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アルファロメオ 6C 1750 グランスポルト Alfa Romeo 6C 1750 Gran Sport

スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1750cm3の軽快なエンジンで数々のレースに勇名を馳せた6Cは、設計者ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつであろう。その戦績は枚挙にいとまがないが、特に知られているのは、公道上のレースとして知られるミッレ・ミリアで史上初めて平均時速100km以上で走破し、見事優勝したことである。(1930年、ドライバーはヌヴォラーリ) 1930年

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モーガン エアロ Morgan Aero

頑丈で単純なバックボーンシャシーの先端にモーターサイクル用の∨ツインエンジンを取り付けただけのモーガンスリーホイラーは、まさに大衆のためのスポーツカーとして送り出された。ベベルギアを介して後ろ1輪を駆動する方式やスライディングピラー、前輪独立懸架など構造は極めて簡単で軽量なために運動性能にすぐれ、しかも経済的。ボディは4座席もつくられたが、このエアロのように2座スポーツタイプが一般的で、1909年から1950年まで根本的に変わらず生産されたのである。 1922年

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MGミジェットタイプTA MG Midget Type TA

果敢なレース活動を行なってきたMGも1935年、モーリス社の傘下に入ることによって安価なスポーツカー、シリーズTをつくることになった。生産合理化のために、モーリスのパーツを多く流用して量産を可能にしたばかりか、油圧ブレーキやシンクロ付きのギアボックス(3、4速のみ)を備えた価格はモーリス・サルーンの215ポンドとほとんど変わらない222ポンドを実現。MGの一大ヒット作になった。 1937年

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SS ジャガー100 SS Jaguar 100

低く精悍なスタイルと広めのトレッドを包み込むように張り出したウィングフェンダーが特徴的なSS100は、戦後ジャガースポーツの基礎を築き上げたばかりか、その後のスポーツカーに大きな影響を与えた。時速100マイルの高性能スポーツカーが、ベントレー 3 1/2リッターの1380ポンドの約1/3にあたる395ポンドで買えるとしたら人々がそれを選ぶのは当然のことである。コストとスタイリングと性能をみごとにバランスさせたSS100は、現代のクルマづくりにも通じるものがある。 1937年

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メルセデス ベンツ 500K Mercedes-Benz 500K

1927年に登場し、数々のレースに活躍したSシリーズの後継モデルで、スーパーチャージャー付直列8気筒OHVエンジンと前輪独立懸架をもつ高度に洗練されたツアラー。デザインの面でも性能の面でも「バランスの良い優れた車」と言える。1934年から1936年までの間に約300台造られた。この時代の高級車はボディを名のあるコーチビルダーの手に委ねるのが普通であったが、ベンツは自社のジンデルフィンゲン工場でコーチワークを行った。 1935年

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コード フロントドライブ モデル812 Cord Front Drive Model 812

若き実業家イリット・ロッバン・コードは1924年にオーバン、1927年にデューセンバ-クを相次いで買収。1929年にみずからの名を冠した画期的なFF車“コードL-29”を発売する。しかし売り上げ不振のため生産中止、810は1935年に新しく設計され、その発展型が812になる。812はラジエターをエンジンルームに収め、リトラクタブルヘッドライトを持つといった先進的なメカニズムを備えていた。L-29から続くFF方式や電気式のバキュームギアシフトなど、エンジニアやデザイナーが理想を現実としたのがコードなのかもしれない。 1937年

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ブガッティ タイプ57C Bugatti Type 57C

タイプ35がブガッティGPモデルの傑作なら、タイプ57はロードモデルのなかでもっとも優れたツーリングカーといわれている。洗練されたアルミ製ツインカムエンジンの完成度は高く、駿足に加え、実用性、優雅さ、上品さは他に類を見ない。タイプ57は、ほとんど手づくりに近いブガッティのなかでも比較的生産台数が多く(1934~40年までに57シリーズで約750台)、ルーツ式スーパーチャージャーを備えたスポーツモデルとして、とくに人気の高いモデルであった。 1938年

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ドラージュ タイプ D8-120 Delage Type D8-120

フランスのGPカーの頂点ともいうべきドラージュも、1930年代に入ると盛んに高級ツーリングカーや豪華サルーンをつくりはじめた。その美しさは“愛人に贈るならドラージュ”といわれるほど優雅にして華やかなものばかりてあった。D8-120はいちばん後期に属する大型高性能車としてもっとも美しいモデルである。コーチワークはすベて専門業者に依頼して、容姿を競いあったのだが、どれもオートクチュールを想わせるいかにもフランスらしいものであった。この美しいカブリオレはF・ファラッシの手になり、ドライエに併合されてからつくられたものである。 1939年

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ドゥローニー ベルビユ タイプHB6L Delaunay-Belleville Type HB6L

機関車や船舶のメーカーとして有名であったドゥローニーは、1904年のパリサロンで自動車を発表。特徴的な丸型のラジエターグリルは人々の注目を集め、ベンツ型やルノー型とともに第1次世界大戦までひとつの流行として多くのメーカーに影響を与えることになった。また1909年から採用されたコンパクトで静かな6気筒エンジンは信頼性が高く、豪華なボディを架装してロシアのニコライⅡ世など世界の名士からも支持されたのである。 1911年

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キャデラック モデル サーティ Cadillac Model Thirty

エンジンスタートに関しては、この頃圧縮空気や強いスプリングを使用したものなどによるさまさまな自動始動装置が試されたが成功をみることはなかった。ところが1911年7月に公開されたキャデラックの試作車は画期的なセルフスターターモーターを備えていた。6Vバッテリーをいためることなく、瞬間的に24Vのパワーでモーターを回す新しいタイフの電動発動機は、女性を手回しのクランクハンドルから解放したのである。また、キャデラックはこの始動装置のほか、電気式ヘッドライトを標準装備としたのも大きな特徴であった。 1912年

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