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伏見宮邸

コンドル直筆の図面に「Sketch Design for Villa A 1883」と記されているが、伏見宮邸とは記されていない。しかし、建物の間取り、方角、位置、道順など、また、当時これほどの大邸宅をコンドルに依頼できる者などから推察すれば、伏見宮邸の計画図であると考えられる。実際には伏見宮邸は片山東熊により設計されているが、彼はコンドルのこの計画を参考にしたと考えられる。現在はこの地にはホテル・ニュー・オータニがある。

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有栖川宮廷図面(7枚)

有栖川邸は明治17年7月、麹町区霞が関(現:霞が関公園一帯)に建設された熾仁親王の殿邸であり、明治37年以降霞が関離宮として用いられた建物である。コンドルの設計になる洋館は、「蓋し皇族の御殿を純洋風に造りたる嚆矢にして、永く後の模範になりたり」と言われるように、当時としては他に例のない宮廷建築であった。またコンドルにとっても、彼がもっとも得意とした邸宅建築の最後の作品としてその後の活躍に重要な役割を果たすものであった。

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西京表公旅館図面(9枚)

「西京表公旅館」と言う名称は、現存する図面に表記されたものによる。京都に新築されるべき公的な宿泊施設であったと推察されるが、設計図が完成した明治17年9月以降、この旅館の建設計画がどうなったのかは不明である。設計図からは、煉瓦造2階建、地下室及び塔屋を持ち、南側を1・2階ともアーケードベランダとした邸宅風の建物であることが判る。「旅館」と表記されているものの内外部ともに純然たる洋式のホテル建築である。

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北白川宮廷図面(6面)

北白川宮邸は、麹町区紀尾井町の約10700坪の敷地に建設された能久親王の殿邸である。コンドルの設計になる洋館は、初期の代表的な洋館として、同じ年(明治17年)に完成した有栖川邸洋館と並び称される建物であった。北白川邸洋館は、煉瓦造2階建一部3階建の、ほぼ正方形に近い平面で、1階を接客用、2階を居住用とし、木造の和館と渡り廊下で接していた。現存する6枚の図面の内訳は、2階ベランダ手摺詳細図、噴水器詳細図(平・立・断面)、飾り棚詳細図(頂部・中央部・中間部・下部)の彩色の施された繊細な図面である。

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延遼館家具図面

現在の浜離宮の場所に日本人によって建てられた外国人接待所が延遼館であり、コンドル設計の鹿鳴館が完成するまで、国を代表する迎賓施設であった。明治12年のドイツ皇太子やアメリカ大統領グラントの来日を機に改装することとなり、その際コンドルが内部装飾や家具の設計を手がけた。椅子は和風を意識した折衷洋式である。

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上下両院(図面5枚)

外務卿の井上馨が鹿鳴館に続いて発動した〈宮庁集中計画〉の中心的建築は国会議事堂であった。しかし、当時はまだ国会のあり方が確定しておらず、コンドルの国会案は、イギリスに習い、「上下院」と称され、議場の造りもイギリス式である。しかし、この計画案は実現することなく、実際には明治19年にドイツ人建築家ヘルマン・エンデとウィルヘム・ベックマンがベルリンから呼ばれ、本格的に〈宮庁集中計画〉が始動することとなる。

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赤坂表町住宅(図面1枚)

この住宅図面は、これまで高田慎蔵青山邸とされていた屋敷と同一のものと考えられる。その理由は、赤坂表町3-2-1の敷地は高田慎蔵の名義であり、その場所にシェッファという外国人が居を構えていたことが地籍図によって明らかになったため。一方、コンドル事務所に長年勤務していた田原新之助は、赤坂表町住宅図をスパニッシュ邸と記している。

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欧風住宅(図面2枚)

図面には「Rsidence in European Style」と書かれているのみで、施主は不明である。河東義之氏が、コンドルがM.B.I.R.Aと記していることから、彼が英国王立建築家協会正会員M.B.I.R.Aとなる明治17年以前の作品と判断された。この早期の段階においてこの図面によって竣工した作品は見当たらない。

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東京復活大聖堂(ニコライ堂)(図面14枚)

ロシアのシュチュールボブの設計図に基づき、コンドルが実施設計を行ったと言われている。中央にドームを持つギリシア十字形のビザンチン教会の形式だがドームのシヤの窓などはルネサンス様式も見られる。震災で大破し、岡田信一郎により復元された際に補強とデザインの修正が行われている。

