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人力播種機

わが国の稲作は大部分が移植栽培で、直播栽培は条件の悪いごく一部の水田でのみ行われた。北海道では、気象条件が厳しかったため一時期、直播栽培がとり入れられた。この農具は、蛸足式の直播播種器である。1905(明治38)年に考案され、1960(昭和40)年ころまで、北海道で使われた。一度に20株分程度の播種ができ、一日に40〜50aの能率であった。1905(明治38)年、黒田梅太郎、米式保次郎両氏により開発。1960(昭和40)年頃まで使用。

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乗用播種機

1960年ころからの高度成長に伴う農村労働力の不足によって、直播水稲の栽培が盛んになったが、高性能田植機の出現により、1970(昭和50)年ころをピークに減少した。平成に入り稲作の社会的環境は、一層厳しくなり、省力・低コスト生産を迫られる一方、落水出芽法など新技術の開発もあって、直播栽培が増えつつある。これに伴い、乾田直播用・湛水直播用、歩行型・乗用型、散播用・条播用・点播用など各種播種機が生産されている。

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雁爪(がんづめ)

田植え後の中耕・除草に打ち引き鍬が使われていたが、苗を傷つけたりするので、文政年間(1820年頃)に雁爪(ガンヅメ、蟹爪ともいう)が考案され、明治の初めころ以降、全国で使われた。(1924年(大正13)に開発されたとする説もある)この農具は昭和25年ころまで使われていた。

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八反取り

腰を曲げての夏の雁爪作業は重労働である。八反取りは、雁爪に長い柄を付けたもので、除草のみを目的とし、田面を前後にすりながら前に進む。明治の末ころ関西で使われ始め、全国に広まった。この農具は1926年に考案され、1950(昭和30)年頃まで使われていた。

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回転中耕除草機(田打車)

回転中耕除草機は、文字どおり田植後の中耕・除草のための農具である。明治初期(1870年)考案されたが、全国的な普及は1900年代に入ってからである。しかしこの農具を使うためには稲が正条植になっていなければならず、正条植の普及を促進した。回転中耕除草機の出現は、腰を曲げた厳しい作業から解放され、雁爪での作業より能率は高く、収量も増加した。この農具は、除草剤が出現する昭和30(1955)年ころまで使用。

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手動肩掛噴霧器

病虫害に対する農薬や、その散布のための機具が本格的に使われるようになったのは、太平洋戦争終結(1945年)の後のことである。この噴霧器は、大正末期(1926年)ころから使われた。肩に掛け、手動で操作する噴霧器で、タンク容量は10~15リットルと小さい。主として園芸に使われ、稲作では苗代での防除に用いられた。使用する農薬は、ボルドー液など限られたものであった。

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背負型動力散粉機

背負型動力散粉機は、1955(昭和30)年ごろ、首掛けの手回し散粉機を動力化し、背負い型にしたものである。粉剤を吹き出す噴頭も、直進噴頭・拡散噴頭など多数作られ、防除の目的に応じ使い分けられた。この一つに多口ホース噴頭があり、能率的で使いやすいことから、この散粉機は、またたくまに全国に晋及した。ほぼ同時期に、農薬の剤形に応じ、動力噴霧機・動力ミスト機も市販され、使われた。

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走行式動力防除機(乗用管理機)

乗用管理機は、水田内で薬液や粒剤による防除作業、肥料散布などのための作業機を取り付けることのできる乗用の作業機である。乗用田植機を改良する中から生まれてきた機械で、田植機や直播機を取り付けることもできる。写真は共立社製の乗用管理機で、500リットルの薬液タンクを備え、散布幅は約10mである。(農薬害を避けるため、遠隔操縦により無人運転中。)

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人力散粒機

手回しの散粒機は、1960(昭和35)年ごろ、岡山県のみのる産業によって開発され、さらに1961年に再開発して精度を向上させ生産された。胸にかけた15リットル程度のボックスに資材を入れ、手で回して資材を散布する。種子・肥料・除草剤など用途が広く、構造が簡単で使いやすく、価格も安かったために、広く農家に用いられた。現在も使われている。

