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卵型・つぼ型・楕円型の陶器製の容器入りで、高級歯磨「鹿印練歯磨 卵型」10銭)として1893年4月発売。練歯磨の草分けとして広く愛好された。
情報所有館 : 花王ミュージアム
1927年12月に22歳で長瀬商会の社長に就任した二代目長瀬富郎は、翌年、欧米視察に出発する。その際富郎は「外遊に際して」「就任の辞」「店員諸君に要求する」の3つを「社員諸君に與(あた)う」の表題で冊子にまとめ、配布した。特に、「外遊に際して」の5つのメッセージは、花王ウェイのバックボーンともいえるものです。
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長瀬商店は合資会社長瀬商会へと発展し、二代目長瀬富郎(創業者初代富郎の嫡子)は、花王石鹸の品質改良に着手するとともに、「大量生産・大量販売」をめざしてドイツから輸入されたクーリングプレスやトンネル式乾燥機を採用し、製造工程を近代化した。そして、1931年3月「新装花王石鹸」を発売する。
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1932年.「シャンプー」と銘打った本格的な洗髪剤を発売した。従来の「髪洗い粉」の荒物屋的イメージを化粧的イメージに高め「シャンプー」という言葉の定着にも貢献した。
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1938年(昭和13)7月に発売した家庭用洗剤「エキセリン」は、50匁(約190g)35銭で、ほぼ同時期に発売された小粒洗濯石鹸「ビーズ」(約210グラム10銭)と比べて3倍強の価格だった。それでも折からスフ(ステープル・ファイバーの略称。人造繊維。昭和10年代に木綿の代用品として広く使用された)の生産と需要が急増しつつあったことが幸いして、「もまずに落ちる」,「スフを傷めぬエキセリン」の宣伝も功を奏して売上げが伸長した。
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花王の油脂技術を活かし、戦時中に製品化された「カオークレヨン」と、汗しらずの「花王タルカム」。石鹸の売上減少を補った商品のひとつで、1941年に発売された。
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1951年(昭和26年)発売。昭和26年当時、家庭用合成洗剤は「ソープレスソープ」、すなわち「石鹸でない石鹸」とうたわれていたが、「花王粉せんたく」はこの分野を切り開いた。1個200g50円の赤い袋詰めで、粉石鹸を連想させる名称には消費者に親しみをもってもらうという狙いが込められていた。
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「花王粉せんたく」発売2年後の1953年、成分の改良に伴い名称が再検討された。「粉せんたく」「ザブ」「ワンダフル」の三つの名前を候補とし、新聞広告で投票を募ったところ「ワンダフル」が圧倒的支持を得た。こうして「花王粉せんたく」は「ワンダフル」と改称され、1953年4月、合成洗剤「ワンダフル」(1袋50円)が市場に送り出された。赤いパッケージから「赤ワン」と呼ばれ、広く親しまれた。
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