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米国で発明されたコンピュータが日本に導入された昭和50年代の初め頃に日立製作所より依頼を受けたIBM405型会計機の出力用紙の製品である。当初は現在のコンピュータ出力用紙のように送り穴付のものではないが、連続した帳票がIBM405の仕様に適合した、日本に於ける最初のビジネスフォーム用紙である。
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米国で発明されたコンピュータが日本に導入された昭和50 年代の初め頃に日立製作所より依頼を受けたIBM405型会計機の出力用紙の設計図である。
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1953年コンピュータの黎明期にIBM405型用にスプロケット(送り穴)付印刷用紙を供給するためにチャンドラー印刷機を明製作所に改良依頼して完成された国産1号機で、フォーム印刷機の持つ送り穴機構・切り取り用ミシン装置などを備え、後年のビジネスフォーム印刷機の原型となった生産機である。
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1952年の出力用紙は送り穴付ではなかったが、資料は1953年11月に完成した、我が国最初のビジネスフォーム印刷機による送り穴付出力用紙である。
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「眞筆版」毛筆謄写版印刷機は、明治三十年頃に製作されたもので、同型の印刷機の中ではおそらく日本最古のものです。毛筆謄写版は、鉄筆式謄写版と違い、特殊な液体を原紙に塗って腐食させて版を作るもので、液体を入れるビンやローラといった小物も残っております。
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謄写印刷機を発明した堀井親子により明治三十年代に作られたのが当機です。滋賀県東近江市「謄写印刷伝承館」にある第一号機(明治27年)に次ぐ国内2番目に古いもので、主に戦後大きく普及した謄写印刷機の原型となったものです。
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明治四十年頃に発明された堀井謄写輪転機です。主に大正期から昭和初期に官公庁、学校、印刷業者で使われました。機械の価格が高く、一般的には普及しませんでしたが、業務用として普及しました。現存数はさほど多くなく、貴重なものといえます。
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ゲステットナー輪転機は英国製で、昭和初期から三十年代までに主に謄写印刷業者が使用した業務用印刷機です。後に大きく普及した電動360型機は、かなりの台数が現存しているのですが、120型手動機は現存数が極めて少なく、当館所有機は可動品です。
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イギリス人、リチャード・W・コープが1820年頃考案した手引き印刷機。アルビオンとは、イングランドの古名で、イギリスの名誉のためにこのように命名された。1824年頃に発売されると、ヨーロッパをはじめ世界各国に普及、日本にも明治の近代化とともに輸入され、その後、日本の国情にあわせた小型の国産機が製造された。
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活字を鋳造するための母型の一つである彫刻母型を作る機械。パントグラフの原理を利用したもので、亜鉛製の文字版を手元に置き、文字をなぞると上部のカッターが高速回転しながら同時に動き、母型の元となる真鍮材に文字を縮小して彫刻するようになっている。当社所蔵機は、初めて日本へ輸入された1台(当時は、東京築地活版製作所に導入)。
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カラーフィルム原稿をスキャンし、自動的に色分解、色修正する機械。それまでの大型カメラを使用した写真製版に比べ、作業時間が10分の1で済むことになり、このスキャナーによって製版工程は、カメラからスキャナーへと大きく変化することとなった。本機械のHR型は最初期の型で、この後、改良型であるMR型が製造されたこともあり、世界でも十数台しか製造されていない。
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奥行き5450× 幅3600×高さ2700(ミリ)の大型製版カメラ。1976年に製造され2006年まで使用されていたもので、基本的な原理と構造は大正期に用いられていた製版カメラとほぼ同じ。 1)原画の撮影およびカラーフィルターを使用した色分解 2)ネガ→ポジ反転 3)網掛け(スクリーンを使用し、グラデーション原稿を白と黒の点の大小に置き換える)などといった作業を行う。当社所蔵の製版カメラは、印刷博物館に所蔵する際に、全長を約150センチ短く加工。
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・1950年代キダープレス社製(米国ムーア社の専属機械メーカー) ・驚異的な高速オフセットフォーム印刷機連続伝票を製造する高速オフセットフォーム印刷機で、現在でも主流のビジネスフォーム用オフセット技術を使用し、高速な印刷加工を実現した。・リワインダー部分のみ、日野工場玄関に展示
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昭和23年頃の配置薬用の伝票類、罫紙、厚袋、さし袋および新聞、機関紙、、雑誌等の印刷は、活版印刷で行われていました。木版・亜鉛版は、固有なロゴ・マークや画像の印刷用として、その当時、数多く作られました。
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肩こりの薬には、色っぽい女性画を描いたものが多くあります。当社も昭和30年代から昭和50年代の約20年間、配置薬用のパッケージ等にリアルな表現で描いた女性画を多く使用しました。一点一点の表情には、その時代の美人と称される女性像が伺われます。
