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早川氏庭榎の碑

この碑は、榎(えのき)の古樹の頌徳碑(しょうとくひ)で、植物の霊異を讃える大変珍しい碑。また、早川家の由緒をうかがえる重要な石碑でもある。元々現在の岡崎市舳越町の願照寺(創業家である早川家の檀那寺)北方の早川家所有地に建っていたが、戦後の農地改革で早川家がその土地を手放した為、昭和期に当社敷地内へ移設された。石碑には、早川家の祖先が元は今川義元に仕える家臣で、桶狭間の戦いで今川が敗れた際に、岡崎に逃げ延びたことなどが刻まれている。

情報所有館 : カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷) 


正直台

木桶の側面の板を「側板(がわいた)」、底にはまった板を「底板(そこいた)」と呼ぶが、側板同士、底板同士の接触面を「正直(しょうじき)」と呼び、「正直」を削るのが「正直台」という当社史料館にも展示している長い鉋(かんな)である。木桶は円形であり、また下へ向かってすぼまっている形であるため、「正直」を削る時に微妙な角度をつける必要があり、職人の豊富な経験および高度な技術が必要である(「正直」がぴったり合わさらなければすぐに漏れる木桶となってしまう)。そのため、『職人の技量がそこに正直に現れる』という意味で、削る面が「正直」と呼ばれるようになったのでは、と言われている。

情報所有館 : カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷) 


本蔵地蔵

江戸時代中期に蔵(本蔵)を建てようとしたところ、土の中から現れたお地蔵様。毎年八月に従業員一同で地蔵盆を行っている。

情報所有館 : カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷) 


岡崎城の庭にあった蘇鉄

徳川家康公生誕の岡崎城は、明治維新後に天守など主要建物が取り壊された。岡崎藩との関係を深めていた早川家は、維新後の取り壊しに当たって、藩から天守の用材および城内に植えてあった蘇鉄、牡丹を譲り受けた。それから現在まで生き続けているのがこの記念の蘇鉄。尚、藩からいただいた用材の内3本は、昭和34年に再建された岡崎城の天守内に展示中で、他の用材は早川家の建物に使われている。

情報所有館 : カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷) 


ボイラーとストーカー

本社屋前にあるのは、大豆を蒸すために使用していた「ボイラー」(左)と、石炭を効率的にボイラーへ供給するために設置されていた「ストーカー」(右)の一部。昭和16年に導入され、昭和50年頃まで使われていたが、燃料が石炭から石油、ガスへと変わっていったため使用されなくなった。

情報所有館 : カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷) 


開拓記念館外観

大正8年建築、昭和11年移築し、昭和63年まで使用されていた旧開拓農家(富山県から入植)の住宅を中札内村の開拓の歴史を後世に伝えるために道の駅なかさつないに移築・復元したもの。富山県の上層農家に見られる「ワクノウチ造り」と呼ばれる建築様式である。豪雪地帯の住宅ならではの工夫として、雨戸に設けられた明り取りの為の窓ガラス(冬季は防寒防雪対策で雨戸を閉めたままになるため)、征葺き屋根(現在は違う素材)などがある。

情報所有館 : 開拓記念館(帯広) 


吹き抜け天井・井桁造り

住宅は富山県など北陸の豪雪地帯によくみられる伝統的な建築様式ワクノウチ(井桁)造りである。ワクノウチ造りの特徴として、茶の間を中心とした間取り、茶の間・広間は天井を張らず吹き抜けでまぐさと鴨居が一体の平物と大黒柱、四隅の柱が中心となり、セイロ組で頑丈に組み立てる構造。この造りにより冬季、屋根に積もった雪の重みにも耐えることができる。

情報所有館 : 開拓記念館(帯広) 


座敷・奥座敷

座敷・奥座敷の装飾はその家の財力を表します。こちらの住宅には仏間や書院造りの床の間を設け、部屋と部屋の境の壁には明り取りの欄間や釘隠も施されていることから、かなり裕福だったことが伺えます。

情報所有館 : 開拓記念館(帯広) 


糸巻き

寄贈品。大正~昭和初期まで使われていた糸巻き。

情報所有館 : 開拓記念館(帯広) 


防寒着など

寄贈品。大正~昭和初期まで使われていた様々な生活用品も展示している。

情報所有館 : 開拓記念館(帯広) 


点播器(竹内式点播器)

豆を播く機械。昭和15~16年頃使用していたもの。附属の緑色の入れ物に取り外し可能なプレートが入っており、蒔く豆の種類(大きさ)によってプレートを取り替えて使用した。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


