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80年史の中でグラスファイバー事業部門の歴史について記述している。主な写真は、1.内野工場ガラス繊維紡糸風景(1955)。2.ガラス繊維4000ホールブッシング(1970年代前半)。3.東京ドーム(1987年)。日本初めての恒久膜構造建築物で、弊社極細ヤーン使用クロスが膜材の原料として使用されている。なお、「生産技術と商品の変遷2」にガラス繊維製造技術の変遷を記載してある。日東紡は、日本における、ダイレクトメルト(直接紡糸)法、及び、細番手ヤーンダイレクトメルト(直接紡糸)法の草分けである。
情報所有館 : 国立科学博物館
資料写真は、当社の前身である日米板硝子社が福岡県に建設したコルバーン式板ガラスの熔槽煙突。わが国最初の板引き法によるガラス生産設備である。1920年に操業開始。
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わが国で初めて製品化に成功したグレー色調の熱線吸収ガラス。組成の中に微量の金属成分を加えて着色されたガラスで、環境のコントロールにも大きな効果を発揮する。資料写真はグレーペーンが初めて大量に使用された当社大阪本社ビル(現存しない)。
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大板ガラスを特殊な金物で吊り下げ、ゆがみのない大きな開口部を構成するガラススクリーン。1964年独ハインリヒ・ハーン社と技術提携を行い、我が国の実情にあわせた改良を加え発表した。ガラス開口部の大寸法化に大きな貢献を果たした。
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平滑性に優れた、ゆがみの少ない透明板ガラス。溶融金属の上に帯状のガラス素地を流し、火造りのままで連続製造された美しい板ガラス。当社は英国ピルキントン社から技術導入し、1965年に東洋で初めて生産を開始した。資料は設備稼働後、最初に出てきた溶融素地の先端部分。
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2枚のガラスの間に0.2mmの真空層をつくることで、熱の伝導と対流を防ぎ、放射は高断熱特殊金属膜で抑えている。そのため、冬は暖かく、夏は涼しい環境をつくりだす。また単板ガラス用サッシに装着できるという特徴も備えているので、既存住宅の窓のリフォーム断熱化も可能。地球環境保護(CO2削減)という視点からも、大きな貢献が期待されている。
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網がない防火ガラスなので視界も広がり、窓から景色を存分に楽しめる。特別な熱処理加工を施した超強度の強化ガラスで、同じ厚さのガラスの6倍を超える強度がある。万一の火災発生時には、防火ガラスとしての性能を発揮する。
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1976年から1992年にかけて当社が刊行した技術広報誌全18号。当社が生産する特殊ガラス製品または生産技術に焦点を当て、社外における技術史から社内における技術開発の経緯を詳細に紹介したもの。
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光電子を測定するための検出器。直径20インチ(約50cm)。当時世界最大。東京大学宇宙線研究所の核子崩壊観測実験施設(カミオカンデ)に設置され、超新星ニュートリノの観測を世界で初めて可能にした。
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ブランデーグラスを模したデザインのガラス灰皿。20年余りの間に約250万個を生産販売した手吹きガラス商品としては、歴史的な灰皿。長期継続的に原料を溶解する事により困難なルビー色の赤ガラスを開発。なお、著名な土屋陽三郎コレクション「灰皿」の著書に収録。
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スウェーデンで開発されたスピニング単座成型を複座にし、さらに岡本特殊硝子では、回転式6ヘッド(座)式成型へ開発を進めた。この成型はスウェーデンからも引合いがあった程。このスピニングは日本で初めて本格生産した成型機であると同時にデザイナー木村四郎の金型制作においても秀逸なものがあった事は現在でも生産販売されている事から実証される。仏D社が類似品を生産する程、注目された。
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昭和50年代、カットグラス工業組合全体はオートメーション加工の影響で瀕死の状態にあった。廣田硝子は当時、色被硝子に大友精三による切子を施す商品開発に成功。それにより切子職人も潤うようになり、カットグラス工業組合は商工組合と大友精三と共に東京都へ江戸切子(商標は小林英夫氏が保持)の支援を求め昭和60年、都の伝統工芸品として認定された。その結果、カットグラス工業組合は今日の活況を見る事となった。