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多機能グラビア製版機「NIDGEP」は1967年、(株)日商グラビア野呂士郎のアイデアを櫻田晋平の創造力で試作し、自社の木目版の製版に使われていた。その後、1970年に大日本スクリーン製造(株)と販売契約締結。これ1台で銅メッキ・研磨・製版・校正刷と、全ての作業を行う万能機として製版業界に注目された。4台の製作で終わったが、このアイデアが校正刷機・研磨機等の技術的根源となり、以後、数百台にのぼるグラビア校正刷機やペーパー研磨機として業界に採用され、国内外で評価される元となった。またS社製自動製版システムに、その一部が引き継がれていったともいえる。
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1968年、グラビア印刷のインキ色合わせ用として、従来の引き紙にヘラで擦る方式に代わり、実際の円筒テスト版とゴムロール・ドクターを備えた手回し式展色機を開発、印刷工場や研究所などで簡便な色合い確認用に使用された。 1990年、大手のインキ会社よりCCM(コンピューター・カラー・マッチング)用展色機の依頼を請け電動式に改造、それも100V電源とし研究室や事務所内でも使える「CM」タイプとして現在に至っている。
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1960年当時自社(株)日商グラビアにて作製していた木目版製版の校正刷用に、櫻田晋平が独自のアイデアで校正刷機を開発した。1969年本格的フィルム用グラビア校正刷機として、「GRAVO-PROOF GM1100型」を開発し、翌1970年に東洋インキ製造(株)を総エージェントとして販売を開始した。 1972年には後にベストセラー機となった「GMs1400型」を発表、販売を開始、ユーザー国内外を含め300台超の販売実績を得た。 その後1990年にはより使いやすさを追求し大幅に省力化した「GN1400型」を発表、校正刷検査が必須条件となった業界に認識され、グラビア印刷における製版品質向上のため貢献している。
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1978年に開発し、東京都中小企業製品高級化新技術開発助成制度に認定された。グラビア印刷用の版ロールは当初から鉄製で、ロール表面に銅メッキ(150~200μ)を施し、銅表面を鏡面研磨仕上げして製版を行う。 使用しなくなった版柄は、クロームメッキを剥がし、銅面の彫刻跡を研削し再び銅メッキを付けて研磨し別の柄を製版する。その繰り返しの段階を何度か経ると、ロールのフランジ部分が腐食したり、銅メッキカスが着床して凹凸状となり、メッキ作業の電極部としての用をなさなくなる。このようなフランジを研削し正確なロール精度に戻し、新しい版ロールとして再利用することを目的として開発された。
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グラビア印刷の印刷不良絶滅は印刷工場に於ける長年の悲願ともいえる。特に印刷中に発生する俗に言われる「ツーツー汚れ」の撲滅を目的として1980年に研磨の、自動化を図った「GRABO-SANDER EM型」を新開発、1981年から国内外に販売した。従来、人手で磨いていたものを本機でラッピングし、設定時間で自動的に停止すると云うもので、勘に頼ることなく均一に磨ける。その上、人手が省けるし作業を管理状態に出来る事が工場作業の「標準化」に大きく貢献した。その後、より一層の省力化、研磨仕様の設定を容易にできる「DX型」を発表、現在では製版後の仕上げに欠かせぬグラビアの周辺機器として重用されている。
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1984年、世界初の多色グラビア校正機として開発し、翌1985年に東京の晴海で開催された「JSP85」に出展、大きな反響を呼んだ。各ユニット個々にインキタンクを備え、本格的な印刷機としての装置を持つ構造は見学者の度肝を抜いた。同時に特許出願登録し1993年に第1736325号として取得した。その後改良を重ねた同機は、グラビア印刷の立会を本機の代行として数多くの印刷工場に採用され、機械の遊休時間の大幅な短縮を実現し、印刷機の稼働率を向上させると共に、無駄を省く省資源化の相乗効果をもたらした。今後も更に厳しくなる環境規制対策の一助となる事と確信する。
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日本に於ける本格的な事務機械化の歴史は、大正12年三井物産によって輸入されたパワー式パンチカード統計機と共に始まりました。その後、このパンチカード・システム(PCS)が大量データの分類集計や帳票作成作業の担い手として活躍しました。現在の高度情報化時代をもたらしたコンピュータ利用の歴史は、その基礎となったPCSを抜きには語ることは出来ません。昭和30年代に当社では該機10台をフル稼働(1台当たり1300枚/分)させ、高品質の国産パンチカードを総理府統計局を初めとする我が国の先進顧客に納めさせて戴きました。
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電子計算機のデータ入力システムとしてP.C.S(パンチカードシステム)とさん孔テープが昭和30年~昭和50年頃広く使用されていた。その中で原始データの入力媒体としてパンチカードが 1.取扱いの容易さ 2.人間の目で比較的容易に誤りを発見できる 3.データを1枚単位で取扱える 4.データの修正追加等の変更が容易上記の理由で大量に使用されていた。本機は、パンチカードを原紙から印刷、カットし最終製品にまで一貫して製造できる機械です。1970年製。
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近代的な活版印刷は、15世紀中頃にドイツのグーテンベルクが木製の印刷機を開発したことに始まる。本機を製造した平野富二は、その師の本木昌造とともに日本における近代活版印刷の嚆矢ともいえる人物である。このアルビオン型手引き印刷機は、明治期盛んに用いられたものの、国産で現存しているものは数台だけである。中でも、明治初期の平野活版製造所製の印刷機は、本機が確認されるのみである。
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