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1939(昭和14)年に建設された信濃川発電所で使用されていた水車発電機。5基の水車発電機により建設当時は東洋一の165,000kWの発電所出力を誇った。Voith社(ドイツ)製 水車最大出力:39,000kW 回転数:214rpm
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1915年に当時の猪苗代水力電気により完成された猪苗代第一発電所で利用された水車ランナ。 Voith製11250馬力の横軸フランシス水車6台による最大出力37,500kWは当時世界有数であり、「水主火従」の到来を決定づけた。電気の史料館で保管されているものは、交換された2代目のものであり、1987年まで利用された。
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昭和25年に日本発送電(株)により着手され、昭和27年に東北電力により運開された当時東洋最大の揚水式発電所、沼沢沼発電所で用いられた水車ランナ、及びポンプランナ。この発電所では、「発電電動機」「ポンプ」「水車」を同一軸上に連結したタンデム型が採用され、電気の史料館では水車ランナ1個と、1段目ポンプランナ2個、2段目ポンプランナ1個の1組分が保管されている。
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わが国ではじめて採用された縦軸単輪四射型のペルトン水車。縦軸型の採用により、1個のランナに4~6本のノズルを噴射させることが可能になり、単機容量の増加と同時に、水車発電機設置スペースの縮小による建屋の小型化が可能になった。
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1964(昭和39)年に運転開始した東北電力の小中島発電所で使用されていたもので、横軸円筒形水車(チューブラ水車)としては当時国内最大容量機だった。東芝製。 水車出力:2,320kW 水車回転数:200rpm。現在では珍しい優勢歯車増速装置により増速して発電機を駆動する方式を採用している。
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世界で初めてカプラン水車の可動ランナベーンを電動サーボモータで操作することを実現し、ガイドベーン操作機構と合わせ、カプラン水車の制御操作機構の全電動化を実現した。
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超高落差ポンプ水車の採用により、揚水式発電所では当時世界最大の最高有効落差728mを実現。 また水車出力420MWは、ポンプ水車としては、当時世界最大。(現在は神流川発電所のポンプ水車の482MWが世界最大)
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従来の水力発電所用ガバナに要求される負荷変動に対する出力調整(速応性)及び並列前の水車の定格速度での安定制御の機能に加えて、サージタンクの水位変動抑制機能を加えたもので、世界初の適用。サージタンクの容量低減による建設コスト低減に貢献した。
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新設揚水発電所として世界ではじめてスプリッタランナを採用。最大出力482MWは世界最大の単機容量のポンプ水車。世界有数の728mの揚程を持つ。長翼・短翼各5枚のスプリッタランナは世界初。効率の向上や水圧脈動の低減による運転範囲の拡大と信頼性の向上を実現した。
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1906(明治39)年頃に、芝浦製作所(現 東芝)で、地方の村落で手軽に利用できる小水力用水車を開発する話が出て、水車の設計を担当していた田澤昌孝がそのための水車を開発した。この水車は発明者の名前を冠して「田澤式軽便タービン水車」と通称されたが、正式には「沿軸並流水車」と言い、1909年に特許第17021号に登録されている。試作初号機は落差1mで3馬力、1kWを発電するものであった。 この水車の製造は、1910年に芝浦製作所の水車製造事業を電業社に移管したのに伴い、電業社に引き継がれた。以後、1917(大正6)年以降、本格的水車の製造が軌道に乗るまでに、0.25~68馬力の水車が累計162台、合計出力2,200馬力が製作され、揺籃期の水力開発に大いに貢献した。田澤昌孝自身の著書「我が水車工業25年の追憶」に、その開発の苦心談が収録されている。なお、田澤昌孝は、1900年の芝浦製作所の水車製造開始以来、電業社においても引き続き水車の設計に従事し、現在の東芝の水車事業の技術的基礎を確立した。本軽便タービン水車は、元来、山村の旧式木製水車を置き換えることを目的として創製されたものであるので、効率の優れた大容量の水車が製作される今日では、実物資料として現存するものは無い。わずかに文献、カタログ、写真などが資料として残されているのみである。
