「」 に対する検索結果 : 26350

前の50件 (16251-16300/26350)    次の50件

A MILITARY CLUB HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計13枚。正司は山口県技師として活動。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A RAILWAY STATION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計7枚。奥村は、日銀技師、東京帝大技師などを歴任。業歴は東京慈恵会医科大学付属病院(港区)など。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CENTRAL HALL OF UNIVERSITY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計7枚。長谷部鋭吉は、1885年(明治18)札幌に生まれる。東京帝大卒業後は住友本店臨時建築部において住友関係の建築を数多く手がける。後に住友を離れ、長谷部・竹腰建築事務所を開設するが、これは戦後になって改組されて日建設計となる。退職後開設した事務所は後の日本最大の設計事務所日建設計の前身となる。代表作は、住友銀行本店(1922)。1960年逝去。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN ACADEMY OF MUSIC(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。栗山は、台湾で活躍。業歴は台湾郵便局(1929)など。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A VARIETY THEATRE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。後藤は1883年(明治16)小石川に生まれる。絵画や俳句にも精通していた建築家で、当時の構造研究の第一人者でもあった。構造と意匠の統一を目指した設計理念は中野の豐多摩監獄に表現されたが1919年に夭折。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A BATH HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計11枚。薬師寺主計(1884-1965)は岡山県生まれ。1909年(明治42)東京帝大卒業後、河合浩蔵建築事務所に入所。陸軍技師を経て、倉敷絹織の幹部となり、倉敷周辺での建築活動が増える。大原孫三郎から依頼される仕事も多かった。作品に、中国銀行旧本店(1927)、大原美術館(1930)などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A YACHT AND BOAT CLUB(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。咲壽榮一(1885-1914)は東京生まれ。1908年(明治42)東京帝大卒業後、大蔵省臨時建築部に入り技師として活動。門司税関庁舎、岐阜県庁舎などの建築に関わる。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A BANK(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。綿貫は、神門建築事務所に勤務した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN APPEAL COAT(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。中村は、宮内技師、朝鮮総督府技師として活動した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN OFFICE OF ARCHITECT(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計7枚。にしむらぞうじ(1883-1918)1909年(明治42)東京帝大卒業後、大阪府技手、山形県技師を経て、高知県技師となる。山形県庁舎、高知県庁舎、高知県議事堂、高知県知事官舎等の設計監督に従事。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A POST OFFICE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。上野は鉄道技師。作品に鎌倉駅(1916)などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CHAMBER OF COMMERCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。山崎は1909年(明治42)に後藤慶二と能楽研究会を結成する。後も能楽に深く関わり、能楽家山崎楽堂として知られた。作品に喜多院の能楽堂、金春流能楽堂などがあるほか能楽に関する著作も多い。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN ART GALLERY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。加藤は陸軍技師として活動した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A SOCIAL CLUB-HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。宮本は、兵庫県営繕課長であった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN ACADEMY OF ART(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計8枚。津田は陸軍技師、愛知県・大阪府技師を歴任した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CUSTOM-HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。

情報所有館 : 国立科学博物館 


縣廳舎 (東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。竹内は、警視庁技師で建築課長を務めた。後に鹿島建設副社長となる。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN ARCHITECT'S CLUB HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。高松政雄(1885-1934)は、卒業後、曾禰中條建築事務所の技師として特に病院建築の設計監督に従事する。日本建築士会では、建築士法制定の促進に尽くした。作品に、東京府医師会下谷病院(1928)、駿河台井上病院(1929)、東京慈恵医科大学付属病院(1930)、慶応義塾大学医学部付属病院(1932)がある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A RESIDENTIAL FLATS(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。和田は、逓信技師となり営繕課長を務めた。1944年(昭和19)没。