豆播き機

明治~大正時代に生花のあたり(晩成社)で使用したもの。種板を変えるといろいろな大きさの豆をまくことができる。春の耕したばかりの畑にパチンパチンと豆を落とし足で土をかける。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


手唐箕(てとうみ)

穀物に付着した土ほこり、未熟ツブ、砕粒を風力で除く農具。落下する砕粒に横方向から風をあてると充実した粒は手前に、軽いわらやごみは遠方に飛ぶ。昭和30年代まで広く使用され、現在も一部使用されている。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


唐棹(からさお)

豆打ちに使う。木や竹の棹に棒や竹を取り付けた農具。棹の先を上下させ、取り付けた棒や竹をまわして豆を叩く。唐棹を使うにはコツがあり、慣れないと肘をうつこともある。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


足踏み扇風機

穀物の収穫の際使用した。唐箕での調整作業はいい豆、悪い豆を分けるためであるが、この足踏み扇風機はその前の段階、豆とごみを分けるための道具である。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


麻袋刺(またいさざし)5号

麻袋(60 kg入)の米、麦の検査格付資料の採取に使用。

情報所有館 : 中札内村豆資料館ビーンズ邸 


ベルトハンマー

炉で高温に熱した地金(軟鉄)と刃金(鋼)を鍛造する際に使用。福田機械株式会社製。

情報所有館 : 堺伝匠館 


玉川堂 初代 玉川覚兵衛「つばやかん」

知られているかぎりでは、現存する鎚起銅器の中で最も古いものです。本体から張り出したつばは、単なるデザインではなく、かまどにやかんをかけるときに下に落ちないよう本体を引っかけるという役割を果たしています。 年代:江戸後期

情報所有館 : 燕市産業史料館 


玉川堂 2代目 玉川覚次郎「銀製急須」

鎚起銅器は当初は日用雑器としてつくられましたが、日本が初めて参加したウィーン万博において玉川堂も出品し、覚次郎の時代には鎚起銅器は美術工芸品としてもつくられるようになりました。これはそのころつくられた純銀の作品です。 年代:明治初期

情報所有館 : 燕市産業史料館 


玉川堂 3代目 玉川覚平「鎚起銅製水指」

見事な装飾が見られ、正面には南画のような図案、背面には文字があります。この装飾はタガネと松ヤニを使わずに、鳥口の上で叩いて打ち出すことによってほどこされています。 年代:明治期

情報所有館 : 燕市産業史料館 


玉川堂 3代目 玉川 覚平「烏鷺飾香炉」

銅・金・赤銅が使われた作品で、正面には烏、背面には鷺の装飾がみられます。花鳥風月が描き出された優美な作品ということから、海外向けに制作されたものであるということがわかります。 年代:1890(明治23)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


玉川堂 4代目 玉川覚平「花瓶古代瓦金銀象嵌」

この作品には奈良の正倉院の瓦をイメージした象嵌がみられます。間瀬銅山の銅の色を特徴づける緋色の銅器に金や銀の象嵌が映え、鎚起銅器の美が集約された作品といえます。 年代:1921(大正10)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


玉川堂 5代目 玉川覚平「湯沸口打出銀銅二重張」

この作品は口打出(くちうちだし)という、やかんの本体をつくるときに1枚の銅板から注ぎ口も一緒につくる技法によって製作されています。この技法は昭和初期に開発され、その難易度の高さから、熟練の職人であることを表す証とされました。また、本体は銀に銅がかぶさっており、二重構造になっています。花びら模様の透かしにより、下地の銀が見えたりと、その他高度な技がふんだんに使われた作品です。 年代:1930(昭和5)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


鎚起銅器の作業場の復元

実際に鎚起銅器工房で使用されていた道具を用いて、作業場の復元をしています。火を扱う場所や金鎚を扱う場所、着色を行う場所など、本来工房ではここまで隣接していませんが、当館展示では便宜上、同じ空間内におさめています。その中には、以下をはじめとした道具があります。火戸(ほど):焼き鈍しの際にコークスを燃やして使用。 鳥口(とりぐち):打ち絞りの際に上がり盤にかけ、先端に製作物を引っかけて叩くための道具。 上がり盤:ケヤキの塊に鳥口をかけるための穴が複数あいている。打ち絞りの際に腰かけたり、あぐらをかいたりして台に上がって使用する。

情報所有館 : 燕市産業史料館 


煙管の作業場の復元

煙管職人が実際に使用していた道具を用いて復元しています。その他参考までに、機械での煙管製造で必要な吸口型などの金型も一緒に展示しています。その中には、以下をはじめとした道具があります。金台(かなだい):煙管の金属部分の丸みをつくるための道具。 心金(しんがね):金属部分をはめて打つための棒。 トビ口(とびぐち):小口(羅宇を入れる穴)に丸みをつけて仕上げるための道具。 キサゲ:ヤスリで仕上げた後に細部を整えるための道具。