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多口ホース噴頭

多口ホース噴頭は1960(昭和35)年ころ、新潟県の須田中夫氏によって考案された。軽いポリエチレンホースを用い、一定間隔に設けられた穴から、下方に粉・粒剤を吹き出す噴頭で、噴出時の反動とホースの重さの釣り合いでホースは水平となり、移動しながら散布することができる。背負型動力散粉機で20m、車載型で150mまで均一に散布することができた。農業の現場では、ナイヤガラと呼ばれて、重宝がられた。現在もなお使用される。

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鎌は古い時代から稲・麦や草・柴などを刈る農具として用いられ、主に三日月形の平刃に木の柄を付けたもので、刃の形状や柄の長さによって用途が異なった。また、生産地によって播州鎌、土佐鎌、越中鎌、信州鎌などと呼ばれる。稲刈用では、稲の株元が強靭なため、平刃では切れ味が早く低下するので、刃面を鋸状にしたものが明治初期に考案され造られ始めた。以後多くの地域で稲刈に用いられている。1200年代に考案、1960(昭和35)年頃まで使用。

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人力刈取機

第2次大戦中に、農村の労力不足対策として稲・麦刈取機の懸賞募集が行われ、立姿で稲刈のできる松野式と呼ばれる押刈式が入選した。戦後さらに種々の考案がなされた。長い柄を持ち、刈取部を田面にずらせながら推し進めると、稲は鋏状の2枚刃により根元から押し切られ、枠内に押し込こまれて1束分となる。これを側方に移して柄を引くと刈株は束状に置かれる簡易な刈取機。バインダの普及により、1963年頃には姿を消した。

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人力刈取結束機(バインダー)

1950年代以降、稲を機械で刈り取って結束する試みが行われるようになった。写真の機械は、開発の過程を示す一つで、羽二生良夫氏の考案(昭和27年)によるわら縄で結束する人力刈取結束機である。この機械は市販されたが、操作の煩雑さなどがあって、広く普及するに至らなかった。刈取結束機が広く使われるようになるのは、稲の引起し装置が開発され動力化されてからである。

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動力刈取結束機(バインダー)

稲・麦を往復動刃で刈取りながら連続的に結束作業する、画期的な機械が昭和30年代後半に開発された。この刈取機は、突起付き引き起こし装置によって、倒伏した作物を適当な状態に引き起こして刈取部に供給し往復動刃で刈取る。これを結束部に集めて、一定量づつ化繊紐で結束し、側方に排出する作業工程を連続して行う。バインダの大きさは、刈取部の条数によって異なる。2・3条刈りが最も多く普及。

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千歯(せんば)

古くは、竹、又は木製の扱箸(こきばし)によって、数穂づつ脱粒する作業であったが、1690年代に浪花の農人と野鍛冶屋によって考案されたのが千歯である。千歯は、立作業で1株程度づつ手で握って扱いで脱粒する農具であり、大正時代(1920年)まで利用されてきた。千歯の扱歯部は、竹製のものもあったが、多くは鋼鉄製である。歯は台木に20本程度が平面状、又は湾曲面状に並べて固定されている。当時としては省力化を図った高能率農具。

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足踏式脱穀機

明治に入り、欧米の農業機械の影響を受けるとともに、各種の脱穀機が考案された。扱(こき)胴の扱歯に螺旋状や逆V字型ものなど多種多様であったが、福永章一氏によって実用性の高い足踏式人力脱穀機が製作され、大正時代から広く利用され始めた。写真は、昭和初期に生産されたもので、足踏ペダルを踏んで、そのクランク運動を回転運動に変え、2枚の歯車で増速して扱胴を廻すようにした人力用脱穀機である。

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動力脱穀機

大正11〜13年ころに、扱(こき)胴部の軸にプーリを付けて原動機から動力伝達を図り、かつ、風選装置を内蔵させた形式の脱穀機が開発された。作業者は稲束を両手に持ち、扱(こき)胴部へ穂先を挿入して扱歯と受網との間で脱穀する。扱き落とされた脱穀物は受網を通って、扱胴下にある送風機で風選され、精籾(もみ)となり、わら屑は吹き飛ばされる。

