「」 に対する検索結果 : 26828件
前の50件 (25851-25900/26828) 次の50件 ![]()

最高巻取速度が10,000m/分の高速溶融紡糸実験用の超高速巻取機。 東京工業大学清水二郎教授により導入された本機は、当該技術の開発初期段階からさまざまな研究に用いられ、多くの原著論文が発表され、技術の発展に貢献した。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

シノンは世界初の牛乳タンパクとアクリロニトリルとを共重合した半合成繊維である。適度な吸湿性、絹のような感触、美しい光沢が特徴である。資料はシノン製の高密度織物(サテン組織)で、主に高級羽毛布団の側生地用として販売展開していたものである。シノン独特の光沢感と肌触りが好評を得ていた。 資料は山梨県富士吉田市の株式会社富士セイセンで下晒加工、京都市南区の大同マルタ染工株式会社で捺染加工した商品である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

ジーナは自発伸長糸と高収縮糸を組み合わせた異収縮混繊糸で、染色加工による湿熱処理により両者間に糸長差を生じさせて独特のマイクロパウダータッチを与える。資料は経糸にジーナ66デシテックス、緯糸に通常ポリエステル84デシテックスの強撚糸を用いた平織物(デシン規格)で、特に婦人薄地織物において好評を得ていた。資料は製織、染色加工された1987年作成の試験反で、ジーナの大ヒットにも一役かった商品である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

ジーナ織物の販売促進資料用に作成されたカラーカードである。ジーナ織物は発売当初より無地染め及び捺染プリントで展開されており、特に後者の比率が高いものであった。ジーナの優れた発色性(深色性、鮮明性)を示す資料である。 使用生地はジーナデシン(平織)織物、生地染色を小松精練株式会社に依頼し作成されたものである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は、戦後、“アミラン”という商標でナイロンの生産を開始した。 “アミラン”は、当時、強くて弾性に富む、どの繊維よりも軽い、などの特徴により、かつお・まぐろ旋網などの漁網としても用いられた。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は、戦後、“アミラン”という商標でナイロンの生産を開始した。 “アミラン”は、当時、強くて弾性に富む、どの繊維よりも軽い、などの特徴により、弾力性にとんだミシン糸としても用いられた。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は、1957年2月7日、帝国人造絹糸(株)[現 帝人((株))]と共同で、イギリスのICI社とのポリエステル繊維に関する技術提携契約に調印し、ポリエステル繊維の企業化に乗り出した。 これは、契約に際してICI社から提示された技術マニュアルである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

この装置は製糸設備の一部である延伸撚糸機の撚糸巻取部を構成するものでリングツイスターと呼ばれた。この装置により、糸は撚を付与されながら巻き上げられ、これにより巻き上げられた糸は形崩れしにくく糸解舒性も良好で、それ以前のものと比較して使用しやすくなった。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は“テトロン”製造技術の開発と平行して、“テトロン”新製品の開発にも努めた。中でも絹様ポリエステル繊維“シルック”は、透明度の高い異型断面糸で絹のような光沢を有し、洋装・和装ともども市場を拡大した。 この円形のプレートは紡糸装置の一部で口金と呼ばれ、このプレートに設けられた微細な孔から糸が出てくる。“シルック”ではこの孔形状を工夫し、異型断面繊維としている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は、イギリスのICI社からの技術導入後の1958年5月に、ポリエステルステープルとポリエステルフィラメントの生産を開始した。 これは、ポリエステルステープルの溶融紡糸の心臓部にあたるパックと呼ばれるものである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

この装置は“テトロン”糸の製造において、ポリエステルチップを溶解紡糸し、未延伸糸として巻き上げるために使われた初期の巻取機である。巻上部(ドラム)への巻き始め巻き終わり時の操作は全て手動で行っていた。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

当社は“テトロン”製造技術の開発と平行して、“テトロン”新製品の開発にも努めた。中でも絹様ポリエステル繊維“シルック”は、透明度の高い異型断面糸で絹のような光沢を有し、洋装・和装ともども市場を拡大した。 これは生産開始当初の“シルック”原糸である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

