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1924(大正13)年に中央度量衡研究所(現産業技術総合研究所)福岡支店に納入された物。2、000kgf/平方センチメートル(200MPa相当)まで昇圧可能で、当時としては国内最大級の能力であった。
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1948(昭和23)年に株式会社東京製作所で作られた、内燃機関の燃焼圧力を測定する機器。エンジンインジケータや指圧器とも呼ばれる。現存する物では最も古いと思われる。
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往復ハンドポンプで発生させた圧力を、一定の重錘重量と平衡させて精確な超高圧力を得て、圧力計の試験・検査を行うことができる装置圧力の昇降から超高圧バルブの開閉、超高圧の微調整までの全操作を電動油圧駆動にして、1967(昭和42)年、世界初の1.5ギガパスカルの発生に成功した。
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1948(昭和23)年12月当社創立以来、国鉄向けに月産数百個の生産がスタートした。その後、造船業界、鋼鉄、電力、石油精製、石油化学、合成繊維、肥料など基幹産業へと供給を広げ、主力製品である圧力計は1972(昭和47)年4月に生産累計1、000万個を達成した。
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多結晶シリコン薄膜による半導体歪ゲージをステンレス製ダイアフラムに直接蒸着した小型で高感度、耐食性の高い圧力センサ。貼り付け歪ゲージ式圧力センサより小型で、拡散型半導体歪ゲージ式圧力センサの弱点であった耐食性を改善し、より高圧レンジの計測が出来る圧力センサとして開発された。開発当初、1MPaを超える計測が可能な、機械組み込み用小形圧力センサが求められており、最初に業務用インクジェットプリンタのインク圧力計測用として製品化された。その後、業務用空調機の冷媒圧力計測用としての利用を皮切りに一般産業向けに広く利用されるようになり、現在では車載・建設機械・半導体製造装置用などその用途を広げている。
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圧力が加わった場合、感圧部であるブルドン管の動きが非常に小さいため、その動きを拡大させて、指針を振らせる拡大機構(内機)という圧力計部品があります。本品は圧力計外部からの振動および内部動圧による振動を特殊拡大機構(特殊内機)で完全に受け止め、指針は静止して最高圧力を正確に指示する様に設計されたものです。第1に振動が発生してもセクターのロットピンが長孔で移動し歯車の破損を防ぎます。第2にピニオン軸の後ろに羽車を取り付けそれをケースに収め、このケースの中に粘土のあるシリコン油を入れることでスムースな作動にすることが出来るものです。ケースのカバーはゴム製で圧力調整後、シリコン油をケースに入れてからゴムカバーを取り付けします。特許No.124161
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タカヂアスターゼは、高峰譲吉博士(工学、薬学。1854〜1922)が1894年(在アメリカ)に発見した消化酵素を胃腸消化薬と製品化したものです。当時のパーク・デイビス社(アメリカ)から世界各国で発売されましたが、博士の強い意向もあり、わが国では、1899年に第一三共株式会社(三共株式会社と第一製薬株式会社が2007年に経営統合)の前身の三共商店が発売しました。この薬瓶は、三共商店を発展的に改組した三共合資会社(1905〜1913)当時のものです。なお、タカヂアスターゼは、現在も各製薬会社が販売している胃腸消化薬などの成分として含有されています。
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石綿を織布状にし、樹脂浸潤し乾燥プレス、研磨を行なったものでウーブン(WOVEN:織られたもの)ライニングと呼ばれる。曙ブレーキは石綿素材のウーブンライニングを昭和4年に製造開始した。石綿は天然鉱物繊維であり摩擦材に必要な効きと強度を確保し、高温効力が安定するという特徴を持つ。自動車工業会の自主規制により1992年から乗用車と2.5t未満の商用車、1994年にはそれ以外の商用車・二輪車への使用禁止した。
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ドラムブレーキの原型であり回転するブレーキドラムの外側に、摩擦材の帯(バンド)を巻き付け、これを収縮させる事よりブレーキ力が発生する構造である。自動車用としては最初期から使用されていたものである。フォークリフト、建設機械などでは現在でも駐車ブレーキとして使われている。写真のものは昭和30(1955)年代に大型トラックのセンターブレーキ(駐車ブレーキ)として用いられていたものである。
