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創立50周年記念アルバム

当社が1906年に創業してから 50年までの歴史をまとめたアルバムです。 当社は日本で初めてコンベアベルトの生産及びVベルト(伝動ベルト)の販売を開始しました。当アルバムは、コンベアベルトやVベルトなどのゴム工業用品の変遷がうかがえる資料と考えられます。

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キャラバンシューズ

昭和27年に安くて軽い軽登山の用途向けに開発した。現在も軽登山靴の代名詞となっている。特に昭和31年にマナスル登山の際、アプローチ用として機能を発揮、高く評価された。当時は胛布に綿布を使用していたが、昭和33年にナイロン胛布を使用した製品が完成し、今日のキャラバンシューズの基礎となる製品ができあがった。現在は素材もゴアテックス等に変わってきている。販売は2005年をもって終了した。

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膨脹式救命いかだ

膨脹式救命いかだは昭和29年より藤倉ゴム、三菱電機、運輸省との共同研究開発により開発され、昭和31年に発売されました。当所は国内航路用として客船、漁船に搭載されていましたが、昭和35年SOLAS条約がIMCOにて決議され、国際航海に従事する船舶への搭載が義務付けされ、世界中の船舶に搭載されることになりました。現在、日本国内で製造しているメーカーは当社のみとなっております。

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シャッター幕

藤倉ゴムの基幹技術である「薄く均一でしなやか」なゴム布の特性を生かし、一眼レフカメラのシャッター幕として全カメラメーカーに独占で納入していた。(片面ゴム布として昭和44年に開発)絹織物と天然ゴムを主成分としており、カメラの命であるシャッタースピードが環境温度に影響を受けにくい材料であった。シャッタースピードの高速化により、本来の用途は無くなったが、薄くしなやかでカメラ部品としての長年の実績が評価され、2006年迄は、デジタルカメラのレンズ伸縮部の遮光リングとして活躍した。

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ブリヂストン七十五年史(仮題)

当社創業75年を記念する社史で、自動車タイヤ国産化の起業から現在までのタイヤを中心としたゴム産業の歴史・変遷がわかる。

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座敷タビ製法メモ及び型紙

当社の創業前、創業者である初代倉田雲平が長崎でタビ造りの修業時代(明治3年~5年)にタビの製法をまとめたメモと型紙。明治5年久留米に帰り、このメモと型紙でタビ屋を開業し、翌明治6年当社の前身である「つちやたび店」を設立した。タビの工業生産の基礎となった。

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ドイツ製八方縫ミシン

明治38年座敷タビで最も難しい先付け用に導入されたものとされる。1号ミシンは手回し式の素縫い用が明治27年に導入され、タビ製造に日本で初めてミシンを使用したと考えられる。当時はタビのような微妙な細工を必要とするものは、手縫いでなければ絶対にいけないとされた時代で、最初はひそかに倉庫の2階で作業をさせていた。タビ製造の工業化の始まりといえる。

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貼付け底地下タビ試作第1号

大正9年日本で初めてゴム底貼付け方式による地下タビの研究に着手、大正11年開発に成功した。座敷タビ工場の一隅にゴム工場を建て、翌12年(1923)から発売された。これ以前はタビにゴム底を縫付けたものしかなく、防水が不十分で、縫糸がすぐ切れるという大きな欠点があった。この技術により布靴も開発され大正14年から製造が始まった。

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月星ゴム90年史

当社(株式会社ムーンスター)の創業(明治6年)からの歴史をまとめた社史で、当社の事業経営、技術の変遷などをまとめたもの。座敷タビの工業化及び日本のゴム履物の歴史といってもよい資料と考えられ、世の中の流れも併記されている。

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加硫圧着成形機

底の成型と加硫を同時に行うVP製法(Vulcanizing Press Process)の成形機。革靴の底付けは縫付け方式と接着剤による貼付け方式があったが、1959年VP製法を導入することにより、比較にならないほどの耐久性が実現した。特殊配合による耐摩耗性、耐油性などすぐれた特性をもつ革靴が可能となり、特に安全靴の性能向上に寄与した。