“シルック”は、1960年代に開発されたシルクライクのポリエステル繊維で、その織編物は絹の風合いと光沢を有し、和装・洋装の分野に幅広く用途開発が進められた。 これは1966年に発表された“シルック”初期の駒綸子小紋というきものである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

“エクセーヌ”は1970年当社が開発に成功したスエード調素材で、同年、秋冬パリコレクションにおいて華やかにデビューした。ピエールカンダン、ジバンシー、サンローラン、ウンガロなど世界の代表的デザイナーが、“エクセーヌ”を使って作品を発表した。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

“エクセーヌ”はスエード調素材として花開いたが、それに至るまでは多くの人々の努力があった。このハサミは“エクセーヌ”の発明者が開発当時愛用していたもので、ハサミのにぎり部分についたタグは開発初期の“エクセーヌ”でできている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

合成繊維の長繊維に嵩高性+伸縮性を付与した糸を「嵩高捲縮加工糸」と呼んでいる。 この嵩高加工糸を製造する方法は「仮撚加工法(POY-DTY)」と呼ばれる技術が主流となっている。 当社は1975年より石川工場で本技術を活用した本格生産を開始した。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

ミキシィは野蚕を模した独特の形状(異種異繊度混繊)を有し、ナチュラルでドライな風合を醸し出し、独創性に優れ次世代のシルキー合繊を担うものでとして開発された。 形状、繊度、伸度、収縮等が異なる単糸の構成が野蚕調風合を出す。このスピナレットは八種類の断面形状と八種類の繊度の繊維を同時に紡糸できるように設計されたものである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

ソーラαは株式会社デサントとの共同開発で生まれた太陽光蓄熱保温繊維である。炭化ジルコニウムを繊維の芯部に練りこんで、太陽エネルギーの可視近赤外線を吸収して熱変換し、かつ人体からの熱を反射し保温する。太陽光を利用した保温素材の草分けであり、現在広い分野で利用されている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

このエレベーターは、大容量のかご形誘導電動機を、主回路をパワートランジスタで構成したコンバータ・インバータで制御し、停止制御を含む安定なトルク制御、超微速から最高速度まで自由自在の制御ができ、また、力率1の制御、エレベーターのマイナス負荷モードでの走行では交流電源に電力回生を行い省電力を達成している。さらに、走行音低減ののために流線型のかごを、横揺れ防止のために高性能ガイドローラーを、非常止めや調速機等の安全装置を新規に開発し採用している。その結果、静かで乗心地のよい、540m/min超高速エレベーターを西日本一高い(256M)当ビルで実現できた。本ビルは2階ロビー部がガラスを通してエレベーター構造が見れるようになっている。エレベーター速度540m/min、定員27人(1800kg)
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

フジテックでは、1979年より制御盤にマイコンを使用した規格形エレベーターの適用を業界に先駆けて開始した。従来のリレーシーケンス式に比べてハードウエアの信頼性向上と共に数々の機能をソフトウエアとして盛り込んだ。マイコン化は、利用者はもとより、設計、生産、据付、保全全ての面でのメリットをもたらし、大きな技術革新となった。規格形エレベーターから始まったマイコン化はその後急速に全機種へと広がった。 写真の商品の仕様 速度:60m/分、積載:450kg、停止数:5、モーター出力:5.5kW
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

実際にエレベーターの群管理制御をさせながら、組込んだニューラルネットワークに呼割当ての予測と結果の違いとその判断材料を学習させ、建物固有の人の流れによる呼発生時の割当て候補の良否を自動的に改善させてゆく群管理割当て装置。 稼動中に「ネットを自動学習させる機能が組込まれている」ネット利用の群管理としては当時世界初で、エレベーターだけでなく組込みシステムのリアルタイム学習ネット利用としても先駆けとなった。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