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全自動脱穀機

扱(こき)束の自動送込装置を装着した脱穀機で、稲・麦の脱穀に使用する。昭和初期から種々の発想の下に試作されたが、実用化に至らず、1950(昭和25)年代に入って、写真のような形式の機械が市販された。扱口に供給された扱束は、チエン送りにより扱室に自動的に送り込まれ、扱束をチエンで保持しながら脱穀し、空束は機外に放出されるため作業者の労力を省き、能率は著しく向上。自脱型コンバイン開発に利用された。

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歩行2条刈自脱型コンバイン

全自動脱穀機(自脱)と刈取装置を搬送装置で一体的に結合させた稲・麦収穫用の機械である。わが国の稲は脱粒性が「難」であるため、欧米式脱穀機では穀粒損失が多い。自脱の持つ脱穀特性を生かした構想で、上森農機と農林省農試が昭和36~39年に共同研究を行いプロトタイプを完成した。以後、多くの農機メーカが積極的に開発を試み、昭和42年、写真の「歩行2条刈自脱コンバイン」が井関農機から量産・市販され始めた。

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自脱型コンバイン(乗用型)

1967(昭和42)年に市販された歩行型自脱コンバインと共に、乗用型も研究されて1969(昭和44)年ごろから市販され始めた。機械は、3条刈、又は4条刈と刈幅を広げ、往復刈りを可能とした。また、排出わらの処理は、結束方式や切断散布など農家のニ−ズに適合させ、収穫物も袋・タンク・コンテナで搬送できるようにした。さらに、刈取方向や刈高さ、刈取速度を自動制御させるなど作業精度の向上と作業者の負担を軽減させた。

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汎用型コンバイン

稲のみの収穫であれば、自脱型コンバインで問題がないが、水田転作政策の推進により麦・大豆・そばなど水田に作付ける作物が多様になり、これらすべてに対応できるコンバインヘの要請が強くなった。これに応えて開発されたのが汎用型コンバインである。この汎用コンバインは、稲収穫時の穀粒損失が少なく、多作物に対応できることから、徐々にではあるが、全国に普及しつつある。

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平型通風乾燥機

明治末期から乾燥機の研究が始まり、1923(大正12)年には、金岡式・三林式などの火力乾燥機が製作されている。また、昭和初期には共同利用の乾燥機の設置が奨励された。この機械は1958(昭和33)年ごろ、渡邊鉄四郎氏により考案された平型乾燥機である。装置は、四面を箱型に囲み、中段に金網を設けて、籾を堆積し、網下から送風機で風を送る。熱源を附加すれば温風を送ることも出来た。価格が安価で爆発的な普及をみた。

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立型循環乾燥機

昭和40年代(1965~1975年)になると高能率の自脱コンバインの普及が進み、高水分籾を収穫するようになった。しかし、従来の乾燥作業法では能率が低いため、省力化を伴った高能率の乾燥機が必要となった。そのため、籾の乾燥容量の増大を図って立体型にするとともに、乾燥むらを防ぐため、穀物層の上下を入れ替える循環方式を取入れ、穀物水分の高速乾燥と均一化が図られた。運転中の水分測定、送風温度の調節などは自動化された。

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乾燥調製施設

1952(昭和27)年頃から各地に共同乾燥施設が設置されるようになった。施設は、個人別に持ち込まれた籾を乾燥し、籾摺りして出荷するもので「ライスセンタ−」と呼ばれている。また、昭和30年代(1955〜1965年)からコンバインの普及に伴い、高水分籾が大量に施設に入荷するようになり、入荷籾の個人処理を集団処理に変え、同一品種は同じタンクで乾燥・貯蔵する貯蔵乾燥法を取り入れた「カントリーエレベータ」が設置されている。

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土臼

元禄時代に中国から伝来したと言われ、唐臼(からうす)ともいう。古来からの籾搗き作業による半搗米の食習慣が、この時代から土臼によるもみ摺りと杵搗きによる精米の2作業に分かれ、白米食が行われるようになった。土臼は、上臼と下臼で構成され、上臼の漏斗にもみを入れて、上臼を回転する。もみは、下臼との摺面に落下し、上下臼の狭い間隔の中で、もみを玄米にする。昭和初期に、ロール式籾摺機の普及により姿を消した。1940(昭和15)年頃まで使用。

