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日本初の技術の粋が込められた車。量産車初のラジアルタイヤの採用・ツインキャブレター・ラジエーターファンを持たない冷却システムを採用している。フロントブレーキはインボードディスクブレーキシステムという、通常タイヤの内側にあるブレーキをトランスミッションの両側にレイアウトしバネ下荷重を最大限に小さくした特徴を持っている。1965年~
情報所有館 : スバルビジターセンター
開発段階で、カーブ時の異音が問題となっていた。発売6ヶ月前に世界初の「ダブル・オフセット・ジョイント」を開発、異音問題が解決した。以降、日本の前輪駆動車はこのシャフトで育っていったといえる。
情報所有館 : スバルビジターセンター
昭和22年に生産が開始され、ラビットの愛称で爆発的な人気となった。50万台記念号。1947年~1968年までに63万7千台あまりを生産し、1968年、21年間の生産を終了した。年代:1947年~
情報所有館 : スバルビジターセンター
7型エンジンのルーツは日産自動車の前身のダット自動車製造(株)が、1929~1930年に小型乗用車DAT91型用に開発した、直列4気筒、排気量495cc、サイド・バルブ式エンジン。1935年に排気量を722ccに拡大し、7型となり小型車・ダットサン14型に搭載。1935年は日産自動車横浜工場が日本ではじめて自動車一貫生産方式で操業を開始した年で、7型エンジン生産用に米国から当時の最新の生産技術と多数の生産設備が導入された。保存している7型5640号機は1935年の横浜工場製。年代:1935
情報所有館 : 日産エンジンミュージアム
日産自動車は、1937年大型トラック分野に進出するため、米国グラハム・ページ社から大型車用エンジンの設計図面と生産設備一式を買収した。このときのA型エンジン(直列6気筒、排気量3670cc、サイドバルブ式)をもとに、1955年に排気量を3956ccに拡大。1959年にはバルブ駆動方式を高速・高出力型のオーバー・ヘッド・バルブ(OHV)式に変更して、新型ニッサン・トラック680型に搭載。エンジン型式もP型となった。保存しているP型091146号機は1970年の横浜工場製。年代:1970
情報所有館 : 日産エンジンミュージアム
1957年、日産自動車は英国オースチン車の1H型エンジン(直列4気筒、排気量1489cc、オーバー・ヘッド・バルブ(OHV)式)の国産化生産用に、わが国初のトランスファーマシンを導入。C型エンジンはこの設備を使って1H型の排気量を988ccに縮小したもの。この改造設計は技術支援のために招聘中の米人ドナルド・ストーン氏の指導によったのでC型を「ストーン・エンジン」と呼んでいる。C型を搭載したダットサン210型は1958年の豪州ラリーで優勝し信頼性の高さを証明した。保存中のC型06424号機は1957年の横浜工場製。年代:1957
情報所有館 : 日産エンジンミュージアム
日産自動車は1950年代後半に英国オースチン車の4気筒エンジン(1H型)を国産化したが、その後高速、高出力化の市場ニーズが高まり、1960年に日産独自で直列4気筒、排気量1488ccのG型エンジンを開発し、新型ニッサン・セドリック30型に搭載し発売した。G型エンジンは当時の最新技術を結集し、オースチン車エンジンに比べショートストローク化していることなどでオーバー・ヘッド・バルブ(OHV)式ながら軽量・高速タイプが特徴になっている。保存しているG型59126号機は1962年の横浜工場製。年代:1962
情報所有館 : 日産エンジンミュージアム
旧プリンス自動車工業(株)の前身、たま自動車(株)は、1952年に最初のガソリンエンジン搭載の中型プリンス乗用車ALSI型を発売した。エンジンは直列4気筒、排気量1484cc、オーバー・ヘッド・バルブ(OHV)式のFG4A型で、富士精密工業(株)が開発・生産した。その後、FG4A型は1963年に新型プリンス・スカイラインS50型に搭載。さらにエンジン型式をG1型と改称。保存しているG1型219801号機は1966年(推定)のプリンス自動車工業・村山工場製。年代:1966
情報所有館 : 日産エンジンミュージアム