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ボード工業が開始されて初の本格的な学術解説書である。内容的には、1.木質ボードの定義、2.木質ボードの歴史、3.製造設備の解説、4.木質ボードの性質、5.木質ボード関連の規格、6.木質ボードの二次加工・利用、7.ボード工場の規格 等、多岐に亘る解説書として出版された。
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ハードボードの特徴である加工性の良さ、熱に対する安定性等においてテレビキャビネットの裏板として殆どのテレビに使用された。その後、テレビ受像機の進化とともに、プラスチック等に変化し、現在はほとんど見ることがなくなった。ハードボードの需要先として大きな比重を占めていたので歴史にとどめておきたい。
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国内最初のA級インシュレーションボードの吸音天井材「レギュラー」「ランダム」。レギュラーは高度成長期のオフィスで広まり、ランダムは住宅天井材で普及のきっかけになった。
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畳床といえば一般的にワラが使用されていたが、昭和50年代にインシュレーションボードを畳床に使用する技術開発を行なった。建材畳床としてJIS規格も制定され、現在は畳床市場の90%を占めるまでになった。これによりインシュレーションボード業界は需要を一気に拡大することになり、インシュレーションボード業界の発展に貢献した。
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ハードボードを自動車の内装に使用するようになったのは、外国技術の導入による本格的なハードボード工場が建設され、品質面でも優れたハードボードが生産されるようになったためである。以来、今日まで、ハードボードの主力需要分野として継続している。ハードボードの加工性、熱等に対する安定性、価格の安定性等が高く評価されている。
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映写時間16分、66コマのスライド画像と音声で、マカロニ・スパゲッティの歴史や製造方法、調理法などを解説。日本におけるパスタの普及・啓蒙を図ったもの。
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国産パスタ普及推進事業として毎年行われた「全国縦断パスタクッキングスクール」で使われたテキストブック。クッキングスクールとして、料理家の先生方の実演を交えながら、文字通り全国を縦断して消費者の啓蒙活動を行なった。
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パスタのさらなる普及を目指し、ホテルオークラコック長等の監修によって制作された創作パスタ料理集。日本人向けのアレンジを施すことで、日本人により親しまれる食材となることを目的とし、調理法だけでなく仕上がりイメージの写真なども掲載している。
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現存する国産最古の35ミリ精密カメラ。映画機械職人の吉田五郎、義弟で山一證券社員だった内田三郎は1933年に精機光学研究所(現・㈱キヤノン)を設立、国産初の35ミリ精密カメラ開発を行った。当時、民需では高性能なレンズを製造することが出来ず、内田三郎は軍需光学メーカーだった㈱日本光学工業(現・㈱ニコン)にレンズや光学距離計の製造を依頼し、1935年に合作で完成したのが国産第一号の35ミリ精密カメラ「ハンザ・キヤノン」である。本カメラは現存する「ハンザ・キヤノン」の量産試作機で、現存が確認される最古の国産35ミリ精密カメラである。
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「空気液化分離装置」; 本装置は、石灰窒素製造用として昭和4(1929)年より導入されたもので、空気を圧縮して液体空気を製造し、精留塔で沸点の差を利用して窒素と酸素に分離するもの。窒素は肥料製造用のほか保安用として使われた。酸素は液体で販売する他、原料用としても使用。戦時中は物資の不足のため、液体窒素を原石採取用爆薬としても使用した。平成10年1月の当施設利用終了まで工場発展に寄与した。(写真は平成9年当時のもの)
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アイリッヒ「Z-6型混合機」; 石灰窒素の原料混合に使用する設備で、最大2トンまでの粉体と液体の混合が可能。内部のスクレッパーによって、中心へ原料が集まり原料が残留しにくいように工夫され、自転する2基の攪拌機と底部の回転によって、混合効率を高めている。ドイツ製で1956年に設置されたもの。現在も稼動している。
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竪型窒化炉「D式炉」; 円筒型の釜上部から粉末カーバイドを炉内に投入し、窒素と反応させて、石灰窒素を製造する設備である。反応後の石灰窒素を釜下部より自動で削り出し、粉状石灰窒素を製造する。適切且つ適量の原料を炉内に投入するための改造を施している。本製造方法は当社固有技術であり、創業当時から継承する歴史ある製法である。
