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レイモンド ローラーミル

昭和28年から燐鉱石等の粉砕に用い、10トン/時の粉砕能力のものが2基設置されている。遠心リングローラーミルで風力分級器、送風機、集塵機及び気流乾燥装置を具備し、連続的に目的粉砕物を造る設備である。消耗部品等は補修および交換を行い、ほぼ原型を保ったままで、現在も稼動中である。

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石臼(獣骨から人造肥料を製造する際に使用された)の碑

1883年頃より獣骨から人造肥料を製造する際に使用された石臼を、後年記念碑に加工したものである。日本における人造肥料生産の草創期の面影を今に留めるもので、現在は、本社玄関前に置かれている。この石臼は全高約36㎝、外径約50㎝の半球形状で、土間に埋め込み、鍋で炒った獣骨をこの中に移し、足踏式の杵で搗いて粉状の肥料を製造した。

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ムロ(窖)

過燐酸石灰及び化成肥料の製造に用いられた。直径約3.3メートル、長さ8~10メートルのコンクリート製のトンネル形状で下部には切り出し用の開口部がある。バッチ式で約50~60トンを仕込み、切り出し機(Wenk式)で切り出し堆積場へ搬送し、熟成後製品とした。20基建設されたが、現存するのは7基で、最後の1基は1978年まで実生産に使用された。

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不還元性過燐酸石灰の特許證

過燐酸石灰の水溶性成分は土壌中で固定化し易い欠点がある。1927年に最新の膠質化学理論に基づき含窒素膠質物で水溶性成分を保護し、不溶性燐酸塩に還元することなく作物の生育に応じて適度に吸収され肥効を増進させる方法を開発し、その製法特許を取得した。

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體驗集 巻之一から巻之八

多木製肥所(現 多木化学)は創業以来、肥料を製造販売するにとどまらず、常に農業の発展と農業技術の改良普及に努めてきた。この体験集は、肥料の宣伝と施肥指導を目的に、肥料施用体験記録を冊子にまとめ、刊行したものであり、 各地の販売店を動員して集めた各種農産物の生産方法に関する貴重な体験記録である。

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別府軽便鉄道による初荷写真(昭和28年)

多木製肥所(現:多木化学)の創業者は、肥料など自社製品の全国輸送のため、大正4年に別府軽便鉄道㈱を設立した。この鉄道は大正10年に開業、後に鉄道省(現JR)の貨物取扱駅に接続し、昭和59年まで運行された。この写真は、昭和28年の出荷時における様子を収めた貴重な写真であり、車両は英国ナスミス・ウィルソン社製の蒸気機関車である。

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明治27年の販売帳

多木製肥所(現 多木化学)の肥料事業の変遷推移を知る資料として「販売帳」がある。現存する多木製肥所(現 多木化学)の最も古い販売帳は、明治27年の燐酸肥料販売帳であり、魚肥のほか燐酸肥料の代価・数量・販売先などが日時を追って記載されている。

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明治25年のチラシ広告「燐酸質肥料広告」のガラスネガ

このガラスネガは明治25年に発行した燐酸質肥料のチラシ広告である。明治の前半期に、日本の農家へ人造肥料というものの価値やその効果を理解していただくために多木製肥所(現 多木化学)が行った最初の広告である。

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仕込み桶(骨粉を原料とした過燐酸石灰の製造に使用)

骨粉を原料とした過燐酸石灰の製造に使用された仕込桶。内径約136cm、深さ約105cm、内容量約1.52?で、約13mmの杉板で作られ、竹で編んだ箍が3~4重に巻かれていた。土中に埋められて、底に煉瓦が敷かれていた。原型を保ったものは現存せず、酸蝕されずに残った部分が保存されている。

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東京人造肥料株式会社 釜屋堀工場の写真

1888年に日本最初の人造肥料製造工場である東京人造肥料株式会社の釜屋堀工場を撮影した写真である。釜屋堀工場は、1923年の関東大震災で焼失しており、この写真は当時の様子を確認する事ができる貴重な資料である。

