「」 に対する検索結果 : 26649件
1935年、ロールス・ロイスはV12気筒をつんだファンタムⅢを送り出した。この∨12気筒は多気筒競争に参加するためのものではなく、長い時間をかけて蓄積した航空機エンジンの豊富な知識や経験を生かしたものであった。サスペンションは前輪独立懸架を採用して、乗り心地と操縦性は大きく向上。ラジエターが前進したことで室内のスペースも大きくなった。この1937年型サルーンは、フリーストン・ウェッブのコーチワークによるもので、そのフィニッシュについてはいうまでもない。 1937年
情報所有館 : トヨタ博物館
1915年に登場して一躍'20年代の花形になったパッカード・トゥエルヴは、'30年代に向かって大きな変貌を遂げる。そして、この新しいモデルを語るとき、なくてはならない人物がアメリカ大統領フランクリン・デラノウ・ルーズベルトであろう。彼もまた、パッカードを選び、その信頼性と豪快なパワーに魅せられたひとりだったのである。この専用車は、12気筒がのせられた最後の年、1939年につくられたもので、格式の高いロールソン(ロールストン)がボディを架装。防弾ガラスをはじめ大統領専用の補強は装甲車並みだが、軽快なツーリングボディはルーズベルトの笑顔とともに華やかなアメリカの象徴である。 1939年
情報所有館 : トヨタ博物館
モデルTは運搬の道具として、あるいは情報の手段として、広大な国土に暮らすアメリカ人の生活になくてはならない存在であった。生産台数も着実に伸ばし、1911年にはアメリカの総生産台数21万台の約柑%にあたる3万4528台を送り出していた。そして、この年セルデン特許の法廷闘争に勝ったフォードは、それを祝ってイギリスでノックダウン生産を開始。全盛を極めたモデルTは世界中にモータリゼーションを拡げ、1923年からはわか国でも生産された。 1913年
情報所有館 : トヨタ博物館
フランスのプジョーも早くから大衆向けの小型車の開発に努め、1905年、年間400台も販売された画期的な大衆車、最初のベベを完成させていた。そのコンセプトにもとづいて1913年、エットーレ・ブガッティが設計したのかこのプジョー・ベベということになる。ユニークな機構や当時としては極端に小さなエンジンを備えたミニマムなオープン2座はフランスの大衆に自動車の楽しさと便利さを教えたことはいうまでもない。1916年までに3000台以上も生産されたのてある。 1913年
情報所有館 : トヨタ博物館
1916年、シボレーがフォード・モデルTと同じマーケットに送り出したモデル490は、明らかにGMのフォードヘの挑戦であった。490は独特な運転技術を要するモデルTの遊星ギアに対して、日常には使いやすい一般的な3段ギアボックスを採用してきたのである。さらに、OHVエンジンを搭載したこともあって整備性も格段に向上、着実にユーザーのハートをとらえ、1910年代の後半にはモデルTを脅かす存在になっていたのである。 1918年
情報所有館 : トヨタ博物館
エセックスは、ハドソン社の小型車部門として1921年にスタートした。特色としては、当初からコーチと呼ばれるセダン型を主生産車としたことだが、標準型がまだホロ型であったその頃のアメリカ車では異例なことであった。しかし第1次世界大戦後から大衆の間で、あがりはじめたセダン型を望む声にいち早く、しかもホロ型に近い価格で対応したエセックスにいちばん脅威を感じたのはやはりフォードであろう。大衆車の高級化はすでにはじまっていたのである。 1923年
情報所有館 : トヨタ博物館
T型フォードに挑戦してたゆまざる改良を進めてきたシボレーは、よりパワフルによりスムーズにを目標にして、1925年にKシリーズを発表した。そして、2年後の1927年には生産台数でT型フォードを抜き、世界のベストセラーカーとしての地位を確立した。なお、この車はエセックスに次いで箱型ボディを大衆車ベースに導入できた事でも大きな意味を持っていた。 1925年
情報所有館 : トヨタ博物館
モーリスオックスフォードはイギリス人のための車づくりをめざしたモーリス社の創立者ウイリアム・モーリスによってつくられた小型大衆車。この車はエンジンなどの主要部品の外注により、製造コストを低く抑えて提供され続け、1913年から1923年までに約15万台生産された。また、個性的なラジエターから「ブルノーズ(牛の鼻)」と呼ばれ、広く親しまれた。 1913年
情報所有館 : トヨタ博物館
必要なものはすべて揃っているが、それ以外のものは何もない。つまりサイズこそ小さいが大型の実用車と同じ装備や機構を備えたオースチン・セブンこそ英国人にとってのフォードであり、まさに大衆のための自動車であった。1923年から39年までの17年間に約25万台も量産されたロングセラーとしてその信頼性が高く、わが国へも上陸。戦前のオールドダットサンとともに親しまれた。 1924年
情報所有館 : トヨタ博物館
「フランスのフォードでありたい」アンドレ・シトロエンの言葉である。彼は創業当時から量産方式を採用、大衆車メーカーを目指して生産を開始した。1922年、大型車の機能と構造をそのままスケールダウンしたヒット作であるタイプC、通称5CVを送り出す。個性的なボートテールからわが国ではセミと呼ばれ、翌'23年にはホイールベースを延長して3人乗りのC3に発展。さらに実用的なものとなったのである。この5CVがフランス大衆車の母体であることはいうまでもない。 1925年
情報所有館 : トヨタ博物館