情報所有館 : 国立科学博物館 


住宅(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。安井武男(1884-1955)は、卒業後に南満州鉄道に入社し、活動を開始、和洋中を匠に融合した作風で注目を集める。以後は大阪ガスビルに代表される、アールデコ風の表現を施したオフィスビルやモダニズムの建築を関西に多数手がけた。なお、安井が首席卒業を逸し、職を満州に求めることになったのは、卒業計画に住宅を提出したためという説がある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A NEWSPAPER OFFICE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計7枚。なみえやすお(1885-1965)東京に生まれる。辰野片岡事務所、大阪市建築課長、清水組大阪支店長を経て、1935年(昭和10)波江建築事務所を設立するに至る。日本建築家協会創立に尽力した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A MARINE BIOLOGICAL STATION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計11枚。牛村は、卒業後に司法技師となり、大阪控訴院の建設に関わる。1917年(大正6)に大阪市役所技師となり、同市庁舎建築の設計監督を担ったが、その完成を見ずに1921年他界。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A PARK RESTAURANT(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。中村は、陸軍技師、大阪府技師を務めた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN UNIVERSITY LIBRARY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。鈴木は宮内省に入り、内匠寮工務課長となる。工学院大学の講師も務めたが、1968年(昭和43)逝去。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CASINO(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。内藤多仲(1886-1970)は、卒業後に大学院に進み、1917年(大正6)からは米国に留学、鉄骨、鉄筋コンクリートの研究を行う。日本の耐震構造学を確立した第一人者である。早稲田大学において建築教育に尽力した。構造、材料の研究においても最も大きな功績を残した。通天閣や東京タワーなどの構造設計も手がけた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CONSULATE GENERAL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。直介は、大倉喜八郎の養子として迎えられ大倉直介となり、大倉土木に奉職。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A HOTEL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。土居松市(1884~1925)は、香川県に生まれる。東京帝大卒業後、横須賀海軍経理部付技師嘱託を経て、1911年( 明治44)12月東京高等工業学校講師嘱託1917年(大正6)同校教授に就任。1925年には、建築学科長となる。この間、鉄筋コンクリート及び鉄骨構造の研究のため、英、米、独に在学している。著書に、『鉄筋コンクリート家屋構造』(1922)がある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A LIFE ASSURANCE AND SAFE DEPOSITE BUILDING(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計7枚。内藤太郎は、1910年(明治43)の卒業後、陸軍技師となり、名古屋、広島、東京、大阪等の経済部にて奉職。帝都復興では遊就館復興などに携わった。1936年(昭和11)、満州国の招聘で同国務省営繕需品局営繕所長の任に就くが、翌年に他界。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A PREFECTURAL GOVERNMENT BUILDING(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計8枚。岩崎庄太郎(1873-1918)は、1910年(明治43)の卒業後、横須賀海軍経理部附技師を経て、大阪土地建築株式会社技士となる。1913年(大正2)に郷里福岡へ戻り、義兄らと岩崎組を経営し、設計部を担当した。作品に、劇場大正館、福岡市御大典記念通俗博物館、報徳銀行福岡支店などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CITY ASSEMBLY HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。おじおあきら。行政側の技術者として多くの官庁建築に携わった。作品に茨城県庁舎(1930)、宮崎県庁舎(1932)、鳥取県立図書館(1930)、天徳寺本堂(鳥取1931)、大阪砲兵工廠化学分析場(1929)、国立生糸研究所(神戸1934)などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN ORCHESTRA HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。古橋は、古橋建築事務所を開設して活動。作品に、安中キリスト教会(1918)、弘田邸(本郷 1930)、上田新参町教会(1935)などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A STORE BUILDING(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。 木子七郎(1887-1955)は、卒業後に大林組を経て独立。関西を中心に活躍した。日赤関係や夫人の実家である新田家(松山の実業家)関連の仕事が多い。父は清敬。作品に、大阪国技館(1919)、愛媛県庁舎(1929)などがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


