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水素源会議資料

当時硫安は国内需要を上回る生産量に達していましたが、国内価格が上がらず、一方輸出も赤字であり、苦しい状況が続いていました。そのためアンモニアの合理化が急務でした。合理化の主題は原料ガスを安価に製造することにありました。この為、原料ガスについて様々な検討が25年頃からなされていました。この資料は在来のコークス法を含めた各種の方法について、技術的特徴、問題点等を中心に討議した模様を示すものです。

情報所有館 : 国立科学博物館 


ケロッグ社の最初の見積書

昭和39年、ケロッグ社に、アンモニアの合理化について見積書の作成を依頼して出来たものがこれです。当時のものは日産300屯でした。その後、色々の経過を経て日産750屯の計画になりました。

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アンモニア起業申請書

昭和38年に始まった世界的な肥料増産対策は、肥料の合理化対策の一環として、「アンモニア工場の大型化」が図られました。「アンモニア工場の大型化」はコスト削減のため、国の強い行政指導のもと、実施したと伺っております。その結果、尿素は当時世界有数の生産力とコストを誇っていました。当社は、ICI-Kellogg法を採用し昭和42年4月スタートしました。当社の採用した低圧、遠心圧縮機法は日本では最初のものでした。これは起業の申請書です。

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ケロッグ社保証運転時のフラグシート

当社のアンモニアプラントは、1系列あたり日産750屯の能力でした。資料は当時の保証運転時のものです。

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アンモニア製造永久停止時の工場引継簿

昭和60年11月20日、低圧法アンモニアの生産を停止しました。アンモニアについては、昭和5年12月初生産以来、55年の歴史をここに閉じることになりました。この間、生産したアンモニアは、旧法の296万屯を含み、合計702万屯にも達しました。このほか粗製メタノールも17万屯生産しました。これは停止した当日の工場の引継簿です。

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叺(かます)入り肥料

肥料は昔から殆ど叺に入れられていました。昔は7.5貫、10貫、15貫等ありましたが、メートル法が施行されてから37.5㎏入りとなりました。それも昭和30年代になると合成樹脂の袋へと変わって行きました。

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カルナ

カルナは1970年代のレジャーブームを受け、高性能な手持ち双眼鏡を普及させることをコンセプトに開発された。従来よりスリムでコンパクト、斬新なデザインを目指した双眼鏡で、1978年7月に6倍と8倍モデルが発売され、ボディカラーは黒とメタリックシルバーの2色、デザインはボディ一体型で、当時ブームのスーパーカーかUFOを連想させた。優れたデザインが評価され、1980年にニューヨーク近代美術館に収蔵された。

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10cm屈折式天体望遠鏡

この天体望遠鏡は1938年(昭和13年)頃に五藤光学研究所によって製造され、1980年代初頭まで東京都のある高校の天文台で使用され、多くの天文好きの少年少女を育てた望遠鏡である。天体を追尾するためにまだモーターは使われておらず、錘の重力でガバナという機構を回転させ、等速度回転を行う重錘式運転時計を備えている点が、今では非常に貴重なものである。

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25mm屈折式天体望遠鏡(通称 : 1インチ望遠鏡)

五藤光学研究所が創業時に発売した天体望遠鏡。対物レンズは単レンズではあったが、当時著しく高価だった天体望遠鏡を、庶民や学校で購入できる価格に設定し、天体望遠鏡、天文学の普及に大きく貢献した。有効径25mm、焦点距離800mm。大正15年から5機種が製造された。保存されているものは恐らく昭和3年頃の「新普及型天体望遠鏡」と呼ばれる機種であろう。

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58mm屈折式天体望遠鏡(愛称 : ウラノス号)

ウラノス号という望遠鏡は1928年から1960年まで製造され、戦前・戦後30年以上もの長期間生産された天体望遠鏡である。英国式経緯台という架台の形式をとっている。長期間全国の学校やアマチュア天文家にゆきわたったため、当時の天体望遠鏡のある意味でのスタンダードになっていた。30年間で4回のモデルチェンジ(5世代)をしており、保存されているものは第3世代のものである。

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