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理科担任教師の指導により、実験用劇薬用の点滴ビンの機能に着目し、シリモレしないしょうゆ差しを開発した。本体のビンとガラス栓をしっかり擦り合わせる事により、外部へのモレを解消した。東京北の丸公園、東京国立近代美術館工芸館に永久保存されている。なお、この機構を応用した、しょうゆ差しを種々開発した後、類似品が多数出るも、しょうゆ差しの普及に大きく貢献する。(写真は同美術館発行の「注ぐ」カタログより。)
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シングルモード光ファイバの低損失接続には、高精度のコア軸合わせが必要になる。フジクラは、NTTとの共同研究により世界初のコア直視法を採用した融着接続機FSM-20を開発、製品化した。コア直視法とは、光ファイバに側方から平行光線を投射し屈折率分布に応じて透過した前方散乱光をTVカメラで捕らえ、画像処理でコア軸を高精度にキャッチする技術であり、光ファイバ接続技術の革新に顕著な役割を果たした。
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1994年に阿南紀北直流幹線向けに製作された光複合海底OFケーブルである。光ファイバと電力線の複合ケーブルであり、直流500kVという世界最高レベルの電圧を実現し、当時その技術は高い評価を得た。
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1974年夏、ステップインデクス型ファイバを用いて、4芯光ファイバケーブルの試作、現場布設、接続試験が行なわれた。架空200m、地下200mの布設で、地下マンホール内での現場接続であり、これに世界で初めて成功した。この結果は1975年の第1回ECOC(光通信国際会議)で報告され、光ファイバ通信の開発が一気に加速した。現在も運用実験中で、光ケーブル寿命が28年以上あることを示す、貴重な実証実験となっている。
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当社は幕末に創業し、現在のような板ガラスが出来なかった時代に、ガラス製の鏡を製造した。その後、顕微鏡用プレパラートガラスを国産第一号として製造した。戦後貿易再開第一号として、外貨獲得に貢献することにつながる製品であった。
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旭硝子(株)創始者の岩崎俊弥の下で工芸用色生地硝子の開発に従事した中島広吉は、独立後中島硝子製作所を創立し、量産品製造の傍ら研究、開発を続けた。これが洋画家・和田三造の目に留まり1937年開催の第7回パリ万国博覧会への出品を薦められた。初期のゴールドグラス(当時はA生地と呼称)に和田三造原画の唐草模様をフッ化水素酸による浮き彫り彫刻で仕上げた唐草模様大鉢は硝子工芸品としては日本で初めてグランプリを受賞した。
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1939年、個人会社より法人「福岡特殊硝子株式会社」を設立した中島広吉はその子息信幸と共に尚も開発を続けた。その途上試作されたのがこの花瓶で、ゴールドグラスの生地組成を改良している中、偶然に「菊花紋様」が発現したものである。観賞用水石として岐阜県本巣市に産するものに似ているとしてこの名を借りた。硝子で自然に発現したのは世界でこれのみと考えられている。現在ではその製法の詳細は不明である。
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1910年頃、旭硝子合資会社にて三角愛三を中心に特殊な高級工芸硝子生地が開発された。後にこの技術を伝承した中島広吉は1937年頃からこの窯変生地を用いて独特の工芸硝子を製造し、服部時計店が総代理店として販売して好評を得た。生地を多層巻きカットし木目を表した、ゴールドグラスの代表的なスタイルの一つであり、日本独自の工芸硝子の先駆けの一つとなるものである。
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ゴールドグラスの加飾法の代表の一つ。多色不透明硝子を複層巻き重ね、これを薬品によるエッチングではなくサンドブラスト(商品名:ペール・デコール)により削り取り複雑な模様を表したもの。1950年頃、当時のサンドブラストの先駆者であった平沢寿晃より技術導入したもの。現在主流の無色透明硝子や色被せ硝子と異なり、着色不透明多層硝子にサンドブラストする点に特徴がある。