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1938(昭和13)年初頭、この大容量水車の引合いが朝鮮・満州鴨緑江水力発電株式会社から公表された。水豊ダムは堤長950m、高さ100m、貯水面積は琵琶湖の2分の1という巨大なものである。水車はフランシス水車7台で、落差82mで出力105,000kWという当時世界最大のものである。当時、世界最大容量機は米国ボルダーダム発電所の85,000kWであり、これを遥かに凌駕するものである。激しい国際競争の結果、同年3月に電業社(現 東芝)が全7台を受注した。 この水車製造により、電業社は世界の同業他社を瞠目させると共に、わが国の電機業界から初めて世界記録品を送り出したという意味で、わが国の電機工業史上不朽の記録を残した。これに対し1942年1月に朝日新聞社から朝日文化章を授与された。国交の無い北朝鮮にあるため詳細は不明であるが、実機は現在も同国の主要電源として稼動していると思われる。資料として、仕様書、設計図、文献、写真などが保存されている。
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1970年、米国の既設グランドクーリーダムに、大形フランシス水車3台(87m、62万kW)を増設することになった。東芝は米国、カナダのメーカーと共同で応札し、受注に成功した。東芝の担当は水車主要部品と、現地組立用のランナの半完成品の製作である。この水車の主要部品は最大肉厚300mmにも及ぶ大肉厚の鋼板溶接構造であるため、東芝は、当時としては新しい消耗ノズル・エレクトロスラグ溶接法(CES 溶接)を大々的に導入して使用した。また、ランナは直径10m、完成重量450トンに及ぶ巨大なもの(現在世界最大の三峡ダムの水車とほぼ同じ)である。東芝はこの羽根の三次元曲面を加工するためのNCソフトを独自に開発し、世界で初めてランナ羽根のNC加工に成功した。これが、世界中の水車メーカーがNC加工を採用するきっかけになった。
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オーストラリアでは東南部のスノウイー・マウンテンの水を西部の乾燥地帯に流す壮大な分水灌漑計画を進めた。このツマット3発電所は、その中で最大の揚水発電所で、283MWの発電専用の水車3台ならびに283MWの水車と194MWのポンプを一軸に締結したタンデム式ポンプ水車3台の計6台の主機を擁するものである。 タンデム式ポンプ水車はヨーロッパでは数万kWのものが多数作られているが、わが国では54MW立軸機と23MW横軸機の2例があるのみである。東芝はその中でこの283MWの世界最大級のタンデム機に挑戦し、ヨーロッパでも従来成功していなかったポンプを空転起動後に充水する起動方式にも成功した。このタンデム機には、他にも数々の新技術を織り込まれており、日本機械学会から技術賞が授与されている。
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1960年代に多くの揚水発電所が建設されたが、これらはいずれも揚程が100~250m程度であった。1960年代後半になり揚水発電所の建設費削減のため高落差化が要請されるようになり、1973年に電源開発 沼原発電所に世界で初めて揚程500mを超えるポンプ水車(日立製;揚程528m、出力230MW)が設置され、運転を開始した。 一方、九州電力でも、沼原を凌ぐ最高揚程545mの大平発電所の建設を計画し、1971年に東芝、日立に各1台を発注した。この1号機(東芝製;揚程545m、出力256MW)は1975年4月に運転を開始した。これにより、わが国のポンプ水車は、沼原に引き続き世界のポンプ水車の揚程の記録を更新した。東芝では、このポンプ水車の製作経験に基づき、以後、旧ユーゴスラビアのBajina Basta発電所向けポンプ水車(揚程622m、出力315MW、1980年運転開始)およびブルガリアのChaira発電所向けポンプ水車(揚程701m、出力216MW、1987年運転開始)を製作し、世界のポンプ水車の揚程の記録を相次いで更新していった。
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1973年、最高揚程621.3mというバイナ・バスタ発電所が旧ユーゴスラビアで計画された。本計画に用いるポンプ水車は、当時建設中の世界最高揚程の太平発電所用ポンプ水車より高速(400r/min→429r/min)、高揚程(545m→621m)、大容量(256MW→315MW)であったが、太平発電所の経験を活かし、東芝が主機全2台を受注した。 この発電所は、計画段階で、水路系の形状により特異な水撃干渉波が発生することがわかり、これは従来知られていなかった現象で、1980年の国際水理学会(IAHR)でこの問題について論文を発表し、注目を集めた。このポンプ水車は1982年に全く問題なく営業運転に入り、その後、1994年にブルガリアのチャイラ(Chaira)発電所のポンプ水車が運転に入るまで12年間、世界最高揚程機の地位を保った。