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デュオサーボブレーキはサーボ作用が大きく、小さな入力で大きなブレーキ力が得られる特徴がある。DS(Duo Servo)やDSSA(Duo Servo Single Anchor)と略称する。1963年三菱コルトの後輪ブレーキ用として採用された。ディスクブレーキの普及により常用ブレーキとしては使われていないが普通乗用車などの後輪ディスクの中に駐車ブレーキメカニズムとしてドラム-イン-ディスクとして使われている。写真は最近のドラムインディスク。
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曙ブレーキのツーリーディング(2L)型ドラムブレーキは1964年に三菱コルトに採用された。2L型ドラムブレーキは乗用車のフロント用ブレーキとして、ディスクブレーキが普及する昭和30年代から昭和40年代後半まで広く使われた。フリクションタイプのライニング摩耗自動調整装置が装着されている。ライニングは基材が石綿である。写真のサンプルは初期のものとほぼ同型式の三菱ミニカ(1971年)向けのものである。
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日本初のフィスト型ディスクブレーキでFrance Bendix社(現Bosch)から技術導入し曙ブレーキが量産化した。適用車種は日野自動車コンテッサ1300前輪向けで、後のFシリーズの原型である。特徴はシリンダボデーがアルミ、ピストンシールがOリング(現在は角型シール)、マウンティングブラケットがアダプターと一体になっている。キャリパ摺動は面スライドタイプ。この頃から日本でもディスクブレーキが普及していった。
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日本初の住友電工製対向ピストン型ディスクブレーキMk.2型、いすゞベレルにオプション採用次いでベレットに量産採用。ディスクブレーキとして曙ブレーキの浮動型ディスクブレーキF型とほぼ同時期の日本最初期のものである。ダンロップと技術提携し国産化したもので、パッド摩耗の調整は機械的フリクションを利用したメカニカルリトラクション機構であった。写真は初期のものと同形式の補用品である。
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リーディングトレーリング型ドラムブレーキ。曙は1964年日野コンテッサ後輪用から生産開始した。ラッチ式ワンショット型ライニング自動摩耗調整機構付き。LT型は前進・後進の効きが同一であり、また駐車ブレーキ用のメカニズムを組み込むことが容易なため現在も小型車や軽自動車に多く使われている。写真は初期のものと同形式の1978年三菱ギャランに採用されたサンプル。
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曙ブレーキ工業(株)がイギリスAP社から技術を導入したディスクブレーキである。1965年代はバキュウムブースタの採用が少ない時代で、力を増幅させるためパッドの摩擦面を傾斜させた構造としてある。これにより制動力を約5%増幅させることができる。ピストンは1個とし、サポート部材を板金で軽量化を図っており。制動をかけると全体がスウィングするのが特徴である。写真のサンプルは日産ブルーバード(510 1967年型)用である。
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従来ディスクブレーキは全て外国技術の導入であったが、曙ブレーキが独自開発したフィスト型のAD型ディスクブレーキである。それまで摺動部は外部露出であったため塩害による錆付き固着問題があった。これを解決するためピンスライドとし、ゴムブーツでカバーして密封構造にした。鋼板製の軽量高剛性マウンティングブラケットとし、スライドピンを圧接した構造とした。独創性、新規性が認められ1982年に日本機械学会賞を受賞した。
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アイシンでは1967年よりポペットバルブ式のプロポーショニングバルブを生産していたが、その後の装着拡大を予測して米国 Kelsey-Hayes社から技術導入した。ゴム製バルブを使用した簡素な構成であるために、小型・軽量とともに生産性にも優れ、多くの車両に装着されてきた。写真は最初に製作したものに対してチューブ継ぎ手部分の位置が異なる。
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海外技術導入なしに、独自開発したアイシン初のディスクブレーキ。特徴は、(1)固定シリンダで制動力を受ける完全独立タイプ(2)片側シリンダに2つのピストンを配置し、(3)インナピストンとヨークによりアウターパッドへの完全フローティング伝達の構造により、耐熱性(耐ベーパロック性)、引きずり性能、制動力安定性、耐錆性に優れる。写真は補給部品として製作したサンプルである。
