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『ており』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程の短命であった。この製品もその一つで、手織のテキスタイルを連想させる。単純な構成だが光はよく計算されており、実際に使用すると反射は強く銀色に輝いて見えるのがおもしろい製品である。

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『ときわ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程の短命であった。この製品もその一つだが、八手の葉のような親しみのあるデザインで、多く売れた模様に一つである。

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『なると』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争があった。この製品もその一つであるが、大柄のはしりである。板ガラスの価格が下がり、住宅でも大きなガラスを使うようになったことにより、型板もこのような大柄が好まれるようになっていった。また、地紋に「まさご」を使っているのも珍しい。

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『のみち』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争があった。この製品もその一つで、田畑の中を歩くようなのどかなイメージであるが、実は外国の布地の柄がデザインのヒントになっている。他産業同士でデザインが影響しあうことはよくあるが、その一例。

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『ばら』(型板ガラス) 

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程の短命であった。この製品もその一つで、名前の通り薔薇の花をあしらった、洋風住宅向きの柄である。

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『ヒシクロス5分』(型板ガラス)

戦前からの品種「モール」を応用して、ガラス両面に直角にモールを配した結果、光を最大限に通しつつ視線をカットする特徴が現れ、建築のほか家具に広く使われるヒット商品となった。ただ、平らな面が少ないので切断が困難であり、結局、両面型板はこの製品だけとなった。

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『ほなみ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つであるが、殆ど凹凸の無い型板で、レコードの溝のような微細な模様を転写している。型ロールの製作にもガラスの製造にも高度な品質管理が求められる技法で、同様の手法に「こずえ」がある。

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『まさご』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つであるが、ガラスサイズの大型化に伴い模様も大柄になっていく中で、「梨地」などのよう地紋系のガラスとして登場した、珍しい製品である。「なると」の地紋としても使われた。

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『まつば』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つで、松葉が折り重なるような、和風のデザインである。このころアルミサッシは出始めで、住宅はまだ殆どが昔ながらの木製建具を使っていた。

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『みずわ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つで、水紋が広がるようなデザインである。

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『みどり』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品はその後半戦で登場したが、おとなしい小さな葉の柄はなじみやすく、後発ながらよく売れた。

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『みやこ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つであるが、機械的な斬新なイメージで、このころのデザインの傾向をよく反映している。

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『めばえ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つである。どことなくかわいらしさが漂う製品である。

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『もみじ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つであるが、石肌のような地紋を使っており、石畳に舞い散る紅葉の雰囲気が感じられる。比較的よく売れた製品である。

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『ユーカリ』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争にがあった。この製品はその最後の頃に登場したが、一見しただけではレースのカーテンと全く区別がかないという特徴を持っている。型板が衰退した原因の一つは住宅用のカーテンの普及にあるが、それを裏付けるかのような製品である。

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『よぞら』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つであるが、型板が衰退期に入る中、販売数を伸ばした製品である。

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『らんまん』(型板ガラス)

日本では高度成長期の住宅建設とアルミサッシの普及に伴い型板ガラスが普及した。特に1961年から75年頃までは「型模様戦争」と呼ばれる激しい販売競争により数十種の製品が出たが、殆どは1年程度の短命であった。この製品もその一つで、デザインの奇抜さから、自宅よりも貸家に使用されることが多かったといわれている。

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『雪板』(型板ガラス)

製法はキャスト法で、金属テーブル状にガラスを流し型ロールで延展した。そのため表面には製法に起因する多数の「つの」や傷、皺が見られる。生地はやや黄色味を帯びている。組成分析、光学特製分析済み。日本工業倶楽部会館で用いられたもので材料に国産が優先されたことと、工事時期から、極東硝子工業製の可能性がある。同社は日本で最初に型板生産の商業化を成功させた。

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『露玉』(型板ガラス)

丸の内ビルヂングで使われていたことから、旭硝子の可能性が高いと判断した。大正期の極東硝子工業以降殆ど途絶えていた国産型板は、1935年からの徳永板硝子と旭硝子の型板参入によって大量生産消費時代を迎えた。このころの型板は在来種と言って、海外で普及していた型模様を国産することが多く、これもその一つ。生産設備を整える際に型ロール自体も輸入したことも影響している。

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『モール4分』(型板ガラス)

「モール」は明治期より多く輸入され、戦後も暫く使われた代表品種の一つ。日本では昭和初期に特異な製法で国産化された。当時、日本板硝子は板引き法の一つ「コルバーン法」で透明板ガラスを生産していたが、その設備の「ベンディングロール」を型ロールに取り替えて生産した。これにより手吹以外では不可能だった2mmの薄型板を世界で初めて実現した。本品が当時の日本板硝子製かは不明であるが、ロングライフデザインである。