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1977年、オーストラリアのワイバンホー発電所向けに、ツマット3発電所用機よりさらに大形のタンデム式ポンプ水車(水車:325MW、ポンプ:240MW)2台を東芝が受注した。これはタンデム式ポンプ水車として世界最大容量であるばかりでなく機器寸法としても世界最大級で、発電電動機の上端から下部のポンプ吸込み管底部までの垂直高さは約50mに達する。言うなれば地上最大の立軸回転機械とも言うべきものである。この機械で特筆すべきは、その巨大な図体にもかかわらず、運転制御にコンピュータを用いた非常に繊細かつ高度な制御を行なっていることである。すなわち、発電、揚水、調相、停止などの各運転モードの切替え時の入・出力の変化率を任意に指定できるようになっており、この様な高度な入・出力制御方法は、今日に至るも他に類を見ない。
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ブルガリアのチャイラ発電所のポンプ水車(最高揚程701m、水車出力216MW)は、世界で初めて揚程が700mを超えた機械で、1980年、東芝が主機全4台を受注した。東芝は1978年より、当時、高落差ポンプ水車で問題となっていたランナの異常振動による疲労破壊の問題について、世界に先駆けて実落差模型試験装置を用いて研究を進めていたが、このポンプ水車はその研究成果を適用した初のポンプ水車である。1号機は1984年に出荷したが、ブルガリアの経済事情から工事が大幅に遅延し、運転を開始したのは10年後の1994年であった。世界最高揚程のポンプ水車の運転開始は内外から注目されたが、無事運転に入った。全4台が運転に入ったのは、受注後約20年を経た1999年である。本機に対し1995年に日本機械学会賞が授与された。
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国産初の1万馬力を超えた大容量水車のケーシングおよびランナである。 実物展示。 水車最大出力 7,460kW、最高落差160m、回転数500min^-1 納入先:利根発電(株)、台数:1915年1台、1917年2台 [ケーシング]重量13t、直径762mm、鋳鉄製、1963(S39)まで稼動
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わが国初めての横軸タンデム揚水発電機器 水車出力 23,000kW、最高落差 215.1m、最低落差 183.5m、最大流量 12.1m^3/s、回転数 500/600min^-1、最高揚程 226.2m、最低揚程 198.4m、流量 8.85m^3/s 東北電力殿納、運開1952年、台数 2台
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わが国初めての立軸タンデム揚水発電機 運開1960年、水車出力 54,000kW、最高落差 226m、最低落差 222m、最大流量 27.1m^3/s、最高揚程 245.9m、最低揚程 235.5m、流量 19.1m^3/s、回転数 300rpm
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日本の国産ペルトン水車としては、最大容量機。1961年製、最大出力 95,000kW、最高落差 580m、回転速度 360min^-1、2台、直径 3.3m、重量 12t、バケット数 22枚、13Crステンレス製
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低落差大容量の巨大寸法のポンプ水車。 ランナ直径 φ8,375mm、羽根とクラウン、シュラウドリングがエレクトロスラグ溶接で接続された溶接ランナである。2分割ランナ。 最大出力 343,000kW、最高落差 107.7m 回転速度 122.5min^-1、6台
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当時世界最大容量のフランシス水車。 最大出力 730,000kW、最高落差 146m、回転速度 122.5min^-1 運開 1984~1986年、7台(Unit11,13-15,17-18,20) 1985~1988年、3台(Unit12,16,19) 完成年1978~1982年 ランナは13Cr一体鋳鋼
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この水車は、単機容量の点では、同じく1984年に運転を開始したベネズエラのGuri2発電所用の730,000kWフランシス水車(日立/東芝連合)に次ぐ国産では2番目に大容量の水車である。富士電機ではこの水車4台を受注して1984年に全台運転を開始した。 この水車ランナは、輸送制限のため2分割して現地へ輸送されたが、現地ではクラウン側をボルト締め、バンド側を現地溶接で組み立てるという新しい製作方法を採用している。また、発電機軸と水車軸は共通の1本の鍛造中空軸として、コストを削減している。