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築地トリニティ教会室内装飾(図面8枚)

トリニティ教会は聖三一教会(三位一体の玄義・キリスト教であり父である神、子であるキリスト、及び精霊の3つを1つであるとする)とも称されていた。コンドルが内部装飾を手がけたこの教会は築地明石町にあったが、関東大震災によって崩壊した。(現在、聖三一教会は世田谷代沢に移転して存続している。)

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唯一館(図面14枚)

コンドルによる本格的な和風意匠の建築として知られている。煙突には石灯篭の形を応用し、窓は鎧戸のついた上げ下げ窓を用いるなど、創意的な折衷が見られる。同時期には長野宇平治による和風の奈良県庁舎などが建設されていた。

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基督教青年会館(図面14枚)

東京YMCAの会館として建設されたものである。建物の角に設けられた長円形の階段室とその外観を構成する急勾配の屋根が特徴的である。

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三菱一号館図面(図面16枚)

御雇い外国人から民間の一建築家となったコンドルは、工部大学校時代の教え子の曾禰達蔵を三菱の技師にすえ、彩色を施した詳細な立面図や、階窓の詳細図(平面・立面・断面)等、細かい建築図面を描かせている。

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独逸大使館(図面31枚)

ドイツ帝国の公使館は明治27年の地震によって被災したため、コンドルが明治30年に再建した煉瓦造2階建の建物である。第2次世界大戦の爆撃で建物は完全に破壊された。その跡地は現国立国会図書館となっている。

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横浜ユナイテッドクラブ(図面6枚)

横浜ユナイテッドクラブは、元々はスミス中尉という軍人が始めた軍人用クラブであった。後に民間人も利用できるようになり、宿泊も可能な外国人のためのクラブに発展した。煉瓦造3階建の大規模な建物で、側面を海に向けていたのが特徴とされていた。現在の県立県民ホールの地に在った。

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鎌倉海浜院ホテル(図面13枚)

後に湘南の帝国ホテルとも称された、皇族をはじめ政財界その他多くの人々に愛された名門ホテルであった。明治39年1月に完工し、その後も増築が行われた、ハーフ・ティンバー、2階建の建物である。戦後、占領軍に接収され、彼等の再度に及ぶ失火によって焼失した。ホテル前庭の由比ガ浜に通じる芝生は、現在は鎌倉シーサイド・テニス・クラブとなっている。

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三井家倶楽部(図面75枚)

三井家の集会迎賓館として造られたコンドルの後期の作品である。庭園側に円弧状に張り出したベランダや、内部の楕円形の吹き抜けなどにバロック的な古典主義への傾向が見られる。外装は月出石という白色の石材である。震災で被災したものの、よく旧状を保って修復された。

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丸の内美術館(図面1枚)

諸般の事情により実現には至らなかった計画案である。明治25年、三菱の幹部荘田平五郎が曾禰達蔵に宛てた書簡の中で、「社長岩崎彌之助は美術家を保護する趣向を以って美術館の設立を、資金10万円程度で考慮しておられる」と記している。このことから、曾禰がコンドルに設計を依頼したのではないかと考えられる。

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飯倉教会(聖アンデレ教会又はセント・アンドュー教会)(図面3枚)

明治12年に建てられたレンガ造の教会堂の増築計画が起こり、コンドルが図面を作成していたが、この計画は中止されている(理由は定かではない)。明治27年地震で教会堂が崩壊した際にコンドルの設計による木造平屋、下見板張りで鐘楼が付属した教会堂が建設された。昭和19年の爆撃によって焼失した。

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岩崎(彌之助)家深川別邸(図面21枚)

コンドルは、明治21年に帝国大学工科大学講師を辞任し、西紺屋町の官舎に設計事務所を開き、以来、民間の建築家として業務を行う。その最初の邸宅建築が、岩崎家の深川別邸である。南側(庭園側)にはチューダー・ゴシック風の鉄筋造のベランダが設けられ、全体はエリザベサンの様式になっている。本館4ヶ所に設けられた切妻壁、東南隅に張り出した塔屋のサラセン風葱形ドームが外観を特徴付けている。内部はその後のコンドルの定式となる1階のホールを中心とした平面計画がなされている。

