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鹿島製鉄所25周年誌

住友金属工業株式会社鹿島製鉄所は、臨海大型一貫製鉄所として昭和43年に発足、爾来拡大に努め日本を代表する製鉄所の一つとなっている。その25年間の歴史をまとめた冊子。

情報所有館 : 国立科学博物館 


小倉製鉄所40年史

住友金属工業株式会社は、我国を代表する一貫製鉄メーカーであるが、その要となる 高炉製銑法の導入は、1953年の小倉製鋼株式会社の吸収合併に始まっている。住友金属工業株式会社小倉製鉄所として新発足以来40年の歴史をまとめたもの。

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試験高炉

高炉を模擬した向流移動層型還元溶解炉、研究用熱間試験高炉としては国内最大規模を有し、羽口からの微粉炭、粉鉱石、造滓材吹き込み操業や酸素高炉の技術開発に使用され、PC比200k/t操業に先鞭をつけ、実炉高PCI化、低スラグ化の実現に貢献した。さらに、スクラップ溶解などの新製銑法の技術開発に重要な役割を果たしている。

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15t規模試験転炉

国内最大規模の試験転炉で、通常の鉄浴炉試験に加え、石炭などのガス化試験が可能。鉄浴炉としては転炉複合吹錬技術開発の先鞭をなし、鉄鋼産業に貢献した。近年、クローズアップされている環境問題に関しても、石炭ガス化鉄溶融技術をリードし、従来の鉄鉱石ベースの製銑法に比べ、炭酸ガス発生が1/3以下になる画期的な低炉充填層型スクラップ溶解技術の開発に重要な役割を果たした。

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自溶性焼結鉱の研究と使用

小倉製鉄所は、高炉副原料であった石灰石を細粒化し焼結原料に添加する自溶性焼結鉱により品質を革新的に改善し、その使用により製鉄燃料を20%以上低減させた。本発明は、日本で実用普及化されペレットへの波及、世界中への普及を見、今日、日本製鉄業の飛躍的発展を支えた最大の技術の1つと言える。本資料は大河内賞受賞を記念して、この技術の研究・開発・成果の経緯等を分かり易くまとめた資料集である。

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冷間圧延機(4H)

大阪製造所冷間圧延機(4H)は、四重冷間圧延機において可逆式の国産一号機として建設された。

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No.1センジミア 冷間圧延機

日本に初めて導入されたセンジミアミル。これにより、ステンレス薄板の品質向上・コストダウンが図られ、ステンレス薄板の量産化に拍車がかかった。

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日新製鋼新発足十年史

社史

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日新製鋼20年史

社史

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日新製鋼30年史

社史

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日新製鋼30年史 資料編

社史

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日本鋼管株式曾社七十年史

明治45年(1912年)に鋼管専業会社として設立されて以来、70年間の変遷が記されている。

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扇島埋立工事報告書

NKK京浜製鉄所の合理化計画に基づき、昭和46~50年(1971~75年)にかけて建設された扇島の埋立工事の報告書。

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扇島海底トンネル工事記録

NKK京浜製鉄所の既存地区と埋め立て地である扇島を結ぶ海底トンネル建設の工事記録。

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ピルガー圧延機

昭和9年(1934年)日本鋼管(株)の第五製管工場建設時にデマーク社より購入したピルガー圧延機。公称能力60,000ton/年で、口径154~365mmの大口径管を製造する能力を持っていた。昭和45年(1970年)に稼働を休止し、現在の位置に保管されている。

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トーマス転炉

昭和13年(1938年)日本鋼管(株)が日本で最初に導入したトーマス転炉。昭和33年(1958年)に純酸素転炉が同社に導入されるまで基幹設備として稼働していた。現在は川崎市の川崎市市民ミュージアムに寄贈され、同ミュージアムのシンボル的存在の一つとして公開されている。

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飛鳥、謎の川原寺で発掘された排水用土管(パイプのミニ博物館より)

奈良時代(7世紀中頃)、飛鳥川原寺に排水用として設置された土管(直径500mm、長さ約1,000mm)である。昭和48年(1973年)に奈良国立文化財研究所の手で遺跡調査が行われた際に発掘された古代の代表的土管で、国立飛鳥資料館に所蔵されている。「パイプのミニ博物館」に展示中の管は特に許可を得て模造したものである。

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金沢 辰巳用水の石管(パイプのミニ博物館より)

辰巳用水は金沢城の防水用水と堀を満たすための水を得ることを目的に、寛永9年(1632年)三代藩主、前田利常の時に完成したものである。当初は木樋が使用されていたが、天保14年(1834年)からの工事で凝灰岩をくり抜いた樋石に交換された。漏水を防ぐために継手には厚く松脂が塗られている。展示の樋石は昭和36年(1961年)金沢市、中警察署の工事中に出土したものである。

