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ブドウ被せ 切子デカンター

型吹き成形、ブドウ被せ、切子付デカンター。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。

情報所有館 : 国立科学博物館 


ルリ被せ 切子大鉢

宙吹き成形、ルリ被せ、切子付大鉢。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。

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ルリ被せ 切子コンポート

宙吹き成形、ルリ被せ、切子付コンポート。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。

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ルリ被せ 切子水差し

宙吹き成形、ルリ被せ、切子付水差し。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。

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醤油差し

製法特許を取得した超ロングセラーの製品。家庭用・業務用として広く用いられた。姉妹品としてやや大型のソース差しがある。ハンドルの成形を口型ではなくワン型で行いそれを胴型で一体成型したもの。

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ハイヒール

複雑な形状をプレスし、後処理で美しく仕上げたミリオンセラー製品。大きさは“特大”、“大”、“中”、“小”と4種類あり、色彩も“クリアー”、“ピンク”、“ブルー”、“ブラック”の4色。後加工にフロスト処理をしたものを加えると全製品のラインアップは32種となる。

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品川工作分局 辞令 1

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 2

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 3

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 4

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 5

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 6

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川硝子製造所 辞令 8

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川工作分局 辞令 7

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川硝子製造所 辞令 9

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ(19年当時は民営化されていた)。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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品川硝子製造所 辞令 10

日本初の官営洋式ガラス工場、工部省品川硝子製造所(品川工作分局)が谷田磐太郎に発行した辞令で、明治13年から19年まで計10枚残るもののひとつ(19年当時は民営化されていた)。谷田磐太郎(1869-1926)は浜松出身。12才で品川硝子に入り、のち独立して東京札の辻で「東京硝子製造所」を経営、主に照明器具を製造し陸海軍省などに納入した。品川で学んだ洋式ガラス製造技術をひろめた先駆者のひとり。

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池田菊苗著 中学理化示教

1896年(池田菊苗32才)に出版された尋常中学初2学年用の教科書。理科初歩のうち、物理学及び化学に属する内容となっている。日常体験する事象と教室での簡単な実験を基礎として帰納的な説明で平易に解説しようとしている。帝国大学理科大学助教授になった年である。

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池田菊苗博士所有の書籍「A NORGANISCHEN CHEMIE」初版本オストワルド著

池田菊苗は1899年(明治32年)より1年半に亘りドイツのライプチッヒ大学でウィルヘルム・オストワルド教授(1909年ノーベル化学賞受賞)に師事し多くの影響をうけたと言われている。1900年発刊のこの本にはSep1900の文字とK.Ikedaのサインとともに訳文メモやクエッションマークの書きこみメモがある。後の1904年(明治37年)に池田菊苗訳註として翻訳出版された。原書は書生の岡澤鶴治氏に与えられた。

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池田菊苗博士のノート

池田菊苗博士のノート。グルタミン酸抽出成功前の1907年の日記と1920年代の実験日誌がドイツ語で書かれている。日記には一日の予定と実績の他、自己評価と書かれた欄があるなど几帳面さがうかがえる一方、飛び飛びになっている上、肝心の1908年発明完成時が欠落している理由は不明である。

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特許証

1908年「グルタミン酸塩を主要成分とする調味料製造法」で特許を得た池田菊苗博士は、その後 「日本の十大発明家」の一人として選ばれた。(特許番号 第14805号)

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日本最古のグルタミン酸サンプル

池田菊苗博士は1907年(明治40年)夫人の購入した良質な昆布を見て、昆布の主要呈味成分の研究が味覚に訴える製品開発に役立つと考え実験にとりかかった。一時中断の後、日本人の栄養不良改善のために廉価な調味料の必要を感じ再開し1908年(明治41年)グルタミン酸の結晶約30グラムを抽出成功した。(最良質昆布約12キロ相当)(十貫目も消費したとの記述あり)瓶詰めには「具留多味酸」と表書きされている。

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新聞広告切り抜き(東京朝日新聞)

1909年(明治42年)5月26日東京朝日新聞に発売後初めての広告を掲載した。一段広告に文字をぎっしりとつめこんだものであった。

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発売時の「味の素」

明治42年に一般発売された「味の素」だが、発売当初のパッケージは薬種専門の瓶屋から仕入れた薬用の瓶を使用していた。次いで白粉用の広口瓶を経て同年末には小瓶中瓶大瓶の3種類に変更している。時期は特定しにくいが、微妙にシェープの違うものが残されている。

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大正期ギフト店頭広告(POP)

