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国際比較用光度標準電球

国際比較用光度標準電球は日、英、米、加、仏、独、ソの7ヶ国が製作して、フランスの国際度量衡局に届けるものである。この電球を比較試験して、平均値を国際標準値とし、データを付して各提出国に返還される。日本では当社が電球の製作を担当し、この電球の品質は直接世界各国の技術を代表することとなるので、営利を度外視して技術の粋を集めて製作に当たった。1955年(昭和30)に国際度量衡局から、当社製の標準電球の優秀なことが認められた。年代:1955年

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日本初の環形蛍光ランプ(サークライン) FCL30W

蛍光ランプは,直管形として登場したが、その後小形化が強く求められ、当社は1953年(昭和28)に環形蛍光ランプの開発に着手した。当時外国で開発された32Wでは電源電圧が100Vより高く、変圧器を必要とし普及性に間題があった。1955年(昭和30)に完成した変圧器を用いない30W環形蛍光ランプ(サークライン)は電源電圧100Vで使用できるため急速に普及した。この成功は、わが国の住宅照明に蛍光ランプが広く使用されるようになった最大の理由の一つである。年代:1955年

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日本初の自動式電気釜 ER-4

1955年(昭和30)に開発した自動式電気釜は、特許の間接三重構造が特徴で、バイメタルとの併用により優れた炊飯特性を持ち、当社の全商品を通じて指折りのヒット商品となった。更に、他の厨房機器の自動化の先駆となった記録すべきものである。その性能・品質・意匠は世界的にも認められ、米国はじめ、東南アジア各地へ相当数が輸出された。また、通商産業省からグッドデザィン賞を獲得するなど、多くの栄誉を得た製品である。年代:1955年

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日本初の真空管式球形ラジオ 5LE-92

1956年(昭和31)に「マーキュリー」の愛称で発売された日本初の球形ラジオで、斬新なデザインが大反響を呼んだ。近代的意匠によるプラスチックキャビネット、強力5インチスピーカ採用、無歪出力1Wで小型軽量トランスレス方式。ダイヤルつまみは上部にあり、スピーカは下向きで、周囲どこからでも同じ音量で聞こえ方向性がない。手提げ付で家庭のアクセサリーとして好適で、東芝ラジオの真価を遺憾なく発揮したものである。年代:1956年

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自動反転噴流式洗濯機 VQ-3

1953年(昭和28)に噴流式洗濯機が英国フーバー社より輸入されると、一般家庭に驚くべき速さで普及していった。噴流式は洗濯機の側面についたパルセータが1分間に500~700回転という高速で回転し、汚れ落ちがよく、洗濯時間も短くてすんだ。しかし、布地の傷みがひどいため、1957年(昭和32)に当社から、パルセータが30秒毎に左右交互に反転して、噴流式の欠点である布地の傷みを改善した自動反転噴流式洗濯機が発売された。年代:1957年

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電気冷蔵庫 GR-820

戦後、電気冷蔵庫は非常に高価であり、贅沢商品とみなされ、物品税も40%という最高課税であった。そこで当社は一般家庭向きに普及を目的として、1954年(昭和29)に低価格のGR-910を開発した。翌年の1955年(昭和30)にはGR-810に生産の主力を移し、性能の向上と価格の低減を図った。これらの製品は好評をうけ、生産設備も逐次増強された結果、1957年(,昭和32)にGR-820などを量産して、欧米の一流工場に匹敵する規模と設備をもつ冷蔵庫メーカにまで発展した。年代:1957年

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東芝トランジスタラジオ量産1号機 6TR-127

1957年(昭和32)に東芝製トランジスタ6石、ゲルマニウムダイオード1本を使用した量産1号機ラジオ6TR-127形を発売した。価格は24,000円と高価であったが、シャーシは完全プリント配線を採用し、外装の革ケースをそのままキャビネットとする等、意匠に設計に品質に東芝の技術の結晶として誇り得るものであった。このラジオの発売以降「東芝トランジスタラジオ」と名称を用い、従来の真空管式「マツダラジオ」と区分した。年代:1957年

