「」 に対する検索結果 : 26350

前の50件 (18851-18900/26350)    次の50件

醤油の火入機

醤油の殺菌、火入おりの生成、香気の付与等の目的で行う醤油の火入れは、殺菌する微生物の対象が近年、芽胞を作る殺菌類になり、火入れ温度は100℃以上で醤油を殺菌する方向になってきた。プレート式熱交換機はプレートを挟んで醤油と蒸気で加熱された熱水が流れ、熱水により醤油が加熱される方法で、プレートの大きさ、枚数により能力が決まる。

情報所有館 : 国立科学博物館 


連続仕込み装置

醤油麹と塩水を諸味タンクに入れることを仕込みと言っているが、1965年頃までは、輸送設備の問題から麹と塩水を別々に投入していたので仕込直後の攪拌(荒櫂)により麹と食塩水を充分混合させて、腐敗を防ぐことが醤油の品質管理上たいへん重要であった。しかし近年は出麹と塩水の混合した状態で輸送するポンプが開発されたことで、荒櫂が簡便になった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油諸味の圧搾

醤油諸味の圧搾原理は古くより変っていない。すなわち、諸味を布に包み少しづつ圧力をかけて、3~4日かけて生汁と醤油粕に分離する方法は機械化による大量処理と省力化を目指して進歩してきた。最近は1,000m以上の長いナイロン系ろ布を3つ折りにし、その中に諸味を送入し、折りたたみながら約6mの高さまで諸味を積み上げる長尺式は、大量生産と大きな省力効果を生み出している。

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油の容器

醤油の容器は量販店の普及により、容器のまま各家庭で購入されるようになり、樽売りの時代から1.8Lまたは2Lの瓶が容器の主流になり、さらに現在は1L以下のペットボトル容器の占める割合が大きくなっている。しかし、すでに味付けや調理させた副食が種々の会社で大量に製造、販売される時代でもあり、これらの材料としてタンクローリー車での醤油販売の割合も大きくなってきている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油麹の製麹

醤油の醸造で最も重要であると伝えられている醤油麹の製造は、麹蓋(1枚に元原料約1kg)の温度を人が調整する室で麹を造る時代から、1960年頃から麹層の下から温度を調整した風を送り、麹の温度を調整する製麹室となった。この製麹機の形も現在は作業性の簡素化等の理由で円型が主流で麹層の厚さも60cm程度まで可能となり、麹菌も麹層の厚さが増すにつれて、締りの少ない菌が必要になった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


大豆の蒸煮

醤油の主原料の1つである大豆の蒸煮は、無圧で煮込む古来の方法から、1955年頃から加圧釜(約0.1MPa)で30分以上、蒸煮する方式に進歩し、現在では高圧(約0.2MPa)で、数分の連続蒸煮缶が主流となっている。蒸煮方法の進歩で、原料のたんぱく質利用率と蒸煮能力が著しく向上した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


最新醤油醸造論他2件

最新醤油醸造論(栂野明二郎著)。近代醤油醸造の真髄(清水健一著)。醤油製成製品法並番醤油製造法(伊藤定治著)。

情報所有館 : 国立科学博物館 


100年の歩み

大正時代に入った頃、当社は札幌の醤油醸造業界のトップの座を占めていた。大正7年、市内苗穂町に第2工場を建設。工場敷地6000坪、建築物2700坪の第2工場には、ボイラー、大豆蒸煮缶、小麦炒機、諸味撹拌装置、水圧機等の最新設備を備え、技術研究のための試験室を付設した近代的工場である。その後、用地建物を拡充、駅前から本社機能を順次、移築し現在に至っている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


マルキン醤油記念館

マルキン醤油の創業80周年を記念して、醤油造りの歴史と製造方法をわかりやすく紹介するために、昭和62年に開館。建物は明治時代からもろみを搾る工場として使用された合掌木造で、「文化庁有形文化財登録建築物」に指定されている。館内では醤油造りの歴史が学べ、もろみを搾る棒絞め機、島独特のこうじ室など醤油造りに使われた道具や設備を展示している。

情報所有館 : 国立科学博物館 


螺旋圧搾機

明治末期から昭和20年代まで使用していた。てこの原理を利用している。諸味を袋に入れて上から、あて木をし圧力をかけて締縄巻取装置で、圧搾する方法。袋では歩留りが悪いため、風呂敷の折りたたみ式で搾る。袋端を押し切らないので、味は現在の圧搾機よりマイルドな味がしていた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油研究所の開設