大正時代から社内にデザイナー(後に独立した画家も輩出)が勤務し、ポスターなどの制作にあたっていたが、そのひとつとして進物箱(ギフト)の販売促進のために作られたピエロをデザインし、エンボス加工されたPOP広告。

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大正年間得意先木製看板

大正初期に販売店にて掲げられた木製看板である。縦型・横型・販売店名の有無など多種類が存在していた(けやき製)。

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道明寺がめ

発売当初、小麦のグルテンからグルタミン酸をとりだす、分解の工程で用いた濃塩酸は容器そのものを侵してしまう。当時の技術で様々に試行錯誤の末、行きついたのが愛知県常滑産の道明寺がめであった。腐蝕を遅らせ、安価に交換できたことから重要な設備となった。

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大正・昭和期 電車欄間広告

発売当初から電車(市電・路面電車)の乗降口の欄間に広告を掲示したが、本格展開したのは大正期。東京・大阪・名古屋をはじめ地方の電車に永く掲出した。原画は著名な画家の手によるものであった。第二次世界大戦後の作品も一部残されている。

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一癖随筆

大正期に流布されたデマ「味の素の原料は蛇説」を最初に言いだした宮武外骨(雑誌スコブルに初めて掲載)が大正10年(1922年)に発行した雑誌「一癖随筆」の中でも再度持論を展開している。「味の素は青大将」という記事。

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レコード「味の素音頭」

昭和10年前後に流行した音頭・小唄にのせてレコードを作製し、踊りの振りをつけて宣伝に利用した他、営業活動の宴席で賑やかに唄われた。島田磐也作詞、長津弥作曲、鈴丸唄、藤間喜与恵振付。

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朝鮮事務所移転記念品そろばん

朝鮮事務所を京城府西小門町に開設したのは昭和6年8月20日。味の素本舗朝鮮事務所新築記念と裏書きされた立派なソロバンはその後の昭和8年9月に南大門通り3丁目に新築された鉄筋コンクリート4階建ての完成記念品である。

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基準手動天秤

通商産業大臣より適正計量管理事業所として承認をうけた当社川崎工場では、質量計量器の管理のために1968年4月から基準手動天秤を用いて分銅の精度維持をおこなってきた。2000年8月その役目を終え工場内応接室に保存している。

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味と発酵(坂口謹一郎博士記念講演速記録)

核酸の研究の先駆者でもある坂口謹一郎博士の日本醤油協会十周年記念での貴重な講演の記録を綴った文献。

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Amino Acidos 発酵と代謝第2号(1960年)L-グルタミン酸ナトリウムと5'-イノシン酸ナトリウムの相乗作用

L-グルタミン酸ナトリウムと5'-イノシン酸ナトリウムの相乗作用を発見した國中博士が、相乗作用の効果を官能検査によって立証した文献。

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千葉県工業歴史資料調査報告書 ヤマサにおける核酸系調味料・医薬品開発の歴史と醤油技術の進歩「複合うまみ調味料フレーブの開発を中心として」

ヤマサ醤油における核酸調味料の開発の歴史を開発者自らが簡潔に記述した文献。

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バイオサイエンスとインダストリーVOL.55(1997年)No.1~No.3 バイオ技術創設WG活動紹介:バイオ産業の発展と技術継承を語る。

國中博士の核酸の研究に関して、インタビュー形式で3回にわたり掲載された記事。國中博士が歩んできた研究の足跡が非常に分かり易く紹介された記事。

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わが国初のばら積セメントタンカー

清忠丸はわが国初のばら積セメントタンカーであり、昭和11年4月に就航した。総屯数3,079屯(載貨重量3,648屯)の単螺旋のディーゼル船で主機出力は1,650馬力であった。積み込みは欧米のコンベア方式でなく、より合理的な空気で吹き込む方式を採用しており、全国のストックポイントの設置と相まって輸送面の合理化に著しい成果を挙げた。

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わが国初のフライアッシュセメント(ポゾランセメント)

石炭火力発電設備より排出されるフライアッシュを活用し、昭和31年2月にわが国で初めてのフライアッシュをセメントに混合したポゾランセメントを発売した。フライアッシュを混合したセメントは普通ポルトランドセメントと比較して長期強度増進、優れた仕上面、遊離石灰の減少、耐透水性、化学抵抗性、収縮等にすぐれ、後にJISR5213(フライアッシュセメント)の規格化に発展していった。