インバータ(VVVF)制御エレベーターとして、当時世界最速である。従って巻上機駆動用インバータ制御としても、当時の最大容量のものである。このインバータ制御では、電源側コンバータ部の入力電源と電動機側インバータ部の出力電流は共にPWM(パルス幅変調)制御によって、正弦波形となるように制御されている。コンバータ部とインバータ部の制御には、ディジタルシグナルプロセッサを使用して高性能な制御が行われている。正弦波コンバータ採用によって、力率は力行時1、回生時-1となる。高調波含有率はサイリスタレオナード方式の1/5となり、電源設備容量も30%減となった。(エレベーターの仕様・速度:540m/min、積載量:1600kg(24人乗)、台数:4)
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

国内初の電流形インバータ制御540m/min超高速エレベーターである。電流形インバータは、電圧形インバータと同様に、交流を一旦直流に変換し、それを再度可変電圧可変周波数に変換するが、その直流ステージを電圧源ではなく直流源とすることに特徴がある。利点としては、入力電源側はもとより電動機側インバータ出力の電流、電圧とも正弦波形に制御できることから、低スイッチング周波数でもスイッチングによる電磁騒音が低いことがあげられる。一方、スイッチング素子には逆耐圧が必要な為、特殊な素子が必要となる。(エレベーター仕様・速度:540m/min、積載量:1600kg(24人乗り)、電動機容量:100kW、台数:4)
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

チャイニーズインテリアに飾られた店内には蛇腹式の扉がついたクラシカルなエレベーターが設置されています。このエレベーターは米国オーチス社製で大正15年に設置され、当初は交流一段制御方式の運転手付エレベーターとして80年間活躍し、いまもなお現役です。戸開は手動で戸閉め操作はペダルを踏むことで閉まり、一般のボタン式ではなくハンドルを倒すことでかごを上下に運転します。その後改修がなされましたがかご全体、乗場廻りと位置表示器等はオリジナル部品を使用している為、当初の雰囲気が保たれた状態となっています。2007年時点で稼動中エレベーターとしては最も古いものの一つです。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

マーシンルームレスエレベーター(SPACEL)の開発は、機械室をなくすということと共に、往来のロープ式エレベーター並みの昇降路平面寸法と油圧エレベーター並みのオーバーヘッド寸法を実現することを目的とした。KONE社の巻上機を採用して、各部クリアランス寸法についても極限まで圧縮した、エレベーターとして国内で初めて発売した。1号機を本ビルに納入した。機械室なしにより、建築設計の自由度、外観、日照権対応等の向上だけでなく、建築コスト削減にも貢献した。 仕様、住宅用6人乗 定格速度45m/min 5階床
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

高速エレベーターのギヤレス巻上機にかご形誘導電動機を採用し、主回路にパワートランジスタにより構成したインバータと同回路で構成されたコンバータを備え、正弦波PWM制御により力率1の制御を行い、すべり周波数ベクトル制御により停止制御を含む安定的なトルク制御と超微速から最高速度まで任意に制御できるシステムを世界で初めて開始した。省エネルギーの要求が高まる中で高効率、高力率な運転制御、交流電源に電力回生を行うこと、低次高調波の制御などが達成できた。東芝の1号機を本ビルに納入した。これ以降、高速エレベーターの制御は直流機を使用したサイリスタレオナード方式から急速にインバータ方式に変わって行った。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

「シャトルシステム」は、完全に自動化された無人輸送システムです。コストを抑えた「水平走行エレベーター」で空気浮上方式により安全で快適な移動を提供しています。駆動部は露出していない為、安全でかつ、天候、その他の要因による損傷から守られた省エネルギータイプとなっています。4車両で毎時20kmの速度で水平走行運転し、毎時1.2万人の輸送能力を有します。巻上機は高速エレベーター用のサイリスタレオナード方式による直流電動機を使用し、運転方式は定時間隔自動運転方式と、閑散時の乗り場押しボタンによるデマンド運転方式の二通りで行われます。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