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岩崎(彌之助)家駿河台邸(図面10枚)

元は後藤象二郎邸であったが、明治8年5月に岩崎彌之助の名義で土地建物を購入している。明治26・27年頃改築されているが、明治25年のコンドルの図面が残るのみで、改築がコンドルの手になるものかどうかは判然としない。図面からは、1階が接客用、2階が居住用に計画されていたことが判る。

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岩崎家茅町(久彌)邸図面(24枚)

岩崎茅町本邸は、和・洋館が並列する典型的な明治期の大邸宅であり、コンドルの代表的な住宅建築である。現存する洋館は、木造2階建・地下室付、建築面積約160坪で、様式はジャコビアン様式を基調にルネサンスやサラセン風などが折衷されている。外観は下見板張りペンキ塗り仕上げ、屋根は天然スレート葺で、玄関上部が塔屋、庭園側には2層のベランダが設けられている。内部は1階が接客用、2階にプライベートな居室を配している。また、敷地内にはコンドル設計による撞球場が建設されている。19世紀に米国で流行した別荘建築のスタイルの木造建築で、洋館と地下道でつながっている。

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岩崎家茅町邸未実施の計画案

図面には1894(明治27)年3月の日付が記されており、この頃から岩崎茅町本邸の計画がコンドルによって進められていたことが判る図面である。しかし、この図面はそのまま実施されたものではなく、3月以降に大幅な設計変更がなされ、現在の茅町本邸が建設されたと考えられる。

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岩崎家茅町(久弥邸)建替計画案

大正4年に岩崎久彌の要請によってコンドルが作成した岩崎茅町本邸の建替計画図である。1915(大正4)年2月と記されたもので、実現していれば、建坪348坪、鉄筋コンクリート造の大規模なものであった。和洋並列の形は取らず、洋館の中でのレベル差により、1階が接客用、2階にプライベートな居室、3階に女中室を配している。しかし、この計画が実施されることはなかった。

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高田慎蔵邸(図面12枚)

この住宅は、湯島三組町に明治33年5月に竣工したが、写真が残っていないため、図面どおりに建設されたかは不明である。図面からは、ルネサンス様式で、鉄骨造のベランダが特徴となっていることが判る。また、今日残されているコンドル設計の図面には暖房関係のものが多いが、これは高田商会が金属製品の輸入や暖房設備を取り扱っていたからである。高田商会はわが国における欧州の機械輸入の最大商社であった時期があり、海外にも支店を持ち、機械製造も行っていたが、大正14年に休業に至った。

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松方正義仙台坂別邸(図面)

仙台坂は通りの名前で、番地は麻布竹谷町である。煉瓦造2階建の建物で、明治38年6月に竣工した。平面図を見ると、畳敷きの部屋が2室設けられている。畳導入の早い例である。現在、この地は大韓民国大使館になっている。昭和52年頃まで存在していたハーフティンバーの建物は建て直されたものと考えられる。

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松方正義邸

明治38年11月に竣工した、ルネサンス様式の煉瓦造2階建である。昭和7年に建物と敷地共にイタリア大使館の所有となったが、昭和20年5月に爆撃によって焼失した。

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赤星(彌之助)家大磯別邸(図面16枚)

赤星彌之助は、一代で巨万の富を築いた人物である。しかし、明治40年3月にこの大磯別邸が竣工した時、彼は既に他界していた。立面図と建設された建物の写真を比べると、随所に違いが見られる。

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末延道成邸(図面10枚)

明治40年、鳥居坂にハーフ・ティンバーの木造2階建が竣工した。建物は空襲によって焼失、現在はシンガポール大使館の敷地になっている。

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岩崎彌之助高輪別邸(現:開東閣)図面(28枚)

煉瓦造石貼2階建・一部3階建で、建築面積約444坪、コンドルの住宅作品の中でも有栖川邸に次ぐ大邸宅である。外観はジャコビアン洋式を基調としている。和・洋館を併置したスタイルではなく、あくまで洋館を中心とした配置計画がなされている。単なる洋風住宅ではなく、迎賓館的な性格の強い建築である。玄関側(西側)はシンメトリーに構成され、庭園側(東・南側)はベランダを張り出し、円筒形の階段室を突出させるなど立面に変化を持たせたピクチュアレスな表現である。本館内部は1階は接客用、2階は居住用にと、コンドルの定式による計画がなされている。付属屋の一角には、「蓋しわが国に於ける唯一のもの」と言われたトルコ風呂が付設されていた。