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世界最大のSPキルン

伊佐1号キルンは、直径6.2m、長さ125mのサスペンション・プレヒータ付キルン(SPキルン)として1972年9月29日に火入れ式が行われた。年産186万トンは単一のキルンとしては当時世界最大の能力をもつものであり、SPキルンとしては現在も世界最大の規模である。

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宇部・美祢高速道路

「宇部・美祢高速道路」は美祢市伊佐鉱山の石灰石と伊佐セメント工場で生産するクリンカーを宇部市の沖の山石灰石センター、宇部セメント工場へ大量輸送するために建設された。通称「宇部興産道路」は西沖・伊佐間の総延長28.27kmを最小曲線半径:400m、最急縦断勾配:3%で建設され、一企業が保有する専用道路としては類をみない規模となっている。

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フレットミル粉砕機ローラー

日本初のセメント工場である工部省深川工作分局時代からのセメント製造設備である。同工場は1883年に当社の前身である後の浅野セメント株式会社へ払い下げられる。

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蒸気機関

日本初の民間セメント製造会社である小野田セメントの開業時より、セメント製造用の機械類を駆動していた蒸気機関である。現存している国産の工場用蒸気機関としては最初期のものであり、大阪砲兵廠が民間工場ために製作した機械類のなかで唯一現存するものである。

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旧小野田セメント製造株式会社竪窯

わが国に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上、高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要である。2004年12月、国の重要文化財に指定。

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コンクリート方塊

1889年から工事が始まった横浜築港工事に使用されたコンクリート塊である。当時としては画期的な大工事であり、これを契機に国産セメントの品質が著しく向上した。

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秩父セメント第二工場

東京工業大学谷口吉郎教授の設計で、巧妙なレイアウトのもと生産機能と生産環境の向上が図られている。セメント工場の在り方に新境地を開いたものであり、歴史的・文化的価値の点からも評価されている。1956年日本建築学会作品賞受賞。1999年同学会日本におけるモダン・ムーブメントの建築20選指定。

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日鐵高炉コロイドセメント

本製品は、青函トンネル建設にあたり湧水を伴う断層破砕帯や軟弱地山を固め、岩石の割れ目を塞ぐ止水工事用セメントとして、日本鉄道建設公団と当社の共同研究によって開発された製品。高炉スラグの特性を最大限生かし、これを55%配合した平均粒径8μmの超微粒子セメントで、高注入性・高強度に加え、耐風化性も兼備している。青函トンネル納入実績は23万トン。昭和61年度、北海道科学技術賞を受賞。

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ランダム振動制御器

史上初のROMベースのデジタル方式ランダムコントローラとして開発され、日本の工業界におけるランダム振動試験普及の牽引車となった製品。本機の出現まで、商業ベースのランダムコントローラとしては数種の米国製品しか存在しなかったが、いずれもディスクベースのシステムであり設置環境への要求が厳しいものであった。本システムでは、振動試験現場での使用に耐える堅牢性を実現するために、すべてのソフトウェアをROM化することに成功し、低廉な価格設定と相俟って、それまでごく一部の特殊なユーザだけのものであったランダム振動試験の日本における普及への道を拓いた。

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多自由度振動制御解析システム

史上初のパソコンベースの多自由度振動制御システムとして開発され、現在も多軸・多点加振方式による振動試験の実施に大きく寄与している製品。1995年以降に始まったWindowsの爆発的普及時期に登場した本システムは、まず、多軸振動試験として最も普及している直交3軸加振システムの振動試験制御器として用いられる他、より高度な「6自由度加振システム」等の制御器としても活用されている。特に、「相関ランダム振動試験」を実現して多振動制御の全般をカバーしている先進性は、むしろ今後重要になる技術として関係方面での認知度が高まって来ている。

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サギノミヤ ダイナミックサーボ 振動試験装置

日本で最初に販売されたサーボ機構を利用した油圧式振動試験機。制御性のよい電気と油圧パワーを融合した振動試験装置で、クローズド制御により精度の高い試験が可能になり、家電産業や自動車産業などで製品や部品の振動耐久試験に幅広く利用された。

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エスペック歴史館案内書

我が国の理化学機器が収納された歴史館の案内書。終戦直後、テレビの普及とともに広まり、我が国工業製品の品質向上に欠かせない技術:環境試験に関する装置が歴史館には展示されている。この種の展示場は他には無いと思われる。

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久野式釣合い試験機

戦前から産業界の回転体の釣り合いを計測した試験機である。戦後、電気的な釣合い計測が出来るまで回転機器関連自動車部品の産業において活用されたものである。

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