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ルブラン法炭酸ナトリウム製造装置塩酸吸収塔の写真

ルブラン法炭酸ナトリウム製造装置塩酸吸収塔の1907年頃の写真。日産化学工業㈱小野田工場に現存する塩酸吸収塔(日本化学会 認定遺産004号)の当時の運転状況を知る事ができる貴重な資料である。

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昭和14年頃の硫安肥料製造作業記録映像

昭和14年頃の日産化学工業 富山工場の風景を記録した映像。硫安の荷造りの様子、ファウザー法アンモニア製造プラントや塔式の硫酸製造設備の外観など昭和初期の肥料製造状況を知る事ができる貴重な歴史記録映像である。

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肥料製造業者免許

大正14年6月1日、住友総本店所属から、株式会社住友肥料製造所として独立した際の、当時の肥料取締法に基づく業者変更届けと免許。

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メートル法採用の通達

昭和6年、肥料の重量表示が尺貫法からメートル法に変わりました。これについての協会からの通達です。これにより、従来の"10貫入り"が"37.5kg入り"となりました。(メートル法は大正13年に法律が出来ましたが猶予期間がありました)

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NEC社技術資料

当社はアンモニアの生産を開始するため、米国NEC社と、窒素工場等の建設に関する契約を昭和3年10月10日に締結(アンモニア日産25屯能力)しました。これは、当時NEC社から入手した技術資料です。

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高圧瓦斯製造許可証

昭和5年にNEC法アンモニア工場建設の時に、愛媛県から受けた高圧瓦斯製造許可証です。

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アンモニア初生産時の引継簿

昭和5年12月9日、アンモニアが初生産された日の引継簿です。アンモニアは、各種化学製品の基礎原料であり、当社が燐酸系肥料と硫酸の製造会社から近代化学工業会社へと前進した記念すべき日であります。また、この日は、住友関係者の多年の念願であった、硫酸の大量処理が実行に移された最初の日でもあります。

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アンモニア工場の保証運転(NEC法)時の引継簿

アンモニア工場の保証運転(NEC法)は昭和6年3月17日から4月15日迄実施されましたが、その前の2月15日から引継簿も英文にて記載されています。

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No1、No2圧縮機銘板

昭和5年当時、アンモニア工場に当初2台導入された圧縮機(独Borsig社製)の銘板。

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硫安工場引継簿

昭和7年12月のものです。第2期窒素起業にともない硫安設備も新しく更新されましたが、その設備によるスタートの際の工場引継簿です。

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No4圧縮機銘板

当初(昭和5年当時)は独Borsig社製のNo1,No2だけだった圧縮機に後から加わった国産圧縮機の銘板。住友鉱山新居浜製作所(住友重機械工業(株)の前身)製。

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接触硫酸の新設と技術導入時の資料

昭和8年、当社は濃硫酸を直接製造できる(それ迄は硫酸を濃縮していた)CCC社(Chemical Construction Corp)のセルデン式接触硫酸製造法を採用し日産45屯の新工場を建設しました(翌9年3月完成)。この工場は、我が国で最初の大規模な接触硫酸工場であり、予想したとおりの効果をあげました。この資料は、当時CCC社から入手したものです。

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展示圃の立て札

詳細は不明ですが、当社の肥料を利用した田畑の生育状況を他と比較し効果をアピールする広告塔の役目を負っていたと思われます。

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合成樹脂の肥料袋

昔から、肥料はほとんど叺(かます)に入れられていましたが、昭和30年代になると合成樹脂製の袋へと変わって行きました。

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万棒(まんぼう)

昔は肥料の出荷は殆ど船で行なわれていました。何千、何万とある叺(かます)や袋の数を確実に数えることは大変でした。この為に用いられたのがこの万棒(まんぼう)です。

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籠瓶(かごびん)

ホルマリン、アンモニア水、硫酸等の工業薬品向けの容器として、古くから使用されてきました。容量は20リットル入りで、手ごろな大きさとして親しまれていました。中の瓶はガラス製で、外側を竹で編んだ籠で保護しています。