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日本初の電気やぐらこたつ

当社のヒット商品の一つとして、1957年(昭和32)他社にさきがけて発表した電気やぐらこたつである。これは従来のものとまったく異なり、高級朴(ほう)材を使ったやぐらの上部に発熱体を固定し、上部から放射熱を下向きに出す方式である。構造はきわめて簡単で、手もとのダイヤルで好みの温度に調節ができる。しかも、こたつ板を併用すれば,テーブルや食卓になり、移動も簡単で、冬物の暖房器の王者となった。年代:1957年

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日本初の3インチ撮像管(イメージオルシコン) 5820

1946年(昭和21)に米国RCA社で、撮像管の決定版ともいうべきイメージオルシコンが発明された。当社もこれに注目し、1951年(昭和26)からマッダ研究所において研究を開始したが、この管は電子管の中でも、もっとも高度の製造技術を要求されるもので、完成には多大な困難が伴った。そこで、NHK技術研究所と共同研究を行い、1957年(昭和32)に初めて外国製品に劣らぬ当社製イメージオルシコソ5820が完成、市販された。年代:1957年

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東芝14吋白黒テレビセット 14EK

1958年(昭和33)に発売された白黒テレビで、世界で初めて当社が高感度用に設計した新形真空管6R-HH2、6M-HH3をチューナー回路に採用し、12チャンネルどこを廻してもムラがなく、超感度テレビである。その上、Hi-Fi用として設計した25×10cm超大形楕円スピーカーを前面に取り付け、好みの音質で聞ける三段音質切換装置付である。更に、FMラジオ放送を受信するためのFMアダプターTF102形の取付け可能等の多くの特長がある。年代:1958年

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東芝オープンリール式テープレコーダー 普及型一号機 GT-31形

1959年(昭和34)ごろまでのテープレコーダーは高価のものというのが通念であった。それを打破して、当時わが国で最低の価格(2万円以下)で、誰でも買える製品によってテープレコーダーの普及を期して、同年12月に発売されたのがGT-31形であった。これには設計その他に非常な苦心がはらわれており、特に子供にも容易に操作できるプッシュボタン方式を採用し、3号リール専用の小形のもので、テープレコーダー業界をはじめ一般の注目を集めた。年代:1959年

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日本最大のマンモス電球 50kW

当社で白熱電球が作られてから70周年に当たる1960年(昭和35)を記念して、日本最大の電球の製作が企画された。当時、天然色映画の全盛期で、映画スタジオでは撮影用照明光源に、大型の照明を必要としており、当社はバイポスト形30kW電球やソーラスポット用20kW電球の製品化に成功している。今回のマンモス電球も、50kW電球としての機能を完全に発揮し、巨大な特殊照明用として実用に適し得るものを1959年(昭和33)に完成し、東芝科学館に納品した。年代:1959年

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日本初の業務用電子レンジ DO-2273

当社は1956年(昭和31)に電子レンジの研究を開始し、1959年(昭和34)に国産第一号機を完成、翌1960年(昭和35)に開かれた大阪国際見本市に出品して注目を集めた。そして1961年(昭和36)に発売した市販第一号機は、汎用電子レンジのデビューとなった。1962年(昭和37)には国鉄の食堂車に採用され、1964年(昭和39)の新幹線開業ではビュッフェで暖かい本格的な料理を提供するというユーザコンシャスな活躍を続けた。年代:1959年

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トランジスタラジオ輸出モデル 8TL-463S

1960年(昭和35)に発売された8石+2ダイオードの2バンドスーパーセットで、国内向けおよび輸出向けとして量産された。感度切換回路によって放送を受信する場所に応じて最良の条件で動作させることができる。最初の機種6TR-127以来の伝統である当社独特の美しいレザーキャビネットを用いている。スピーカは新設計9cmPD を使用し、低周波回路に新しく高能率回路を採用して、大形ラジオと同様な電気的性能を持っている。年代:1960年

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世界初のクールレイランプ

映画やテレビのスタジオは非常な高照明を必要とするので、光と共に出る放射熱で非常に暑い。当社は、この問題を解決するためにシールドビームのアルミニューム反射鏡の代わりに、光を反射しても熱線を反射しないコールドミラーをつけたクールレイランプを1960年(昭和35)に開発した。定格は100V、250Wで、アルミ反射鏡のものに比べて熱線照度は1/3に減少している。高照度を必要とするテレビ撮影、映画撮影などのほか、ボクシング会場、国技館土俵の照明に使われた。年代:1960年