建物は建築基準法を始めとし、様々な法律、規制に準拠した設計を求められます。特にエレベーターの機械室搭屋は建物の高さに含められることから高さ制限(斜線制限)等の規約を受けることとなり、かなり設計の自由度が制限されます。リニアモータエレベーターは常電導リニアモータを駆動装置として吊り合いおもりに組込んだ一体構造の円筒状リニアモータ自体を昇降させる新方式で多くの特徴を生み出しました。まず昇降路直上の機械が不要、定格速度毎分105m迄可能、7~9階迄対応が出来、設計の自由度が高くなりました。このリニア・エレベーターは業界における機械室レス・エレベーター開発の先駆けとなる画期的エレベーターとなった。リニアモーターエレベーターは日本オーチス・エレベーター(株)が世界に先駆けて日本で実用化しました。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

霞が関ビルは日本における超高層ビルの曙として、1968年に誕生した。当時、高層化をベースとした合理的オフィスビル計画を実現すべく高速度化し群管理したエレベーターが必要となった。計画面においても霞が関ビルが達成した水準は、日本でのその後の大規模・超高層建築の基準となりエレベーター業界も高速化、輸送能力向上面の第一歩となり1991~1994年に大修理工事が実施されたが、主巻上機はオーバホールしたオリジナル品である。本機は先進の米国技術を使って東洋オーチス・エレベータ社が納入した。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

国内初の300m/min超高速エレベーター(ワードレオナード方式)である。本機は制御機器に磁気増幅器を使い、主電動機の逆起電力を速度信号として帰還制御する技術のほか、終端階強制減速装置を国内で初めて適用するなどの国産技術によって製作されて、日本の超高速エレベーターの魁となった。速度:300m/min、積載量:1430kg(22人乗)、モーター量:60kw、電圧:440V、電流141A、回転数106rpm、型式:SBO-SP
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

地上高296mという日本一高い横浜ランドマークタワーに納入された、速度750m/min、24人乗(1600kg)、3台。それまでの600m/分の速度記録を大幅に塗り替えた、当時世界一の最高速エレベーターである。技術的開発品としては、(1)出力120KWという当時最大級の巻上機と、その駆動用インバータ制御(VVVF)装置、(2)万一の過速時にかごを安全に停止させる非常止め装置と緩衝器(停止エネルギーは速度の2乗で増大)、(3)速度の6乗で増加するカゴ内騒音を600m/分エレベーターと同じレベルに抑えるカゴ室構造等である。なお、750m/分エレベーターでありながら、カゴ床に立てた10円玉が倒れないほど床振動が小さいということで、好評を博した。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

従来の誘導電動機を使った規格型エレベーターでは、サイリスタを用いて、起動時は電圧の大きさだけを変えて加速トルクを制御し、減速時は周波数をゼロ(直流)にして減速トルクを制御していた。そのため、加速時と減速時のモーターのエネルギー消費が大きかった。本エレベーターはVVVF(Variable Voltage Variable Frequency)制御を採用して加速から減速まで周波数と電圧を連続的に且つ、最適に制御したので、50%の省エネを達成できたと同時に一層滑らかな乗り心地を達成することができた。このビルのエレベーターは規格形(1000kg、105m/分以下)のエレベーターに最初にVVVF制御を適用したものである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

創建時から揚重設備のひとつとして1号倉庫には3基、2号倉庫には2基のエレベーターが設置されていたが、これらは安全装置等も備えた最新鋭機械が使用されてた。昇降機構としては木籠(乗りかご)とカウンターウェイトでバランスしたものを別のワイヤーで上げ下げする方法を採っていた。また、最上部のプーリー(滑車)はその機構を見やすくするために元の位置から下の階に移設している。木籠は当時の材料であるミズナラを用いて復元した。このエレベーターは、当時の資料より米国オーチスエレベーター製である。日本における初期輸入品の技術を実際に確認できる資料である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

1937(昭和12)年に、全地下式の関西電力黒部川第三発電所の建設に際して作業者と工事用資材の運搬のために、岩盤をくりぬいて造られた長さ194mの昇降路に当時わが国最大のエレベーターが設置された。エレベーターは速度150m/min、積載量4.5tで専用鉄道の貨車ごと運搬できる特殊構造の大型エレベーターで、巻上機は出力88.5kW、回転数137rpm、電圧400Vの戦前の最大容量機であった。1985(昭和60)年の改修工事に当たり記録品として日本オーチス・エレベータが引取り記録品として社内に展示している。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

