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当初(昭和5年当時)は独Borsig社製のNo1,No2だけだった圧縮機に後から加わった国産圧縮機の銘板。住友鉱山新居浜製作所(住友重機械工業(株)の前身)製。
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昭和8年、当社は濃硫酸を直接製造できる(それ迄は硫酸を濃縮していた)CCC社(Chemical Construction Corp)のセルデン式接触硫酸製造法を採用し日産45屯の新工場を建設しました(翌9年3月完成)。この工場は、我が国で最初の大規模な接触硫酸工場であり、予想したとおりの効果をあげました。この資料は、当時CCC社から入手したものです。
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昔は肥料の出荷は殆ど船で行なわれていました。何千、何万とある叺(かます)や袋の数を確実に数えることは大変でした。この為に用いられたのがこの万棒(まんぼう)です。
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ホルマリン、アンモニア水、硫酸等の工業薬品向けの容器として、古くから使用されてきました。容量は20リットル入りで、手ごろな大きさとして親しまれていました。中の瓶はガラス製で、外側を竹で編んだ籠で保護しています。
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過燐酸石灰の連続式製造法に関する報告書です。昭和26年8月、月産1万1千屯の生産試験に入りましたが、結果は良好でめざましい成果をあげました。それまで4時間を要していた製造時間がわずか15分に短縮され、所要人員も10分の1に減少できたということです。この連続式生産設備の採用は我が国で初めてのことで、その後、多木製肥、日本鋼管など10数社に技術を譲渡しました。
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肥料工業の合理化の一つに硫酸の合理化がありました。当時その製造に多くの焙焼設備を使っており、多数の人と、設備を維持するため多額の費用が必要でした。このため、かねて研究していた流動焙焼炉の試験に入り、昭和27年これに成功しました。その後、逐次流動焙焼炉に切り替え、最終的には全炉この方式になりました。この結果、人員、保守等について大幅な合理化を達成することができました。
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