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東芝ポータブルテープレコーダ輸出品第一号 GT-32P

テープレコーダの重要な特許であった交流バイアス方式の特許期限が満了となり、業界全般に大きな利益をもたらした。この特許は磁気録音の音質向上に非常に役立ち、わが国で発明された優れたものであった。GT-31など普及形がそろったので、つぎには特殊用途のものが企画され、ポータブルテープレコーダで、乾電池を電源とし、増幅器を全トランジスタ化し、携帯したまま録音・再生できる超小形のGT-32Pが1960年(昭和35)4月に発売された。これはテープレコーダの輸出品第一号である。年代:1960年

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日本初のカラーテレビ受像機 D-21WE

当社はカラーテレビの基礎研究を1950年(昭和25)に着手し、1957年(昭和32)に国産初の21形力ラーテレビ受像機を試作公開した。当時は受像管をはじめ十数点の部品を米国からの輸入に依存していたが、研究を進めるにつれて順次国産化し、1959年(昭和34)に17形角形受像管使用の純国産化カラー受像機を完成して国際見本市に出品した。1960年(昭和35)にはカラー本放送が開始され、家庭用の17形、営業用の豪華21形の両機種を量産した。年代:1960年

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国産1号電動加算器 BCー4001

1955年(昭和30)に電動加算器の開発に着手し、1956年(昭和31)に試作機を完成したが、同時に完成した金銭登録機を優先させることになり、一時開発を中断した。1958年(昭和33)末に再開し、翌1959年(昭和34)に量産試作機10台を完成し、社内において1年間の実用試験を行い、1960年(昭和35)末から本格的生産に移り、翌1961年(昭和36)1月に国産最初の電動加算器BC-4001を発売した。キーボードはテンキー式を採用しているため習熟すればキーボード面を見ないでも操作できる。年代:1961年

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日本初のカラーテレビ用イメージオルシコン 7513

この頃、設備の充実と各種の改良によって、イメージオルシコン5820の生産数は急激に増加し、品質も著しく向上した。さらに、カラーテレビ本放送に対処して、1961年(昭和36)に日本初のカラーテレビ用イメージオルシコン7513を完成した。これはフィールドメッシュを入れ、ターゲットとメッシュの間隔を狭くし、かつ部品材料に細心の注意を払って組み立てられており、カラー用として3本1組で使用するとき、優れた性能を発揮する。RCA製7513と差替え可能で、白黒用としても使用できる。年代:1961年

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日本初のマイクロプログラム方式計算機 KTパイロット

1961年(昭和36)に京都大学と共同でマイクロプログラム方式計算機の開発をテーマに取り組み、完成させたパイロット計算機である。京都大学の頭文字“K”と東芝の“T”を組み合わせて“KTパイロット計算機”と名前が付けられた。この計算機には、記憶装置として国産で初めて薄膜記憶装置を実装している。また、新規に開発したシリコンのメサ型トランジスタを採用した高速度基本回路を用い、並列非同期式高速演算方式を採用している。年代:1961年

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日本初のヨウ素電球(ハロゲン電球)

当社が、1961年に日本で初めて開発した小量のヨウ素を封入した新しい電球である。「ヨウ素サイクル」と言われる、ヨウ素の作用で、管壁の黒化が起こらず光束の低下が殆どない。容器は石英を用い、高電力の割に容器を極めて小さくすることができる。すでに100V、500Wと200V、1500Wは投光器用として実用されているが灯具との組み合わせにより多くの用途が期待されている。これをパラボラの反射鏡をもった投光器に用いると配光は長円になり、外壁照明向きの配光になる。年代:1961年

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東芝テープレコーダ “カレッジエース” GT-600

1962年(昭和37)10月に技術・製造・販売の総力を結集して世に問うたGT-600形は、普及型としては高性能・低価格で、“カレッジエース”というペットネームで青年層を狙った企画が成功し、予想外の反響を呼び、生産・販売ともいっきょに月1万台を超えた。これは当社のテープレコーダの真価を一般に認識させるために大いに貢献したものである。そして生産体制も整い、技術も格段に向上したため、信頼性の高い製品を開発できるとともに、業界での地位も確固たるものになった。年代:1962年

