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スプリンクラーヘッド

紙は可燃物であるので製紙工場は当初から防火、防災に留意していた。左は旧王子製紙王子工場第二工場建設当時の消火用スプリンクラーヘッドで、わが国で最初のものである。左は明治20年代頃のもの。右は同じ工場の建物に設置されていたものと思われるが1924年の刻印が入っている。いずれも輸入品と推定される。

情報所有館 : 紙の博物館 


青銅製壁掛

青銅製で、中世ヨーロッパのライン河畔の紙漉所内の情景をデザインしたもの。和紙についても造詣が深かったドイツの著名な紙の歴史研究者アーミン・レンカー氏より、特に紙の博物館のために寄贈されたことが、下部に刻印されている。 年代:1955

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10分の1戦艦「大和」

全長26.3メートルもある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現。大和ミュージアムのシンボルとして平和の大切さと科学技術のすばらしさを後世に語り継いでいる。

情報所有館 : 呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム 


通報艦「宮古」模型

呉で建造された記念すべき最初の艦艇で、4年10ヶ月の期間をかけて建造された。偵察機やレーダーがない当時、通報艦は敵艦隊の情勢を偵察し、味方へ通報する役割を担っていた。日露戦争中の1904年5月14日、中国遼東半島の旅順沖で機雷にふれ沈没。

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一等巡洋艦「筑波」模型

製鋼や大砲を製造する技術など、全てを国産の技術により建造された最初の主力艦で、日本の近代造船技術史上特筆される艦。日露戦争初頭、戦艦「八島」「初瀬」が機雷にふれ沈没したため、その代艦として日夜兼行で建造されたが、戦争には間に合わなかった。1917年1月14日、横須賀において火薬庫の爆発事故のため沈没。艦名は、茨城県筑波山に由来する。

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戦艦「長門」模型

八八艦隊計画の最初の戦艦として建造される。新造時では煙突が2本だったが、その後改装され1本となる。模型はレイテ沖海戦時の状態を再現したもの。「長門」は終戦まで生存した唯一の戦艦だったが、1946年7月1日に南太平洋ビキニ環礁でアメリカの空爆実験に供せられた。その後引き続き行われた原爆実験(水中爆発実験)によって沈没した。

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航空母艦「赤城」模型

八八艦隊計画で巡洋戦艦として起工されたが、ワシントン海軍軍縮条約で空母に変更された。新造時には飛行甲板は三段式だったが、改装され一段式となった。太平洋戦争では真珠湾攻撃などに旗艦として活躍したが、1942年6月6日ミッドウェー海戦の折、アメリカ海軍空母機の爆撃を受け大破、翌日海沈処分。

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一等巡洋艦「最上」模型

電気溶接構造を広く用いて建造された。新造時の主砲は15.5cm砲だったが、後20.3cm砲に換装された。しかし、「艦艇類別」では二等巡洋艦のままだった。1944年10月25日、レイテ沖海戦で被弾大破し、海没処分された。模型は最終時の航空巡洋艦の状態を再現している。

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伊号第16潜水艦模型

丙型と呼ばれるタイプの潜水艦で、水上機を搭載しないかわりに、魚雷発射管を8門に強化した。真珠湾攻撃やアフリカのディアゴスアレス攻撃には、二人乗りの特殊潜航艇「甲標的」を後部甲板に搭載する母艦となった。1944年5月19日に、ソロモン諸島北方方面でアメリカ海軍駆逐艦の攻撃を受け沈没する。

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伊号第37潜水艦模型

乙型と呼ばれるタイプの潜水艦で、小型の水上偵察機を1機搭載した。最初の回天特攻部隊「菊水隊」の回天4基を後部甲板に搭載し、1944年11月8日に呉を出撃したが、同月19日に南太平洋パラオ諸島方面で、アメリカ海軍駆逐艦の攻撃を受け沈没した。

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