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赤穂の旧上水道(パイプのミニ博物館より)

赤穂では慶長19年(1614年)から簡便なろ過装置をもち、各戸給水の上水道建設を開始した。工事は元和2年(1616年)一応の完成を見た後、度重なる改造を加えながら昭和19年(1944年)まで上水道として使われていた。これは昭和56年(1981年)赤穂市街下水道工事中に大量に発掘された各種形状土管で各年代のものが混在している。

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江戸 玉川上水用木管

江戸時代(17世紀中頃)、江戸、玉川上水に上水用として設置された木管。2寸(6cm)厚管6本、1寸(3cm)厚管1本。玉川上水は、承応3年(1652年)竣成された一大プロジェクトで、明治23年(1890年)、東京市の上水道ができるまで市民の大切な飲料であった。展示の木樋の内、中央の大きい木樋は昭和29年に四谷付近で、小さい木樋は昭和33年に三宅坂付近で工事中に出土したものである。

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薩摩藩 鹿児島旧水道管の石管(パイプのミニ博物館より)

この石管は享保8年(1723年)に作られたとされ、冷水御用水道に使われていたものである。明治になって配水池新設・送水路大改修が完成した後も、このまま市民に愛用されていた。展示の管は昭和25年(1950年)に水源地付近および市中において工事中に発掘されたものである。

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十二貫野用水系、竜の口用水の伏せ越し用石管(パイプのミニ博物館より)

富山県、黒部川左岸の十二貫野と呼ばれていた扇状地は灌漑する水が無く、長い間荒蕪のまま放置されていた。しかし、加賀藩の裁許役、椎名道三の設計、管理の下に天保12年(1841年)完成した用水によって、初めて田畑が開拓された。展示の石管はこの第一分水に当たる竜の口用水が谷を横断する場所に設置されていた伏せ越し(逆サイホン)用の石管で、昭和46年(1971年)ヒューム管に交換されるまで使用されていた。

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パリ中央市場(パイプのミニ博物館より)

展示物は設計者の名を取ってパビリオン・バルタールと呼ばれたパリ中央市場の遺構で、1850年代に立てられた19世紀の純鋳鉄製構造物として貴重なものである。再開発のため取り壊されることになった時、一部がパリ市当局により横浜市に寄贈され、更にその一部が「パイプのミニ博物館」に寄贈された。当博物館の他、横浜市によって「港の見える丘公園」フランス山地区に復元されて市民に開放されている。

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横須賀造船所水道の土管(パイプのミニ博物館より)

展示の土管は横須賀市三春町より出土したもので、明治9年(1876年)に布設された横須賀海軍造船所用の水道管である。土管の内径は5インチで、製造元は尾州(愛知県)常滑の鯉江家といわれている。形態は京浜間鉄道建設に伴う配水用として英国より輸入したアースン・パイプ(土管)を模して造られたもので、継手部のペーストには低温焼成の輸入セメント、継手部以外には火山灰・石灰・砂を混合したモルタルが使われている。

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横浜外国人居留地の下水道用赤レンガ積管(パイプのミニ博物館より)

横浜の旧外国人居留地に布設された下水道管で、現存する日本最古の洋式水道管といわれている。英国人のRHブラントンが明治3~4年(1870~71年)に布設し、明治13~20年(1880~87年)に展示の赤レンガ積み管に布設換えされた。総延長は約4,000mといわれている。展示の管は中華街市場道りで発掘されたもので、明治17~20年(1884~87年)に布設されたものと考えられている。

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東京市蛎殻町赤レンガ積管(パイプのミニ博物館より)

東京水天宮~箱崎間の地下鉄工事で発掘された下水管で、明治22年(1889年)頃に布設されたと思われる。東京の下水道史に欠落している珍しいものである。

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長崎水道用鋳鉄管・リベット打鋼管(パイプのミニ博物館より)

展示の400mm両フランジ鋳鉄管は英国DYステュワード社製水道管で、明治中期のコレラ大流行を契機に明治24年(1891年)長崎で建設された創設近代水道に使用されたものである。450mmリベット打ち鋼管は明治37年(1904年)の拡張工事で使用された最初の国産の鋼管で、鋼板製造は官営八幡製鉄所、製管は三菱・長崎造船所といわれている。約50年間使用された後の昭和28年(1953年)に撤去された。

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長岡鉄管(株)の石油パイプラインの鉄管(パイプのミニ博物館より)

