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江戸川アパートメント集合メーターボックス

江戸川アパートメント内にはいくつか分電盤が設置されており、東京電気株式会社製のマツダ印メーターが格納されている。集合住宅への電力供給は、電灯会社による照明器具数に応じた定額制から、各戸ごとの従量制へと変化したが、この分電盤からはそうした流れの一過程を知ることができる。仕様書によれば、基盤には絶縁体として大理石を用いている。

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江戸川アパートメント戸別電灯メーター

江戸川アパートメント内にはいくつか分電盤が設置されており、東京電気株式会社製のマツダ印メーターが格納されている。集合住宅への電力供給は、電灯会社による照明器具数に応じた定額制から、各戸ごとの従量制へと変化したが、このメーターからはそうした流れの一過程を知ることができる。

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江戸川アパートメント住戸玄関壁付け照明器具

江戸川アパートメントの各戸玄関には、壁付けの照明が設置された。デザインは本品を含めていくつかあり、市販にない器具は設計図の指示により製作された。集合住宅の住戸玄関の照明は、現在でも共用廊下や階段踊り場の天井灯のみであるところが多いが、この当時に戸建並の設備を備えている点に、このアパートの質の高さがうかがえる。

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江戸川アパートメント階段室天井照明器具

江戸川アパートメントの階段室踊り場などに設置された天井付け照明器具である。このような一般的な製品は、資料として見落とされがちであるが、様々な年代の製品を収集し並べることにより、照明の変遷をたどることができる。特にこのようなガラス製品は滅失しやすい。

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江戸川アパートメントエレベータ

江戸川アパートメントにはエレベータ2基が計画され、そのうち1基が実際に設置された。日本エレベータ製造株式会社製、定員7名、マルチコール式全自動運転であった。エレベータは後年運転を休止し、2次大戦による金属供出で予備品や工具一式を失ったが、屋上機械室の動力一式、かご、ガイドレールと策條、各階エレベータ扉と階数表示器、押し釦などが当時のまま残っている。

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江戸川アパートメント避難梯子

同潤会のアパートには避難梯子が常備され、本品のように壁のフックに掛けられていた。今日の2方向避難方式とは考え方が異なり、梯子は各戸のバルコニーではなく、玄関外側の階段付近の壁にあり、階段室ごとに共用であった。同潤会アパートで袋掛けの完全な製品が残るのは現在これのみと思われる。集合住宅の防災設備と避難方式を考える上での貴重な資料。

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『Catalogue』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。本資料は東京建鐵の田島式スチールサッシ・ドア・シャッター・建具金物のカタログで、サッシバー断面、納まり図、規格、施工例など。

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『スチールサッシュドアー』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。本資料は昭和3年から国産品に参入したアサノ鋼製サッシの納まり図など。当時はまだ一般化していなかった引違いサッシもあり。

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『特許不二サッシ』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。大野製作所は1900年頃から大野式シャッターで成長し、後に不二サッシ製作所を設立してサッシ業界に参入した。納まり図、特許・新案番号一覧、火災の実例など。

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『SKY LIGHT』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。坂本商会は田中商会と並ぶ天窓の2大メーカー。納まり図、施工方法など。

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『三機式(ロバートソン)天窓』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。サッシメーカーの三機工業による天窓製品。納まり図、施工先一覧など。

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『SSS式鎧型通風日除』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。通風日除とはベネシャンブラインドのこと。浅野物産のSSS式通風日除は国立科学博物館にも納入された。性能と仕様説明、納入先一覧など。

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『NK式鎧型通風日除』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。通風日除とはベネシャンブラインドのこと。スラットの機構、性能、納まり図、納入先一覧など。

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『サドシマ式金属天井カタログ』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。金属天井版は大正・昭和初期新建材時代の代表的な製品の一つ。特徴、施工法、製品バリエーションなど。

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『田村式金属天井』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。田村商会建築材料部は金物一般を広く扱っていた。金物天井版は大正・昭和初期新建材時代の代表的な製品の一つ。特徴、施工法、天井構法、製品バリエーション、施工例など。

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『南満テックス』(カタログ・サンプル)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。「リソイド」で知られる南満鉱業の左官材「テックス」色見本。当時「テックス」にはこのような湿式と繊維版のような乾式材があった。

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『国防壁』(カタログ・サンプル)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。色見本。