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ガラスびん飛散防止コーティング技術

1970年頃社会問題となったコーラの破びん事故から、破裂してもガラス片が飛散しない技術を開発した。総てのコーラびんはコーティングびんに変更され事故は皆無となった。この技術は1985年「特許制度100周年記念有用発明ベスト50」に選定された。その後は、軽量化やリサイクルの容易性から着色の目的で発展し、1988日本パッケージングコンテストで最高位のジャパンスター賞を受賞した。

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ジャガーシグマ

本格的に大量生産された日本初のポリウレタン底の靴。当初はポリエステル系の材料であったが、劣化防止のため1987年日本初のエーテル系ポリウレタン製の靴に変更された。1980年に発売され全国で通学履きに指定されるなど、シリーズ全体で5千万足発売し現在も継続。片足175gと当時としては超軽量で履物の軽量化の先鞭となった。

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スペランソール(ガラス繊維入り氷上防滑底)

1982年頃相次いだ漁船遭難事故で、凍りついた甲板上での防滑靴の必要を感じ開発された。南極越冬隊に提供を続けていた繊維入り底の改良を進めながら、白熊の観察なども行い、1985年ガラス繊維をゴムシートの表面に向けて垂直に配向させる製造技術を確立し発売された。氷の上を走り回れる性能をもちながら、底面に凹凸がなく床を痛めない特徴から、紳士靴等に採用され現在も広がりをみせている。

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ワールドマーチ(平成の遣唐使使用品)

日本初のウォーキング専用に開発された靴で、日本ウォーキング協会の第1号公認シューズ。1984年に1000kmの耐久性を目標に開発をスタート。1987年 11月発売し現在も販売中。当社の人間生活工学研究の歴史はこの時始まり、鹿屋体育大学、日本歩け歩け協会(当時)等との共同研究により完成した。本格的な産学協同及び歩きを科学する走りとなった。この時の研究成果は「ウォーキングセーバー理論」として発表された。

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ビール用プラスチック通い箱

当社(株式会社明治ゴム化成)は、アレキサンダー・シェラー社(ドイツ)の技術援助を受けて、日本で初めてプラスチック製のビール壜用通い箱の生産を開始した。従来の木製通い箱をプラスチックにすることにより、安全性が飛躍的に向上し、保管スペースの削減、破瓶率の低下を図ることができた。また、古くなった通い箱は、回収後、破壊して再生プラスチック材料として再利用を繰り返すことによって省エネルギー・環境保全にも貢献している。

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社史「明治ゴム化成八十年史」

当社(株式会社明治ゴム化成)の創業(1900年)から80年の歴史をまとめた社史で、内容は、明治・大正・昭和の各時代におけるゴム業界と当社の経営内容をまとめたものであり、わが国ゴム工業の草創期から近年までの移り変わりを知ることができる資料と考えられる。

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ロケット用ホース

このホースは、液化窒素(LN2)、液化天然ガス(LNG)、液化石油ガス(LPG)等の極低温下に於いても可撓性を有し、さらに高圧性を併せ持ち、しかも保温性に優れているため霜の付着や氷結し難い特長を有しており、宇宙航空研究開発機構の種子島宇宙センターにおけるロケット打ち上げに寄与している。

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社史「株式会社明治フレックス 草創の日々からの歩み」

当社(株式会社明治フレックス)の創業(1972年)から30余年間の歴史をまとめた社史で、内容は、化学産業をはじめ石油、鉄鋼、機械、飲料等の分野における設備用ホースと、当社の経営をまとめたもので、これら製品の移り変わりを知ることができる資料と考えられる。