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「D式炉カッティングローラー」;本設備は石灰窒素を生産する「D式窒化炉(円筒型釜)」最下部にあり、冷却した石灰窒素を自動で削り出す機能を有する。過去においては人力に削り出しを行っていたが、本設備の設置によって削り出し部分の密閉化と作業負担の軽減を図ることが出来た。
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連続回転式窒化炉「AGNキルン」; 連続回転式(キルン式)窒化炉内に、主原料であるカーバイド、触媒、生石灰を投入し、窒素ガスと約1200℃で窒化反応させることにより、粒状石灰窒素を連続で製造する設備である。窒化段階で直接造粒することで、高品質な製品が得られる優れた設備である。
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キルン内部付着物除去装置「リングマシン」; 移動式台車に特殊形状のロッドを設置してキルン内の付着物(リング)を落とすための専用設備である。本マシンの開発により、作業員への負荷の大きい高温下の除去作業が不要となり、作業性、安全性が向上した。さらにマシンに付属するロッドでリングの位置を測定することで、キルン内の窒化反応状況を適正に把握できる。安全と操業の安定化につながる優れた設備である。
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連続回転式(キルン式)窒化炉「OGNキルン」; 粒状の石灰窒素の製造法は、従来は粉状石灰窒素に水を加えて造粒して熱風乾燥する方式(水和造粒法)だったが、①水との反応による変質や②粒の強度が得られにくい等の問題があった。OGNキルンは、水を使用せずカーバイドの窒化段階で直接造粒する独SKW社の知見を基に、連続して効率的な生産を可能とした連続回転式(キルン式)窒化炉である。1984年に稼動開始し現在に至る。
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キルン内部付着物除去装置「デレッキマシン」; 連続回転式窒化炉によって粒状石灰窒素の生産性は大きく向上したものの、定期的なキルン内部での付着物の除去が必要となった。大牟田工場では、1-2時間ごとに除去を行う「デレッキマシン(振動ブレーカー方式)」を導入して、作業性、安全性が大きく向上した。
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カーバイドと窒素を原料とする石灰窒素肥料の製造設備。第一次世界大戦勃発により輸入が減少した化学肥料の国産化のために設置され、現在も稼動を続ける。日本のカーバイドの祖・藤山常一博士が発明した、反応熱のみで石灰窒素の連続生産を可能とした「D式窒化炉」は、カーバイド技術の深耕と共に競争力の源泉となっている。この石灰窒素は、土づくり肥料として広く利用されるほか、過去にはワイル氏病などの農作業者の疫病撲滅にも貢献したユニークな農業資材である。
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配電線を支持している電柱の設計強度は、電線及び電柱が受ける風圧荷重によって決定されるため、電線が受ける風圧荷重を低減させることで、電柱強度を抑えることができ、電柱コストの低減及び台風時の配電設備被害減少が期待できます。低風圧絶縁電線は、電線表面に溝加工を施し、風圧荷重の大幅な低減を実現したものです。絶縁電線での実用化は九州電力㈱殿からの採用が日本で初めてで、その効果から各電力会社での採用が拡大しています。
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国内初のAC電源不要、発電機内蔵型の自動水栓。通常使用する流水の勢いを、水力発電機で電気エネルギーに替え、センサーや電磁弁を駆動させる電力をまかなった。国内の環境意識が現在ほど高まってはいない時代に、節水・節電といったエコの方向性を示した革新的商品である。
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サドル分水栓は、水道配水管から住宅等へ給水する不断水分岐工事に用いる器具である。従来は管にねじ加工を行い、分水栓をねじ込んでいた為、施工が複雑で場合によっては断水する必要があった。又、外力による折損、漏水が多発した。そこで、㈱タブチは1963年にサドルと分水栓を一体化したサドル分水栓を開発し、工事の簡略化と漏水防止を実現した。それ以来、全国の標準工法として普及し、現在も水道の「安全」・「安心」に貢献している。
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日本初のシャワー付混合栓。従来は、壁の中に埋め込まれたバルブを操作することでシャワーの出し止めをしていたが、湯水混合栓にシャワー機能を付加したことで、施工性やメンテナンス性が格段に向上し、現在のシャワー付混合栓水栓の基礎となった。
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洗濯機へ給水する水栓とホースの接続をワンタッチ式とした日本初の洗濯機用水栓。従来の金具での締め付けによる接続から給水ホースを差し込むだけのワンタッチ接続となり、現在はこの方式がスタンダードとなった。
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世界初のコンセント型水栓。従来の水栓のように出っ張らず、ガスコンセントのように壁に埋め込まれた水栓に給水ホースを差し込むだけで簡単に水を取ることが可能となった。現在は、洗濯機の給水用などで業界のスタンダードになっている。