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『WALL PAPER』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。昨今のビニル壁紙が登場する前の、紙壁紙見本帖。

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『タイガーボード』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。不燃下地材で最もポピュラーな石膏ボードは新建材の中でも古い歴史をもつ。特徴、施工法など。

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『浅野大型波板』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。最もポピュラーな新建材の一つ、石綿板による成型製品、納まり図、施工例と図面の実例など。

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『高級石綿スレート』(サンプル)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。最もポピュラーな新建材の一つ、石綿板製品の見本。

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『TAMURA NON SLIP』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。建築金物の大手、田村商会による金属ノンスリップ。製品及び施工図。

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『KING NON SLIP』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。金属製ノンスリップと滑り止めゴム付きノンスリップ。製品と取り付け断面図。

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『タムラパンチングメタル 並ニ キングレヂスター』(カタログ)

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。建築金物の田村商会の製品・キングレヂスターは東京都内で広く使われていたもの。

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『CATALOGUE

建材は部品化・工業化の流れの中で、建築や職人の手から離れて無名化し、個々の知識・技術に代わってカタログの「標準納まり図」が大きな役割をもつようになる。カタログは各時代の構法を知る有用な資料であるが、こうした企業の資料は滅失しやすい。建築設備器具の大手、須賀商会取り扱いの衛生器具一覧。及び須賀式便所の説明。

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A NATURAL HISTORY MUSEUM(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。ジョサイア・コンドルに代わって教鞭を取り、近代日本の建築界の基礎を築いた人物の卒業制作。様式の扱いはやや生硬だが、堅実にまとめられている。イスラム風の開口部に、コンドルの建築からの影響が見られる。その後の代表作に、日本銀行本店(1896)や東京駅(1914)などがある。

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A SCHOOL OF ART(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計6枚。片山東熊は宮廷建築家として活躍し、各地の離宮・宮邸・華族邸・博物館を手がけた。現在、迎賓館として用いられている東宮御所(1909)はその代表作。フランス・バロック様式で設計し、室内には和風やイスラム風の要素も取り入れている。習熟した様式の扱いから、「明治建築の卒業制作」と称されることもある。その人物の卒業制作。

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A LUNATIC ASYLUM(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。工部大学校第一期卒業生4名の中で、最もデザイン能力が優れていたのが曾禰達蔵である。洒脱なバランス感覚を、卒業制作からもうかがうことができる。卒業後、丸の内の銀座煉瓦街の建築をジョサイア・コンドルと共に担当。1906年には曾禰建築事務所(1908年より曾禰中條建築事務所)を開設した。戦前における最大の建築事務所として、質・量ともに優れた作品を残している。

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A SCHOOL OF ART(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計6枚。佐立七次郎は、工部大学校第一期卒業生として、輝かしい未来が約束されていたにもかかわらず、明治中期より公的な場所から身を引いてしまった。憲政記念館の日本水準原点標庫(1891)は、同窓生中の現存最古のものとして残る。作品には他に、旧日本郵船小樽支店(1906)などがある。

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A HOSPITAL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計3枚。福沢諭吉の甥にあたる人物で、日本人建築家としての初めての作品・文部省(1881)を完成させた。明治会堂(1884)・箱根離宮(1886)などを手がけるが、病を得て1891年に夭折した。

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A HOSPITAL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計3枚。海軍技師として、建築部門の基礎を築いた。工場建築にいち早く鉄骨構造の導入を図った。そうした技術的先駆性の一方で、前田侯爵邸(1907)など邸宅建築にも才を発揮。開業時の帝国ホテル(1890)は、海軍技師就任以前の設計作品である。

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AN ARMY AND NAVY CLUB(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。坂本復經は工部省・内務省を経て、清水方(現・清水建設)の初代技師長に就任。大学出の技術者として期待されていたが、病を得て1888年に夭折した。

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AN ARMY AND NAVY CLUB(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計6枚。文部省において学校建築を手がけ、旧制第五高等中学校(1889、現「熊本大学五高記念館」)は、国の重要文化財となっている。早くから日本建築にも興味を示し、1893年のシカゴ万博において、平等院鳳凰堂を模した「鳳凰殿」を設計した。

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AN ARMY AND NAVY CLUB(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。築地の海軍兵学校生徒館の建築掛を皮切りに、海軍関連、学校関連の建築工事を数多く手掛けた。