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商用車へのディスクブレーキの展開を予測し、KH社の技術導入により開発、生産したディスクブレーキ。いわゆるレールスライドタイプの浮動型キャリパで、商用車の過酷な使われ方を前提とした信頼性・耐食性を確保しつつ、摺動抵抗を出来るだけ下げるレールスライド部の開発に苦労した。本キャリパ以降アイシン製キャリパはピンスライドタイプに移行した。写真は補給部品として製作したものである。
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日本最初期に量産された二重安全ブレーキ用タンデムマスターシリンダ。1964年にプリンス自工の高級乗用車グランドグロリア用として製造された。同年トヨタはこれより少し前にタンデムマスターシリンダを採用した最上級車種クラウンエイトを発売している。いずれも日本最初期のタンデムマスターシリンダである。米国の連邦安全基準公布の3年前で世界的にも早い時期の採用である。
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日本のモータリゼーションが開花した昭和43年トキコが初めて生産したフレーム型ディスクブレーキと同等品。アネット型は、当時他のディスクブレーキと同様スライド部が露出していたため、冬期の融雪剤対応に苦労した。フローティング部材に鋼板を用いているので、ロータ径を大きくできる特徴があり、乗用車に広く採用された。1968年からホンダS800、日産スカイライン等に採用された。
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日本のモータリゼーションが開花した昭和43年代トキコが初めて生産したアネット型と呼ぶ、ホンダS800のフレーム型ディスクブレーキの製作図面。当時他のディスクブレーキと同様スライド部が露出していたため、冬期の融雪剤対応に苦労した。フローティング部材に鋼板を用いているので、ロータ径を大きくできる特徴があり、乗用車に広く採用された。
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ブレーキをかけると減速度により荷重移動が発生するので、前後輪のブレーキ力を一定減速度で後輪側の液圧上昇を抑えるようにした応減速度型液圧制御弁で、日本で初めて日産セドリックに採用された。元はガーリング社が開発し欧州で既に採用されていたものを国産化したものである。応減速度型であるが応荷重性はなく性能的にはプロポーショニングバルブと大きな差はない。
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一定圧で後輪側の液圧上昇を抑えるようにした応圧力型プロポーショニングバルブ。フロントブレーキ系が失陥した場合前輪に対する後輪圧力の上昇率を落とす必要がなくなる、フロント失陥時にバイパス(不作動化)するようにしたプロポーショニングバルブ。
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昭和42年米国で、昭和48年には日本で二重安全ブレーキが義務付けられ、その場その場の対応で車種毎に種類が増えたタンデムマスターシリンダを全面的に見直し、標準化(形状寸法、装着部位等)、安全基準への対応、競合他社製品との交換部品の互換性も考慮しサービス性向上を図った製品である。標準化は日本車特有の多種多様な車種に基本寸法を変えずに対応できるようにし、後の設計に指針を与えた。
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コレット型と呼ばれるクローズドスライドピン型のディスクブレーキで、昭和5年代の登場以来現在も主流の形式。スライド部が完全に密封され錆に強く、搭載性も優れている。現在も改良を加えられつつ広く採用されている。写真は日産セドリック前輪用コレット型でクローズドスライド・フィスト型の最初期のサンプルである。主要構成部品のトルク部材、シリンダはダクタイル鋳鉄であるが、アルミ製の軽量型を採用する車両も増えた。
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トラックは積貨・空積で大きく変わる後輪荷重に応じた液圧制御弁を要する。後車軸とシャシー間のバネのたわみを検出するリンケージタイプがあるが、装着場所の制限、調整が困難などの欠点があった。GLVは慣性弁を用い、Pバルブのメインスプリングを積空2段階の選択により、慣性弁方式の欠点である液圧カット点ばらつきを最少とした。マツダタイタンに用いられた。写真は同一機構であるが、配管口方向を変更した次期型である。