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『モール8分』(型板ガラス)

「モール」は明治期より多く輸入され、戦後も暫く使われた代表品種の一つ。日本では昭和初期に特異な製法で国産化された。当時、日本板硝子は板引き法の一つ「コルバーン法」で透明板ガラスを生産していたが、その設備の「ベンディングロール」を型ロールに取り替えて生産した。これにより手吹以外では不可能だった2mmの薄型板を世界で初めて実現した。本品が当時の日本板硝子製かは不明であるが、ロングライフデザインである。

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『ダイヤ(浅)』(型板ガラス)

「ダイヤ」はもともと輸入品種で、1935年から国産化された最も古い品種の一つ。人気の柄で永く生産されたが、当初は彫りが深かったため、板が薄いと強度が低下する、屈折率が高く室内が暗い、溝にごみが溜まり清掃性に難があるなどの不都合があった。そこで日本で使いやすい2mmの薄板用に彫を浅くし、平滑性を高めて掃除しやすく明るいものに改良したのが本品である。しかしほどなく新柄競争時代に入り、廃番となった。

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『ダイヤ(深)』(型板ガラス)

「ダイヤ」はもともと輸入品種で、1935年から国産化された最も古い品種の一つで、「モール」とともに人気の柄で永く生産された代表品種。1935年に旭硝子と徳永板硝子によって日本は本格的な型板大量生産時代を迎えた。最初は型を輸入しそれを模倣することで型ロール製造技術を磨いた。ドイツなどから技術導入した当初は、技術給与先からは国産化は不可能と見られたが、直ちに使いこなして驚嘆させたという話が伝えられている。

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『モロッコ(大)』(型板ガラス)

日本では1935年から旭硝子と徳永板硝子とによって型板大量生産時代を迎えるが、そのころの品種の一つ。「モロッコ」にはこれまで大小3種の型を確認した。今回掲載分以外は鉄道省本社屋で確認したものがあるが、現存しない。これらは一見すると表情が異なるが、戦前は同じ名前で別々の企業が型彫りした結果ちがう表情の製品が登場することがあったとみられる。日本工業倶楽部会館の改築箇所で採取したことから旭硝子と推定。

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『モロッコ(小)』(型板ガラス)

戦前品種の一つ。「モロッコ」にはこれまで大小3種の型を確認した。今回掲載分以外は鉄道省本社屋で確認したものがあるが、現存しない。これらは一見すると表情が異なるが、戦前は同じ名前で別々の企業が型彫りした結果違う表情の製品が登場することがあったとみられ、本品の名称も文献によっている。本品は1927年に同潤会代官山アパートで採用されたもので恐らく輸入品。このほかに戦後昭和30年代の公団住宅でも確認した。

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網入縞(亀甲)(型板ガラス)

網は編み製法による亀甲が最古で、その後溶接金網が登場して非直交菱形、クロス型、直交菱型の順に発展した。網入板は型板の製法を応用するので、型付の網入板が標準品で、現在でも必要に応じて研磨して透明な網入板を得ている。縞は、テーブルに筋彫りするだけの原始的な製法の時に生まれた最古の型模様。また縞は「ドロ板」」「粗板」ともいわれ、研磨材が乗り易いため元来は磨き素板の目的で生産された、生産上は合理的な型板。

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網入ラフ(亀甲)(網入板ガラス)

網は編み製法による亀甲が最古で、その後溶接金網が登場して非直交菱形、クロス型、直交菱型の順に発展した。網入板は型板の製法を応用するので、型付の網入板が標準品で、現在でも必要に応じて研磨して透明な網入板を得ている。しかし型ロールに何も彫らなければ(これをラフという)本品のような透明感のある板が安価にできる。明るさは必要だがはっきりした透視性能や美しさは必要でない工場や裏口などの窓には充分である。

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ラバース式機械吹円筒法による普通板ガラス

採取建物(日本工業倶楽部会館)と施工時期、板のゆがみの状態などから旭硝子のラバース式と推測した。

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木瓜・文化山水(板ガラス二次加工品)

戦前は工賃が安いため、透明板に結霜や摺り加工を施して付加価値を付けたガラスが、高価な型板やエッチングガラスの代用品として普及した。木瓜とはガラスの四周に木瓜型の枠を摺り入れることで、文化山水は山水画を摺ったもの。写真は山水の部分。山、鳥、雲、水面、民家など定番の図柄を使う。山は型をあてて摺りぼかし、線画は釘を加工した道具を自作するなど工夫した。貸家に多く、山水のある貸家は高い家賃収入が得られた。