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A PRINCE RESIDENCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。設計者は、工部省技手、皇居御造営事務局、逓信省を経て、1887年設立の日本土木会社に技師として入社。1893年の日本土木会社解散に伴い退職し、民間で幅広く活躍した。

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A PRINCE RESIDENCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計2枚。建築構造に長けた技師として、明治中期に活躍。1901年に没した。

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A PRINCE RESIDENCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。工科大学において、辰野金吾を補佐して、建築教育に専念した人物。本格的な建築教科書の嚆矢として、『建築学階梯』(全3巻、1887-88)を著した。また、初の建築辞書である『日本建築辞彙』(1906)は、現在も有用性が高い。その他、構法や設備に関する啓蒙書多数。数は多くないものの、穂積陳重(1889)などの実作も手がけている。

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A PRINCE RESIDENCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。

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A PRINCE RESIDENCE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計3枚。関西で活躍した建築家の卒業制作。ドイツ留学(1886-88)後、司法省建築主任として、法務省の建設に携わる。武張ったドイツ風の設計を得意とし、また和風の要素もこなした。重要文化財に指定されている小寺家厩舎(1910)はドイツ風のデザインである。

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A PICTURE GALLARY(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。長郷組で活躍した人物。

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A MUSIC HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。設計者は、海軍技師を経て、1887年設立の日本土木会社に入社。技師長として、同社の設計部を創設した。1893年の日本土木会社解散に伴い退職し、民間で幅広く活躍した。

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A MUSIC HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。設計者は、作曲家・滝廉太郎の従兄弟で、長くない人生の中で多彩な活動を行なった人物。警視庁を経て、1884年太政官会計局に入り、さらに臨時建築局助手としてコンドルの助手を務めた。1887年、官職を辞し、帝国工業会社・日本工業会社を設立。1889年にはそれらを退き、大阪で土木建築工事鑑定所および工業夜間学校を設けた。夜間学校の教科書として公刊した『建築学講義録』(1889)は、長く技術者の手本とされた。1891年に陸軍技師となり、1902年に没するまで各地の軍施設の建設に従事している。

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A MUSIC HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。設計者は海軍省の建築部門の基礎を築いた人物の一人。

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A MUSIC HALL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。佐立七次郎の後を受けて、1892年に逓信省の建築部門の指導者となった人物の作。それ以前の1891年には、火事で焼失した仮議事堂の再建をわずか60日で成し遂げ、その功で勲六等を授けられている。現場管理の達人でもあった。

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A NOBLE MAN'S MANSION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。卒業後は工部省、内務省などを経て、海軍省に勤務。病を得て、日清戦争後に退官。「五郎留」と名付けた窓枠留を発明するなど建築活動に意欲的であったが、1902年に夭折した。

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A THEATRE(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計5枚。2000人収容の劇場の設計図面。それまでの卒業制作にはあまり見られなかったバロック様式を適用している。ジョサイア・コンドルに学んだ最後の代に当たる。設計者は1887年設立の日本土木会社に入社。技師長として、同社の基礎を築いた。

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A HOUSE OF PARIAMENT(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計3枚。設計者は1887年設立の日本土木会社に入社。同社解散後も技師として活躍した。

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TOKYO-CITY BUILDING(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。横河建築事務所の他、横河橋梁製作所、横河電気製作所の創業者として知られる。建築設計のみならず、多方面の事業の才を有した人物が、最初に「BUILDING」をテーマに据えた卒業設計を提出していることは興味深い。

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AN UNIVERSITY HOSPITAL(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。設計者は、1894年日本銀行建築所において辰野金吾の下で、大阪支店の設計を担当。その後、1903年からは辰野葛西事務所のパートナーとして、共同で建築設計事務所を経営した。

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A NOBLE MAN’S MANSION(東京帝國大學工學部建築學科卒業計畫圖)

計4枚。宮内省、陸軍省技師を経て、合名会社藤田組に入社。1913年に退社し、独立して、宗建築設計事務所を開設した。洗練された様式建築を得意とし、大正末~昭和初年に数多くの秀作を生んでいる。1917年に設立された関西建築協会(現・日本建築協会)の理事を務めるなど、関西建築界の興隆にも貢献が大きい。

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