THE IMPERIAL ACADEMY OF JAPAN(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。鈴木甫(すずきはじめ)は、卒業後に大阪府を経て大林組に入社し、同社専務を務める。その後、白石建設社長に就任。1966年(昭和41)交通事故にて逝去。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A MEMORIAL MILITARY MUSEUM(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。小島は、営繕管財局工務部長を務めた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A PICTURE-GALLERY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計8枚。藤村朗(1887-1953)は北海道出身。卒業後は三菱地所部に入社する。桜井小太郎の下、三菱仮本社や三菱銀行本店(1922)など丸ノ内ビル街の主要な建築を担当した。丸ビル(1923)竣工後、桜井小太郎の後を受けて三菱地所部の建築を統括し、技師長・専務・社長となった。戦後は同社顧問として過ごした。彼の兄は、厳頭の詩を遺して華厳の滝に入水した藤村操。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A THEATRE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。富士岡は、朝鮮総督府技師、大阪市技手などを務めた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A COMMERCIAL BANK(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。佐藤茂助(1884-1942)は新潟県柏崎生まれ。1911年(明治44)東京帝大卒業後、陸軍技師となる。警視庁技師を経て、帝都復興院技師、内務技師などを歴任。1939年(昭和14)には乞われて島藤の工事部長に就いた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A TESTING LABORATORY FOR ENGINEERING MATERIAL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計10枚。森井健介(1887-1976)は東京生まれ。東京帝大卒業後、1913年(大正2)から1914年にかけてドイツに留学。その後は東京美術学校教授(1914-44)を経て、法政大学教授となる。著作に『師と友 建築を巡る人々』1967年がある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A BASEBALL CLUB HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計11枚。藤泉は福島県に生まれた。東京帝大卒業後、大林組に入社。大正2年に同社社長大林芳五郎の長女房子の婿として同家に迎えられ、大林賢四郎となる。大正13年には大林組副社長に就任する。また、良質の家具建具類の製作に尽力した。茶道、俳句、古陶器等の趣味にも通じていた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN INDUSTRIAL ART MUSEUM(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。眞名田隆(1887-1916)は埼玉県生まれ。卒業後は横河工務所へ入り、東京貯蔵銀行京都支店などを設計する。その後は、東京倉庫、日本製粉久留米工場、横須賀海軍水交社などの工事に携わった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A PROFESSOR'S CLUB HOUSE東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計11枚。山田靜(1881-1921)は岐阜県生まれ。1911年(明治44)の卒業後、渡辺事務所、松村組技師長、満州工業技師長を経て1920年(大正9)に大阪府技師となるが、翌年逝去。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CUSTOM HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。萩は営繕管財局技師であった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


THE INSTITUTE OF JAPANESE ARCHITECTS(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。濱野は司法技師として活動。作品に札幌控訴院(1926)がある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A PUBLIC BATH HOUSE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。中島は、陸軍技師、朝鮮総督府技師などを務めた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A NOBLEMAN'S MANSION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計8枚。宮所は『建築之日本』の編輯者。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A MEMORIAL ART GALLERY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。渡辺仁(1887-1973)は、卒業とともに鉄道院建築技師となる。逓信省・大臣官房経理局営繕係勤務を経て1920年(大正9)に事務所を設立。服部時計店(現和光1932)、東京帝室博物館(現国立博物館1937)、第一生命相互会社本館(現日比谷第一生命ビル1938)など、昭和における記念碑的な建築物を手がけた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A MEMORIAL HALL OF THE IMPERIAL JAPANESE NAVY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。山下壽郎(1888-1983)は、卒業後、三菱合資会社の技師となる。1929年(昭和4)に事務所を設立。霞が関ビルやNHK放送センター等が代表的な作品。その一方で建築施工に関する研究も続け、1920年(大正9)から28年にわたり東京大学の講師として後進の指導にあたった。

情報所有館 : 国立科学博物館 


AN INSTITUTE OF EDUCATION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。高橋は、文部技師となり建築課長を務めた。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A CHAMBER OF COMMERCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。石田は大林組に勤務した。

情報所有館 : 国立科学博物館 


A POST OFFICE WITH TELEPHONE EXCHANGE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計9枚。吉田享二は1887年(明治20)兵庫県宮脇家に生まれている。1912年の卒業後、早大講師、助教授を経て1916年(大正5)に同校教授になる。終始、早稲田大学・高校での教職と運営に当たる。1921年から翌年まで欧米留学し、帰国後に事務所を開設。また、材料及び設備に関する研究は、草創期の学会や業界において指標とされる程のものであった。1951年(昭和26)逝去。作品に、東京工業試験所(1922)、小野田セメント本社(1917-26)ほかがある。

情報所有館 : 国立科学博物館 


前の50件 (16251-16300/26350)    次の50件