1909年、ベルギーのエミール・ゴッブ氏の窓ガラス製造方法を譲り受け、兵庫県尼崎地区にて日本初の窓ガラスの創業を開始した。 その後、ラバース法が主流になるにもかかわらず1920年まで生産を続け、同年に終焉を迎える。このガラス円筒は、当時の尼崎工場で製造したガラス円筒であり、終焉間際のものとされている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

旭硝子・尼崎工場(現在の関西工場)において、1909年(明治42年)、日本で初めて板ガラスの工業生産が開始された。当時の製法は金属製の「吹棹」と呼ばれる筒の先にガラスを巻きつけ、これを吹工が吹いて円筒状のガラスを成型する「ベルギー式手吹き法」であった。一旦円筒状に成型したガラスに切り込みを入れて再度、加熱後に板状に成型する工程が採用された。この工法による採板は1920年(大正9年)まで続いたが、その後、ラバース式機械吹き法・フルコール法等、より生産効率の高い生産方法の台頭により、姿を消すことになった。図示した写真は当時生産されたものとして現存する貴重な円筒ガラスである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

ラバース式機械吹円筒法は1902年に米国のLubbers氏により考案された製造方式で、1912年に旭硝子が権利を獲得した。日本初の機械式窓ガラス製造設備を北九州市戸畑地区牧山に建設し、1914年より製造を開始した。当初20インチ(50cm)であった円筒直径はその後徐々に拡大したが、1933年にフルコール式に転換された。このガラス円筒は直径34インチ(86cm)で1927~1933年に製造されたものの一つである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

電気化学工業(株)大牟田工場に所在するアセチレンブラック(商品名デンカブラック)工場は、国内唯一、且つ世界最大級のプラントである。 特に、1988年から量産された高吸液アセチレンブラックは、超々高性能マンガン乾電池のキーマテリアルとして重要な役割を果たした。 生産設備は全て自社開発であり、その技術は現在も特殊品に活かされている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

昭和40年にわが国で初めてチタン陽極を使用した電解二酸化マンガン製造用電解槽が開発され、従来の鉛陽極・黒鉛陽極で得られたものに比べて高品質な二酸化マンガンを製造することに成功した。この電解槽で製造される二酸化マンガンはきわめて純度が高く、マンガン乾電池、アルカリ乾電池などの高容量化に大きく貢献し、国内外から高く評価されている。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

本城金属はリチウムフォイル成形加工時に、安定したリチウム表面皮膜を形成させるため、アルゴンガスに炭酸ガスを混合した雰囲気での加工技術を確立した。 これがリチウムフォイル製造における、世界で唯一の独創技術「アルゴンガス雰囲気グローブボックス内加工」である。この表面皮膜を形成させる事により、内部抵抗が小さく更に保存特性にも優れたリチウム一次電池用リチウムフォイルが生産される。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

長網・円網コンビネーション抄紙機は、密度の異なる二つの湿紙層を一枚に抄き合わせる抄紙機である。マンガン乾電池が糊式からペーパーラインド方式になって以降、デンプンをセパレータ基紙に塗布することになり、弊社で製造される二層紙を使用することにより、マンガン乾電池の放電性能、耐漏液性能、信頼性を大きくあげることとなった。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

乾電池の流通業者向けに刊行したものである。昭和10年前後のマンガン乾電池の種類、構成、材料、製造方法、品質管理状況、電池の保存方法等の記載がある。当時のマンガン乾電池を知るのに大変貴重な資料である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

1917年フランスのフェリーが考案したものである。日本では鉄道信号用、磁石式電話用等に昭和11年から生産が開始された据置用一次電池である。正極は電池中央の多孔性炭素棒である。炭素棒から空気が入り空気中の酸素が使用される。負極は亜鉛版で、電解液は塩化アンモニウム(苛性ソーダの場合もある)水溶液、電槽はガラスである。作動電圧は約1.2Vで安定している。電解液と亜鉛版を交換すれば数回繰り返し使用できる。300型は300Ah、60型は60Ahを示す。保存状態も良く、現存している貴重な空気湿電池である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