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東芝トランジスタラジオ ヤングセブン 7P-77S

1963年(昭和38)に“ヤングセブン”の愛称で発売された7石2バンド中形ポータブルトランジスタラジオである。当社のトランジスタラジオ製造の長い経験と技術とを生かした合理的設計と大量生産により、従来の概念を破った画期的な価格を実現した。 大形ラジオなみの出力、音質を考えた特殊なオブロングスピーカの採用、大形フェライトアンテナによる高感度、レザーに似たプラスチックキャビネットなど時代感覚に合ったデザインと集中広告で、1機種20万台を突破した大ヒット商品。年代:1963年

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東芝カラーテレビ 16WR

1963年(昭和38)に発表したカラーテレビ16WPの姉妹機であり、オリンピックによる需要増に対応した量産機種である。特にコストダウンに重点をおいて設計し、性能向上、安定性を考慮しながら各部回路、部品の簡易化を図っている。円形のヒューインジケータが前面つまみ部中央に位置し、カラー放送受像時に誰でも簡単に色相調整ができるように配慮されている。色復調管には当社独自の6R-P22を使用し、三つの色差信号を色度信号から直接に復調する方式を採用して高忠実度の色再生を行なっている。年代:1964年

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東芝電子式卓上計算機の1号機   BC-1001

当社は1951年(昭和26)に手動型計算機を開発し、1956年(昭和31)に電動型、1961年(昭和36)にわが国最初のテンキー式電動加算機を開発した。電卓については、シャープの電卓が発売された1964年(昭和39)の夏以降10名程度のグループを作り開発を進め、翌年12月にはテンキー式、重さ18Kg、価格38万円の第一号電卓BC-1001を発売した。この最初の機種は10桁表示式、回路はすべてトランジスタ、ダイオードが主体で部品も数千点に及んだ。年代:1965年

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東芝1号機エスカレーター

1964(昭和39)年3月に府中工場車両部でまずエスカレーターの製作について具体的検討を開始した。当時、府中工場車両部は交流電気機関車の量産中であり、昇降機の設計製造に関する基礎技術が整っていた。さらに他部門でケーブルカーやクレーンの電気制御や電気機器類の技術を保有していた強みもあった。1965(昭和40)年11月に完成した1号機のA形エスカレーターを東芝科学館(川崎市)に設置し、1966(昭和41)年1月に土光敏夫社長(当時)を招いて社内披露を行った。年代:1966年

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東芝カラーブラウン管 姫路工場第1号

当社の姫路工場が白黒ブラウン管の生産に着手した1959年(昭和34)は、受信管・蛍光ランプの増産が軌道に乗った頃で、受信管・蛍光ランプの真空技術などブラウン管製造に必要な基礎技術や技能が備わっていた。1966年(昭和41)4月にカラーブラウン管製造工場が建設され、19型カラーブラウン管の試作がスタートした。さまざまな苦労を乗り越えて同年6月に待望の第1号の良品が完成、その後世界最大のブラウン管製造工場に成長した。年代:1966年

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東芝方式1/2インチオープンリール型家庭用カラーVTR GV-101C

1967年(昭和42)に発売された東芝方式1/2インチオープンリール型家庭用カラーVTRは、低価格・高画質・小型軽量の商品として注目を浴びた。このモデルは、カラー化方式として簡易形VTRに最も適したパイロットNTSC方式を使用しているので、NTSC信号のまま録画再生するため白黒/カラーの兼用として使用できるほか、白黒またはカラーのいずれのテレビ受像機でもモニターとして自由に使用できる特徴がある。年代:1967年

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家庭用電子レンジ ER-501S

1968年(昭和43)に発売された家庭用電子レンジER-501Sは、出力550Wで、性能、品質、安定性などすぐれていることが認められ、食品衛生上、安心して使用できる優良調理機器として、日本食品衛生協会から推奨された。家庭用100V電源で使用可能で、独自のAPC方式(自動出力安定化回路)の採用で安定した高出力と一段の効率アップが図られている。また、高性能特殊セラミックマグネトロンを使用し、調理完了をチャイムで知らせる安全ベル付きである。年代:1968年

