタイヤ技術は軍需品として開発し、高性能であったことが、このことからもわかる。

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三島工場建設後 第1回試作品(第1号タイヤ)

戦後他の会社(航空機製造)を買収し、且戦災にあった横浜工場から設備移設して新生横浜ゴム株式会社として、立ちあがった工場の第一回試作品である。この当時のタイヤ技術のレベルは戦中の軍需物資の中でも、性能特に耐久性を高度に問われる技術開発をおこなっていたので性能は高かったとおもわれる。戦前戦中の技術が込められた記念すべきタイヤである。

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平塚工場生産開始 第1号タイヤ

戦後国から払い下げされた土地に幾つかの関東地方にあった工場を集合して、更地にアメリカの提携会社Goodrich社の指導のもと、横浜ゴムの中核の工場をたてることができた。このタイヤは新工場の第一号タイヤである。

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自動車タイヤ国産第一号

1913(大正2)年、The Dunlop Rubber Co.(Far East),Ltd.は自動車タイヤの生産を開始した。この頃、自動車用タイヤの生産は日産25〜26本で、極めて手作り的色彩の強いものであった。製法は「ファブリックタイヤ」、あるいは「キャンバスタイヤ」と称して、ゴム引きした布を重ね合わせるやりかたであった。1912(大正元)年の全国自動車保有台数はわずか521台にすぎなかった。

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国内初テキスタイルラジアルタイヤ SP3

1963(昭和38)年から英国ダンロップ社からテキスタイルラジアルタイヤの技術移転を進めてきた。1966(昭和41)年に国内初のテキスタイルラジアルタイヤ「SP3」を発売した。発売当初は、日本の道路が整備されていなかったという事情もあり、華々しい売れ行きを示すまでにはいたらなかったが、徐々に生産を拡大していった。

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DEMLOC方式タイヤ

英国ダンロップ社と共同開発したパンクしてもタイヤがホイールから外れない機構として、「デンロック方式」のタイヤを発表した。現在のスペアレスタイヤへと繋がるものであった。

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トーヨーハイパラジアルST構造

ST構造とは、強靭なスチールベルトと強く柔軟なテキスタイル(ポリエステル)カーカスを組み合わせた、世界でも独特のラジアルタイヤです。技術の東洋ゴムが独自に開発したこのST構造は、操縦安定性、高速耐久性、耐摩耗性など、数々のすぐれた特性を生み、特に走行時のころがり抵抗が小さい為、燃料を節約する低燃費ラジアルとして、ユーザーの皆様からST構造は高い評価をいただいています。

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くるみ入りアイスバーンハイグリップスタッドレス OBSERVE X−9

1991年に粉塵問題により、スパイクタイヤの販売が禁止された。そこで、スパイクではなくても、アイス路面に対して引っかき効果が得られる素材として、研磨材としても使用されている環境にもやさしい、天然素材であるクルミを混入したスタッドレスタイヤを発売した。

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藤岡式カーボン電球

我国最初の白熱電球製造会社の創立者藤岡市助が明治27年(1894)に発明した電球。二種のカーボンフィラメントを封入しソケットの開閉で明るさを切り替えるようにした電球。導入線には白金線を使用し口金は底部に2つ接点がある。当時我が国の電球市場を占拠していた欧米からの輸入電球に対抗するために開発された我が国初の新製品。

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カナリア電球

ガラスバルブにウランガラスを使用し、フィラメントから出る紫外線と青色の光を吸収して黄緑色の蛍光を出すようにした電球で色が小鳥のカナリアに似ていることからカナリア電球と呼ばれた。東京電気の発明で目の疲労が減り、養蚕用にも適しているとされている。紫外光による励起発光を利用した最初のランプである。

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胃壁のカラー撮影用ランプ

世界で初めて開発されたカラー胃カメラ用電球。1954年この電球を使用して世界初の胃壁カラー撮影に成功した。ガラスバルブを小さなかまぼこ形にして2つのランプが組み合わさって円筒状になり、診察時と撮影時に切り替えて点灯できるようになっている。我が国の胃カメラ診察技術発展の基礎確立に貢献した電球である。

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3UEC72/150型機関用試作一号排気ガスタービン過給機

昭和20年代のディーゼル機関の高出力化は排気ガスタービン過給実用化によって急速に進展した。三菱重工業は昭和25年、自社技術によるユニフロー掃気式大型2サイクル機関の開発にあたり、機関性能に大きな影響をもつ過給機も独自に開発することを決定した。結果は昭和28年5月26日、機関公開試験運転において好成績が確認された。本過給機は、上記実験機関三菱UEディーゼル507機関(3UEC72/150形)用に試作された排気ガスタービン機の初号機であり、当時の技術水準の高さを示したものである。本過給機試験結果を元にその後更に改造を重ねた最終機は現在船の科学館に機関本体と共に展示されている。

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三菱水冷型排気ガスタービン過給機

三菱重工は昭和25年、自社技術による舶用大型ディーゼル機関と排気ガスタービンを独自技術で開発することを決定した。当時、過給機付2サイクルディーゼル機関はまだ揺籃期にあり、過給機の開発も大きな要素であった。空気設計上の特徴は、圧縮機に効率の高い遠心シュラウド盤付き後方湾曲型羽根車を、およびタービン翼は丸頭翼と称し、動圧ブローダウンに適するようにガス入口側が円筒断面のユニークなプロファイルを採用していることである。本過給機は昭和41年(1966)に就航し平成20年(2008)まで42年間の長きに亘って稼動していたもので当時の技術が確かなものであったことを証明するものである。

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