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岩崎家箱根湯元別邸(図面10枚)

早川と須雲川の合流する三角州の一帯に煉瓦造2階建の洋館と付属して日本館を設けた。洋館は木部の仕上げは素地のままで、装飾も簡素なものであった。施主の彌之助は、現場を訪れて工事についても指示を与えるなど、竣工を楽しみにしていたようであるが、完工する前に死去してしまった。今日、旅館吉池として、庭園と和館の一部が明治期のまま残されている。

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岩崎家(彌之助)玉川廟図面(5枚)

明治43年3月、岩崎彌之助の三回忌に落成した。西欧の霊廟を模しながら、正面の青銅の扉には二十四孝の彫刻が施され、純白の大理石と、緑青に包まれたドームをもつ洋式納骨堂である。内部は床・壁・天井ともに大理石貼である。現存する建築は、竣工当初の姿をとどめている。

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アルウィン邸(図面8枚)

アルウィンは三井物産や台湾製糖設立に貢献し、日本人のハワイ移住の道を開いた人物である。この住宅は明治44年、上2番町に木造2階建が竣工し、当初、それに付随する和館もあった。

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赤星(鉄馬)家赤坂邸(図面20枚)

父(彌之助)の莫大な遺産を受け継いだ鉄馬は、素封家として、様々な分野で活躍した人物である。彼は、明治45年6月赤坂台に屋敷を完成させた。しかし、コンドルの設計である煉瓦造2階建・一部木造の建物図面以外にも、別の図面が存在するため、実際に建設された建物がどのようなものであったのか定かではない。

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諸戸清六邸(現:六華苑)(図面)

諸戸家は三菱岩崎家と事業を通じて接触があり、コンドルに邸宅の設計を依頼したのも岩崎家を介したものであろう。この洋館は装飾の少ない簡素な構成で、特に室内意匠は軽快なものとなっている。外観は、東北隅の円形平面、4階建の塔屋や庭園側に突き出したバルコニーによって比較的変化に富んでいる。当初は洋館の西側には木造平屋の和館も接続していた。

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岩永省一邸(図面5枚)

建設地は当時の荏原郡目黒六ヶ村下目黒157で、岩永家の敷地は20000坪を超える広大なものであった。そこに、桂離宮を模した数奇屋風書院造りの和館が連なり、さらにコンドルによる西洋館が増築された。その後、昭和6年に目黒雅叙園となり、戦時中は洋館が陸軍の病院となっていた。現在は、岩永邸の2間が目黒雅叙園の中に中華料理の宴会場となって移築復元されている。

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園田孝吉邸(図面9枚)

園田孝吉は外交官としてイギリスに15年滞在し、ロンドンの日本総領事、帰国後は横浜正金銀行の頭取、東京倶楽部の理事などを歴任した人物で、コンドルをはじめ、英国人の知己が多かった。明治45年5月に芝白金三光町に木造2階建ての洋館を既存の和館に増築したものである。

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岩崎(小彌太)家元箱根別邸図面(6枚)

石造2階建て、49坪の洋館で、岩崎邸の建物の中では非常に簡素な造りである。関東大震災で崩壊した。震災後建物は再建され、10万坪にも及ぶ広大な敷地内にはゴルフ場も設けられた。現在、旧ゴルフ場は成蹊学園の鍛錬場、その他は小田急山のホテルとなり、受け継がれている。

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島津忠重邸(図面65枚)

薩摩の島津本家の邸宅として建設された。円弧状に張り出したベランダに建つ柱は2本ずつペアになっており、バロック的手法が窺える。ステンドグラスには薩摩の紋が入っており、邸宅の主を示している。設計図には3段階の案が残されており、平面図の決定プロセスが窺える。建物は、戦後、清泉女子大学の施設となって現存している。

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北下浦別邸(図面1枚)

図面に「Country Villa at Kita Shitaura」と記されているものの、誰のために計画された別荘であるのか定かでない。大正6年とはコンドルの最晩年に当たる時代で、図面上では近代的な優れた建物である。建設されたと考えれらる現在の北下浦地区(津久井・長沢・野比)は、当時、真に交通の不便な所であった。

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古河虎之助邸(現:古河庭園)(図面58枚)