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シングルレバー混合栓のレバー操作に段階的に節度を設けることで、節水性能やウォーターハンマー低減効果を備えた国内初のクリック付きシングルレバー混合栓
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北海道の不凍水抜き栓は、住宅の進化とともに開発されてきた。水抜き文化は日本にしかなく、その時代を反映した独自の進化となっている。昭和中期は台所にしか水の使用場所がなかった。昭和後期になると風呂や洗面所が付き蛇口数も2個、3個と増え、それに適した水抜き栓が開発された。平成になると水圧エネルギーの有効利用があげられ、抵抗の少ない水抜き栓が、また一つの水抜き栓で湯系統と水系統を同時に抜けるものが開発されてきた。
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東亜フェーサー加工。弁・機器のフランジ・ガスケット座面の腐食、損傷などで運転中に洩れが発生することがあります。このフランジ面現地修理機(ポータプルフェーサ)により現地での修理が可能になります。 現地補修により設備更新が不要となります。
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1970年に国産第1号の原子力用ダイヤフラム弁を開発、商品化。汎用ダイヤフラム弁とは次の仕様が異なる。「万一ダイヤフラムが破損しても流体が外部漏洩しないこと」「構成部材は全て耐放射線性が確認されていること(ゴム、潤滑剤)」「ハンドル車過剰締付け防止機構付であること」「ゴムの経年劣化を含む耐久性能が確認されていること」。関西電力株式会社殿美浜発電所2号機(PWR:加圧水型軽水炉)に納入後、国内総てのPWR原子力発電所に納入。本弁はその後、2回のモデルチェンジを行い、現在に至っている。
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1958年、第2回~4回南極観測船「宗谷」のヘリコプター燃料供給装置用耐寒(-40℃)ダイヤフラム弁。「宗谷」艦船上での燃料タ ンク系の事故は許されず、外部シール及び弁座シールに最も信頼性を有すゴムダイヤフラム弁が採用された。耐油性を有するニトリルゴム(NBR)で-40℃の雰囲気温度に耐えるものはなく、ゴムメーカーと協力の上、各種配合のNBRを試作し、船舶技術研究所の冷凍試験室での低温テスト及びガソリンの浸漬テストを実施し、両方のテスト結果から最適配合のNBRダイヤフラムを製作し、納入した。
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当時の海・陸軍燃料廠より可鍛鋳鉄製バルブ材の製造要請を受け、日本で最初に作られた可鍛鋳鉄製のバルブ製品が、「陸燃形」のバルブです。このバルブは、終戦と共に製造中止になりましたが、昭和31年に、本バルブの思想を折込み、新たに開発したマレブルバルブが「八幡形」のバルブです。その後、ねずみ鋳鉄の経済性と鋼の強靭性の特性を持つ材料のマレブルバルブとして中圧分野の蒸気・熱媒・ガス等での使用実績を築き高い評価を得ています。
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特許ベルトーロは、第八高等学校(現名古屋大学)の教授、椎尾調(シイオ ヒトシ)氏によって発明され、大正7年7月特許出願、同9年10月に認可された「回転刷子型変流機」である。当社は、昭和11年4月の創立と同時に生産を開始した。めっき用電源を始めアルマイト用、映写用、バッテリー充電用等幅広く利用され、昭和43年に製造を打ち切るまでの累計生産台数は32年間で7,545台となった。
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大正末期に「コマ印」の「ベーキングパウダー」を市場に出したが、これは日本初と言われている。ベーキングパウダーの量産製品化を国内最初に実現。写真の缶のデザインは昭和十三年頃から使われ、現在もほぼ同じデザインで販売をしている。缶にデザインされている「TOP印」はコマの英文として「TOP」が頂点という意味を兼ねており、コマの「心棒はかね」即ち「辛抱は金」に通じている。
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昭和3年(西暦1928年)アンモニア硫安一貫工場が完成。その当時の建屋図面。(機器その他付帯設備の図面は見当たらない)昭和3年より約60年生産していた。
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住友化学㈱愛媛工場は、大正2年(1913年)に肥料の製造を開始した後、1930~1950年代にかけてアンモニア・アルミニウム・石油化学・ソーダ工業等へ次々に進出しました。また、その後も時代の変化に対応しながら事業を変化させてきました。歴史資料館では、こうした100年の歴史を持つ愛媛工場の歩みを、写真パネルや実際に使われていた機械器具、製造品、各種資料等により、分かりやすく紹介しています。
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焼成りん肥はりん鉱石を回転窯(ロータリーキルン)で焼成し、有害成分のフッ素を除去したりん酸肥料です。昭和26年(1951)に慶応大学教授・山口太郎が開発した製造方法をもとに、翌27年(1952)から小野田セメント(株)(現在の太平洋セメント(株))中央研究所が工業化研究に着手し、昭和30年(1955)小野田肥料(株)(現在の小野田化学工業(株))を設立し、世界で初めて工業化に成功しました。
