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スタンレー社は、1897年に蒸気自動車をつくりはじめ、年々改良を加え大成功を収めた。1905年からのこの特徴的なボンネットスタイルはフロントにボイラーを置き、ウォータータンクで囲ったことから生まれ、エンジンは中央の床下。簡単なスライドバルブがついた2気筒で、ギアボックスはなく、スパーギアで直接車軸を駆動する。スタンレースチーマーは静かで、振動も少なく、トルクフルで扱いやすく、しかも高速で走ることができるなど利点も多く、1927年までつくられた。ちなみに、1906年、フロリダのオーモンドビーチで時速127.66マイルを出して世界記録をつくったことでも、その足の速さは理解できる。 1909年
情報所有館 : トヨタ博物館
大量生産システムによるコストダウンや運転を簡素化する数々のメカニズムで大衆化を果たしたフォード・モデルTは、1908年のデビューから1927年までの間に1500万7033台も生産された空前のベストセラーカーであった。アメリカはもちろん全世界の足になったばかりでなく、モデルTなしに自動車史は語れないほど大きな影響を与えた。モデルTで注目すべきは、遊星ギアのトランスミッションをより実用的なものにしたことだ。ドラムにブレーキをかければ変速を開始する独特な機構は現代のオートマチックに似たもので、扱いやすく、当時のノンシンクロのギアをコーンクラッチで操作する変速のわずらわしさから人々を解放した。1909年初頭までは2ペダル方式を採り、前進、後退はレバーで行なったが、このモデルTからは3ペダル方式を採用。リバースは真ん中のペダルで行なう。 1909年
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ヘンリー・ロイスとC・S・ロールスは1904年、完璧な自動車をつくるためRR社を創立。徹底した製品管理のもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表した。この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー~ロンドン間を昼夜ノンストップで延ベ1万5000マイルをほとんどトラブルなしに走破。幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から“シルバーゴースト”と呼ばれるようになった。こうした信頼性とともにシルバーゴーストの軽量かつ耐久性の高いシャシーは高く評価され、第1次世界大戦では装甲車などの重いボディを架装して熱砂の戦場を駆けめぐったことでも、その性能の高さは実証されている。もちろんシルバーゴーストは高価であることは間違いない。しかし、高い品質を持った量産車として、フォード・モデルTと行き方は違うが、高級車の源流になったのである。 1910年
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イタリアの伝説的な最高級車イソッタ・フラスキーニは、4輪ブレーキ(1910年採用)やSOHC8気筒エンジンの先駆者として、またモータースポーツでの活躍も目覚ましいものがあった。このタイプⅠは1907年にはコッパフローリオを勝ち取ったほか、1908年のタルガフローリオで勝利を飾るなど、多くの栄光を残している。また、英国のアストン・マーチンもここから生まれ、若き日の工ンツォ・フェラーリやアルフィエーリ・マセラーティもここのドライバーを経て、巣立っていったのである。 1908年
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1902年から2気筒小型ラナバウトの生産をはじめたトーマス社は、当時のアメリカでもっとも有名で大きな自動車メーカーのひとつであった。1905年からは4気筒40/50HPや6気筒60HPのシャシーでレースアバウトからリムジンまでさまざまなモデルをつくったことでも有名である。なかでも展示車両6気筒Lモデルは、やや小型かつ比較的安価なことから非常に人気があった。しかしトーマス社を一躍有名にしたのはモデル35・フライヤー6気筒72HPがニューヨーク~パリレースで優勝したことであろう。この時、ウラジオストックヘ渡る途中わが国を経由した事実も興味深い。 1909年
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スペイン王室とも深い結びつきを持ち、多くの伝説に彩られるイスパノスイザは想像を絶する豪華車でも有名だが、第1次世界大戦前は積極的にレースヘ参加、1910年のクープ・デル・アウトで初の勝利を手にした。このプロトタイプはタイプ15Tと呼ばれ市販されるが、第1号車をスペイン王アルフォンソ13世に王妃が贈り物としたことから“アルフォンソXⅢ”の名で知られるようになった。しかも、レーシングカーをデチューンして生まれた優れた性能や軽快な操縦性から、史上初のスポーツカーともいわれている。 1912年
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スタッツはアメリカのスポーツカーを語る上でなくてはならない存在である。1911年の1号車からインディアナポリス500マイルレースに出場。その直後に送り出した市販車からスポーツタイプだった。なかでも、多くのレースで勝利を収めたスタッツでもっとも有名なモデルが、1914年に発売されたペアキャットであろう。ベアシャシーの上にバケットシートと枕型のガソリンタンク、スペアタイヤを備えただけの風防すら持たない、簡素かつ野性的なロードスターは人気が高く、1925年まで生産は続けられた。 1914年
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第1次大戦中は軍の高官用自動車をつくっていたサンビームも、終戦と同時にツーリングカーの生産もはじめた。とくにレース活動では進歩的なツインカムをいち早く採用したことで脚光を浴びた。1922年にはブルックランズで時速215.25kmの驚異的なスピード記録を樹立したほか、1923年になると有名な3リッターツインカムでスペインGPに優勝するなど、スポーツカー王国イギリスの基礎を築いたのである。1922年のストラスブールGPのために4台だけ製作されたこ2リッターGPもツインカム機構や前輪ブレーキを備えたGPマシンとして戦闘能力の高いモデルであった。 1922年
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エットーレ・ブガッティの作品のなかで、もっとも有名なタイプ35は量産レーシングスポーツとして大成功を収め、世界中を驚嘆させた傑作である。それはエットーレの独創性から生まれ、レーシングカーの持つ機能美を徹底的に追求し、各部品の調和まで考え、自動車を芸術ともいうべき造形に変えてしまったのだ。しかもタイプ35は美しいだけではない。ブレーキドラムと一体鋳造したアルミホイールや運動性能の高いシャシー設計などメカニズムの点でも大いに注目できる。タイプ35Bは、1924年から30年までつくられた35シリーズのなかでもスーパ-チャージャーを装備した高性能モデルである。 1926年
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ベントレーはビンテージ期(1920年代から30年代初め)のイギリススポーツカーのなかでもっとも重要な意味を持つ。1927年からル・マン4連勝、1924年の勝利を含めれば、この時期なんと5回もル・マンを制覇。なかでも1928年のル・マンで優勝を飾った 4 1/2リットルツアラーは、ベントレーでもっともポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴している。ビンテージ・ベントレーの特徴は、ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したことから、この時代の他の純レーサーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことであろう。 1930年
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