1899年、従来の醤油醸造方法を改め、科学的な技法を用いて醤油づくりをする目的で醤油研究所を開設した(日本における醤油研究機関のはじめ)。

情報所有館 : 国立科学博物館 


蒸気ポンプ消防車

この消防車は、明治41年に購入したもので石炭・薪を燃料とする蒸気エンジンで作動する消防車である。長時間の運転に強いことが特徴で、人力による腕用ポンプの消防車が大勢を占めていた当時としては最新鋭のものであった。明治・大正・昭和の3代にわたり活動して昭和23年に現役を引退した。全長:4.30m。エンジン出力:30馬力。総重量:1,000kg(1t)。放水量:833ℓ(毎分)。

情報所有館 : 国立科学博物館 


鉄筋コンクリート製の仕込タンク

諸味とは、麹を仕込桶やタンクで食塩水と混合させたもの。この仕込タンクは鉄筋コンクリートで造られている為、その諸味の品質を損うことなく、又、耐久力等からみても、杉材の仕込桶に代用されるに値する。これは工場設備増強に向け、経営規模の拡大や機械化の拡充等の目的で建設された。

情報所有館 : 国立科学博物館 


穀粒資料の連続式燕煮装置

本装置は傾斜螺旋状の通路にて、少しの作動衝撃を与えることで、管内を資料が自然に落下するように考案されたもの。1.資料の圧縮や粘着の防止、2.連続的で均一な加熱(燕煮)、3.燕煮管内圧の適度な保持など、燕煮効果を高めつつ、円滑な資料の排出を可能にした極めて効果的な装置。従来の燕煮装置における欠陥を改良したもの。

情報所有館 : 国立科学博物館 


諸味スーパーステンレスタンク

醤油工場設備更新(諸味スーパーステンレスタンク増設)。これは環境に配慮した屋外タンク設備で、湿気や塩害に強く耐久性にすぐれている。  

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油の製樽工程の機械化

製樽はすべて自社の工場で製作された新樽を用い、古樽は一切使用せず。樽の材料は主として秋田杉を用い、輪竹は関東産の真竹を使用。そして当時は製樽作を漸次機械で行うようになった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


ディーゼル機関車「オットー」

日本に現存する最古のディーゼル機関車。石油を燃料とする珍しいドイツ製のディーゼル機関車である。大正末期に輸入され、昭和39年までヤマサ醤油(株)で毎日働いていた。考案者の名をとって「オットー」と呼ばれ、鉄道ファンに親しまれている。製造:ドイツ社、オーベルウーゼル社の合作。考案者:ニコラス・オウグスト・オットー。車重量:7トン。牽引力:貨車10両(約250トン)。

情報所有館 : 国立科学博物館 


日本一大きい木製大型仕込タンク

カナダ産のヒバ材を用いて造られた、醤油業界で初めての屋外式240kl×8基の大型仕込タンクである。それ以前の1991年に吉野杉による40klの木製仕込タンクが4基つくられている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


種麹製造装置

種麹製造装置(一号機)従来の種麹製造方法は、ステンレスケースを用いたいわゆる麹ぶた製法であった。この方法は高濃度胞子を有する種麹が得られるものの、温湿度管理など技術及び人手を要する。またある程度の有害微生物の汚染もまぬがれない。このため、原料の処理、もと種の接種及び培養の3工程を同一容器内で操作し、外気との接触を断ち、省力化と、汚染防止を目的とした種麹製造装置である。もと種の接種作業が脱圧という簡単な操作で行い得たことに大きな意義がある。省力的に良質の種麹を製造することが可能である。

情報所有館 : 国立科学博物館 


基準天秤

40/100mgという高精度の秤で、同レベルのものは国内にも数例しかないと言われている。個別企業としての所有は唯一のものと思われる。昭和43年頃購入、平成13年9月の検査を最後に現在は静置保管されているが早期から適正計量に注力してきたキッコーマンのポリシーの象徴である。

情報所有館 : 国立科学博物館 


醤油の仕込タンク

醤油諸味の熟成は、古くは木桶が主流でその後、大量に仕込むことができるコンクリートタンクも併用されていた。1955年頃から、木桶に替わって大型で製作コストも安価な鉄製(エポキシ系樹脂ライニング)タンクを採用する企業が増えてきた。鉄製タンクは熟成が完了し、空になるごとにきれいに洗浄することができ、微生物管理の徹底、温度管理技術の向上と重なって、熟成期間も短縮された。