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1953年、従来の固定式ムロによるバッチ方式での過燐酸石灰の生産を止め、連続式ムロによる50トン/時の生産能力のある過燐酸連続仕込装置を新設し、生産を開始した。燐鉱石及び硫酸の計量機と混合機・滞留機・連続反応ムロと輸送・搬送機器で構成されている。特長は外国方式にない種々成分の異なる燐鉱石に対して融通性を有することである。基本的な工程の構成を残しつつ、各種改造が加えられた装置は現在も稼動中である。
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昭和28年から燐鉱石等の粉砕に用い、10トン/時の粉砕能力のものが2基設置されている。遠心リングローラーミルで風力分級器、送風機、集塵機及び気流乾燥装置を具備し、連続的に目的粉砕物を造る設備である。消耗部品等は補修および交換を行い、ほぼ原型を保ったままで、現在も稼動中である。
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1883年頃より獣骨から人造肥料を製造する際に使用された石臼を、後年記念碑に加工したものである。日本における人造肥料生産の草創期の面影を今に留めるもので、現在は、本社玄関前に置かれている。この石臼は全高約36㎝、外径約50㎝の半球形状で、土間に埋め込み、鍋で炒った獣骨をこの中に移し、足踏式の杵で搗いて粉状の肥料を製造した。
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過燐酸石灰及び化成肥料の製造に用いられた。直径約3.3メートル、長さ8~10メートルのコンクリート製のトンネル形状で下部には切り出し用の開口部がある。バッチ式で約50~60トンを仕込み、切り出し機(Wenk式)で切り出し堆積場へ搬送し、熟成後製品とした。20基建設されたが、現存するのは7基で、最後の1基は1978年まで実生産に使用された。
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過燐酸石灰の水溶性成分は土壌中で固定化し易い欠点がある。1927年に最新の膠質化学理論に基づき含窒素膠質物で水溶性成分を保護し、不溶性燐酸塩に還元することなく作物の生育に応じて適度に吸収され肥効を増進させる方法を開発し、その製法特許を取得した。
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多木製肥所(現 多木化学)は創業以来、肥料を製造販売するにとどまらず、常に農業の発展と農業技術の改良普及に努めてきた。この体験集は、肥料の宣伝と施肥指導を目的に、肥料施用体験記録を冊子にまとめ、刊行したものであり、 各地の販売店を動員して集めた各種農産物の生産方法に関する貴重な体験記録である。
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多木製肥所(現:多木化学)の創業者は、肥料など自社製品の全国輸送のため、大正4年に別府軽便鉄道㈱を設立した。この鉄道は大正10年に開業、後に鉄道省(現JR)の貨物取扱駅に接続し、昭和59年まで運行された。この写真は、昭和28年の出荷時における様子を収めた貴重な写真であり、車両は英国ナスミス・ウィルソン社製の蒸気機関車である。
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多木製肥所(現 多木化学)の肥料事業の変遷推移を知る資料として「販売帳」がある。現存する多木製肥所(現 多木化学)の最も古い販売帳は、明治27年の燐酸肥料販売帳であり、魚肥のほか燐酸肥料の代価・数量・販売先などが日時を追って記載されている。
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このガラスネガは明治25年に発行した燐酸質肥料のチラシ広告である。明治の前半期に、日本の農家へ人造肥料というものの価値やその効果を理解していただくために多木製肥所(現 多木化学)が行った最初の広告である。
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骨粉を原料とした過燐酸石灰の製造に使用された仕込桶。内径約136cm、深さ約105cm、内容量約1.52?で、約13mmの杉板で作られ、竹で編んだ箍が3~4重に巻かれていた。土中に埋められて、底に煉瓦が敷かれていた。原型を保ったものは現存せず、酸蝕されずに残った部分が保存されている。
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1888年に日本最初の人造肥料製造工場である東京人造肥料株式会社の釜屋堀工場を撮影した写真である。釜屋堀工場は、1923年の関東大震災で焼失しており、この写真は当時の様子を確認する事ができる貴重な資料である。
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ルブラン法炭酸ナトリウム製造装置塩酸吸収塔の1907年頃の写真。日産化学工業㈱小野田工場に現存する塩酸吸収塔(日本化学会 認定遺産004号)の当時の運転状況を知る事ができる貴重な資料である。
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昭和14年頃の日産化学工業 富山工場の風景を記録した映像。硫安の荷造りの様子、ファウザー法アンモニア製造プラントや塔式の硫酸製造設備の外観など昭和初期の肥料製造状況を知る事ができる貴重な歴史記録映像である。
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