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標準化オープンリール統一Ⅰ形VTR GV-201C

このVTRは白黒とカラー兼用の画期的な小形VTRであって、白黒で使用する場合には電子機械工業会で規格統一した統一Ⅰ形に適合している。新しく開発したNTSC方式を採用しているので、NTSC標準信号をそのまま受けて録画できる。テープにはパイロット信号が記録されているので、従来からカラーVTRで問題になっていたテープ走行によるワウフラッタ、ジッタ、テープの伸縮によって生じる色相のずれ、色むらが簡単に補正され、驚くほど鮮明な、原色に忠実な画像が得られる。年代:1969年

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世界初の高性能撮像管(カルニコン)  E5022

1971年(昭和46)に光導電面に高感度のセレン化カドミウムを使用した世界初の高性能撮像管「カルニコン」の製品化に成功し、電磁集束・電磁偏向のE5022の販売を開始した。可視光全般にわたり高感度を持ち、暗電流が小さく、焼付が無くかつシューティングやフレヤがないなど数多くのすぐれた特性を持ち、工業用から放送用までの幅広い範囲に応用される撮像管である。E5022は小型の18mm管で、機動性を重視した放送用カラーカメラに最適な撮像管として各放送局から評価された。年代:1971年

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日本初の家庭用もちつき機 AFC-154

わが国では、古くからもちを食べる習慣があり、お正月など季節の行事やお祝い事には欠かせない特別な食べ物であった。1965(昭和40)年代に入り、さまざまな家電商品が普及する中で、どこの家庭でも、手軽につきたてのもちが食べられる「もちつき機」の開発が進められた。 もち米を蒸し終えたら、そのまま同じうすの中で「つく」作業ができることや、もちの「食感」と「ねばり」を出すための工夫など、さまざまな実験を繰り返し、1971年(昭和46)に発売すると大ヒット商品となった。年代:1971年

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世界初のブラック・ストライプ方式ブラウン管

当初のカラーブラウン管は、デルタ配列電子銃・丸孔シャドウマスク方式だったが、高品位化や、広偏向角化による奥行きの短縮は、コンバーゼンスの調整が難しく、必要な調整回路も複雑で高価であった。これらの問題を解決するため、3本の電子銃をインライン(一列)に配列し、シャドウマスクの開孔を長方形状(スリットマスク)に、スクリーン構造を線状(ストライプ)にしたブラックマスク方式のカラーブラウン管を、1972年(昭和47)に世界で初めて開発した。年代:1972年

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世界初の単管式カラー撮像管  E5280

家庭用カラーカメラを開発するため、1973年(昭和48)に開発した世界初の単管式カラー撮像管E5280である。これは、色ストライプフィルターを走査線に対して斜めに配置し、周波数インターリーブを採用することで、輝度信号と周波数を共有でき、さらに二つの色信号も周波数インターリーブの関係に保つことで、色信号同士でも周波数を共有できる。単に周波数領域だけで赤青信号を多重していた撮像管方式に比べて、周波数帯域を効率よく利用できる画期的な方式であった。年代:1973年

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世界初のVコード方式VTR KV-3000

1947年(昭和49)に三洋電機と規格統一を行い、同社とともにVコードグループを結成、チューナ組込みカセットVTRの商品化に着手し、取扱いが簡単で、誰にでも使用できるカラーカセットVTRのKV-3000を開発した。これは録画時間1時間で、世界で初めて1/2インチカセットVTRとして商品化したものであった。テープをカセットに収納しているため、録画テープがビデオレコードパッケジとして取り扱えるほか、カセットが小形であるため整理保管に場所をとらない便利さがある。年代:1974年

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世界初の家庭用単管式カラーカメラ IK-12

当時、放送局など業務用カラーカメラは高価な撮像管を3本も使い、家庭用として普及させるには著しく困難であった。 そこで考案されたのが周波数インターリーブという技術で、色ストライプフィルターを走査線方向に対して、斜めに配置して撮像管1本で行う方式である。この撮像管を量産化する為に、特別プロジェクトが結成され、開発設計、量産技術の改善に取り組み、1974年(昭和49)に世界初の家庭用単管式カラーカメラ IK-12を発売した。年代:1974年