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富士電機では、1961年1月に運転を開始した関西電力の黒部川第四発電所の立軸6ノズルペルトン水車(580m、95,800kW)よりも1年半早く、1959年6月に北陸電力和田川第二発電所用に当時国内最大容量の立軸4ノズルペルトン水車(470m、68,900kW)を納入し運転を開始している。 この水車は1台あたりの出力では黒部川第四のペルトン水車に劣るが、4ノズルであるため、1ノズルあたりの出力は17,225kWであり、黒部川第四のペルトン水車のそれ(15,967kW)よりも大きい。 なお、このペルトン水車には、13Crステンレス鋳鋼製の一体鋳造ランナが、黒部川第四発電所のベルトン水車よりも早く採用されている。
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バルブ水車が日本に導入された昭和34年以来、この赤尾発電所用のバルブ水車が製作されるまでは最大でも8,800kW(群馬県営 小出発電所用機、1965年)であった。関西電力ではこの赤尾発電所を計画に際し、立軸カプラン水車案と横軸のバルブ水車案の経済性を比較して、34,000kWの大容量バルブ水車を採用することに決定した。この水車は、1978年の運転開始当時は、世界最大級の容量であり、ランナ径も5,100mmという当時のわが国最大の機器寸法を持つ本格的なバルブ水車である。富士電機は、この赤尾発電所用機の製作経験に基づき、1984年には東北電力第二新郷発電所用に当時わが国最大出力の40,600kWバルブ水車を製作している。同社は、以後、2万から3万kW級のバルブ水車を多数製作し、海外にも輸出した。
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この水車は、単機容量の点では20,040kWと大きくないが、落差が最高6.3m、最低3.3mという超低落差で運転されるため流量が多く、ランナ径は7.3mという機器寸法からいえば世界最大級の超大形バルブ水車である。また低落差であるためなるべく回転速度をあげるために3枚羽根という最小の羽根数を採用している。 機器寸法が大きいに拘わらず落差が低いので、水車本体の静止部などは薄い鋼板構造でよい。しかしそのために構造的に剛性が小さく、現地組立時などには変形を防ぐのに非常な注意を必要とする。 発電機を収納するバルブ部垂直の上下2本の支持柱(ステーベーン)により支持される構造をとっているが、この支持柱でランナに作用する水スラストや発電機の短絡トルクに耐えるように設計されている。
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本館の建物は、発電設備のある発電棟と送電設備のあった送電棟が一体になっています。発電棟は、放熱性を考慮した軒高12mの広い空間があり、送電棟は、一階の母線室と二階の配電室に分かれ、配電室の床が高電圧に耐えられる耐火床になっています。発電棟には、大きな水車に発電機を直結した発電装置が3組設置されております。水車は、当初の米国モルガン・スミス社製の水車が破裂したので、それに代わる大正12(1923)年電業社製横軸単輪複流渦巻型フランシス水車です。発電機は、明治44(1911)年のゼネラル・エレクトリック社製で、大正12(1923)年に芝浦製作所がコイルを巻替えたものです。最大9,600kWを発電しました。
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この発電所は、電力需要が増加した大正6(1917)年に、本館発電所の放水口から出る落差7mの水を再利用して発電するものです。大きな発電機を、その左右に2台づつ、計4台の露出型水車で廻すという、他に類例のない発電装置で、日立製作所製です。最大1,200kWを発電しました。
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日本が技術導入のために外国に発注した最後の主力艦で、イギリスのヴィッカース社において大正2(1913)年8月16日、巡洋戦艦として竣工した「金剛」に搭載されていた重油と石炭混焼のヤーロー式ボイラー。このボイラー技術が国内で研究され、国産高性能艦艇用ボイラーの開発につながった。本資料は、イギリスのヤーロー社が開発した艦艇用ボイラーで、「金剛」が昭和10(1935)年~12(1937)年に近代化のため改装された時、陸揚げされ建物の暖房用として戦後まで使用された。
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内火焚き炉筒ボイラーは1804年にアメリカにて開発したが、まもなくイギリスにて1812年に創始したのがコルニッシュボイラーである。このボイラーは炉筒が一つである。1883年に電灯会社が設立され、その電灯会社には国産のコルニッシュが採用されており、本ボイラーは大体この頃に国内(メーカー不詳)で製造されたと思われる。