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駐車ブレーキ機構内蔵コレット型ディスクブレーキ。駐車ブレーキレバーの適正な引代を維持するパッド磨耗自動調整装置を内蔵する。調整装置は1回のブレーキ操作で必要な調整を完了し(ワンショット)、一定作動圧で調整を停止するため、信頼性の高い、運転状況に影響されない駐車ブレーキシステムが得られる。現在駐車ブレーキを内蔵するディスクブレーキは、殆どこのタイプである。写真はフェアレディー後輪用。
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石油危機以降軽量化の動きが加速、ブースタはマスターシリンダを車体に取付ける強度部材の一部であるため1.8〜2tの鋼板を使用してシェルを形成していたので重かった。これに対し取付けをシェルを貫通するボルトにして、シェルを薄肉化(0.6〜0.8mm)し大幅な軽量化を達成した。原型は英ガーリングの考案でガーバックと呼ばれる。日本車向けの具体的開発はトキコで行った。日産サニーに採用され現在も最軽量型として広く採用されている。
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米フォードがGMの戦略車種Xカー対抗車種として開発したテンポ・トパーズ、エスコート・リンクス用タンデムマスターシリンダ。フォードは最高品質、最安価格を目指して世界中に引合いを出し、トキコが受注に成功した。日本初のビッグ3向け輸出となったブレーキ製品。小型ファーストフィル機構、小型ねじ込みPバルブ、溶着プラスチックリザーバ、リードスイッチによる液面警報など米国で初めての機構を数多く採用した。
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米フォードが日本からの輸入の乗用車系での実績を評価し小型トラック用としてトキコに発注したタンデムマスターシリンダ。内部構造はコンベンショナル型のタンデムマスターシリンダであるが、乗用車で使用されたPバルブを前後分割式の二系統配管ブレーキに用いるために、マスターシリンダのフロント側ピストンのストロークによりフロント失陥時にバイパスするPバルブを世界で初めて採用した。
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自動車部品メーカーとして初の海外との技術援助契約より作製された間接型真空倍力装置。それまでは、海外製品のスケッチからイミテーションを作製するに留まっていた。昭和30年から在日米軍調達部(APA)よりいすゞ自働車に発注された新車用として生産され、発注は昭和30年代後半まで続いた。APAの品質検査は「受け入れ検査標準」、「工程検査標準」、「完成検査基準」等の書類整備、抜き取り検査など品質管理の基本を教えてくれた。
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日本エヤーブレーキ(株)(現ボッシュ)の中西順三氏が自社のブレーキ部品の開発の歴史を軸に、昭和30(1955)年頃から昭和53(1978)年頃までの日本の自動車用ブレーキの技術、技術史、開発史を著した自筆の貴重な文書(3部作)、うち第1部と第2部は自筆原紙あり、第3部は原紙紛失、現在は湿式コピーが1部残っているのみ。
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日本最初のダイレクトアクティングの7.5インチバキュームブレーキブースター(1964年)量産品の図面(マイクロフィルム)。ベンディックス社の極めて簡素な構造のリアクションディスク式反力機構を用いたブースターとして有名。マイクロフィルムの図面は設計変更のため1967年に新たに起こした図面で、基本設計は1964年のものと同じである。
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日本最初のダイレクトアクティングのバキュームブレーキブースター(1964年)と同じシリーズの量産品。ベンディックス社の極めて簡素な構造のリアクションディスク式反力機構を用いたブースターとして有名。4.5インチサイズは派生品ではあるが、その構造は国産初のものを踏襲している。
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日本最初のダイレクトアクティングのタンデム型バキュームブレーキブースターと同シリーズの量産品。7.5インチのタンデム型で、当時の車両重量増加に対するブースター出力アップの要請により開発した。写真(現存品)のものは量産開始当初に対し、いくつかの設計変更が施されているが、開発当初の基本設計を踏襲しているものである。
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自動車機器(現ボッシュ)が1988年にベンディックスとの提携で開発した日本初の超全長短縮マスターシリンダ。プランジャー型構造を用い小型化を達成した。当時のプランジャー型は、シリンダ奥に固定シール用の溝を形成するため入れ子の中間部材を用いたので構造が複雑化した。その後シリンダ奥のリセス加工が可能になり、簡素な構造のハイフロー・プランジャー型タンデムマスターシリンダとして広く採用されるようになった。