情報所有館 : 燕市産業史料館 


彫金の作業場の復元

燕市の彫金師であった広田広山(ひろたこうざん)が実際に彫金を行っていた作業場をもとに復元しています。ここでは主に工芸彫金の道具を紹介していますが、金型彫金や刻印も同じく彫金師の技術によるものであることから、それらの道具も展示しています。その中には、以下をはじめとした道具があります。タガネ:彫金の工程で切ったり押したりすることで金属に模様を入れるための道具。 オタフク鎚:頭の部分が小さい金鎚で、タガネを打つときに使用する。 松ヤニ・ヤニ台:松ヤニを熱してやわらかくして台にし、クッション材にする。 ピッチボール:金型の原型を彫るときに金型がずれないように固定する台。

情報所有館 : 燕市産業史料館 


長谷川豊平「赤銅銀市松模様小判延煙管」

小判形という名称ですが、いわゆる刀豆(なたまめ)煙管のことで、平たく薄い形をしているため、着物の帯にはさむことができます。胴に赤銅と銀による市松模様が張分(はりわけ)によってほどこされています。 年代:1982(昭和57)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


長谷川豊平「竹延上下金赤銅煙管」

胴が赤銅、雁首と吸口が金でできています。胴の部分に竹の装飾がされており、本物の竹を黒く塗ってつくられた煙管に見間違うほどです。この竹の装飾は、煙管づくりのすべての工程が終わってからほどこします。 年代:1990(平成2)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


機械製煙管

これは大正期に機械で煙管をつくりはじめたころのものです。金属部分にはクロムメッキがほどこされており、羅宇の竹部分には、ラオスの黒斑竹(くろまだらたけ)のようなまだら模様があります。羅宇に巻かれた札には「実用新案登録商標」とあり、このころ燕で先駆けて商標登録に乗り出しはじめたことを示しています。 年代:大正期

情報所有館 : 燕市産業史料館 


松岳堂 遠藤俊吉「手づくりのスプーンとフォーク」

燕で金属洋食器がつくられはじめたころのもので、国内の博覧会用に出品されたものです。スプーンは洋白、フォークは真鍮でできています。スプーンの柄は柄尻の部分に向かって急激にふくらむバイオリン型のデザインです。 年代:1918(大正7)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


捧吉右衛門商店(現燕物産 株式会社)「国内向け金属洋食器」

これは洋白に銀メッキがほどこされたカトラリーです。このカトラリーの包み紙には、「松坂屋百貨店 写真用一揃えおよび旧型一揃え 昭和十一年六月」という表記があります。このカトラリーのセットはすべて残っておらず、一部が現存するのみです。 年代:1936(昭和11)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


捧吉右衛門商店(現燕物産 株式会社)「朝鮮ホテルのマーク入り金属洋食器」

朝鮮ホテルは朝鮮総督府が諸外国の来賓を迎えるために、1914(大正3)年に開業した西洋式ホテルです。燕でこのホテルのマークが入ったカトラリーがつくられたのです。このカトラリーは洋白で、銀メッキがほどこされています。 年代:1930(昭和5)年ころ

情報所有館 : 燕市産業史料館 


捧吉右衛門商店(現燕物産株式会社)「昭和初期を代表する金属洋食器」

これは洋白に銀メッキがほどこされたカトラリーで、ナイフについては柄だけでなく、刃にも美しい模様が彫られています。手作業で彫金がほどこされているので、同じ模様でも1本1本微妙な違いが見られるのが特徴です。 年代:1927(昭和2)年ころ

情報所有館 : 燕市産業史料館 


捧吉右衛門商店(現燕物産株式会社)「呉軍港納入品」

ヨーロッパのデザインを見本にしてつくられたカトラリーのセットです。柄は象牙でできています。刃には巧みな彫金がほどこされており、呉軍に高級品として納入されました。 年代:1934(昭和9)年

情報所有館 : 燕市産業史料館 


ダイヤモンド試錐機

1907年、日立鉱山は、金属鉱山の探鉱(鉱脈を探すための試し掘り)で初めてダイヤモンド試錐機を本格的に採用しました。先端部に固いダイヤモンド粒を使用し、地中深く掘削して、地下の様子を調べました。このダイヤモンド試錐機の導入により次々と新しい鉱脈が発見され、開業時100万トンと見込まれていた鉱石の埋蔵量は、その後の数年で700万トンまで増加するなど、日立鉱山の発展に道筋をつけました。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