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『春霞』(板ガラス二次加工品)

結霜加工は明治期から日本で盛んに行われ、安価なことと、和風の白木にあう表情が受けて、高価で西洋的な型板のライバルとして永らく普及した。結霜とは摺りガラスに膠を塗って乾燥させ、表面を膠の収縮力で引き剥がしたもの。自然作用なので同じ模様は2つとない。これにさらに水摺を施したものが「春霞」で、高級感のある柔らかさが特徴。結霜よりも視線制御性能は高い。丸ビルの内部建具に採用され、本品もそのひとつ。

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結霜ガラス(板ガラス二次加工品)

結霜ガラスはもともと西洋でステンドグラス用に作られたもので、グルーチップと言う。日本では明治期から盛んに加工が行われ、独自の製法が考案されてきた。安価なことと、和風の白木にあう表情が受けて、高価で西洋的な型板のライバルとして永らく普及した。結霜とは摺りガラスに膠を塗って乾燥させ、表面を膠の収縮力で引き剥がしたもの。自然作用なので同じ模様は2つとない。戦後は工賃の高騰により、輸入に頼っている。

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ひび焼ガラス(板ガラス二次加工品)

旭硝子が創業したとき、透明板以外にも、手吹円筒法を応用した製品として、ひび焼やモールなどの製法がベルギー技師の指導により生産された。熱したガラス生地を水で短時間急冷すると表面に無数のひびが生じる。しかし内部は熱いのでひびは表面しか進行しない。これを再加熱して空気を吹き込み円筒に膨らませ、切り開くと、ひびの模様が残る板ができる。強度と安全性に難があるので装飾用。本品は米国で復刻しているもの。

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板引き法による板ガラスの不良品

写真の中にある筋は、板引き法による製造時の不良の典型例。ガラスを引き上げるときのロールの傷やガラス生地内の不純物、失透などによって、このように筋が入ったり不透明になることがある。フロート法による現在は僅かな欠点でも工場内で廃棄されるが、板引き法では完全に欠点のないものは不可能で、欠点に応じてガラスに等級を付けて販売した。ガラスが高価であった時代や不足していた時代は建物内で等級を使い分けていた。

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繋ぎガラス(板ガラス構法)写真

二次大戦終戦直後はガラスが不足し、住宅の補習は数年待たされた。しかし冬を乗り切るため、ガラス店に余っていた切れ端を繋いで建具にはめた。これをつなぎガラスという。大半はただガラス同士を突き当てるだけだが、桟をあてたり写真のような工夫例もあった。写真は京都の民家の実例で、真鍮製の繋ぎガラス用テープを用いている。このテープは割れた曲線部の補習もできるように曲げが自在で、町工場で作られロール単位で売られた。

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小紋ガラス(板ガラス二次加工品)写真

戦前は工賃が安いため、透明板に結霜や摺り加工を施して付加価値を付けたガラスが、高価な型板やエッチングガラスの代用品として普及した。加工法は海外からもたらされ日本で改良された。小紋ガラスはモスリングラスともいい、もともと輸入品であるが、日本では柿渋型紙を用いる江戸小紋の技法が応用されて明治期から国産化され、旭硝子でも作られた。亀甲、麻の葉など日本の文様も多く作られた。写真は諏訪の民家の実例。

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学校補修専用ガラス『銀線』(型板ガラス)写真

戦後、ガラスが不足し、ガラスの盗難が多発した。関東以北では関東間というモデュールが普及していたため建具やガラスのサイズが同じであった。これが災いし、建具ごと盗難されるまでになった。文部省標準設計による学校もよく盗まれた。この惨状にGHQはまず学校のガラス補修を命じ、旭硝子に専用ガラスを作らせた。盗難されないよう表面に筋が2inch幅で浮き彫りされている。写真は近年発見したときのもの。

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江戸川アパートメントハウス新築工事仕様書

江戸川アパートメントの新築工事仕様書であると伝えられている文書。原本は発見されておらず、ガリ版刷りの本書が残るのみである。わずかであるが、途中記述を省略した部分があることから、写本ではないかと考えられる。昭和初期の国産技術の粋を集めたといわれる同アパートの仕様は詳細で、メーカーを特定できる箇所もあり、当時の国内建設技術が俯瞰できる貴重書である。

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江戸川アパートメント管理者住宅一部模様替及修理工事仕様書

江戸川アパートメント竣工後まもなく行われた居室の模様替えのための仕様書である。一号館一階には管理室があり、それに隣接する住戸を改築するためのもの。同潤会の原稿用紙に手書きで記されている。内容は詳細で、当時の施行方法を微細にわたって把握することができる貴重書である。