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もみ摺り機

大正から昭和にかけて、衝撃式など種々の装置が考案されたが、最も性能の優れたゴムロール式が現在用いられている。1対のゴムロールが並列したもみ摺り部があり、一方は高速で、他方は低速で回転する。もみは両ロールの狭い隙間を通るとき、両ロールの周速度差によってもみ摺りされる。砕米の発生が少なく、能率も高く、従来の臼型円錐形砥石・衝撃式脱稃(ぷ)方式に比べて飛躍的な性能を示した。1955(昭和30)年頃まで使用。

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全自動もみ摺機

全自動もみ摺機は、昭和20年代(1945〜1955年)後半から本格的な普及をみたもので、主に三つの工程から構成されている。第一は、もみからもみ殻をはずすゴムロール式脱稃(ぷ)部であり、第二はもみ殻やしいなを除去する風選部で、第三はもみと玄米を選別する万石部、又は揺動板選別部である。この三機能を搬送装置によって、穀物の流れがスムースに行くよう構成されている。作業を容易にする種々の対策が講じられている。

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唐箕(とうみ)

中国から伝来した、風を利用する選別機具である。脱穀したもみ・麦・雑穀等に混入する稈切れ、わら屑、未熟粒の選別・除去に使用され、昭和30年代(1955~1965年)まで広く利用された。写真は昭和初期のもので、手回しハンドルにより羽根車を回転させ風を起し、漏斗から落下する選別物を風力によって、精粒・屑粒・わら屑などに分別する。現在も雑穀類の選別作業や小規模営農の中で用いられている。

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万石(まんごく)

万石は土臼によって摺り出した混合物を、もみと玄米に選別するために欠くことのできない用具である。江戸中期から昭和10(1935)年頃まで用いた一重網万石は、もみ・玄米混合物を網面の持つ流動特性によって、網下に玄米を落下させる簡易な選別用具である。以後、二重網へと改善された。ロール式籾摺機の開発に伴い、選別精度と作業能率の向上を図った万石機構が、全自動籾摺機に組み込まれて稼動している。昭和10年代(1935-1945年)に使用。

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小型精米機(循環式)

古くは、臼に籾を入れ、杵で搗(つ)いて、もみ摺りし精米した。大正時代になると、大型の多連臼式や輸入の螺旋方式・円錐形の金剛砥石方式などの精米機が利用され始めた。昭和初期には、国産の小型精米機が個人、又は共同で利用され始めた。機械は、玄米を漏斗状のタンクに入れ、小さな螺旋体で玄米に圧力摩擦を与えつつ、自動循環させながら精白する。糠は循環精白中に網目から除去されて落下する。

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足踏揚水車

江戸時代(寛文年間(1665年)に大阪の農人京屋七兵衛・清兵衛兄弟により考案)にその原形があるが、明治・大正時代に用水路との段差のある水田地帯で用いられ、昭和初期(1925〜35年)まで利用された用具である。用水路、又はクリークに足踏揚水車を設置し、この車の上に人が乗り、羽根を足で踏んで車を回転させて水を汲みあげ、水田に灌がいする。

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バーチカルポンプ

揚水機の一種で、1912(大正10)年頃から1965(昭和40)年頃まで潅水用具として用いられた。竪型円筒の中に長軸の羽根車があり、上端にプーリーをつけて動力で回す。比較的揚程が高くても揚水できるので、各地で使われた。本機は、全長 263cm、直径21cm、重さ50kgである。通常自然流入式水田が水不足で水位が降下し、自然流入が不可能なとき等の利用には極めて有効であった。

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わら打機

稲わら加工に用いるわらを柔軟にするための機具で、古くは石などにわら束を置き、木槌(写真右)を持って、たたき、柔軟にして利用した。昭和初期には、わら縄の需要が増大し縄ない機と共にわら打機が考案された。この機械は、手回しハンドルで2本のロールを回転し、わら束をロール間隙に通す。わらはその圧着力によって柔軟になり、加工用に適する状態になる。圧着力は押しバネで調節するようになっている。