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日本初の一般照明用クリプトン電球

現在の白熱電球の封入ガスは主としてアルゴンであるが、このアルゴンより原子量の大きいクリプトンを封入すると、一般照明用電球では、効率が約10%向上する。クリプトンはアルゴンに比べてはるかに高価なガスであるため、製造時におけるガスの使用を効率よく行う必要がある。当社では、電球製造上この高価なガスを効率よく封入する技術を開発したことにより、わが国で初めて一般照明用クリプトン電球の開発に成功し、製品化した。年代:1975年

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世界初の自動車エンジン電子制御マイコン EEC-1

米国大気浄化法改正法(マスキー法)への対策を急ぐ米国フォード社のエンジン点火タイミング電子制御化計画に呼応して、当社は、1973年(昭和48)に国産初の12ビットマイクロプロセッサー(TLCS-12)を用いた1次完成品の制御モジュールをフォード社に納めた。その後、エンジンルーム内搭載への小型化、耐振動、過酷温度耐性(―40℃~125℃ )や廉価などの要求に対応して、1976年(昭和51年)に世界初の自動車エンジン電子制御モジュールを完成した。年代:1976年

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世界初のテレビ受像機用SAWデバイス

弾性表面波(SAW)デバイスとは、圧電性基板の上に金属薄膜のすだれ状電極(IDT)の反射パターンが形成された構造で、特定の周波数の電気信号を選択的に取り出すフィルタとして使われている。当社は、1977年(昭和52)世界に先駆けて、テレビ受信機の中間周波フィルタとして、SAWデバイスの量産を開始した。量産化に当たっては、タンタル酸リチュウム単結晶の育成や加工技術の確立と結晶カット角の発見、くし形状電極の設計技術の開発がポイントとなった。年代;1977年

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世界初の日本語ワードプロセッサ JW-10

1972年(昭和47)に京都大学の協力を得て日本語の構文解析の研究を始めた。1974年(昭和49)に文節の形態素解析を基本とした仮名漢字変換の研究を開始し、1978年(昭和53)に実用的な仮名漢字変換システムが完成した。別途開発した小型・低価格の漢字処理用ハードウェアとコンパクトなOS、スクリーンエディターと一体になり、1978年(昭和53)9月26日に世界初の日本語ワードプロセッサJWー10として発表。この日が「ワープロの日」とされている。年代:1978年

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エジソン炭素電球量産品のレプリカ(電灯100周年記念)

1879(明治11)年にエジソンが実用的な炭素電球を発明して以来、100年余を経過したが、その間に多くの研究が重ねられてきた。1979(昭和54)年には、炭素電球の発明100周年を記念して各地で記念行事が行われた。またエジソンが炭素電球のフィラメントに京都石清水八幡宮の竹を使用したことにあわせて、当時と同じ石清水八幡宮の竹を使用して、炭素電球のレプリカを当社横須賀工場で製作し、CIE(国際照明委員会)京都大会の会場などで、展示された。年代:1979年

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世界初の電球形蛍光ランプ(ネオボール)

既設の白熱電球のソケットにそのまま取りつけられることのできる電球形の蛍光ランプ(ネオボール)である。白熱電球に比べると、同じ明るさで消費電力を1/3に節約できる。寿命も約3倍(6,000時間)に伸びている。また放熱量が、白熱電球の1/4以下であるところから、店舗などは夏場の冷房費の節約もできる。この種の電球形蛍光ランプとしては世界に先駆けて商品化したもので、1980年(昭和55)7月の発売以来、生産が需要に追いつかぬほど好評であった。年代:1980年

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東芝ポータブル形日本語ワードプロセッサ TOSWORD  JW―1

重さ11,5Kgで持ち運びの容易な日本語ワードプロセッサを商品化し、1982年(昭和57)秋から販売を始めた。価格も初めて50万円台を実現し、それでいて入力、出力など日本語文書作成の基本機能では高級機なみのものを備えている。1978年(昭和53)秋に日本で初めて開発した日本語ワープロ JW10に比べて、わずか4年間で体積は1/20、重量は1/15、価格は1/10以下となり、半年間で6千台を販売し、ポータブル日本語ワープロの原型モデルとなった。年代:1982年

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世界初の赤外線反射膜応用ハロゲン電球(ネオハロクール)