情報所有館 : 国立科学博物館 


Y-2型圧搾装置

本装置は日本で初めて1m角の諸味充填面積を実現した醤油の圧搾装置である。従来は70cm角が一般的で人手による作業であったが、本装置では自動充填折り畳み機を採用することにより、介助作業者は必要とするものの、1m角の折り畳みを可能にした。また、鋼板製のケージと長ストロークのプレスを採用し300枚に積層された9KLの諸味を無人で圧搾することが可能となった。(当初設計は400枚、12KLであった)その後、ケージの移動にエアーパレットを採用し、底板の昇降に油圧シリンダーを採用するなど関連技術を高め今日に至っている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


日本近世窯業史 第四編 硝子工業

我が国における古代から大正時代までの硝子工業の発展の歴史。

情報所有館 : 国立科学博物館 


旭硝子株式会社 試験所報告

旭硝子株式会社における硝子組成などの研究開発史。

情報所有館 : 国立科学博物館 


旭硝子株式会社 硝子製造部史

旭硝子株式会社の昭和32年から昭和41年までの間の建築用・自動車用ガラス製造技術の発展を記載。

情報所有館 : 国立科学博物館 


コーニング製品市場開発略史

当社の照明用・理化学用・食器用ガラスの販売史。

情報所有館 : 国立科学博物館 


旭硝子株式会社 社史

旭硝子株式会社における建築用・自動車用・テレビブラウン管用ガラスの事業展開史。(1907~1968年)

情報所有館 : 国立科学博物館 


湘南工場操業開始時の写真

日本初のマーブルメルト法によるガラス長繊維工場が操業開始。

情報所有館 : 国立科学博物館 


岩田藤七作ガラス花器 「虹彩瑠華」 (作品番号 TF1286)

透きガラスに泡ガラスを合わせ、橙色のガラス粉をつけたガラス生地を鉄板や鉄枠を使って引き伸ばして作られた作品。岩田藤七はガラスの溶解過程で出る泡を利用し、たくさんの細かい泡のあるガラスを考案した。以後この泡ガラスを使ってこの製法で作られた食器の数々は、彼が創立した「岩田硝子」の代名詞と言えるほどのヒット商品となり、沢山の種類の大量の製品が作られた。溶解の困難な黄、橙、赤を始め多数の色ガラスが使われた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


岩田藤七作 ガラス花器 (作品番号 TF1174)

この花器は岩田藤七が始めた金箔使いによる、ガラスと金箔を何回も重ねた花瓶のシリーズ「松風」のひとつである。扱いの難しい黒色ガラスの線や粒で模様を出した日本的な雰囲気をもつ、岩田工芸硝子株式会社の代表的な商品の元となった作品。ソーダガラス製。透きガラス、黒色ガラスの棒線、厚めの金箔、オパール色のガラス、黒色ガラス粒を何回か重ねてつけ、宙吹きで仕上げられた。底に充分な透きガラスの厚みがみられる。

情報所有館 : 国立科学博物館 


カットガラスカタログ

昭和10年頃のカットガラスの販売カタログ。コピーの無い時代、一点一点を写真の切り抜きで作製されている。内容はカットデザインの優雅さとカット技術の凄さを物語って居り、当時の日本のカット技術のレベルの高さを良く表わしている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


道路信号灯レンズ遵k300

第一級国道用の道路交通信号灯レンズとして、昭和53年より導入されたもの。信号機に内蔵されている白熱電球が点灯し、レンズを通して見える色調は赤黄青の3色。色度は厳しく規定され、ハンドメイドで作製されていた信号レンズ。平成に入ってからは樹脂レンズとなり、現在はLEDに置換っている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


「オハラ60年の歩み」 (株式会社オハラ創立60周年記念誌)

株式会社オハラの創立60周年記念誌として編纂されたものだが、技術面での記述も豊富であり、近代ガラス産業技術史において、参考になる資料である。

情報所有館 : 国立科学博物館 


クリスタル鉢

1958年制作。1959年(昭和34年度第16回)「日本芸術院賞」受賞作品。カガミクリスタル(株)創立者、各務鑛三デザイン。クリスタルガラスの透明度を生かし、一体でありながら二体のガラス鉢を重ねたような効果を出している作品。サイズ:530遵k×125H。宙吹き成形と切子ハンドカット。