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縄ない機

昭和初期(1925年頃)に考案され、農家の副業として広く利用された機械である。人力用のこの機械は、両足でペダルを踏み、2つのラッパ状のわら供給口に2~3本のわらを入れると「下より」がかかる。更に2本が組み合い、「上より」がかけられて縄になる。縄は巻き取り胴に巻かれて縄束になる。電動機の普及に伴って、縄の仕上げ面をよくする毛羽取り装置を付けて品質の向上が図られた。同型機は1933~1972年に使用。

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むしろ織機

江戸時代の後期からむしろ織りの専用具をみることができる。むしろは、農家の部屋の敷物、穀物の天日乾燥の下敷き、あるいは「かます」用など、極めて用途は広かった。この機械は大正末期(1925年頃)のもので、上下に張った縦縄を交互に足踏みペダルで前後させ、その間をわら送りの「ひご」でわらを通したあと、「おさ」を上下して織り上げる。昭和30年代になると、化学繊維の袋や布が使用され始め、むしろの需要は減少した。

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俵編機

米俵や麦俵・炭俵・こも等を編む道具で、この機具は昭和初期のものである。両脚に支えられた2列の横木に、等間隔に4箇所の縦縄止め具が設けられている。俵を編む縦縄は、「つちの子」に巻いておく。まず、縦縄の間に原料わらを一つまみ入れ、「つちの子」を交互に動かし、またわらを入れる。この作業を繰り返して俵を編み上げる。さらに、さんだわらで一端をふさぎ、玄米を詰めて他端をふさぐと1俵の米俵となる。昭和30年代(1955〜1965)まで使用。

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OKIMINITAC-5000

OKIMINITAC-5000は、1966年(昭和41年)にビリング・リアルタイム処理、バッチ処理、同時並行処理を可能とした小型事務用電子計算として誕生した。最大70種類のビリング処理プログラムを記憶し、8台のタイプライタで異なる業務を同時に利用できるもので、記憶容量は磁気コア16kバイト、磁気ドラム67kバイトであり、ドラムソートやラインプリンタを装備していた。

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OKIMINITAC-500

OKIMINITAC-500は、リングコンピュータシリーズの一環として開発した伝票発行用の小型電子計算機で、計算と作表を同時に自動的に行うことができるとともに、必要なデータを紙テープへ出力し、大型電子計算機へやデータ伝送システムに連携することができるものである。制御方式はプログラムボード・ワイヤリング方式を採用し、処理手順は10種類の命令を組み合わせて、操作パネル前面のプログラムボードから記憶させるものであった。

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OKIMINITAC-710

OKIMINITAC-710はストアード・プログラム方式により伝票発行を始め、分類・集計などの業務まで幅広い事務業務に活用できるものであった。演算装置には全面的にICを採用し、タイプライタの下部に収納されている。記憶装置は400語、命令数は32種あり、紙テープの出力、入力が可能であった。また、10キーが装備されいる。

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OKITACsystem9シリーズ

OKITACsystem9は1976年(昭和51年)に、低廉、超小型、簡単な操作、高性能等を実現すべく開発されたオフィスコンピュータである。シリーズには画面がパネルディスプレイ型/キャラクタディスプレイ型のもの、鍵盤部はJIS配列/アイウエオ配列を選択可能とした。また、事務処理用言語としてBPL(Busssiness Programming Language)が搭載され、業務パッケージとして販売在庫管理、給与計算、経理業務がまず最初に提供された。

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OKITACsystem9ペンタッチシリーズ

OKITACsystem9ペンタッチシリーズは、鍵盤部がブック式であり、該当する項目をペンで触れるだけで入力を可能としたものであった。これによりコード番号やコード台帳の検索をすることなく、業務をスピーディに行うことで、お客様の電話を受けながらその場で直接入力することを可能とした。

