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3代目のクラウンとして1967年9月にフルモデルチェンジしてデビューしたMS50型は、当初から個人所有の高級車であることを強調していた。メインカラーに白を起用し、すでに対処してきたワイドバリエーションと合わせて洗練された高級感や憧れをイメージさせたのである。メカニズム的にもペリメーターフレームの採用によって高速安定性や居住性が向上、メンテナンスフリーのサービス性も加わって高級オーナーカーとしてのその完成度を高めていた。 1967年
情報所有館 : トヨタ博物館
クラウンエイトからさらに一歩進めて、世界の豪華車に匹敵するプレスティッジサルーンを目標にしたセンチュリーはまったく新しい設計から1967年に誕生した。豊田佐吉の生誕100年や明治100年にちなんだネーミングや日本的なスタイリングからは想像できないほどのパフォーマンスを発揮。2.9リッターの高出力V8エンジンは1.7tを超えるボディを時速170キロまで引っぱり、豪華さのなかに高性能を隠し持っていたのである。 1967年
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クラウンのオーナードライバー市場へ「白いクラウン」の次にトヨタが送り出したのはハードトップであった。発表は1968年11月。フルサイズのボディを充分に生かしたダイナミックなスタイリングはアメリカ車的な豪華な雰囲気を与え、室内スペースが広かったこともあってセダンにも負けないくらいの人気を集めることになる。このモデルがきっかけとなってわが国のハードトップの流行がはじまったのである。 1968年
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多様化するニーズは高級車ばかりではない。個人需要の傾向の強い大衆車にも積極的に新しいモデルが投入された。カローラも豊富なバリエーションのなかに1968年3月、ファストバックスタイルの2ドアセダン、スプリンターを加えることになる。スポーティなスタイルとわずか1.1リッターながら最高速160キロ(SL)の高性能は58.7万円の低価格で供給され、スポーツ志向の人々を充分に満足させるものとして、さらに購買層を拡大したのである。 1968年
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四輪車ではスポーツカーとトラックを作っていたホンダが、それまでの先発メーカーの軽自動車群に比べ、大幅に性能向上を図ったN360を1967年2月に発売した。この車は、横置きエンジンのFF(前輪駆動式)を採用し、全長3mの限られた寸法の中で軽自動車最大の室内スペースを確保、さらに最高速度115km/hを誇っていた。 1969年
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コロナとクラウンの間の位置づけで1968年9月、新型車コロナマークⅡを追加。ネーミングは上級車志向のコロナオーナーを意識してジャガーMk-Ⅱなどのように英国車のモデルチェンジやグレード変更によく使われる方法をとった。はじめから2ドアハードトップや1.9リッター版を備え、基本11車種、52タイプのワイドバリエーションとしたこともあって、12月には月間登録2万台のベストセラーカーの座を手にしたのである。 1968年
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1960年代の後半、多様化の一途をたどる大衆車市場にあってコロナやマークⅡ以外の車を望む声が高まってきた。そこで1970年12月にまったく新しいシリーズとして登場したのがカリーナである。1.4~1.6リッターのツインカムまで4種類のエンジンを持ったスポーティな高性能セダンを50.9万円(1.4リッター車)という低価格で提供。それに加えて性能や居住性がすぐれていたことや男性的なイメージから人気を博した。 1970年
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1968年、高速ツーリングカーとして登場したこの車は、いすゞフローリアンをベースに開発され、カロッツェリア・ギア社(イタリア)のジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたファーストバックスタイルが“走る芸術品”として賞讃された。日本初の電子制御燃料噴射式DOHCエンジンを搭載、後部専用ヒーター、4人分のシートベルト、ヘッドレスト、木目仕上げの7連メーターが並ぶインストルメント・パネル等の装備が付けられたスタイリング、性能、居住性等の総合的な良さが上級オーナーやマニアに受け入れられた。 1970年
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1970年12月、カリーナと同時に登場したセリカは、わが国初の本格的スペシャリティカーとして、それまでのセダンベースとはまったく異なったスタイリッシュな2ドアクーペであった。これに上級モデルは高性能ツインカムを組み合わせ、高速安定性やコーナリング性能など優れたトータルバランスを持ち、どんな好みにも対応できるフルチョイスシステムを採用。価格も57万円から100万円まて幅広く設定された。 1970年
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この車は、1962年わが国で初めて本格的なスポーツカーとして開発された。スマートなボディに直列4気筒OHVエンジンを搭載しブルーバード312型と同じシャシーを使用、リアには横向きの変則的なシートを持つオープン3シーターである。1963年に開催された第1回日本グランプリに出場、ポルシェ、トライアンフTR4など外国製スポーツカーを相手に見事優勝した。その後、フェアレディは1600(SP311型)、2000(SR311型)へと発展、モータースポーツで大いに活濯した。 1963年
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