足尾銅山などを経営する古河財閥3代目の邸宅として建設された。東京の北区西ヶ原に位置するのは、私淑した渋沢栄一邸に近く、東京から足尾に向かう方角に当たっていたからである。真鶴の新小松石を用いた外壁は粗く仕上げられ、切妻を強調した構成を見せる。これはスコットランドのスコティッシュ・バロニアル様式を試みたものとされる。建物前の庭園もコンドルの手になるもので、下段の日本庭園は京都の庭師小川治兵衛の作庭である。現在、古河庭園として、建物・庭園ともに現存している。

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山縣有朋小田原別邸(図面7枚)

山縣が70歳を機に営んだ広大な別邸古稀庵に設けられた洋風の寝室棟である。和風の本館から庭園に向かって突き出すように建てられた、実用的な建築である。また、山縣がコンドルに設計を依頼した経緯は不明である。建物は震災によって消滅した。

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成瀬正行邸(図面31枚)

コンドルによる建築の中で唯一鉄筋コンクリート造の成瀬邸は、大正8年に竣工した。戦前から堤康次郎邸となっていたが爆撃により焼失した。後にこの敷地は個人住宅として使用された時期もあったが、現在は西武の施設として活用されている。現在正門に当たる門柱がコンドル時代の名残をわずかにとどめている。

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川崎芳太郎邸(図面1枚)

川崎芳太郎は川崎造船などを興した人物である。神戸の布引山下に計画された邸宅案で、和風部分は実現されたが、コンドルの手になる洋館は実現される前に施主も設計者も他界してしまった。全面石張りの外壁は、古河邸に見られるスコティッシュ・バロニアル様式をさらに本格的に展開した例である。コンドルは左右対照を基本としながらもそれを僅かに崩す構成を好んでおり、ここでもその手法が見られる。

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渡辺専次郎鎌倉別邸(図面9枚)

木造2階建が明治39年6月に完成したと伝えられている。渡辺専次郎は三井物産の幹部であった。現在は江ノ電和田塚駅付近の住宅地になっている。

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墓標(図面6枚)

コンドルは来日外国人の墓標を数多く手がけたと言われているが、誰のための墓標か判るのは設計図面が残っているものだけである。そのうち1つは、ウォルシュ・ホール商会や神戸製紙会社を経営した英国人のジョン・ウォルシェのものである。また、エドワード・ダイバースは工部大学校で化学教師を務めた人物で、青山外国人墓地に建てられた彼の妻の墓標がコンドルによるものである。その他、在日英国大使を務めたクラウド・マクドナルド、英国陸軍少尉ハンフリー・ウィルソンらの墓標もコンドルによるものであることが判っている。

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裏霞ヶ関宮邸(図面1枚)

裏霞ヶ関宮邸は、「Official Residence. Urakasumigaseki」と記された建築図面からコンドルが設計したことが知られているが、これだけではどの政府機関に属する官邸で、いつから計画されたものであるか不明である。しかし、裏霞ヶ関に官邸を持つのは外務省だけ(『各省所管有財産目録』明治25年)であり、土地も同様であった。その他のことからもこの建物が外務次官官邸として建設されたと考えられるが、実際に建設されたのか、或いは未実施なのかは判らない。

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工部大学校教師室書棚(図面1枚)

書棚のデザインは豪華でも目立った特徴があるわけでもなく、コンドルにとっては小作品であったと考えられるが、来日間もない時期の作品として注目される。この書棚が取り付けられていた教室は、「造家學製圖室隣博士ノ室ノ壁面」と図面に記されており、コンドルの研究室であったことが判る。

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居留地商館(図面5枚)

図面に記入された建物が面する通りの名前などから、横浜居留地のサミュル商会の図面であると考えられる。建物は煉瓦造総2階建で、1階にはカウンターがある。しかし、コンドルによる現存する図面が、サミュル商会のものであるか定かではなく、また、サミュル商会のものであったとしても、図面通りに建設されたかどうか不明である。

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住宅(A)(図面1枚)

「住宅(A)」とは仮称である。図面には依頼主が書いたと思われる間取りの簡単なスケッチが貼り付けられている。各室名がドイツ語で記されており、そこから住宅の計画であると判断できる。また、ドイツ語が使用されていることから、依頼主がドイツ系外国人であることが判る。

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