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昭和16年頃には満州や韓国へボイラーの輸出が盛んで有った時に、南満州鉄道から機関車の立型蒸気注水機を大量に受注メーカが、その工場内性能確認試験用ボイラーとして製造されたもので、このボイラーは蒸発量1t/h 燃料として石炭が使われ、その構造としては三胴式の水管ボイラーで、当時としては珍しい蒸気圧力2.2MPaの高圧ボイラーである。
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立型ボイラーは原動力として用いたボイラーが最初と言われ、その後、立型横管式や立型多管式などが出現した。我が国においては昭和の高度成長期(1970年頃)まで多用されてきた。ここに示されているボイラーは1952年頃に開発されたもので、従来の立型煙管式ボイラーの汽水部を改良して作られた物で蒸発率が高いという特徴を有している。
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火力発電所のボイラの主要な構成部品であるドラム(缶胴;圧力容器)に対する、内圧による加圧破裂試験であり、国内では初の試験と思われる。本試験により、当時推定が困難であった大型(胴長3m、外径1.2m、肉厚46.5mm)の溶接構造物に対する破裂形態を明らかにした。本試験結果に基づく設計法は、トラムの信頼性向上に大きく、資するとともに、大型の圧力容器に対する試験・評価方法の礎となった。
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石炭を燃料とする火力発電所のバーナである。前代の石炭焚きバーナ(PMバーナ)は、日本の石炭火力のNOxを油焚き並に大幅に環境負荷を低減し、海外諸国へ多くライセンス供与された。その後の技術の進展により、新たに本A-PMバーナを開発し、100万kW火力である中国電力三隅発電所をはじめとした国内火力発電所様、台湾電力、タイ電力と多くの国で採用されている。世界22カ国(日本除く)の海外特許も取得されている。 国内特許:特許第2781740号他
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石炭を燃料とする超々臨界圧変圧運転の1000MW出力の火力ボイラで、ボイラ出口の蒸気条件は主蒸気圧力25.4MPa、主蒸気温度604℃、再熱蒸気温度602℃の最高レベルである。さらに、燃焼性に優れる石炭バーナ(A-PMバーナ)(Advanced-Pollution Minimum)粉砕性能に優れる回転セパレータ付き微粉炭機(MRSⅡミル)を採用し、国内最高レベルの低NOx、低未燃分、ボイラ高効率を実現した。また、火炉は信頼性に優れる重直管方式を採用し、石炭専燃時も100~30%までの広範囲な安定運転を実現した。
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ビデオで様々な界面の世界を紹介している。 1. 表面張力 2. 乳化 3. 分散 4. 液晶 5. 界面 に分けて説明を行い、それぞれについて界面活性剤の効果を紹介し、また応用例を紹介。
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「家事の科学」は花王の消費者対応部門の前身である長瀬家事科学研究所の機関誌である。 家事科学研究所は、従来「家事は婦女子の末技」と軽んぜられてきた家事全般について科学的角度から観察して、これを合理化・能率化する啓発的な研究施設として生まれた。 花王が商品の品質を科学的・客観的に立証して販売事業を側面から援助する役割を担うものであった。 この機関誌(月刊)はそのような目的に沿って技術的事項や講習会などの記事を掲載して運動の浸透を図った。 その内容は被服、調理・栄養、育児、衛生・美容、洗濯法など広く家事全般に及んでいる。
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洗濯石鹸の欠点(硬水系での石鹸カス生成による洗浄力低下)の解決策として、高級アルコールの硫酸エステル塩が開発された。花王では、ヤシ油から高級アルコールを製造(1936年)する技術を確立し、その硫酸エステル塩を用いた粉末洗剤「エキセリン」を1938年(昭和13)に発売。「もまずに落ちる」,「スフを傷めぬエキセリン」というコンセプトで受け入れられた。
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石油危機後,省資源と環境対策として、合成洗剤の濃縮小型化と低リン化が洗剤メーカーの大きな技術目標となった。花王では、この対応として、硬度の影響を受けにくい界面活性剤(AES)を用いた濃縮技術を確立した。1回あたりの標準使用量(25g/水30L)は、在来洗剤に比べ、容量で2分の1となり、「がんこな汚れが今までの半分の量でマッ白に洗える」というコンセプトの「新ザブ」を1975年7月に発売。