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OKITACsystem9Kシリーズ

これまでのカナ文字が中心であった業務処理を、完全漢字化を可能としたOKITACsysytem9K(漢字)シリーズは1980年(昭和55年)に発表された。漢字はJIS第1水準、第2水準を扱い、漢字入力はペンタッチ方式を採用、漢字ディスプレイ、漢字プリンタ、そして両面倍密度のフロッピーディスクを採用したものであった。

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OKITACsystem9V57シリーズ

OKITACsystem9V57シリーズは1982年(昭和57年)に最大16台までのオフィスワークステーションを接続できる本格的なマルチワークステーションシステムとして開発された。主記憶容量は512KB〜1.5MB、8インチ固定ディスク(10MB〜80MB)、最大250個のタスクのマルチタスク制御機能、更に国産初のかな漢字連文節変換機能を搭載したものであった。

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OKIsystemA10

OKIsystemA10は1989年(平成元年)に、OKIsystemA100の統合ワークステーションの位置付けとして発表された。本システムは定型業務はもちろんのこと非定型業務及びネットワーク機能を融合したものであり、CPUにi80386(モデル10〜50)、i80486(モデル70)を採用し、主記憶は4MBから20MBまで搭載可能であった。本システムはMS-DOSパソコン端末としての汎用OA処理も可能であった。

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OKIsystemA100

OKIsystemA100はネットワークシステムへの対応、パソコン用OA機能の搭載、アプリケーションアーキテクチャの統一などを基本方針として1989年(平成元年)に開発された。32ビットMPUを採用し、主記憶容量は最大32MB、論理空間は最大3GBと大容量を実現したものであり、更に統合オフィスシステム(is-1)を搭載し、企業経営の意思決定支援機能を提供した。 

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IDPシステムマシン キャビコンO-1型(オーワン)

さん孔タイプライターとリレー計算機を連動させた、今日のオフコンに相当する情報処理装置。パンチャーによってプログラムを作成し、また帳票を作成すると、自動的に紙テープに内容が記録される。このテープをリーダーにかけて必要なデータを取り出し、データ処理が可能であった。主要素子:リレー。

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電子作表計算機

磁気コアによる12桁の記憶レジスターを10組装備。ワイヤリング式とパッチボード式の2通りのプログラムによって各種の電動タイプライターやさん孔タイプライターと連動させ、高性能の作表計算機・IDPシステムマシンとして企業・事業体の事務自動化に貢献した。主要素子:トランジスタ、磁気コア。

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オフィスコンピュータ Σ-8000シリーズ

市場の要望に応え、リアルタイムで大容量のデータを処理可能とし、さらに電卓の大量生産ラインの活用などによりローコストを実現したオフィスコンピュータ。記憶装置はプログラム用とは完全に分離しており、プログラムによるデータ集計記憶の制約を受けない。データ用記憶装置は78KWのフロッピーディスクを採用。

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クスダック・シャープ・タイプ・コンピュータ

さん孔タイプライターと一体化した伝票発行専用リレー計算機。10進数1桁を7ビットで構成した2-5進法を用い、加算、減算、乗算などの演算や印字の制御を行う。伝票形式の選択はプログラムによって行われ、同時に2種類の形式のプログラムを組むことが出来、2者の選択はスイッチで行われた。大手繊維メーカー、商社、都銀などに納入された。

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ミニプロセッサー

ファームウエアコントロールによるタイムスライシングによって最大15種類の異なったプログラムを同時に処理できるマルチタスク機能と、固定ヘッドディスクによる仮想記憶方式を採用、通信制御や各種入出力制御をSOS(Silicon On Saphire)ROM上のファームウエアで制御する。主記憶装置は基本4KBから最大64KB、システムディスクは基本49KBから最大196KBまで増設可能。主記憶やチャンネル装置を各ジョブ単位に増設しタイムスライシングによって最大15のマルチワーク、マルチビリングが可能。CRT端末、紙テープベース端末、ドットプリンター、ラインプリンター、磁気テープ装置、5MBカートリッジディスク、通信制御装置など豊富な周辺装置を接続可能。独自のインライン接続チャンネルにより、モデムを使わずに最大500mまでツイストペア線により端末をインライン接続可能。業界初のマルチCRT端末システムを実現した最初の本格的オフィスコンピュータ。

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