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硫酸用土瓶

硫酸の販売用として大正4年以来使用されてきました。土瓶の容量は27リットルで濃硫酸が約40㎏入ります。

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手動ミシン

肥料用の麻袋及びポリ袋の口を縫っていました。

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連続式過燐酸石灰製造装置に関する報告書

過燐酸石灰の連続式製造法に関する報告書です。昭和26年8月、月産1万1千屯の生産試験に入りましたが、結果は良好でめざましい成果をあげました。それまで4時間を要していた製造時間がわずか15分に短縮され、所要人員も10分の1に減少できたということです。この連続式生産設備の採用は我が国で初めてのことで、その後、多木製肥、日本鋼管など10数社に技術を譲渡しました。

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流動焙焼工業化試験炉及び本格的な流動焙焼炉への切り替えに関する資料

肥料工業の合理化の一つに硫酸の合理化がありました。当時その製造に多くの焙焼設備を使っており、多数の人と、設備を維持するため多額の費用が必要でした。このため、かねて研究していた流動焙焼炉の試験に入り、昭和27年これに成功しました。その後、逐次流動焙焼炉に切り替え、最終的には全炉この方式になりました。この結果、人員、保守等について大幅な合理化を達成することができました。

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水素源会議資料

当時硫安は国内需要を上回る生産量に達していましたが、国内価格が上がらず、一方輸出も赤字であり、苦しい状況が続いていました。そのためアンモニアの合理化が急務でした。合理化の主題は原料ガスを安価に製造することにありました。この為、原料ガスについて様々な検討が25年頃からなされていました。この資料は在来のコークス法を含めた各種の方法について、技術的特徴、問題点等を中心に討議した模様を示すものです。

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ケロッグ社の最初の見積書

昭和39年、ケロッグ社に、アンモニアの合理化について見積書の作成を依頼して出来たものがこれです。当時のものは日産300屯でした。その後、色々の経過を経て日産750屯の計画になりました。

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アンモニア起業申請書

昭和38年に始まった世界的な肥料増産対策は、肥料の合理化対策の一環として、「アンモニア工場の大型化」が図られました。「アンモニア工場の大型化」はコスト削減のため、国の強い行政指導のもと、実施したと伺っております。その結果、尿素は当時世界有数の生産力とコストを誇っていました。当社は、ICI-Kellogg法を採用し昭和42年4月スタートしました。当社の採用した低圧、遠心圧縮機法は日本では最初のものでした。これは起業の申請書です。

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ケロッグ社保証運転時のフラグシート

当社のアンモニアプラントは、1系列あたり日産750屯の能力でした。資料は当時の保証運転時のものです。

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アンモニア製造永久停止時の工場引継簿

昭和60年11月20日、低圧法アンモニアの生産を停止しました。アンモニアについては、昭和5年12月初生産以来、55年の歴史をここに閉じることになりました。この間、生産したアンモニアは、旧法の296万屯を含み、合計702万屯にも達しました。このほか粗製メタノールも17万屯生産しました。これは停止した当日の工場の引継簿です。

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叺(かます)入り肥料

肥料は昔から殆ど叺に入れられていました。昔は7.5貫、10貫、15貫等ありましたが、メートル法が施行されてから37.5㎏入りとなりました。それも昭和30年代になると合成樹脂の袋へと変わって行きました。

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カルナ

カルナは1970年代のレジャーブームを受け、高性能な手持ち双眼鏡を普及させることをコンセプトに開発された。従来よりスリムでコンパクト、斬新なデザインを目指した双眼鏡で、1978年7月に6倍と8倍モデルが発売され、ボディカラーは黒とメタリックシルバーの2色、デザインはボディ一体型で、当時ブームのスーパーカーかUFOを連想させた。優れたデザインが評価され、1980年にニューヨーク近代美術館に収蔵された。

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10cm屈折式天体望遠鏡

この天体望遠鏡は1938年(昭和13年)頃に五藤光学研究所によって製造され、1980年代初頭まで東京都のある高校の天文台で使用され、多くの天文好きの少年少女を育てた望遠鏡である。天体を追尾するためにまだモーターは使われておらず、錘の重力でガバナという機構を回転させ、等速度回転を行う重錘式運転時計を備えている点が、今では非常に貴重なものである。

