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(1)使用済み塩ビをロータリーキルンで熱分解し、炭化物と塩酸の2つの製品にリサイクルする有効利用率の高いリサイクル設備(有機物中の60%~80%を高炉原料としてリサイクル、無機物である塩素の90%以上を工業用塩酸としてリサイクル)。(2)他素材との複合塩ビや劣化・汚れの激しい塩ビでも処理可能であり、リサイクルし得る塩ビの対象が幅広いプロセスである。(3)CO2削減にも貢献する。
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最初の国産塩ビサッシの主要部(枠、框)の口金および口金設計図、成形品図面である。寒冷地のサッシュがアルミから塩ビに材質転換する役割を与えた。1971年から開発に着手、サンアロー化学工業(現・トクヤマ)が金森化学工業の技術協力を得て1974年に試作品を完成した。本サッシュは1976年から量産したタイプであるが、実用化第一号の製品である。
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顆粒状ペースト製造装置の一号機。1989年稼働。微細な粉体流動性に乏しいペースト樹脂の粉体特性を革新的に変えた顆粒状ペースト製造用に設計製造された乾燥機。能力:10,000t/年
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1943年に日本窒素肥料がドイツのフランツ・ブラウン社から輸入した射出成形機(機種名ISOMA)と共に輸入した金型とその成形品(ウィスキーコップと櫛)。成形材料は塩ビではないが、射出成形の草分けの製品である。
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国産第一号の射出成形機は、ドイツのフランツ・ブラウン社が1933年に開発した「ISOMA」という機種をモデルに戦後の1947年に製作されたと言われている。本機(写真)は積水化学工業での国産第一号機であり、1957年に東芝機械によって製作されたものであり、直圧式型締圧力450トンのスクリュープリプラ式射出方式を装備した、電動駆動の模型射出成形機で、現在の射出成形機の原形と言える。
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ペースト樹脂を用いた連続コーティング法による塩ビ鋼板は、東洋鋼鈑によって1959年頃開発されたが、屋根機、外壁機、内装機などの建機、家具、車両、家電製品の外装やケースなど、多様な用途が開発された。この商品見本セットは、初期の営業マンが、宣伝や商品紹介に持ち歩いたものであり、当時の用途がよく判る資料である。
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ペースト樹脂を用いた連続コーティング法による塩ビ鋼板は、東洋鋼鈑によって1959年頃に開発された。当初シャッターなど、外装機に使用された。このアルバムは試作段階を含む開発初期の施工例を記録したものである。
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産業系廃塩ビプラスチックをケミカル(フィードストック)リサイクルする技術開発のための実証試験機である。廃塩ビを粉砕後、ロータリーキルンで窒素雰囲気下、高温加熱により脱塩化水素し、残った炭素及び炭化水素をセメント焼成炉の原燃料として利用し、一方回収塩化水素は精製して塩ビモノマーの製造原料としてリサイクルする。廃塩ビのセメント及びモノマー原燃料化は実用化すれば世界初の技術である。
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コア回転型2色成形機。当初はごく限られた使用に止まっていたが後ちにタイプライター、電算機などのキートップ、自動車のテールランプ等、二色成形品の増加と、成形の合理化から急速に専用機として重視されるようになった。
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内ねじ製品は、離型時に製品あるいは、コアを回転させ、ねじ抜きが必要となる。本機は、コアを回転させる方式で、ストリッパー板と製品を離すことなく、コアの回転とストリッパー板の移動量を製品ネジ仕様に合わせて制御する方式としたものである。
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増量剤混合装置を備えた射出成形機。オイルショック後の成形材料不足に対し、増量剤・強化剤を混合して成形することを提案した。写真はブレンドフィーダー(昭和48.10)。
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現・日精樹脂工業株式会社の前身、樹脂加工メーカーであった合資会社日精樹脂製作所が、自社成形の効率化のために開発した成形機。カムを使用してバルブを作動し、自動運転ができるよう工夫された。
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当社外販成形機の1号機。7年間で848台を販売したモデルである。モルダーの利益に貢献した。射出装置はプランジャ方式、型締装置は直化方式のオーソドックスなものであった。コントロールは加熱筒温度のみ、他の動作・状態は、マニュアルバルブをオペレータが操作する。
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ベルトコンベアの併用により完全無人化が可能な高速全自動成形機。数台の機械を1人で運転できる。射出機械はインライン・スクリュー式、型締機構は牽引式。1960年に前身のAU-1型機を輸出第1号機としてアメリカへ輸出した。
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YD-50B型は、YD-2の発展型としたモデルである。YD-50A型との相違点は射出装置を傾斜させたことである。傾斜させたことにより、可塑化能力の増強が計れた。
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射出装置に回転ラムインラインスクリュ方式を採用したモデル。この形式は1961年12月に開発を完了した。可塑化能力の増強が実現でき、成形の安定性を充実した。
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回転ラムインラインスクリュ方式の射出機構と、クランク+直圧方式の型締機構による汎用射出成形機であり、1963年に開発され、1971年のFS型機の開発まで市場で活躍したモデル。
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1983年に世界に先駆けてサーボモータのみで所定の動作を実現するモデルを開発した。本機は4年後のモデル。現在、射出成形機の多くがその制御性と、省エネ性からサーボモータ駆動機となっている草分けのモデルである。