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ヨコハマ空気式防舷材

この製品の歴史は古く昭和33年、当時南氷洋において捕鯨母船がキャッチャーボートと洋上接舷を行う際、鯨を緩衝材として利用していましたが、その損失と危険性が大きいことから、当社独自の技術によりゴムを用いて製品化したものです。現在では世界中で、船舶の洋上または岸壁への接岸時に空気の圧縮弾性による「高エネルギー吸収力・超低反力」の特性を生かして接舷の安全性を高めるために使用されています。

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撒大豆粕の発売

肥料用脱脂大豆は、それまで中国東北部産の丸板状の丸粕(直径60cm)の形態が主流で、農家はそれを削って肥料に使っていた。当社はこれに対し、初めて現在のような撒大豆粕の形に変え、叺(かます)にいれて販売した。満州鉄道時代に五穀豊穣、豊年満作を願う農民の気持ちを表徴して命名された。後に鈴木商店に移譲され、新会社発足に当たり社名にも取り入れられた。昭和14年には、全国生産高の約6割を占めるに至った。

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(株)J/オイルミルズ 静岡工場

満州鉄道の大連製油所を引き継いだ鈴木商店が、欧州の食用油需要急増に伴い、大正5年静岡県清水に大規模な製油工場を建設、翌年500t/日の処理能力を持つ当時国内最大規模の工場として稼働を開始した。大正11年には豊年製油株式会社が設立、J/オイルミルズ静岡工場として現在に至っている。

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醸造用脱脂大豆

1931年、当社は初めて脱脂大豆を醸造用原料として利用する途を拓き、「桜豆」として発売した。「桜豆」は丸大豆よりも蛋白質が多く、油分を取り除いてあるため、モロミの熟成を促すなど数々の優れた点を持っていた。この「桜豆」は、わが国の味噌・醤油醸造界にとって画期的製品であった。

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大豆グルー

1933年、大豆蛋白を原料とした接着剤「豊年グルー」を発売。植物性蛋白質による接着剤は、世界でもまだ珍しく、わが国では初めての製品であった。「豊年グルー」は、輸入に依存していたミルクカゼインに代わるものとして、合板業界に歓迎された。

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大豆レシチン

1935年、大豆レシチンが開発され、わが国で初めて製造・発売された。大豆に含まれるリン脂質を主成分とする天然の乳化剤。チョコレート、加工油脂をはじめ様々な加工食品に利用できる。

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大豆サラダ油

サラダ油は昭和初期までは綿実サラダ油だけであった。1936年(昭和11年)、当社は「金印大豆油」のグレードアップを図り、大豆サラダ油として発売。これは日本で初めての大豆サラダ油であった。写真は近年のもの

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豊年ソヤレット

製油業界としては初めて配合飼料分野に進出した製品。続いて33年に乳牛専用の配合飼料「豊年ソヤレット乳牛用」が発売された。これらは日本で最初のペレット状配合飼料で、嗜好性が極めて高く、酪農家に歓迎された。写真は近年のもの

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ユタカ豆

豆腐用「ユタカ豆」は、低温抽出脱脂大豆を利用したもので、日本では初めての商品。低温抽出脱脂大豆の食品分野での利用を大きく広げたもので、技術的にも高く評価された。豆腐製造現場での労力を軽減させた効果も見逃せない。

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ポリ容器入り家庭用油

1961年、業界初のポリ容器入り家庭用油を発売。当時、家庭用油は未だ量り売りで購入されることが多かった。量り売りの1回の購入量の調査結果に基づき、450gポリ容器入りの油を世に送り出した。これは、画期的商品として好評を博し、その後他社も追随して発売したが、現時もなおポリ容器は家庭用油の中心を占めている。

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油脂劣化度判定試験紙 AV/CHECK(エイブイ・チェック)

油を試験紙につけるだけで揚げ油の酸化(AV)がすばやく判定できる。基準油脂分析法である酸・アルカリ滴定法の原理に基づいてpH指示薬、塩基性物質をろ紙に含浸させて乾燥させた試験紙。調理用に使用した加熱油脂などの酸化(AV)を測定することで、その劣化度を判定する。