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江戸川アパートメント樹木植栽其他工事仕様書

江戸川アパートメントには、広大な中庭があり、住民のコミュニティ空間として重要な機能を持ってきた。本書は、そのアパートの植栽工事について仕様を示したものである。

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江戸川アパートメント昇降機仕様書

江戸川アパートメントには、今日の集合住宅の基礎となる最新の設備が備えられている。その一つ、一号館に設置されたエレベータの仕様書である。エレベータは日本エレベータ製造株式会社の製品で、全自動釦式、計画上は東西に各1基、計2基が設置される予定であった。実際は社交室よりの西側のみであった。仕様書は同社の原稿用紙とみられる紙にタイプ打ちされている。

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江戸川アパートメント電気工事仕様書(S8.4)

手書きであるが、表紙には昭和8年4月 財団法人同潤会とある。電気工事の構成は、照明等電力、電話、ラジオである。このアパートでは、管理室に電話交換機があり、交換手が常駐していた。また、共聴設備としてラジオがあり、NHK第1、第2放送と、館内連絡のための有線放送を聞くことができた。

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江戸川アパートメント浴室設置説明書(附・浴場及浴場営業取締規則抄録)

アパート一号館地階にある共同浴場の仕様書で、同潤会による仕様書としては珍しくタイプ打ちされている。冒頭には設置趣旨が書かれるという異例のスタイルで、各室に浴室を設置するよりも居住面積が広くなり経済的である旨が謡われている。浴場は男女別で銭湯並の面積があった。居住者限定の施設であるが、法律上は、公衆浴場とされ、そのため仕様書の最後に「浴場及浴場営業取締規則抄録」が付されている。

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江戸川アパートメント浄化槽装置仕様書(S17)

江戸川アパートメントでは、住民801人、管理従事者10人、訪問者見込449人の受け皿として、大便器25、大小兼用便器121、小便器25、手洗機134個の汚水を処理する必要があった。このため腐敗槽約48立方米のほか、予備ろ過槽、分離槽、酸化槽、消毒槽、などを備えている。

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江戸川アパート建築届関係綴 九年度

建築届に必要な書類をまとめたファイル。昇降機工事の項では、巻き上げモーターやガイドレールなどの詳細な図面が納められている。江戸川アパートメントは国産技術の枠を集めた東洋一のアパートといわれているが、このファイルはそれ詳細に裏付けてくれる貴重書である。

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昭和九年度江戸川アパート暖房汽缶其他許可申請綴

江戸川アパートメントの暖房とボイラ関係の設置許可申請書類である。アパート内の各住戸にはラジエータが備えられ、地階のボイラー室でつくられた温水が供給され、居室窓下部の通気口レジスタから採り入れた外気が暖められるという外気暖房システムが実現された。製品と施工は高砂熱学を中心に行われた。

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江戸川アパートメント電燈動力配線図

江戸川アパートメントの電灯及び動力配線図である。アパートに残る資料として、このほかに電気工事仕様書があり、これら2冊を付き合わせることにより、当時の施工の様子が詳細にわかる。

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江戸川アパート新聞

昭和22年4月1日号から25年8月18日号までの33号にわたり住人が自主発行した。この新聞からは、住民同士のコミュニケーションにとどまらず、階段室や中庭など建物の共用部分の管理に対する様々な意見が、33号の3年余にわたり変容していくさまを読み取ることができる。長期集団居住と建物維持管理のあり方についての多くの示唆に富み、今後の集合住宅計画に資する有用な資料である。

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江戸川アパートメント暖房及給湯

暖房と給湯設備関係のファイル。全30頁、各階平面図やボイラ配置図、重油燃焼機についての詳細な記述がある。江戸川アパートメントは先進的な設備を備え、地階のボイラ室から各住戸に暖房・給湯を行っていた。

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江戸川アパートメント昇降機工事

江戸川アパートメントには、今日の集合住宅の基礎となる最新の設備が備えられている。その一つ、一号館に設置されたエレベータの仕様と図面類である。エレベータは日本エレベータ製造株式会社の製品で、全自動釦式、計画上は東西に各1基、計2基が設置される予定であった。実際は社交室寄りの西側のみであった。仕様書は同社の原稿用紙と見られる紙にタイプ打ちされている。全20頁、仕様書、設置図、扉開閉装置図などからなる。

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江戸川アパートメント間取図

江戸川アパートメントの平面図集である。全10頁あり、地下室、家族室、独身室の各平面図が収録されている。

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