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25mm屈折式天体望遠鏡(通称 : 1インチ望遠鏡)

五藤光学研究所が創業時に発売した天体望遠鏡。対物レンズは単レンズではあったが、当時著しく高価だった天体望遠鏡を、庶民や学校で購入できる価格に設定し、天体望遠鏡、天文学の普及に大きく貢献した。有効径25mm、焦点距離800mm。大正15年から5機種が製造された。保存されているものは恐らく昭和3年頃の「新普及型天体望遠鏡」と呼ばれる機種であろう。

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58mm屈折式天体望遠鏡(愛称 : ウラノス号)

ウラノス号という望遠鏡は1928年から1960年まで製造され、戦前・戦後30年以上もの長期間生産された天体望遠鏡である。英国式経緯台という架台の形式をとっている。長期間全国の学校やアマチュア天文家にゆきわたったため、当時の天体望遠鏡のある意味でのスタンダードになっていた。30年間で4回のモデルチェンジ(5世代)をしており、保存されているものは第3世代のものである。

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マークX赤道儀+8cmEDアポクロマート屈折式鏡筒

マークX赤道儀は1976年に発表された天体望遠鏡のシステムの名称である。赤道儀を構成する軸や接続金具をパーツ化し、組み合わせによって幾通りもの天体望遠鏡に変化するように考え出されている。この結果、様々な形式の望遠鏡が存在するが、代表的な構成として口径8cm屈折式望遠鏡の構成を保存している。発売当時非常に高価であったため、現在でもマニアあこがれの機種となっている。

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人工衛星観測用望遠鏡

1957年以降、ソ連、米国の人工衛星打ち上げにともない宇宙ブームが到来した。この軌道を計測するために日本では高校が主体となって観測網が整備され、その観測に供するための広視界の望遠鏡が各望遠鏡メーカーからあいついで発売される。これは五藤光学研究所によって製造されたものである。この望遠鏡を何台も南北に並べ、人工衛星の子午線通過を観測していたようである。

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STAR BOOK

天体ナビゲーション機能搭載の天体望遠鏡用コントローラー。4.7インチの大型カラー液晶を採用したことにより、文字表示のみの画面と比べ、大幅に情報量が増加した(天体情報数は約2万3000体に実現)。搭載機能は、天体の自動導入や星の自動追尾、さらに各種天体の解説や案内付。これまで必要であった天体ガイドブックや星座早見盤、星図などの多くのアイテムを一つに集約し、天体観測シーンに新しいスタイルを提案。

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6~12X24D CFズーム双眼鏡

ダハプリズムタイプのズーム式双眼鏡としてはニコン初の製品。仕様:6-12×24mm 6.9°(6×時)

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7×15D CF 双眼鏡

業界初のチタン製外装採用の高級双眼鏡

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7x50 SP・IF

7×50SP・IFは1982年に発売され、平坦像面(特許あり)、多層膜コーティングを採用した高性能双眼鏡。このボシュロムタイプの7×50双眼鏡は1949年発売以来改良を重ねながら現在も販売を続けている長寿命製品。

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九三式双眼鏡

陸軍制式双眼鏡。接眼レンズの一部に凸レンズ片を貼り付けガリレオ式双眼鏡でありながら対物レンズの貼り合わせ面に刻んだ目盛りを読めるようにしたものでありこの双眼鏡の他には海外にも類を見ない(特許185430)。仕様;4×40mm。コンベア方式の生産工程も日本では初めてであった。

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10×25AS 双眼鏡

業界初のプラスチック製非球面レンズ採用機種

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オリオン6倍双眼鏡

1922年に開発され1924年(大正13年)に陸軍に十三年式双眼鏡として採用されたもの。接眼レンズが60°の広視界であり(特許87139)携行性の良い小型の広視界双眼鏡として他社にはないものであった。仕様;6×24mm、10°

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空十双一型双眼鏡

飛行機からの手持ち偵察用として一型は1942年に開発、製品化され陸軍に採用された。10×70mmで接眼レンズは70°の当時としては超広視界のもであった。手持ち用の70mm口径、広視界の双眼鏡は当時としては類がない

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