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豊年デリシイ

はねを抑えた油「デリシイ」は大豆レシチンの特性をこの分野で初めて有効利用したもの。油に新しい機能を付加したこの製品は、新時代の食用油として人気を集めた。

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豊年エルフ

1979年、当時の市場は歴史の浅い中小企業の製品が圧倒的に多く、当社の参入は製油業界初の進出として注目された。ビタミンE、大豆レシチン、リノール酸リッチな植物油を配合した「豊年エルフ」は、その後の当社健康食品シリーズのパイオニア的製品である。

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レクチン開発

1983年、大豆中の極微量成分であるレクチンを含む生化学試薬を発売。昭和60年には、固定化レクチンを用いるアフィニティーHPLCカラムの開発に成功、生化学分野では、わが国で唯一の総合レクチンメーカーの地位を確立した。全国の病院や研究所で、骨ガンや皮膚ガン患者の糖脂質の変化を探る研究用試薬として利用されている。

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エコパックス

食用油容器としては初めて「環境対応型容器」として「エコマーク」商品の認定を受ける。外箱は紙、内袋はポリ袋の二重構造になっており使用後の分別が容易。また、大豆油インク採用によりリサイクル適性が向上した。 2007年には、JPC「リニューアル部門賞」、木下賞、食糧新聞社「優秀機械・資材賞」、日本パッケージングコンテスト「経済産業大臣賞」の4冠を受賞。

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ホーネンコーポレーション社史 「育もう未来を/ホーネン70年のあゆみ」

当社の前身4社のうち、(株)ホーネンコーポレーションが1993年に編纂した70年史。

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AJINOMOTO健康サララ

大豆胚芽を原料とする「健康サララ」は、コレステロールの体内への吸収を抑える働きがある天然の植物ステロールを豊富に含んでおり、血中総コレステロールや悪玉(LDL)コレステロールを下げるのが特長。厚生労働省許可 保健機能食品(特定保健用食品)。

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植物性油をつくる産業

植物油の原料や製造工程、国内の需給などについて解説した、12ページの消費者向け啓蒙パンフレット。

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昭和お釜にポン 紹介リーフレット

国産初の炊飯用胚芽油カプセル。通常のご飯を炊くようにお米を用意し、お釜にポンを1粒入れて炊飯するだけでビタミンEが豊富なおいしいご飯が炊き上がる。製法特許取得商品。

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攝津製油百年史

弊社は明治22年に産声を上げ創立以来百余年、日清オイリオグループ会社の関係企業として体制強化を図りながら化成品事業、油脂事業の2つの事業を柱とした事業展開を行っております。この2つの事業を糧に、化成品事業におきましては食品工場・外食産業向けの「総合衛生管理」をご提案し、毎日の暮らしや業務に欠かせない高品質で多様な製品を一貫してご提供しております。また、油脂事業におきましては、他社にはない差別化したオーガニックオイルやプレミアムオイル等、長年培ってきた独自の有機・精製技術を活かした商品をご提供しております。

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日清豆粕製造株式会社 創立総会議事録

日清豆粕製造株式会社は1907年(明治40年)2月22日に東京地学協会会館で行われた創立総会で創立が決議された。社名の「日清」は日本の日と清国の清からとったもの。「豆粕製造」としたのは、当時は副産物的な大豆油より、肥料としての需要が高かった豆粕事業を主体としていたからだった。

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フレンチ・オイル・ミル機械

日清製油株式会社大連工場に1921年頃導入された、板粕式の搾油機械。円粕式の搾油機と比較すると、板粕式搾油の優位性は出油率が高く、油粕が肥料としての分解性にすぐれていた点が挙げられた。また、この機械により大豆以外の各種植物油原料の搾油も可能となった。その後、横浜神奈川工場にも同機の新鋭機が導入されている。