当社は、1983年(昭和58)に赤外線反射膜を応用したハロゲン電球(ネオハロクール)を開発した。耐熱性に優れた透光性赤外線反射膜を、有機金属溶液を用いたディッピング法でハロゲン電球の外面に形成している。この反射膜は、高屈折率膜としてチタニア、低屈折率膜としてシリカからなる多重干渉薄膜であり、ハロゲン電球に応用したのは世界初である。フィラメントから放射される赤外線を再利用することにより、従来のハロゲン電球より大幅な省電力設計となっている。年代:1983年

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世界初のラップトップPC T1100

業界標準機と完全互換性を持ち、持ち運べるサイズまで小型化したPCなら必ず売れる。こんなアイデアで1984年(昭和59)にラップトップPC開発に着手した。開発者たちにとって不可能とも思えたPC開発だったが、困難を克服し何とか開発できた背景には、小型化のためのキー部品である3,5型FDD、大型LCD、半導体技術などほとんどが社内で共同開発できたことにある。1985年(昭和60)4月に世界初のラップトップPCを最初に欧州で販売した。年代:1985年

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東芝パーソナルワープロ RUPO JW-R10

1985年(昭和60)に販売された本格的パーソナルワープロで、RUPO(ルポ)の愛称で親しまれた。当時、パーソナルワープロ市場への参入が増加し、機能を絞った10万円を切る機種が続々と発売されていた。この「低価格・低機能」の流れを変えたのが、当社のJW-R10である。24ドット印刷、文節変換入力などの高級機並みの機能を提供しながら、9万9800円という価格で発売され、発売2ヶ月で6万台とワープロ史上空前の大ヒット商品になった。年代:1985年

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日本初の1MビットDRAM

当社におけるDRAMの歴史は、1973年(昭和48)に1KビットDRAMを開発したときに始まる。1982年(昭和57)から開始された“W作戦”の重点戦略として1MビットDRAMの開発がスタートした。一貫した設備投資による土台作り、技術者の重点配分による技術力強化を行い、1984年(昭和59)に世界に先駆けて開発、翌1985年(昭和60)に半導体技術の国際会議で発表した。1MビットDRAMは、当社の技術を世界的レベルにまで高め、当社全体でもヒット商品の一つとなり、半導体事業の発展の基になった。年代:1985年

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世界初のHDD内蔵ラップトップPC T3100

1986年(昭和61)に当社が海外向けに発売した世界初のハードディスク内蔵の16ビットラップトップPCである。振動や衝撃に弱く、実現が不可能とも言われた10Mバイト固定デスク(HDD)を1インチの厚みに実装、さらに高性能CPU80286(8MHz)を採用するなど、技術力の高さを米国PCマガジン誌が「The King of Laptop」と称賛した。その後も次々と継続機種を発表して、当社がラップトップPCの世界的メーカーであることを印象づけた。年代:1986年

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世界初の家庭用立体カラーカメラ SK-D37

撮像部にCCDを使用した超小形のカメラヘッド部を人間の目の間隔に2個並べ、そこから得られる2枚の映像信号を交互にVHS-CタイプのVTRに記録することによって、カメラ1台で立体映像の撮影記録を可能にした立体ムービーを世界で初めて開発した。この立体ムービーは二つのカメラヘッドから得た映像を、フィールド切換回路を介して左右交互に出力し、再生信号は液晶眼鏡と、この眼鏡を駆動する専用アダプタを用いて同期させ、家庭のカラー受像機で立体感のある映像が楽しめる。年代:1987年

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世界最大級の光トリガサイリスタ  SL2500JX21

光トリガサイリスタは、発光ダイオード(LED)でトリガできるサイリスタで、電気でトリガする従来のサイリスタに比べ、機器の小型化や部品点数の削減で信頼性も向上する。この光信号で点孤する光トリガサイリスタは直流送電用変換装置、無効電力補償装置などに使用される。当社は、1988年(昭和63)に電気絶縁性、耐ノイズ性、信頼性の高い2,500A 6,000Vの光トリガサイリスタを開発した。世界最大級の6,000Vの高耐圧があり、低損失化と高い光トリガ感度および高過電流耐量を実現した。年代:1988年

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