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1951年にイギリスのウィンザー社製RC65押出機を導入し、試作を開始した。さまざまな工夫(押出されたパイプを上方向に滑車で引き上げる方式や口金の形状改善、パイプを横に引出す方式(現方式)等)を重ねた。また色についても、ブルーや白を検討したが、汚れや再生等を考慮してクレー色を選定した。これが現在業界全体に標準色となっている。本試作品は、その開発段階のものである。
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1952年8月に「ヒシパイプ」という商品名で販売を開始した硬質塩ビパイプであるが、口径の大きなパイプを作るのが課題であった。当時、2インチ(50mmφ)が最大であり、これをさらに口金形状を検討し4インチ(100mmφ)の押出に成功した。また、当時のパイプ工場は切断も手で行う時代であった。
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長浜ゴム工業(現三菱樹脂)は1952年から、硬質塩ビパイプの量産を開始したが、1953年~54年に、川崎市の水道用に採用された。このパイプのサンプルは、この時に量産された水道用パイプであり、水道用としては、最も早い時期に属する資料である。
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国産最初の射出成形機の試作機。射出量15グラム、手動式型締機構を用い、射出は空圧で行う小型の射出成形機である。戦局の悪化で軍需生産優先のため、量産には進まなかった。
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日本窒素肥料が戦前ドイツから輸入した射出成形機(イゾマ)をモデルに製作し、国産では初めての量産機となった。1947年、日本窒素肥料から20台を受注して製作し、同社から分離した積水化学工業に納入した。
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横型全自動油圧式射出成形機として量産された最初の国産機(60トン、3oz)。同型機は1951年に120トン、6ozのHYDRA-32を開発、続いて1952年にHYDRA-16および30トン、1.5ozのHYDRA-8を開発した。本機はHYDRA-16の一機である。
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土工機械の小型化のきっかけとなった機械。根伐底における積込・掘削用として1959年に開発を始めたもので、1960年に1号機、その後、排土板を取付け、ショベルをバックホーに取替えられるようにした。
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大正末期から使用された単胴式のスチームハンマ。当社で初めてスチームハンマが使用されたのは大正11年東京モスリン金町工場の現場である。本機は大正13年に購入され、同年に芝浦桟橋、大正14年に千住発電所の現場で使用され、杭打の主力機種となった。
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1954年にディーゼルパイルハンマが国産化されたが、殆んど使用されず製造中止となった。その後、1959年に本格的に生産が始まったが、本機はその当時のもの。
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英・テイラーウッドロー社設計の無騒音無振動シートパイル圧入・引板機で、英国では多数製作(メーカ:クルップ社)されたが、日本ではこれ1台である。6枚のシートパイルで反力をとり、残りの2枚を打込みあるいは引抜く。十数年後に同原理のよりコンパクトな圧入・引板機が国産化され現在も使用されている。
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1919年、東京モスリン紡績工場で初めて使用され、以後、三井本館(1926)、白木屋本店(1927)、東京株式取引所本館(1929)など多数の現場で使用された。当時は先進の機械で、戦後、機械式パワーショベルが普及しはじめる1955年頃まで使用された。鉄輪走行で、ブームやディソパハンドルは木に鉄をかぶせた構造となっている。
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1933年、宮内省工事で使用した機械式コンクリートポンプ。コンクリートポンプの出現が1922年ともいわれており、当機はかなり初期のもの。国産化は1957年。
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DKスタイルの定着は、椅子座の生活が受け入れられるかにかかっていた。当時は手頃なテーブルが市販されていなかったため、備品として備え付けられていた。寸法:655×1100×745mm。公団 A No.004-026。
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公団が発足した当時、設計の規格化はなされていなかった。スチールの足が主流であった備品のダイニングテーブルも、九州支所では全て木製のものが作られていた。公団 A No.091-007。
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公団初の高層住宅に設置されたエレベーター。コストを押さえるため停止階を減らしたことでスキップアクセスという独特の形式を生んだ。その後、廉価な住宅用エレベーターの開発がはじまる。公団 A No.002-036。
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当時、コンクリートは高価であったため、使用量を減らしながら同等の性能を得る等の目的から様々なブロックの開発が盛んにおこなわれた。このブロックは特許取得時2枚の部品を組み合わせる方法であったが、実用化に際し一体成形に改められた初期のものである。サイズは尺モジュールで各種ありRC併用で壁床を構成した。寸法:450×450×200mm。公団 A No.011-018。
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初めてのRC造による公営集合住宅の階段手摺。親柱の造形に、単に機能性だけでない当時の意気込みが伝わる。土台部分は鉄筋、立ち上がり部分はラス金網が使われている。寸法:1900×940mm。公団 A No.11-017。
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2階建て4戸1住棟の2階部分。同潤会アパートの床はスラブ直コルク+薄縁敷きが主流であったが、東京市営を始めとするその他の集合住宅では、荒床を組み畳などを敷いた。RC躯体に木造の内装を入れ込む苦心の跡が伺える。寸法:2320×920×910mm。公団 A No.091-004。
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当時、松杭が主流であったが、地下水位の関係から、RC製現場製作の角杭も使用され始めていた。径は160角と230角の2種類あり、先端には金属製の沓がついている。寸法:2660×160(230)×160(230)mm。公団 A No.010-023。
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