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日清フライ油

1924年に発売した日清サラダ油の姉妹品として「日清フライ油」はビン詰め中味600g入り70銭で発売された。しかし、1922年の一時期に大豆特製油をビン詰めにし、「美人印のフライ油、天ぷら油」の名称で販売したことがあり、大豆油の食用化に先鞭を付けたものといえる。

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日本初のサラダ油「日清サラダ油」

関東大震災後の1923年に、ドイツから最新式の精製機械を購入し、技術指導などを受け1924年に我が国ではじめてのサラダ油、「日清サラダ油」を発売した。最初に発売された「日清サラダ油」はビン詰め中味 600g入りで85銭だった。

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料理の栞

1927年から戦中まで発行された「料理の栞」は広告を見て申し込めば、もれなく無料で進呈された小冊子である。当時の広告によれば、「油を用ゆる料理を誰にも容易く解るやうに詳述した料理書」「日本・西洋・支那料理書」と記されていた。マヨネーズソースなどの作り方が詳細に記述され、当時の食文化を知る資料となっている。また、宮内省関係者に編集を依頼し、見た目の仕上がりにも配慮したものだった。

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横浜磯子工場

横浜磯子工場の第1期工事は1962年4月に開始され、倉庫や食油充填工場、精製工場などの竣工により1963年11月に完了した。1966年から実施された第2期工事では原料サイロの増設、圧抽工場が新設された。また、岸壁も補強され、5万トン級本船の接岸荷役が可能となった。1969年から 1971年に実施された第3期工事を経て、年間原料処理能力は64万トンとなり、当時では世界でも有数の大規模工場となった。

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日清製油六十年史

日清製油株式会社の六十年史。1969年発行。1907年の日清豆粕製造株式会社創立から、横浜磯子工場の第2期工事が完了する 1965年までが紹介されている。大連に支社があった時の写真や見取り図なども掲載されている。全375頁。

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フレッシュパック製法

油脂は酸素と触れることで酸化が起こり、風味が劣化する性質がある。この劣化を防ぐために、1970年頃から容器の空間部分の空気を不活性な窒素ガスで置換するフレッシュパック製法の研究が進められ、食用油の保存安定性を向上させることになった。1971年には横浜磯子工場内にテストプラントを設置し、改良研究を経て、本格的な窒素充填設備は1976年秋に完成している。

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日清製油八十年史

日清製油株式会社の八十年史。1987年発行。第1部では 1969年に発行した日清製油株式会社六十年史の内容を振りかえり、第2部は1968年からの20年間を5部構成で紹介している。製油業の歩みを知る資料である。全344頁。

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ミニタンクシステム

1987年、寒冷地の灯油タンクをヒントにして業務用のユーザー向けに開発されたのがミニタンクシステムである。それまでの業務用食用油は一斗缶での使用が一般的であった。このシステムは450L(一斗缶約 25缶分)のタンクをユーザーに貸与で設置し、タンクローリー車で食用油を供給するシステムで、ユーザーの労働条件の改善や安全性の向上、作業全体の効率化が図られることになった。

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日清キャノーラ油

1992年に発売した「日清キャノーラ油」はカナダ産 No1グレードの純正菜種、キャノーラを使用し、独自の精製工程であるHT&ST法を採用した。「油っこくない」という商品特長が多くの消費者に支持され、現在、キャノーラ油は家庭用で最大のカテゴリーとなっている。2001年にはさらに技術を進化させ酸化を抑えて丁寧に精製する特許製法「ライト&クリア」製法の採用でリニューアルしている。

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日清オイリオグループ100年史

日清オイリオグループ株式会社の100年史。 2007年発行。1907年の日清豆粕製造株式会社の創立から、2007年3月の創立100周年までがおさめられており、100年の歩みが第1期から第6期の時代区分で構成されている。見開き2頁でひとつのテーマが完結する内容となっており昔の写真なども数多く掲載されており、製油業の歩みを知る資料である。全351頁。

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