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薄肉化したシェル構造と、反力部に倍力特性を途中から高くするメカニカル機構を設け、ABS装着車において緊急時フルブレーキを低い踏力でかけられるようにし、安全性を高くしたブレーキアシスト型真空倍力装置(なおこの構造は自動車機器(現ボッシュ)とトキコが個別に同時に開発した)。
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サービスブレーキとしてはリーディングトレーディングブレーキとして作動し、パーキングブレーキとしてはデュオサーボブレーキとして作動する国産初のデュアルモードドラムブレーキ。必要なパーキングブレーキ性能を得る為にブレーキドラムを大径化しなければならなかった車両に本ブレーキを採用することでブレーキサイズを小さく抑えることが出来た。
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木製の開放型醗酵桶である。容量は750lである。大きさは上部外径1020mm、下部外径1165mm、高さ1365mmである。製作年は不明だが、明治中期〜昭和初期の間で使用されたものであろう。(写真は横に倒した状態になっている)
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生田秀(大阪麦酒社初代支配人兼技師長)が、ドイツ留学中に旧東ドイツ・カールマルクスシュタット・ゲルマニア機械製作所に依頼した吹田村醸造所の基本設計図である。写真はその一部の南側立面図および1階平面図の図面である。
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内務省技師である妻木頼黄による大阪麦酒吹田村醸造所の実施設計図である。作成はゲルマニア機械製作所の基本設計図が日本に到着してから建築が始まるまでの1890年ごろと推定されている。妻木が手がけた最も古い建築物で31歳の時の作品である。写真はその一部の南立面図、北立面図、東・西立面図である。
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大阪麦酒創業当時の麦芽粉砕機である。本体に取り付けられているプレートに「ゲルマニア1890ケムニッツ」の独名記載があり、1890年製の2本のローラー型の粉砕機である。平成11年(1999年)まで現役で活躍していた。
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樽の刻印から大阪麦酒創業当時の第1号貯蔵樽と思われる。ドイツからの輸入品である。木製で容量は1771リットルである。鏡面外径1340mm、長さ径1560mmである。
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明治28年に京都で開かれた第四回勧業博覧会に出展すべくドイツ・ゲルマニア社に特注して製作された当時のビール醸造設備の動く模型である。博覧会のパンフレットには本装置が以下のように説明されている。「蒸滊力に依りて之れが運転を為さしめ、仕込み醗酵の第一着より冷却貯蔵の末段に至る迄、基順序景況毫も本醸造に異なるなき古今無比の一大妙趣を清覧に供せんとす。(以下略)」。また本装置は昭和45年(1970年)大阪万国博覧会においてミュンヘン市のパビリオンにも陳列された。
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保存していた酵母を使用する前に、通気して活性化させるための装置で、円筒錐形の銅製密閉容器(150l)である。台車の支持軸受部を中心に回転して傾注できるようになっている。銘板の記載からドイツ・チーマン(Ziemann)社製と考えられる。昭和30年頃まで使用されていた。
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別々の容器のビールを合流させて移しかえるために、配管部の所で使用される装置である。いわゆるブレンド用の道具である。本体は黄銅製、筒部はガラス製(目視用)で圧力計がついている。製作は不明だが、集合器としては初期の形式であり、大正〜昭和初期のものではないかと思われる。
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ビール用の平板枠型珪藻土濾過機である。ビール用として使用された珪藻土濾過機の中では最も初期のタイプである。濾過板と濾過枠が交互に組み付けられており、濾過板には珪藻土を保持するための二つ折りのシート(濾紙)が装着される。本機は昭和63年(1988年)まで使用された。
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