燻煙器

煙害が激化し始めた1909年、亜硫酸ガスが農作物や森林に与える影響に関するデータの収集と農事の改良を目的に作られました。農作物や樹木をこの中に入れ、一定の時間、所定の濃度の亜硫酸ガスに接触させてデータを収集しました。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


鉱石標本

国内外の鉱山で採掘された様々な種類の鉱石標本600個以上を展示しています。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


コンプレッサー

削岩機(さくがんき)をはじめとする機械類の動力源は、空気圧縮機(コンプレッサー)により作られます。本機は1918年の設置以来、日立鉱山の閉山まで稼働しました。当時の購入価格は、本体2万9,178円、電動機(日立製作所製)1万2,162円との記録があります。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


削岩機コレクション

159台の削岩機(さくがんき)を展示しています。これほど多くの削岩機を集めた展示は世界でも珍しいです。日立鉱山では当初海外から輸入した削岩機を用いていましたが、海外製のものは形が大きくて重く、小柄な日本人の体形には合わなかったことから、後に小型で性能の劣らないものを独自に製作するようになりました。当館ではその変遷をご覧いただくことができます。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


大型上皿天秤

この上皿天秤は1914年から50年間に亘り使用されました。秤量範囲は0.05g~50kg。このように秤量範囲が広く大型で、かつ精度の高い天秤は茨城県内に2台しかなく、希少なものでした。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


第一竪坑

竪坑とは、従業員や鉱石を運搬するために地面と垂直に掘られた坑道のこと。ケージと呼ばれる乗り物に人や物を載せ、巻揚機を使ってロープを上げ下げすることにより昇降を行いました。1906年から1981年の閉山まで75年間、鉱山の大動脈として活躍しました。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


巻揚機

第一竪坑内のケージの昇降のための設備で1929年に完成し、1981年の閉山まで稼働していました。中央のドラムを回転させることにより、ワイヤーの先につながったケージの上げ下げを行いました。本設備は使用されていた当時のままの姿で保存されており、このような状態で残っているのは全国でも本館だけです。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


竪坑巻揚機関連機械

第十一竪坑で使われていた、巻揚機のギヤーおよび深度計を展示しています。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


旧久原本部

日立鉱山開業当時、創業者・久原房之助が居住し、幹部たちと労苦をともにした場所です。公害問題解決のために大煙突の建設を決意したのも、この本部の一室でのことでした。現在は茨城県文化財に指定されています。(茨城県文化財(産業史跡第1号)指定)

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


日立鉱山専用鉄道電気機関車

「十三号」と名付けられ、明治末期より1960年まで約50年間、専用電気鉄道および製錬所内の輸送用に活躍しました。(株式会社日立製作所水戸工場に保存展示されていたものを同社のご厚意により借用)

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


塵外堂

大雄院製錬所が建設された名刹「大雄院」跡地の一角に自生し、「千年杉」と呼ばれた巨大な杉を用いて建設された持仏堂(仏像を安置する建物)です。もともとは久原の神戸の自邸に建てられていたものですが、1985年の日鉱記念館の開設にあたって久原家から寄贈され、日立に移築されました。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


大煙突設計図

かつて銅製錬によって発生する亜硫酸ガスが、周辺の山林や農作物を枯らしていました。この煙害について、科学的知見も防止技術も未成熟だった時代に日立鉱山と地域住民は共に苦しみ、また互いに誠意をもって激化する煙害問題の克服に取り組みました。試行錯誤の末、1915年、当時世界一の155.7メートルもの大煙突を完成させました。その後煙害は激減し、何年にもわたる植林により自然環境は順調に回復していきました。工業都市日立市の発展を見守り続けてきた大煙突。企業と地域住民が共存共栄を目指し共に煙害問題の克服と自然環境の回復に取り組んできた歴史が今も大煙突に生き続けています。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


孫文から久原への手紙

1916年8月15日に孫文から久原へ上海から送られた手紙です。内容は孫文が日本に亡命中、久原から受けた援助に対するお礼と、自分が今権力の座にないため期待に応えることができない状況にあること、一方、中国における鉱山開発のために調査員を派遣して欲しいことなどが記されています。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


模擬坑道の道具

当時の採掘環境を感じられる模擬坑道の中に、手ハンマーや矢木切り(※)などを復元展示しています。(※)落盤、落石、土砂の崩落などを防止するため、丸太を組み合わせた支保(支柱)を作るための道具。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


日立鉱山の鉱床と坑道の透視図

坑内の最も深いところは、地表から950mです。坑道の総延長は約700kmで、日立から大阪までの距離にあたります。

情報所有館 : JX金属グループ 日鉱記念館 


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