情報所有館 : 国立科学博物館 


クリスタル飾り皿〈祈り〉

複製品。1974年。カガミクリスタル(株)創立者、各務鑛三作品。日本のクリスタルガラスのパイオニアである各務鑛三は、同社創立前にドイツ国立シュトゥットゥガルト美術工芸学校に入学。ガラス工芸の第一人者、ヴィルヘルム・フォン・アイフ教授に師事した。これは鑛三の同校での卒業制作品。クリスタル素地にグラヴィール彫刻されたもの。サイズ:265遵k×47H。オリジナル作品は、各務家所蔵。(制作1929年)

情報所有館 : 国立科学博物館 


クリスタル花器

1979年制作。カガミクリスタル(株)創立者、各務鑛三作品。各務鑛三(1896年~1985年)は、日本のガラス工芸の世界に、はじめてクリスタルガラスを紹介し、グラヴィール彫刻をドイツ国立シュトゥットゥガルト美術工芸学校で修得。日本でクリスタルガラスの工場を創立した。作品サイズ:175遵k×245H。宙吹き泡入成形と切子ハンドカット。第11回日展出品作品。

情報所有館 : 国立科学博物館 


クリスタル花器〈瓢箪譜〉

1982年制作。カガミクリスタル(株)創立者、各務鑛三の作品。各務鑛三(1896年~1985年)は、日本のガラス工芸の世界に、はじめてクリスタルガラスを紹介し、グラヴィール彫刻をドイツ国立シュトゥットゥガルト美術工芸学校で修得、日本でクリスタルガラスの工場を創立した。作品サイズ:215W×370H。宙吹き成形と切子ハンドカット。第14回日展出品作品。

情報所有館 : 国立科学博物館 


菊桐鳳凰文花瓶

複製品1990年制作。オリジナル品は、昭和天皇が即位された御大礼の折、南満州鉄道が制作献上した。現カガミクリスタル(株)創立者、各務鑛三デザイン、同グラヴィール彫刻家、高木茂により制作。(1928年)現在宮内庁三の丸尚蔵館収蔵。サイズ:312遵k×535H。胴部中央に、菊・桐・鳳凰の模様がグラヴィール彫刻で施されている。

情報所有館 : 国立科学博物館 


硝子繊維 その軌跡と展望

1986年に硝子繊維協会設立25周年を記念して、発行された文献。主な内容は、硝子繊維(短繊維・長繊維)の発展の過程を紹介した、「伸びゆくガラス繊維」をはじめ「硝子繊維協会の組織と活動」、「硝子繊維協会のあゆみ」、各界の方々の祝辞やこの業界に功績のあった方々からの、随想・回想を集録している。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 女横顔蓋物

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。径19.2cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 魚に乗った少年

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 蝶文蓋物

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。長径10.3cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール ニンフ蓋物

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。径8.5cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 青地紫流抹茶碗

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。高さ7cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 鯉置物

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。長さ31cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 向日葵文花瓶

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。高さ22センチ。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 女面ペーパーナイフ

昭和11年、三越で開かれた硝子工芸品展覧会に岩城硝子が出品した、同社工芸部門所属の工芸家・小川雄平の作品。パート・ド・ヴェールは同社により我国で初めて開発され、この時展観された。

情報所有館 : 国立科学博物館 


エメロードガラス

戦前試作に成功したグリーンの色ガラスで、食器等に作られヒットした商品。本品は日本郵船に納入された記念品(新田丸)。蓋の左下に郵船のマークと新造船新田丸のレリーフを浮彫りにした煙草入れの蓋部分。新田丸は戦中空母に改装されフィリピン沖で沈没。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 鷺文ローソク立

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。高さ8.5cm。

情報所有館 : 国立科学博物館 


パート・ド・ヴェール 踊子香水吹き

岩城硝子では昭和7年頃からパート・ド・ヴェール技法の研究に着手し、我国で初めて開発に成功。大戦中まで約10年間にわたり種々の製品を制作し、展覧会をつうじて普及に努めた。小柴外一は清水有三、小川雄平らと共に同社工芸部で作家として活動。戦前の工芸ガラス興隆期における企業活動の一端を示す例である。高さ6.3cm(ガラス部分)。

情報所有館 : 国立科学博物館 


前の50件 (18851-18900/26350)    次の50件