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ゴールドグラスの特徴を全て備えた作品。着色不透明ゴールドグラス生地を多層巻き重ね、宙吹きで成形後サンドブラストで蔦の模様を彫ったもの。本体と蓋の模様に連続性があるところが繊細で面白い。
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硬質窯変生地の炎彩は独特で多様な発色を示す。多様な発色、即ち多様な模様となり「流れ模様」、「鱗片模様」、「木の葉模様」など人知ではコントロール不可能な興味深い模様を呈する。
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高鉛含有のゴールドグラス生地に耐熱性を付与したもの。炎彩は商品名である。長年の研究の結果、1980年頃からゴールドグラス生地に熱ショックに強い性質を持たせることができ、茶器、食器への用途が広がった。独特の発色を見せる窯変硝子である。
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1990年頃に中島信幸が開発した世界に類を見ない耐熱着色窯変硝子「カラーセラム」の初期の作品。色調はゴールドグラスに似ているが、カラーセラムにカットで加飾したものである。製作従事者は予期せぬ色の発現に驚いたという。
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耐熱着色窯変グラス「カラーセラム」は、1990年頃に中島信幸により開発された後も改良が続けられ、種々の発色が可能になった。しかし、加熱条件などによりその発色が微妙に変化し、全く同じ色模様のものを製作することは不可能である。このことを顧客に説明するのに苦労した。
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無鉛の硼珪酸硝子である耐熱着色窯変グラス「カラーセラム」(商品名)は1995年頃、技術的にほぼ完成の域に達した。その実用例がコーヒーカップであり、耐熱性を保証するために、全数熱湯をかけて異常がないことを確認している。また、このカップは取っ手が本体から切り出されて一体に成形されており、この形状は意匠登録されている。
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彫刻金型でプレス成型したいわゆる「押し型」製法による製品。美術工芸的作品の量産化としては日本における先駆的な例である。
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昭和11年7月15日発行(非売品)。硝子の起源・性質・成分・光線の透過及び吸収、硝子の酸・アルカリに対する性質、硝子の風化・腐蝕作用、硝子製品についてなど27ページにおよぶ説明書。
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昭和11年6月12日~17日日本橋三越5階西館にて開催した同社初の硝子工芸展の目録。この頃日本で初めて制作に成功したパート・ド・ヴェールが主たる出品だった。
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第二回岩城硝子作品展覧会の写真(ポストカード)2枚。岩城硝子は工芸硝子にも力を入れ、日本で初めてパート・ド・ヴェールの制作に成功し、昭和11年から17年にかけて工芸硝子の展覧会を開催した。これは昭和12年の第二回展のポストカードである。
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パートドヴェール及工芸硝子作品カタログ10ページ。昭和13年に岩城硝子株式会社が発行。同社工芸部による「パート・ド・ヴェール(P醇Cte de Verre)に就て」と題する文と、作品の写真が掲載されている。
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戦後まだ色ガラス製品が少ない時代に、工芸ガラスの手法を取り入れて量産され、爆発的に売れたロングセラー製品。赤や紫、黄色の色ガラスの粒をタネに巻き取り、透明ガラスを被せて宙吹きによりひとつひとつ成形した。紫色のものが最も人気が高かった。
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宙吹き成形、セレン赤被せ、切子付デカンター。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。
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宙吹き成形、セレニュームによる橙色被せ切子付小皿。太平洋戦争後、主として進駐軍並びにアメリカ本土向けに製作、販売。明治時代からの伝統的な技法を完全に踏襲した製品。
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