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重質洗剤の濃縮小型化と環境対応としての無リン化が重要テーマとなり、1976年6月、無リン液体洗剤として「ジャスト」(1L入り)が発売された。 「油汚れやエリ・袖口などの部分洗いがしやすく、わずかキャップ1杯で洗える便利な液体洗剤」として開発された。 その後、粉末無リン洗剤「ジャスト」(1980年3月)、1991年6月には、非イオン系ですすぎ性に優れた濃縮小型洗剤「ジャスト」の発売へと展開された。
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木綿単繊維内部の非晶部繊維分子と水とが形成するゲル構造の中に閉じ込められた皮脂汚れは、従来の洗剤成分では落ちにくい黄ばみの原因となっていた。この課題に対して、アルカリセルラーゼがこの非晶部繊維分子に作用し、汚れをゲル構造から解放させる機能を示すことを見出した。洗剤系でも安定な酵素を産生する菌を見出し、その培養・発酵技術を確立して、量産体制を造ることに成功した。 これは、1987年4月に発売された高性能コンパクト洗剤「アタック」の基本技術となった。従来の洗浄原理は、洗浄成分が汚れに作用するものに対し、アルカリセルラーゼは、繊維分子に作用して汚れを落とすという、新たな洗浄原理を創案・実証し、国際的に注目を集めた。
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エリ・ソデ口など、衣類についたガンコな汚れ、汗じみなどを飛躍的に落とす蛋白質分解酵素を配合した酵素入り洗剤、国産第1号。 洗剤中の酵素を安定化するため、ある種の界面活性剤で完全にカプセル化を行い配合するという技術の確立が、国内のみならず世界的な反響を呼んだ。
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第1次世界大戦後、マルセル石鹸、ロート油が国産化されたのを機に、繊維工業の勃興とともに油剤工業が発展する。日本油脂はその前身である合同油脂の時代の昭和11年に、ヤシ油を原料とする高級アルコール洗剤「シントレッキス」の製造・販売を開始した。本洗剤は、繊維工業の精錬剤、染色助剤等の分野で好評を博した。
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第二次世界大戦後、業界では昭和25年ごろから油剤生産が開始された。日本油脂はいち早く界面活性剤に取り組み、同年7月戦後の油剤工業における技術革新ともなるアルキルベンゼンを原料とするソープレスソープ「ニューレックス」を製造した。本製品は石鹸やアルコール洗剤に比べ表面活性、浸透力が格段に勝っており、繊維、染色、パルプの各業界で歓迎され、わが国初の石油系工業用合成洗剤となった。
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昭和20年代における脂肪酸工業では、脂肪酸とグリセリンの製造はバッチ式分解装置により生産が行なわれていた。日本油脂は昭和28年から29年にかけて尼崎工場に連続式油脂加水分解装置、脂肪酸連続蒸留装置を導入し、わが国の油脂工業に大きな革命をもたらした。この両設備の導入は、生産能力を著しく向上させただけではなく、安い粗悪な油脂からも良質な脂肪酸が得られることになり、まさに革命的な技術進歩であった。
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近代的な化粧石鹸の連続式石鹸製造装置は、丸見屋が昭和30年5月、アメリカのシャープレス・コーポレーションから輸入したのを初めとしているが、洗濯石鹸の純国産オートメーション設備は、同年日本油脂が尼崎工場に設置したのが始まりである。同工場では、すでに連続式油脂加水分解装置、脂肪酸連続蒸留装置が設置されており、本設備の加入により原料から製品までの一貫したオートメーション工程が完成した。
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メタノールを媒体としたエステル置換によって油脂よりメチルエステルを作り、さらに苛性ソーダによって鹸化して石鹸を製造するともに、遊離してくるメタノールを循環して使用する新しい石鹸製造方法。昭和35年8月より工業生産。 (1)色の仕上がりが良いこと、(2)ほとんど無臭、(3)脂肪酸のように腐蝕性がなく、色、臭いの安定性に優れ、(4)生成物の収率が高い、(5)塩析工程がないため工程が短縮化などの特長がある。
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わが国で最初の本格的な液体ヘビー洗剤。使いよさが断然違うことを特長とした洗剤。従来の粒状のハイトップと同等の洗浄力を有し欧米の液体洗剤以上に繰り返し洗濯のスタミナ力を持つ。30Lの水に計量カップで40ccを適量としたもので、液体缶入り洗剤。
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