長岡鉄管(株)が明治25~31年(1892~1898年)に敷設したラインパイプの一部である。東山油田地帯の浦瀬小豆平から長岡市の中嶋製油所までの幹線と腐澤~地獄谷間の支線に使用されたもので、昭和50年(1975年)代に採取され「パイプのミニ博物館」に寄贈されたものである。

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碓氷峠越え石油ラインパイプ(パイプのミニ博物館より)

明治39年(1906年)に軽井沢~横川間の線路に沿って敷設されていた石油輸送用のラインパイプである。外径4インチのソケットつきと、ストレートの継目無鋼管で、今日の継目無鋼管に比較しても遜色ないものである。パイプは内面がアスファルト被覆、外面はアスファルト・タールを染み込ませたジュート・アスファルトの3層被覆の耐防蝕構造となっていた。

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旧内閣文庫(パイプのミニ博物館より)

明治44年(1911年)に建てられた明治の各建築の一つであり、旧内閣文庫の書庫棟に使用されていた鋳鉄管柱である。内閣総理大臣官房より寄贈されたものである。

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猪苗代第一発電所の水圧鉄管(パイプのミニ博物館より)

猪苗代湖の豊富な水量を利用して、遠距離高圧送電の時代に入るきっかけを作ったのが猪苗代第一発電所で、明治45~大正4年(1912~1915年)にかけて建設された。展示の水圧鉄管はこの発電所の励磁用直流発電機の駆動用で、ドイツのティッセン社製の重ね合わせ鍛造鋼管である。昭和37年(1962年)に撤去されたが、アンカーブロックのコンクリート中に残されていた部分が昭和56年(1981年)に発掘された。

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横浜市水道(第2回拡張時)重合せ鍛接鋼管(パイプのミニ博物館より)

横浜市の水道は近代式水道を日本で最初に創設以来、拡張を続けている。この管は大正4年(1915年)の第2回拡張工事時に布設されたドイツのマンネスマン社製全面塗覆装-重ね合わせ鍛接鋼管(スピゴット・アンド・ソケット継ぎ手)である。当時の水道管は錆・腐食に強い鋳鉄管を使用することが常識であったが、導水管が長大におよぶ工事では鉄管のコストが嵩むため、低廉な塗覆装鋼鉄管が採用された。

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横浜市水道第3回拡張時 日本最初のアーク溶接水道用鋼管(パイプのミニ博物館より)

横浜市の水道は明治20年(1887年)に近代式水道を日本で最初に創設以来、増え続ける市住民と工業の発展に伴い拡張を続けている。この管は昭和6年(1931年)の第3回拡張時に、日本で初めて水道用鋼管として用いられたアーク溶接鋼管(鉛パッキング入りフランジ継手)である。

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富山県宇奈月温泉くり貫き木管(パイプのミニ博物館より)

大正4年(1915年)に木樋を布設し、黒部渓谷の黒薙温泉を約9km下流の愛本村まで引き湯して温泉旅館が開かれたが、湯温が低下して結局は失敗に終わった。大正13年(1924年)東洋アルミナム(株)の山田 胖氏が内圧に耐える針金を巻き、木管を使って流速を増し黒薙から宇奈月までの引き湯工事に初めて成功した。その後、昭和24年(1949年)くり貫き木管で布設換えされたが、展示の木管はこの時のものである。

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亜硫酸ガスの中和処理研究報告書

硫酸工場排ガス中の亜硫酸ガス除去に関するもの。この技術が住友鉱業四阪島製錬所に応用され、同島の煙害問題に終止符を打った。

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ネオシロゲン[人工甘味料]容器

終戦直後、給与を現物支給していた。当時の世相をうかがう資料。

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日本で最初のポリエチレンを用いたレリーフ

我が国の高圧法ポリエチレン製造の嚆矢となった記念品。

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硫酸販売用土瓶

当時の出荷形態を記録するもの。容量約27l、濃硫酸で約40kg。

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配合機等

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反応釡等

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ろ過設備等

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粉末製袋充填機(粉末フェザーシャンプー用)

現在ほとんど見られない粉末シャンプーをアルミ製の袋に充填する設備で、昭和30年代に「フェザーシャンプー」の生産に使用された。花王株式会社の歴史的設備(産業遺産)として保存されている。

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石鹸型打機(枠練石鹸)

現在ほとんど行なわれていない枠練方式の石鹸の型打機であり、昭和40年代、石鹸の生産で活躍した。花王株式会社の歴史的設備(産業遺産)として保存されている。

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尿素肥料プラントの一部

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旧過石燐酸工場跡ブラットレーミル記念碑「ファイナルスクラバー」

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アンモニアプラント記念碑

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尿素プラント記念碑

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メタノールプラント記念碑

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インジゴ工場 溶融機(アルカリフュージョン釜)

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クロード法アンモ二ア合成技術の変遷

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