Samples of Paper. OJIPAPER MFG. CO. ,LTD・1935年に製造された王子製紙の全製品見本(ケース入り)。・全3巻からなり、33工場全製品見本を収録。・第1巻:印刷用紙、模造紙、筆記及び画学紙、薄葉紙、雑種紙。・第2巻:新聞巻取、雑更巻取、更平判、更半紙、Sロール、Gロール、色紙、包紙他。・第3巻:加工紙、和紙、クラフト紙、漉合紙、板紙。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

王子製紙(株)春日井工場操業開始初期である昭和28の工場配置図を含め工場全設備の図面を台帳に記載したうえ電子ファイル化したものでありその総数は4万件にのぼる。現在でも最新図面を随時入力し有効に活用しているが、古い図面の保存状態が良好であることから操業当初に遡り工場の状況を把握することが可能である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

各パルプ製造設備、及び各抄紙機の設備検討資料、設計図面、フローシートを保存。1.パルプ設備名称、及び資料作成年次Nz-TMP(1964),自製TMP(1966)、 RGP(1969)、DIP(1975)、KP(1985)、PGW(1986)2.抄紙機名称、及び資料作成年次N-1(1963)、N-2 (1967)、N-3(1970)、N-4(1971)、N-5(1979)、N-6(1996)、#9(1985)、#11(1986)
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

明治初期、機械による製紙技術が西洋より移入され、いわゆる洋紙の生産が開始される。そのさきがけとなったのが、渋沢栄一が明治6年(1873)に設立した「抄紙会社」である。 明治7年(1874)9月、現在の東京都北区に王子工場が起工されたが、当資料はその設立当時の設備・機械のオリジナル図面7点(①除塵機、②水圧式エレベーター、③紙料シュート用ドア、④晒粉ミキサーの全体配置図、⑤駆動軸配置図、⑥工場給水設備、⑦ボロ裁断機)である。 これらはすべて、イギリスのイーストンス&アンダーソン社の製図であり、薄い織物製のトレーシングクロスにインキで書かれている。明治初期に外国人が指導して建設された工場のオリジナル図面がまとまって残っている例は稀であり、わが国の洋紙製造業発祥の証となる貴重な資料である。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

明治8年(1875)、現在の東京都北区王子で創業を開始した抄紙会社は、翌年に「製紙会社」と改称した。この銅版画は、当時の工場内部の様子を伝えている。 右上の図には、工場のシンボルであるレンガ造りの煙突や、当時としては珍しい噴水が見える。その他描かれているのは、①蒸気釜、②元車、③洗方打方、④晒方、⑤破布煮釜、⑥破布切、⑦破布篩所、⑧種運昇機械、⑨抄紙機械、⑩光沢摺機械、紙切機械、度量、紙〆機械 である。 これらの機械設備はすべて英国製で、かなり正確に描かれている。⑧の原料運搬用の昇降機はわが国最初の水圧式エレベータである。日本で紙の機械生産が始められた明治初期には、木綿のボロが主原料だった。木材パルプが紙の主原料になるのは、明治40年頃のことである。
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

王子製紙苫小牧工場で大正6年(1917)から昭和33年(1958)まで使用されたもの。木材を回転している砥石に押し付けてすりおろし、砕木パルプ(GP)をつくる装置。この形式は、わが国では明治23年(1890)から使われ始めたが、現在はほとんど使用されていない。 270×388×290cm
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()

円網ヤンキー式抄紙機は円筒型のワイヤーパート(円網)と直径の大きなヤンキードライヤー1本から構成されており、ちり紙や障子紙を小規模に製造するのに適している。この資料は実物と同じ構造の精巧な模型で、形式は一般的なもの。 縮尺 約1/10 60×106×75cm
情報所有館 : 国立科学博物館 ![]()